第4章:嵐の前
台風が近づいている。港町は落ち着かない空気に包まれていた。
(天気も人の心も、荒れそうにゃ~)
私は『潮騒』の軒下で、通りを行き交う人々を観察している。準備を進める店主たち。不安そうに空を見上げる観光客たち。
浜野さんの店では、早じまいの準備が始まっていた。
「倉庫の写真展? ふん、勝手にすればいいさ」
息子の圭が話を持ちかけたらしいけど、浜野さんの反応は冷たい。
「でも、父さんの若い頃の写真もあるんだよ。如月さんが撮った……」
「如月? あの爺さんか……」
浜野さんの表情が、一瞬和らぐ。
「あの人には世話になったな……」
突然、強い風が吹き抜ける。軒先の古い看板が、不気味な音を立てる。
「危ないな、これ」
浜野さんが看板を見上げたその時、マークが通りかかった。
「手伝いましょうか?」
静かな声に、浜野さんは一瞬戸惑う。でも、看板が再び大きく揺れ、二人は無言で協力して固定作業を始めた。
「……ありがとな」
「いいえ。当然のことです」
そっけない会話。でも、その場の空気は少し変わった気がする。
(人間って、時々言葉より行動のほうが雄弁にゃ~)
私は次の場所に向かう。古い倉庫では、写真展の準備が進められていた。
「ここに如月さんの漁港シリーズを……」
「いや、まずは街並みの変遷を見せたほうが……」
小夜子さんと地元の若手たちが、レイアウトを考えている。葵も一緒だけど、どこか落ち着かない様子。
「私、やっぱり自信がなくて……」
彼女は手持ちの写真を見つめている。祖父の作品の間に、自分の撮った写真を展示することに迷いがあるみたい。
「葵ちゃん、見て」
小夜子さんが古いアルバムを開く。そこには、若かりし日の如月潤一の姿が。
「如月さんも、最初は町工場で働きながら、休日に写真を撮っていたんですって。誰もが初めは未熟なのよ」
その言葉に、葵は少し表情を和らげる。
外では風が強くなってきた。台風の接近を告げるサイレンが、港町に響く。
「準備を急がないと」
「待って、この写真……」
慌ただしい作業の中、マークが一枚の写真に足を止める。
「父が釣りを教えてくれた場所だ」
それは、30年前の防波堤の写真。夕日を背に、父と子が釣り糸を垂れている。
「あのころは、父もよく笑っていたな……」
マークの声が、少し震える。
「今もアメリカで、港町の写真を撮り続けているんです。父は」
その言葉に、みんなが足を止める。
「素敵な写真展には、色んな視点が必要です」
マークはそう言って、スマートフォンを取り出した。
「父に連絡してみましょう。きっと、喜んで協力してくれるはず」
その時、強い風が吹き抜け、窓ガラスが大きく揺れる。
「これは予定より早いかも……」
空が急速に暗くなってきた。予報より早く、台風が接近しているらしい。
「今日は作業中止。みんな、家に帰ったほうが……」
マークの言葉が終わらないうちに、激しい雨が降り始めた。
「アメノメちゃんも、中に入ってきなさい」
小夜子さんに促されて、私は倉庫の中に避難する。外では、波の音が轟いている。
「まさか、あんなに早く……」
誰かが呟く。予想以上の事態に、人々は戸惑いを隠せない。
「あ、浜野さんのところ! あの看板、まだ完全には固定できてなかった!」
マークが叫ぶ。圭が父親の店に向かって走り出す。
「待って、一緒に行きます!」
マークも後を追う。
(人間って、緊急時には本能が目覚めるにゃ~、本能で生きるのは大切なんだにゃ~)
私も、雨の中を二人の後を追った。浜野さんの店に近づくと、轟音が聞こえてきた。
「危ない!」
古い看板が、大きく軋んでいる。暴風に煽られて、今にも外れそう。
その時――。