未熟者の戦い
「君には魔術の才能がある。」
いつか、その人が私に言ってくれた言葉。いつも私を気にかけてくれていたあの人が最後に教えてくれたもの。
その日、私は初めて魔術という奇跡に触れた。手がじんわりと暖かくなって、手のひらの上に小さな世界が浮かび上がった。
あの人と居た小さな小さな箱庭のような世界。私の居場所ではなかったけど、それでもそこが好きだった。
それから少しの間は楽しかったと思う。あまり、魔術に割く時間は無かったけれど、それでも魔術を習うことは楽しかった。
純粋に魔術に触れている事が嬉しかったんだと思う。
だけど、あの人は私の前から居なくなった。
仕方の無い事だと思う。あの人は自分の事を旅人だと言っていた。だから、いつか自分はまた自分の道を歩み出さなければならないとも。
最後に、「いつか______。」言葉を残してあの人は自分の道に歩を進めて行った。
そして、私はまた1人になった。だからまた、私は沈む。どこまでもどこまでも……。
「あれ…寝てた。」
美咲は自分が寝ていたことに気づいた。いつもならこのような事は無いが、最近様々な出来事が重なって忙しかったからだろうか、どうやら美咲は相当疲れているみたいだ。
「あ、れ?おかしいわね。」
美咲の目の縁には感情の雫が溜まっていた。
千世や直也、香織も真達がいるのに今はもう美咲は孤独しか感じられない。“悲しい”そんな感情を今の美咲が感じる必要も無いのに、美咲はどうしようもなく泣きたい気分になった。
今日は半日授業だ。
テストが終わり、もうすぐ夏休みという事で一学期にやるべき授業は残っていない。今日の授業も総合やLTなどだった。
周囲を見渡して見ると周りに生徒達は居ない。
千世や直也もおそらくは先に帰ったか遊びに行ったのだろうか、美咲の目の前には千世の手書きのメモが残っている。
『ゆっくり休んでね。』
千世のあまり綺麗とは言えない字。宛名も書いた自分の名前すら書いていない簡素な書き置き。でも、それで十分伝わった。
美咲は一言だけ書かれたメモを手に取ってポケットにしまう。
美咲は自分の目の縁に溜まった雫を手で払い、前を向く。
「まったく、起こしても良かったのに。」
そう言った美咲の顔は、はにかむ様にに口角が上がっていた。
「美咲!コラボカフェ行くよ!」
美咲が帰り支度をしているところに、他クラスからわざわざ香織が話しかけにきた。
正直、香織の言っている事が美咲には何のことだったか記憶が無く、香織の発言は美咲にとって青天の霹靂だった。そんな美咲の様子に気づいたのか香織は心外だというように頬を膨らませている。
「ちょっと前に約束したじゃん!?美咲、あれからずっと忙しそうにしてたから。もう今日でコラボ最後の日なんだよ?」
香織は心外そうに美咲の肩をガクガクと揺すって訴えてきた。
「しょうがないわね、少しだけよ。」
思えば、最近は千世や吸血鬼の対応に追われているせいでなかなか自由な時間がない。
ここらで一度くらい埋め合わせをしておくべきだろう。
「よしきた!」
香織が美咲の腕を掴んで教室の扉に向かっていく。
カフェに着くと、ラストデイという事でかなり席も空いているように見えた。
メルキューとかいうキャラクター自体この町固有のものであって、全国ではまったく馴染みのないキャラクターだ。なので、コラボカフェがあまり繁盛しないのも納得だろう。
「コラボカフェなんて、一体誰が企画したのよ……。」
思わず美咲は小さく声が漏れてしまった。
「え?どうしたの、美咲?」
どうやら香織にギリギリ内容までは聞こえなかったようだ。
「何でもないわよ。それより早く入りましょ。」
美咲は話を逸らす為にも、香織の背中を押して急かした。
「美咲!スッゴイよ!?」
内装に関しては何だかとてもメルヘンな雰囲気を漂わせているが、よくよく見てみるとメルキューのとても残念なデザインが惜しげも無く散りばめられているだけだということに美咲は気づいてしまった。
「そ、そうね。」
美咲は香織と話を合わせながら案内されるままに席に着いた。
