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止まった世界で君と共に。  作者: 千本松原
吸血鬼の潜む町
5/15

正義の結末。 前編

午後11時半

夜が更け、既に何処の家も光を失っている。

六月の夜はジメジメとした熱気を帯びている。


額から汗が滑り落ちる。

腕で汗を拭って作業に集中する。


美咲の手の中にある小さな砂に光を込めていく。



しかし、どうにも集中力が続かず、作業を中断してしまう。


「まずいわね。」

自然と美咲に焦りが浮かぶ。

現在の成長速度では間に合うわけが無い。


___コト。


物音がした方を振り返ると千世が目を輝やかせて美咲を見ていた。


見られた?


「千世?貴方まだ寝てなかったのね。」

「うん。それよりソレ。」

千世が美咲の手元にある小瓶に入った砂を指さしている。

やはり見られていた。


「はあ。」

思わず溜息が出てしまう。

やはり、同じ家に人が住んでいるというのに魔術を隠しきる事など土台無理な話だったのだ。



「千世?これは秘密なの。」

「秘密?なんかキラキラして綺麗だったよ?」


千世はどうやら、先程輝いていた砂に興味津々のようで、砂の小瓶を手に取って確かめるように振っている。


「綺麗でも、他の人に言いふらしたりしたらダメよ?」

どうやら美咲の真剣さが伝わったようで千世は「分かった。」と言って大きく頷いてくれた。



「これは、魔術よ。」

千世は約束を破るような人間では無いことを美咲はこの3週間で理解していた。

ならいっその事、説明してしまった方が勘違いからくる事故が減るかもしれない。


「まじゅつ!」

説明は得られないと諦めていた千世の表情が晴れ渡る。


「そ、魔術。魔術式に魔力を流し込んで奇跡を生み出す技能の事よ。」


「なんか凄そうだね?それ、僕にも使える?」

「どうかしら、私自分以外の魔術師というものを見た事が無いから。取り敢えずやってみる?」



先程まで行っていた作業を中断し、新たに1枚紙を用意すると千世の髪を1本引っこ抜く。

「イテッ!」


「この人型に髪を括りつけて魔力を流すのよ。」

「えっと、どういう事?」


「紙に刻まれた刻印はこの人型の骨格と言っていいわ。そして貴方の髪は貴方の意識を人型に乗せる為に使うわ。」


人型を少しの間立たせるそれがこの魔術、人型には既に魔術式が刻まれている。

つまり魔力を人型に流すだけ。ただそれだけでこの魔術は起動する。


「な、なるほど。で?どうやって魔力を流すの?」


美咲が千世の背中あたりに指を置く。

「ああ、それはね今私がさわっている当たりに魔力を発しているところがあるはず…よ?」

美咲の説明は途中で途切れてしまった。


美咲は千世の背中をぺたぺたと探る。



__ない。

炉心がないのだ。


「ごめん、千世。どうやら貴方に魔術は使えないわ。魔力を発生させる炉心が無いの、貴方には。」


「そっ、か。残念だけど仕方ないよね。才能が無いんだから。」

千世のがっかりしたような顔に少し美咲の胸が痛む。しかし、炉心の大きさは才能によってしまう所がある為どうにもならない。

千世の炉心の反応は全くなく魔力の微々も感じない。まるでそこだけが抜け落ちてしまった様に空洞だ。


美咲の心痛にいち早く気づいた千世は話題を投げかける。


「そう言えば美咲は誰に魔術を習ったの?」


美咲は千世の優しさに感謝しかない。

ここまで、気遣いができる人間はあまり多くないだろう。こういう性格の人を世渡り上手と言うのかもしれない。