何故か机の真ん中には鳥につつかれて苦悶の表情を浮かべるメルキューのフィギュアが置かれている。キュートアグレッションとか言うやつなのだろうか?いやしかし、このキャラクターにはそれ程のキュートさなんでないと思うのだが。
そんな事を考えていると、自分と美咲の分も勝手に注文を終えた香織が話しかけて来た。
「そう言えば美咲、千世ちゃんを拾って来たのってホント?」
「ああ、同居してる事?誰かに聞いたのね。」
それ程隠していた訳でも無い、別に誰に詮索されようがあまり美咲にとっては些事と言える。
「うん。千世ちゃんと直也君が話してたの。」
「それにしても拾って来たって…。犬じゃないんだから。」
確かに、美咲は千世に好きな髪型、服装にしては可愛がっているが。流石の美咲もペット扱いはしていない、どちらかと言えばパペット扱いだ。
「まあまあ、でも実際どうなの?」
「どうって何がよ。」
美咲は口直しに運ばれてきたグロい見た目のティーセットを手に取ってカップの中身を口に含んだ。
__まあ、元々の店が良かったのだろう。
見た目の割に茶葉の深みをよく引き出した上品な味わいだ。
「あ、これおいしい。」
香織は自分で頼んだ、潰れた顔を持つ羊?牛?をモチーフにしたパンケーキをナイフで一刀両断している。香織はパンケーキを一切れナイフで切り取って口に運ぶ。
「もう!あんな可愛い子ちゃんと同居してて何もし無いなんて事ないじゃん!」
香織が口の中の物を付いてきたジュースで流し込むと当たり前というように言ってのけた。
「ゴフゥッ。ケホッ、ケホッ。」
美咲は唐突な下世話な話に口の中の液体を吹き出しそうになるのをどうにか堪えたせいで不意に喉に入ってむせてしまった。
もしかして、この香織とかいう人間はかなりおマセさんなのかもしれない。魔性の女香織、恐るべし!である。
「何も無いわよ!」
「えー!抱き枕とかにしたら気持ちよさそうなのに!」
「……?」
…………。
マセている訳では無いみたいだが。
なんと言うか、香織はまた別ベクトルで変な人間だった。
「そういう貴方は千世と仲良くできてるの?」
「うーん。まだあんまり話した事ないかなぁ。いっつも直也君と話してるし。私にもモフらせろっ!」
言って香織は目の前の虚空をワシャワシャと掻き乱すように手を動かしている。
美咲は生徒会役員では無い為に千世の生徒会での様子を知らない。よって、香織から得られる情報は大いにありがたいと感じている。
美咲はティーセットのお茶菓子に手をつける。
メルキューをかたどったサブレー。
これまた見た目は酷い物だが、バターの風味の効いた味とサックリとした食感がなんとも美味だ。確かにサブレー、“砂で覆われた”という名を持つに相応しいお菓子だ。
美咲が値段の割にいい間食が出来たことに内心喜んでいると、
「あ。」
「どうかしたの?」
パンケーキを小皿に移して差し出していた香織が急に何かを思い出したように声を上げた。
「いや、別に気の所為かもしれないけど……。」
どうにも言いずらい事があるのか、香織は顔をしかめて上目遣いに美咲を見ている。
「多分だけど、真ちゃんと仲があんまり良くないのかなって思うの。」
「真?」
一体、何をそんなに言いずらそうにする必要があるのか。美咲と同居していると言って真がどんな反応を見せるかなんて分かりきっていた事だろう。
「大丈夫よ、どうせ最初だけよ。直也の時もそうだったでしょうに。」
「そうだよね…。」
美咲と真が出会ったのは高校一年の時、オープンキャンパスに来ていた真が校内を彷徨っていた所を偶然居合わせた美咲が声をかけたのが最初だ。それから数ヶ月後に入学式の日に再開し、その時からそれはもう病的な程に美咲に執着するようになった。
真を直也に紹介した時にも彼女の異常性は発揮され、「美咲先輩に近づく悪い虫は許さないっス!」なんて言って何度も直也にイタズラを仕掛けていた覚えがある。だが、いつの間にやら真は生徒会に入っていて、なかなか直也を敬うようになっていて驚いたものだ。だから、どうせ今回も大丈夫だろう。
「香織、そんな顔しないの。真も千世もいつかは仲直り出来るわよ。」
「でもぉ。」
香織が未だ思い詰めた表情をしているのを気にして美咲は声をかける。