余計な思考を美咲は振り払い会話の内容を思い出す。


「えっと…、師匠と呼んでいいかは迷うところだけれど、確かに誰かに習っていたのは覚えているわ。

その人自体のことは、小さい頃だったから雰囲気とかを朧げにしか覚えていないけれど。」


 美咲は彼の事が意外と好きだった。

彼はいつも美咲に色々なことを教えてくれた。


その中の一つが魔術だった。


 そう…。確かその人は正確には魔術師などではなく、美咲の事を案じて、ただ美咲の為に魔術の原理や心得を教えただけだった。


確かに優しい人間だったかも知れない。


「そっか。多分、美咲が大人しく教えを受けるほどだから良い人に違いないね?」


自然、美咲の顔に笑みが浮かぶ。

彼の事をどんな形であれ褒められるのは、なかなか美咲にとって気分がいいものだった。


「あら?言葉に棘がある気がするわ?いいのかなー、家主にそんなこと言っちゃって?」

 美咲は本心を気取られるのは少し恥ずかしい気がして、千世を少し虐めてやる。


「ちょ、いや、それはズルいよー!」

 この家の絶対者は美咲であり、千世の事をいつでも追い出すことができる状況だ。

つまり、千世は美咲のご機嫌を取らないと命がいつ消えてもおかしくない。可哀想かわいいに。


「フフッ。」

 まあ、実際のところ美咲にその気はなく、千世がこの家を自分から出ていこうとするまではしょうがないから面倒を見てやるか。くらいに思っている。


二人の中に笑顔が戻った頃、

12時を知らせる壁掛け時計の音が鳴った。



「ごめんなさい。千世、あなたには少しお留守番を任せたいの。」


「え、留守番?」

「そうよ、私今から少し用事があって外に出ないといけないの。先に寝てて良いから家で待ってて。」


「はぁい。」

千世が眠気交じりに答える。


「それじゃ、行くわね。」

美咲は先程まで準備していた物を諦め、鞄を持って玄関へと向かう。


そこに、

「行ってらっしゃい。」

千世が思い出したように言った。

最近は美咲と一緒に家を出ることが多かった為にその言葉を美咲に向けて言ったのも少し久しぶりだ。


「行ってきます。」

美咲は機械的な挨拶ではなく、千世に向けて言葉を発した。

 久しぶりの家に誰かが待ってくれている感覚。

美咲は早めに家に帰ってこようとささやかに思った。





今日、また誘拐事件が起こった。


巷ではどうにも誘拐事件の件数が多いために、神隠しでは無いかと言われている。

実際の犯人は神でも人でも無い。人の生き血を啜る鬼、吸血鬼だ。


「このままではジリ貧ね。」

美咲が苦々しく零す。


 美咲は吸血鬼というもの達と出会ったのはかなり最近であり、どうしても奴等の習性という物を少ししか理解出来ていない。

分かっていることと言えば奴等は陽の下で活動をしない事、血を啜った人間を眷属に出来る事、神聖に弱い事だ。

 正直この程度、伝承などに出てくる吸血鬼に良くある習性だ。その範囲にない知っている事といえば魔力を直接操る事だけ。

 だから、どういう法則性が奴らの行動にあるかが分からない。


 そして、分からないものは足で稼がないといけない。町中を走り回って事件を事前に防がなければならない。


 今回、また誘拐事件が起こったということは、まだあの怪物たちはこの街に残っているということだろう。

正直このままでは美咲に勝ち目は薄い。

 あの怪物に仲間がいないとは限らないこと、そして美咲にはあの怪物を打倒しうる火力を用意するのに時間を要してしまうことが理由として挙げられる。

 