こういう友達思いなところが香織の美徳であり、短所でもある。
「これでも食べて元気だしなさい!」
美咲は手元にある小皿に分けられたパンケーキをフォークに刺して香織の口の前に持っていく。すると、パクっ!と香織が元気よくパンケーキにかぶりついた。
「うん!」
「まったく、現金なんだから。」
香織は表情をコロコロと変えて楽しそうに返答する。どうやら、香織の不安の根を取り除く事はできたようだった。
それからはコラボカフェという事で置かれたパネルや人形などと一緒に写真が撮りたいと香織が言うので、美咲は渋々といったように手伝ってやる。
「ふう、ツーショットも撮ったし!やり残したことはもう無いね!」
「まるで明日死ぬみたいな言い方しないの。ほら、お会計するわよ。」
美咲がレシートを確認すると、そこには商品名の横に恐ろしいお値段が記載されていた。コラボということもあるのだろうか、平常時の営業での値段に上乗せされている。
別に可愛くないキャラクターに可愛くないお値段とはまたお似合いだな。なんて事を美咲考えてしまったが急いで思考を振り払うと誰も並んでいないレジの前に立って財布を開いて香織の分の会計も済ませてやる。
「あ、いくら?後で払うねー。」
「いいわ。今回は私が奢るわ。」
美咲は改めて香織への埋め合わせをしておくことにした。それに香織は一瞬目を丸くしたがその後すぐに「ありがと!」と満面の笑みを見せて感謝を伝えてきた。
美咲は奢っているのは自分だというのに気分が良かった。最近は、日本人の美徳は譲り合いの心だ何だと言われているが、こういう香織のように人からの厚意を素直に受け止める力の方が大切なのかも知れない。
店の外に出ると時刻は午後3時を回っている。天高く降り注ぐ陽光が美咲と香織の白い肌を焼いている。香織は眩しい陽射しに手をかざしながら気持ちよさそうに空を見上げている。
「それじゃ!これからどうする?」
香織はどうにも遊び足りない様子で手をワキワキとさせている。
「どうって、考えてなかったわよ。どこか行きたい所でもあるの?」
「いやー、アハハ。私も無いけどぉ?せっかくの半日授業なのにもったいない気がしてぇ。」
「明日も明後日も半日なのに?それに、金曜日からもう夏休みでしょうに。」
美咲は呆れながら言う。それに香織は「えー。ケチー。」なんて言って駄々をこねてくる。それを無視して帰路に向かって歩き出した美咲を香織が追っていく。
それから少し歩いただろうか、もうすぐカフェのあった繁華街を抜けて住宅街のあるエリアに入るという所で香織が再度美咲に話しかけて来た。
「最近の美咲ちょっと、なんて言うか張り詰めてる気がするよ?美咲に何があってどんな事を思ってるのか分からないけど。もう少し肩の力を抜いた方がいいよ?」
美咲は気付いた、香織は別に自分のためではなく最初から美咲のために遊びに誘っていたのだ。
「少しだけでいいから私も力になりたくて…。だから一緒に遊んだら息抜きになるかなって思ったけど…。美咲、今日凄く疲れてたみたいだし、それにさっきも教室で泣いてたよね。」
いつから見ていたのだろうか。泣いていた事は最近美咲が気を張りつめていた理由とは別だが、どうやら香織はそれを見て美咲が限界なのではないかと思っているみたいだ。
「辛い時くらい私にも頼ってよ。話なんていくらでも聞くし、教えて欲しいの。」
香織は今までの態度が嘘のように真剣な雰囲気を纏っている。
「なんで。」
美咲は香織のいつもとは違った豹変ぶりに少々驚いて小さく一言しか声が出ない。
「友達だから!」
香織は強く美咲の心に踏み込んでくる。そこには今までにない気迫を感じる。香織の根底にはいつだって友達の為という原理が働いている。友達が大変な時自分が肩を貸してやりたい、友達が悩んでいる時自分が話を聞いてやりたい、友達の…力になりたい。
「やっぱり、香織には話せない…。」
美咲は申し訳なさそうにして声を絞り出すように言う。香織を吸血鬼なんかと関わらせたくない。半ばこれは美咲の意地だ。
「知ってる。」
香織はそう言って頭をポンポンと撫でてくる。まるで年下の子供を姉のような行動だ。香織は美咲が自分に言えないようなモノと向き合っている事を知っていた。でも、
「それでも、少しくらい頼ってよ。私はいつでも美咲ちゃんの味方だからね。」
美咲の心を溶かすように、よしよしと頭を撫でる手がだんだんと優しくなっていく。心が休まって力が抜けていく。
___コレはダメだ。
香織は美咲をただの子供に戻してしまう。それはダメだ。美咲の最も危惧すべき人物は香織だったのかもしれない。
「ありがと、香織。じゃ、どっか今日はパーッと遊ぶわよ!」
美咲は香織から離れると、泣いている訳でも無いが香織と目を合わせることなく振り返ると都心部へと向きを翻して歩き出した。
「ちょっとぉ!美咲待ってよぉ!」
香織はそんな美咲の様子に気づくことなく、美咲の後ろをついて行く。
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今日も、吸血鬼を探しに行かなければならない。事件は毎日起こるわけではないがそれでも合計すると看過できない件数になっている。よって最近は警察官の巡回にも気を巡らせなければならずかなり厄介だ。
美咲は極力音を立てないように、小さく飾り気のないショルダーバッグに必要なものを詰める。美咲は出来る準備は全て行っておく。
「行ってきます。」
千世は寝ているはずだ。最近は千世が寝付いたのを見計らって家を出るようにしている。毎日彼を寝不足にしてしまうのはなんとも心苦しい。
「よし。行くわよ!」
美咲は自分の履いたシューズの紐を確認すると気合いを入れて走り出す。夏に入っているとはいえ夜明けまでまだかなりの時間がある。
今日もいつもの巡回ルートを回って吸血鬼を探していく。もはや慣れたもので、ルートには近道を組み込んだり、1周回る時間もかなり早くなった。また、この前の反省を活かしてこの巡回用にランニングシューズを新調してきた。
もはや日課のランニングの様になっている。
香織の事があってか、美咲はいつもよりご機嫌だ。いつ、化け物とエンカウントしてもおかしくないというのに今夜の巡回は気分が跳ねてまったく苦とは思わない。
だが、今日はいつもと違うことがもうひとつあった。ここは少し開けた道路の上だ。車通りはいつも少なく、夜になった今ではここを通る影はひとつもない。
「少し久しぶりね。」
美咲はソイツが返事をしない事を分かっていながらに声をかけた。
「Oooooooo。」
いないならいないで嬉しかったモノ。今日はそこに吸血鬼が立っていた。
低く唸る声に独特の匂いのする動く死体。それほど汚れていない衣服から人間を終えてから時間があまり経っていないこと、男性だったことが窺える。
美咲は警戒レベルを一気に引き上げる。
あの吸血鬼は何故か異様な数の頭を持っている。あのようなもの、美咲は今まで多く吸血鬼を狩ってきたが見たことがない。
頭は5つ。首から枝分かれをする様に生えている。一つ一つがドッペルゲンガーのように同じ顔を持っている明らかな異形だ。
美咲は早速炉心に弾を篭める。刹那、五つ首の異形が大跳躍をして美咲の目の前まで一気に距離を詰めてくる。美咲は斜め後ろの電柱を盾にして飛び込むと異形はその五つの頭を振り回して電柱をいとも容易く二つ折りにする。普通の吸血鬼を軽く上回る運動性能とパワーをその異形は持っていた。
「あの見た目で身軽すぎるわよ!」
美咲は盾が一瞬で粉砕され、飛来する電柱の礫を避けながら逃げていく。だがそれを見て異形は真っ直ぐに美咲を目指して走ってくる。
「ニクスルーチェ・アスタ!」
美咲が取り出したのは砂の入った小瓶。対吸血鬼用に編まれた殺すためだけの品の無い魔術の一つ《雪華の星》。美咲は既に術式と魔力を充填されたソレを異形の真正面へと投げ出す。そして美咲の手から離れた小瓶は空中で分解し中身の砂を撒き散らすと同時に砂は結束し小さな星としてその原理を成す。
「Oooooooo!」
異形は咄嗟に小瓶の軌道上から逸れる用に跳躍する。しかしそのような杜撰な回避はこの殺人魔術の前に意味を成さない。砂によって空中に形成された星印は眩く発光し、異形に向かって印を形作る小さな星たちを全て異形に叩き込んでいく。その美しい色光とは裏腹に、その小さな星のデザインイメージは散弾銃だ。