 魔術師が魔術を準備している時、敵は待っていてくれない。怪物の剣は美咲を容赦なく穿つ。


 だが、美咲に選択肢はない。これからも、戦うことしか出来ない。なぜなら、この街に美咲以外の戦力となる人間はいないからだ。


 ならば、町を落とされた後に殺されるか町を少しでも守ってから死ぬか。


それに、

「千世。」


今も美咲の事を待っていてくれる少年。

朝日の様に笑う君。


あの子のことを美咲は守りたいと思ってしまった。

 その感情がどこから湧いてきたのかはともかく、その感情が間違っている訳では無い。


だから、美咲は脚をひたすらに前に突き動かす。


町中を走り回る。

吸血鬼が居そうなところ、人の集まるところ、その全てをしらみ潰しに探す。


路地の間。

__いない。


工事現場。

__いない。


住宅街。

__いない。


公園。

__いない。


学校

__いない。


「はぁ…。」

美咲から安堵のため息が漏れる。

これ以上は無駄だ、陽が昇る。

今日は吸血鬼が奴等のねぐらから出てきていないという事だろう。


 美咲は自分の腕につけた時計を見る。時刻は午前4時、つまり美咲は4時間もの間町中を走り回っていたことになる。

 美咲はランニングシューズなど持っていないため普通に普段履きの靴で家を出た。

よって、脚は疲労と靴擦れでもう一歩も歩けないと悲鳴をあげている。


 美咲は身体を前傾に倒し、体重を支える為に脚を無理やりに動かし家に帰ってきた。

 外は既に朝日が見え始めている。


「ただいま。」

静かに呟いて家の中に入る。


「お!か!え!り!」

玄関前には仁王立ちで立っている千世の姿があった。

これは、怒っているな。なんて人事のように美咲は思った。


「取り敢えずお風呂入って!そしたらすぐ寝るの!」

千世はドンドンと美咲の背中を押して廊下を進んでいく。


「はいはい。」

「もう、今日も学校なのに。」


そうだ、

「何で起きてたの?」

どうしても気になった。

4時間、一人家で待っていた千世。

美咲も確かに寝てていいと言ったはずなのに…。


「帰りを待っていたんだよ。帰ってきた時、誰にもおかえりを言われないのはとてもかなしい事なんじゃないかと思って。」

ただ、それだけ。

美咲は言葉を失ってしまった。


 帰ってきた美咲におかえりを言うだけ。それだけの為にこの少年は起きていたと言うのだ。


__バカバカしい

だが同時にとても暖かい。


 帰りを待っていてくれる人がいる、それだけで美咲はこの新たな日常に違和感を覚えてしまっていた。


だが、この日常がずっと続いて欲しいと思った。





結局、今朝は2時間程しか眠れなかった。

ホームルームが終わって次は総合国語の授業だ。


「おはよう。」

「ああ、おはよう。なんだ、今日はやけに眠そうだな?」


千世は目を擦りながら直也に挨拶をする。

やはり、2時間睡眠では疲れも取れず今日一日苦しむことになりそうだ。


「今日全然寝れてなくて。」


「なら、生徒会室を使っていいぞ。円華のやつ以外なら先生達も探しにきたりしないさ。あ、出席は流石に付かないぞ?」

「それ、いつも直也がやってる事でしょ。急に授業に直也が居なくなったと思ったらその後の授業中に戻ってきたり。」


神出鬼没な直也に最初千世は驚いたが、

教室にいた人間全員がさも当たり前の様にしていたことにさらに驚いた。


「ああ。あそこにはソファも冷房もあってかなり快適だぞ。

どうだ?使うか?」

直也はポケットの中からキーホルダーの付いた鍵を取り出した。


「いや、いいよ。授業1回でも逃したらついていけなくなっちゃう気がするから。」

「そうか、お前は大変だな。良かったら今度分かんないとこ教えてやるよ。」

「ありがとう直也、頼む。」


 直也は授業を単位ギリギリまで休むがとても成績がいい。あれ程授業を受けていないのに何故授業についていけるのか正直千世にとって謎でしかない。

 だが、今の千世にとってそんな人間が勉強を教えてくれるというのは、願ってもない話だ。


「それと、今日の放課後またちょっといいか?」

「生徒会関係?まだ手続きでも残ってた?」


「仕事だ。」

「なるほど、仕事ね。」


仕事、生徒会での厄介事解決。

正直これは一般的な生徒会の仕事ではないが、美咲のせいでこのような扱われ方になってしまったらしい。


 千世は初めての生徒会での仕事に少し緊張してきた。