「Oo!Ooooooo…!」
3メートル近くある異形の巨体が横薙ぎに吹き飛ばされると同時にその骨格ごと肉を削った。
美咲の魔術の効果は遺憾無く発揮される。砂の一粒一粒に美咲は殺意を込めて魔力と術式を刻んだために、その威力は光弾の比では無い。
「頭が弱点だといいのだけど。」
美咲が狙ったのは頭だ。
しかし、同時にそれは美咲にとっての賭けだった。何故なら先の攻撃で相手は自分の頭で攻撃してきた。それは乱暴に扱ってもいいほど頑丈だったという事か、それともか急所になり得ないほどにどうでも良い器官なのか。前者ならば頭を今完全に打ち砕いた為に美咲の勝利となり、後者ならば奇襲の意味も無く振り出しに戻る事になる。
「Ooooo…。」
「吸血鬼でも頭を潰せば少しの間は動かないってのに…!」
異形は傷付いた頭を切り離し新たな頭を生やしている。切り離した頭は地面に着くと同時に根を張るように新たな体を生やして一つの生命体として活動を開始した。
「はぁ!?そんなのあり!?」
頭を新しく生やしたことにも驚きだが、落ちた頭から自分を複製するとはどういう了見だろうか。この異形がもし際限なく増えるのであればそれはこの街の終わりを意味している。よって今、美咲はここから逃げるという選択肢が完全に排除された。
「でも。こいつならやれる。」
美咲が前に会ったあの怪物を超えた怪物のような吸血鬼、グラディウスとは比べ物にならないほどこの異形は基本スペックが低い。美咲に残る不安はどうやってこの異形を無力化するかだけだ。
「がぁさん…だぁ。」
「おなかへっだあ。」「はやぐぅ。はやぐぅ。」「ごはんだいならぁ。」「だんでもいぎがらぁ!」
「「「「「ぼまぇぇえをぐぅれあああああ!」」」」」
五つの首が揃って美咲を凝視するように見てくる。その内の一つがまた地面に落ちてまた一つ首の複製が出来上がる。
美咲は2つの小瓶を取り出し先程よりも異形から離れた位置に投げ出す。2つの小さな星は異形の全身を包み穿つように起動した。
「Oooo!OoooOoo!」
反射的に異形は自分の両サイドに居た複製を投げ飛ばしたことで、複製は異形の肉盾として機能を果たし活動を停止させた。
だが、美咲の狙いはこの小瓶による攻撃では無い。美咲は炉心から魔力を流し込みドローされた魔術を弾き出す。
美咲の放った光の矢は異形の肉体に突き刺さると同時に小爆発を起こし、異形の腹を炸裂させて吹き飛ばす。
「やっぱ硬すぎでしょうが!通用しないのは薄々気づいてたけど!」
深く刺さらなかったのか吹き飛ばせた範囲は想定の3倍は狭く、着弾から2秒後には小さな傷は何も無かったように再生された。
「Oo!」
今度は自分の番と言わんばかりに異形は美咲に突進するように1秒後には肉薄すると頭を振り回し、美咲が咄嗟に放った魔術たちを無力化していく。異形は単調でお粗末な攻撃を繰り返すのみだがそれでも美咲にとってそれは全てが必殺の一撃となる。
「アッがぁ!」
美咲はすぐさまシリンダーを回転し、残り5発の弾倉から目的の術式を装填しすぐさま起動していく。しかし美咲を守護せんと現れた物理防御に特化した盾は異形の頭の一振によって切り裂くようにして瓦解する。
美咲はその衝撃によってまるで風に翻弄される紙のように吹き飛ばされ地面へと叩きつけられた。美咲の命もこの異形にとっては吹けば飛ぶ命と同義なのだ。
「おがじぃぁあ?しんでぇあ?」
異形はうつ伏せに倒れた美咲に自身の複製達をけしかける。
____パァン。
夜の開けた世界に風船に針を通したかのような破裂音が響き渡る。美咲が先程まで倒れていたそこにはひとつの血煙があるだけで複製も美咲も居なくなっていた。
「はァっ!はァっ!」
美咲は全力の疾走と骨折の激痛に耐えかねて今にも倒れそうだった。しかし、目的地に着くまでは倒れることも休むことさえ許されない。美咲に残った手段は一つ。それを実行するための時間稼ぎだ。
「はぁ、私いつも逃げてない?…まあ、魔術師だし仕方ないか。」