「ちょっと、緊張するね。」

「大丈夫、今日は依頼者の話を聞くだけだ。」

直也はなんでもないように言う。

そんな姿に少しだけ千世の肩の力が抜けた。


「それじゃ、また後で。」

「おう。授業頑張れよ。」

直也は早速教室を出て行ってしまった。恐らく、生徒会室だろう。

直也と入れ替わる様に総合国語の先生が教室に入ってきた。




コツコツ。コツコツ。

チョークが黒板を叩く音、緩慢な先生の声、そして目の前に広がる文字。


 やはり、国語の時間と言うのは眠くなるものだ。教科書の文字を読んでも、先生の話に聞き耳を立てても眠くなってしまう。

千世は自分の頬を引っ張り無理やりに意識を覚醒させる。


 手元のノートにはうつらうつらとしていた時に書いたであろうぐにゃぐにゃの文字。

千世はノートの半ページを丸ごと消す。書いても読めなければ意味は無い。


 千世だけでなく多くの生徒が机に頭を突っ伏していたり、ゆらゆらと眠気を耐えていた。

 先生は、手元にある教科書と黒板を交互に見ているためあまり生徒の方を見ていない。

 それどころか、質問等も特にしないため総合国語は生徒たちの恰好の睡眠お昼寝Timeと化している。


 少しだけ様子が気になって美咲の方を見てみる。

 美咲はいつもと変わらず、背筋を伸ばして真っ直ぐに黒板の文字をノートに写していた。眠そうにしている様子もない。

 窓側の席の美咲は青空をバックにして絵画のように華やかに見える。


「くぅーー。」

小さく声を出しながらめいっぱい手を上に伸ばして身体全体を伸ばす。

 千世は美咲に触発されて少し気合いを入れると、自分もノートに黒板の文字を写し始めた。


それから、千世が眠気に呑まれることは無かった。




キーンコーンカーンコーン。

 今日も授業の終了のチャイムが生徒たちの解放の合図となる。

一気に教室が騒がしくなっていく。


「よし!」

千世は気合いを入れ直して立ち上がると、直也にハンドサインを送って廊下に出ていく。


 生徒会室には、美咲と香織、あと1人女生徒がいた。


「あれ、真はいないの?」

「ああ、アイツは書記をやってくれてはいるが、ほぼここの活動には参加しないからな。あんまり体が強くないらしいんだ。」

直也がなんでもないように答える。

ただそれは、書類仕事をする為に生徒会に使われる可哀想な後輩がいることを示していた。


ただし、千世の興味はすぐに別の場所に移される。

「えっと、なんで美咲がここに?」

「私も巻き込まれただけよ。」

美咲は疲れたように呟いた。

また、ひとつ事件が自分から美咲に寄ってきたようだ。


「お前の悪運にはほとほと呆れる。」

「そうねぇ。美咲にはもう少し頻度を落として欲しいかもぉ。」

 直也や香織としては、もはや美咲が厄介事を引き起こさせるフェロモンでも出ているのではないかと疑っていた。


「なによ?私が悪いの?」

美咲は急な弾劾にいじけた様に答える。


「あれ、美咲。今日はやけにしおらしいね。いつもならこんな事言われたら直也を殴ったりしそうなのに。」

千世はそんな様子の美咲に少し珍しいと感じてしまう。

もしかしたら表に出さないだけで美咲も寝不足がかなり効いているのかもしれない。


「私をなんだと思ってる訳?」

美咲はジリジリと千世ににじり寄っていく。

顔に貼り付けられた笑顔がとても怖い。


「千世!?なんでそこで俺が殴られるという発想が出るんだ!?」

「美咲?また殴ったの?驚いた時に手が出る癖は直した方がいいよー?」

直也と香織が続いて声を上げた。


「五月蝿いわね。アンタ達もまとめて黙らせてやろうかしら?」


 もはや依頼者を無いものとしているのでは無いかと言うほど、各々が気ままに声を上げている。


「あの!」

ついに依頼者が我慢の限界を迎えたようだ。ダンッ!と足を机の上に置いて大声を上げた。

「話きけや!ブッ飛ばすぞ!」


「柄悪ぃな。」

またどうにも癖の強い依頼者様だったようだ。



 取り敢えず話を聞かなければ相手をさらに逆上させてしまう可能性がある。


 直也と千世がソファに、美咲はその後ろに控える。香織はお茶を汲んでくると横に控えた。

お茶を飲む音以外無音のまま落ち着いてしまった。


 先程から依頼人はイライラとしてあたかも不機嫌です。というしかめっ面をしてソファに深く座って伸ばした脚の貧乏揺すりを辞めない。たまにコンコンと机に足が当たって音を立てている。