少しだけ美咲はため息をつきながらヨタヨタと体を前傾し夜の街を駆ける。
月は水面に反射し、アスファルトも金属もそのどれもが色を持って輝く。風は吹き抜けるように美咲の体を外側から冷やしている。
ここは、桜ヶ丘を流れる用水路の一つ、その水路を跨ぐようにしてかけられた橋の下だ。
異形は予想外に美咲の想定していた数の半分の複製しか連れていなかった。それは、美咲の知るところでは無いが、彼が失敗作であるからだろう。
「Ooooooooooooooooo。」
「やっとお出ましね。待ちくたびれたわ?じゃあ、そうねこういう時は。今夜は月が綺麗ですね?」
美咲は片方の手を腰にまわしもう片方の手を10メートル以上離れた異形へと差し出すと、足を引き会釈する。
「私と1曲踊って頂けますか?」
「ああああああぁぁあぁあああ!」
異形は一層強く金切り声のような叫びを発しながら走り出した。それを美咲は目視すると同時に必要のない詠唱を気合いを入れる為だけに叫ぶ。
「ニクスルーチェ!」
砂の小瓶の本来の使い方。その砂の撒かれた地点を通過したものを木っ端微塵とする罠、異形の複製体を刹那の内に血煙へと変えた美咲のオリジナル殺傷魔術だ。
美咲の声に反応し、それらは異形とその複製目掛けて術式を起動していく。美咲の使った小瓶の数は7つであり、また美咲の持つ全てだ。
五体いた異形の複製体達は、あるものは一欠片もなく、あるものは活動に必要な部位を全て失った状態で倒れている。
「おぇぇええええ!なあああぁ!」
「アンタはやっぱこの程度じゃ、死なないわよね。華の舞踏会はまだまだこれからよ?まだへばって貰っては困るわね!」
異形の体はかなり欠損しているが、それでも奴の命を刈り取るには至らない。
異形は急いで頭を切り離して複製体を増やそうとするが、その全てを美咲は魔術で地面に着く前に的確に撃ち落とす。
美咲はこれまでの戦闘においてこの異形の本質をすでに見破っている。この異形は言ってしまえば植物なのだ。それも地下茎を持つ植物。頭は芋のような根の意味を持っているのだろう、だから頭を切り落としそこから自分のクローンとも言える複製を増やす。
美咲は最初、異形の様子から普通の種子を介して増える植物を思い浮かべたが、それにしては奴が花の類似機関を持たず複製を増やす時受粉を必要としないことから頭は種子では無いという結論へと辿り着いた。
頭が根だとすれば、頭は生命の根幹に関わる器官ではあるがその数を増やし1つでも残ればそこからたちまち再生出来る為に重要では無くなっている。その歪とも言える生存戦略こそがあの異形の体を形作ったのだろう。
ならば、あの異形の頭を再生する前に完全に根絶する事でこの吸血鬼は機能を停止すると考えられる。しかし、異形の再生速度を考慮すると、美咲は高火力によってガードを貫き同時に全ての頭を潰す必要がある。
「さっきはよくもボコボコにしてくれたわね!山猫に追われる野兎の気分だったわ!お返しにアンタには私の殺意のフルコースを味わって貰うわよ!」
美咲は過去の教えを思い出す。
「___変調。」
冷静かつ慎重に、なにより素早く、美咲は自身のチャンネルを変更する。
美咲は自身の真下の刻印から橋の至る所に刻まれた刻印へと回路に電流を流すように魔力を循環させていく。回路は淡く発光し唸りをあげながらも美咲の呼び声に答える。
「____月光接続。__光線投射。」
美咲は魔術刻印の焦点を頭上に浮かぶ月へと合わせる。魔術による疑似集光レンズの形成。
瞬間、満月の夜はブラックアウトする。
今ここに街一帯の一切の月明かりは美咲の支配下に下った。全ての月光は美咲の形成した簡易結界の内でのみ運用される。
「あぇあ?」
異形の目には美咲は勿論、自身の身体さえ映らない。視界を失ったソレは美咲を捉えんと引き付けた脚を止めてしまった。
それは致命的な失敗だ。美咲はこの魔術を使用している最中刻印上から移動することが出来ない、しかし同時に固定砲台としての火力を存分に発揮する正に諸刃の剣の閉塞型魔術式。
「肉の1片も残さず燃やし尽くす!」
異形を中心に6本の光線が自在に駆け回り頭を一つ、また一つと溶かし燃やす。腕も脚も腹も内蔵も骨も肉も血も、全てが月光刃によって灰として地へ還る。
「あああああああああああぁぁぁ……!じぬぅあ、じぬじぬじぬ……じねぇ!」
今までにないほどの肉体の欠損に耐えかね、膝をつく。だがそれも一時の事だ、異形は最速で頭と脚という必要な部位のみを再生し、美咲との距離を詰める。
「無駄!」
美咲は月光刃は異形の脚へ集束し異形が倒れた所を頭を潰す。
「Oooooo!」
異形は元の形を崩しありあわせの修復によって命を繋ぐ。更なる異形となったソレは大量の枝を生やし無理矢理にも美咲に近づこうとする。
「もうなりふり構わないわね。辛いならそろそろ諦めて舞台から飛び降りなさい!」
美咲はさらに魔力を回路がめちゃくちゃになる臨界点まで流す。刻印がうねり、地響きを引き起こす。
「____ネメオスレオン・エピタフ!」
光刃はさらに集束し、一本の光柱となり、未だ衰える事の無い不死身を殺す墓標へ姿を変えた。
「あ。……いあああああああああああああああ!!」
その異形は失敗作ではあるが、その身に刻まれる銘は本物だ。死の淵に立ち、ソレは自分の銘を思い出す。光柱がその身を砕く前にその《根》は本来の姿を取り戻し五つという制約を捨て無限の拡がりを見せる。もはや異形はただの植物になっている。《根》は結界を刻印の刻まれたコンクリートごと破壊し、月光を夜に取り戻すとそのまま刻印の中心にいた美咲の全身をすっぽりと覆うように捕えた。
____美咲の思考が急速に冷却され加速していく。
____手足が自分のものではなくなったようだ。
別に敵の攻撃に怯んだ訳でも、全身の激痛に耐えかねた訳でもない。
原因は、
「私の弱さね。」
美咲は例えソレが人知を超えた化物だとして、それでも“殺す”という行為にえも言われぬ嫌悪と畏怖を抱いていた。
「だけど!ここでアンタに殺されるくらいなら、オマエを…完膚無きまでに“殺し”尽くす!」
美咲の全身の筋肉が心臓に合わせて拍動する。美咲の体を流れる魔力が熱を持ち、6つの炉心に火を灯していく。魔力はここで使い切る。
「___変調!!」
閉塞型から開放型へ。
奴は無造作に増殖し過ぎた。もはやその植物はか細く弱く、そして不死身の身を捨て吸血鬼の範疇からも逸脱した。
ならば美咲はありったけの魔力を炎の波として顕現させ、自身を包む根を押し流す。
「はあああああああああ!」
美咲が吠える。
美咲は炎熱を自身を取り囲む根を中心として使用した為に自分さえその影響を受けている。魔力がスパークし全身の血液が沸騰するように熱い。内からも外からも美咲の身を炎が焼いていく。
さらに、魔力の大量消費による虚脱感が美咲を襲ってくる。
しかし、それでも美咲は荒々しく猛る魔力の発露を辞めない。
「______。」
植物に声を発する器官は残っていなかった。
「母さん、もう苦しくないよ……?お腹は不思議といっぱいになったんだ……。でも母さん……母さんは何処に行ったの……僕を…置いてっちゃったの?」
美咲には微かに男性の落胆の声が聞こえた。
これ以上この植物が奥の手を隠していないことを前提とした美咲の持ちうる全てを賭けたラストアタック。
それは、無限に増殖する根を抑えつけ残らず燃やし尽くした。
「さようなら、見知らぬ誰かさん。」
振り返る美咲の目に映るのは冷たいコンクリートとその上を吹き抜けた風に乗って飛んでいく塵のみだった。
美咲は辺りを見渡す。
「余裕が無かったとは言え、少しやり過ぎたわね。」
橋はコンクリートを破壊され鉄筋が露出し、地面はえぐれて凸凹になっている。申し訳ないとは思うが今実際に魔力の残っていない美咲に出来ることは何も無い。
美咲は早々に此処を立ち去る事にした。
やはりというべきか美咲の心は底冷えするほどに罪悪感と嫌悪感が入り乱れている。
今日はやけに月が大きく見える。
まるで、美咲の罪を咎めるかのようにジッと此方を見ているようだった。
こうして、失敗作の怪物と未熟な魔術師の戦いは終わりを迎えた。
根菜頭くん
まあ、可哀想な被害者です。
本当の名前は、はじめくん(35)です。
早くに母親を亡くして生きてきた苦労人です。
可哀想ですね?