「何があったのか聞いても?」

いつまでも、茶をしばいている訳にもいかないので千世が依頼者に話を切り出した。


「ホントに大丈夫なんだろうな?オンナ男、お前この前ここ来たばっかだろ?」

 先程正体がバレたのがかなり効いたのか、かなり口撃的な言葉を吐いてくる。


「…。」

 千世にとってかなり痛いところをつかれてしまった。千世が先程まで緊張していたのは確かにその事に起因していた。

千世は事実、この町の事をあまり知らない、だから依頼者に言い返すことも出来ない。


 「アナタ、自分の立場分かってるわけ?アナタは依頼者で私達に頼む側でしょう?別に私達はお引取り頂いても結構です。」

 どうやら彼女はターゲットを一番弱点の見えている千世に決めたらしい。

だが、美咲はそんな彼女が気に入らず、美咲が千世の前に出てきて反撃と共に圧をかけていく。


 「お前らの仕事じゃねーか。それに知ってるぜ?羽月、お前はこういうのをほっとけないタチなんだろ?」

「誠意のない人間にかける情けなんて無いわ!」

依頼者は少しも美咲に怖気付かずいつまでも喧嘩腰だ。


正直話にもならない。


 その状態を見かねて直也が殴られる覚悟で前に出ようとしたその時。


「やめなさい。」

止めに入ったのは香織だった。


その声を聞いて美咲はマズったな。という風に苦々しい顔をした。


「お前確か、香織とか言ったか?それで!何か言いたいことが有るのか!?」

 殴り掛かるようなスピードで香織との距離を詰めていく。


 それに千世が何か攻撃的な行動を起こさないかヒヤヒヤとしていたが、周りを見るとどうにもやってしまったという顔をして動こうとしない。

 

 千世は香織を心配して不良依頼者の後ろに立つ。

しかし、

「大丈夫だ。この教室で1番おっかないのはアイツだ。ヤツは虎の尾を踏み抜いちまったのさ。」

直也が千世の肩を掴んで小声で囁く。


 言われて、千世は見ると先程と香織の纏っている雰囲気が一変していることに気が付いた。


「別に手を出してみてもいいけど、その場合十中八九退学か良くても停学よ?」


香織の顔は冷たく凍りついている。

まるで童話なんかにでてくる冷徹な氷の女王のようだ。


「ハッ!そんなことわかってらァ!手、は出さねえよ。」

「あら、分かっていたのね。てっきりそんな事も分からないお猿さんなのかと思った。」


 香織の淡々とした挑発に顔が熟れたリンゴのようになってしまった依頼者はいつ爆発してもおかしくない状況だ。


 さっきよりも状態が悪化している!と千世は思い、直也に訴えるように目を向けるがハンドサインで大丈夫だと伝えてくるだけだ。

一応、いつでも仲裁できるようそっと姿勢を変えておく。


「てめぇ。誰が猿だって?」

「アナタです。」

「撤回しろ。」

「嫌です。」

「撤回しろ!」


「撤回して欲しいのならキャンキャン吠えるのをやめて、人間らしく言葉を使いなさい。今のあなたの声はとても耳障りなサルの様よ?」

依頼者は自分の威圧に冷酷な顔で言い返してくる香織に少し後ずさった。

「さ、猿じゃ。なぃ。」


そして、

「なら、座れ。私達の質問にだけ口を開け。」

今までで最も冷たく、絶対零度もかくやな言葉を叩きつけた。

言ったこと自体は美咲とさほど変わらない。

だが、それを言った香織は美咲とは別次元の重圧を纏っている。


 千世は初対面の時から香織の中には何かがあると言うことは感じ取っていたが、いつも温厚な心を持っていた彼女に眠れる獅子が隠れていたことに驚きを禁じ得ない。


「う。」

 依頼者は完全に気圧された様で、額にはダラダラと汗を流し腰を抜かした様に椅子に倒れ込み座った。


「落ち着いたぁ?」

香織の表情が一変し、いつもの温厚な心が戻ってきた。


「ぁ。え。」

不良生徒は唖然としていると言うよりも百面相のような切り替えの速さに恐怖を感じて萎縮してしまっている。


「OK、香織。あとは俺達がやる。」

それを感じ取って直也が依頼者の前に座り直す。


「りょーかぁい。」

香織は元気よく返事をした後、自分の定位置に戻っていった。


未だ状況を把握できていない千世は美咲の隣でぽかんとしている。

「千世、大丈夫?」

美咲の声に千世ははっとしたように顔を美咲に向けてくる。

「み、美咲?どういう事?」


「最初に見た時私も驚いたわ。そうね…。

言うなれば、香織は究極の二面性を持っているの。」


「二面性。」


 「そう。普通、二面性っていうのはひとつの面でもうひとつの顔を隠していることを言うけれど。彼女は面を二つ持っていてどちらかがどちらかを隠すわけでもなく、その面のどちらも本当の香織なの。」


 「二重人格って事?それなら聞いた事あるよ、確かひとつの身体に2つの人格が入っている事だよね?」


 「近いわね。二重人格は別の人間が体を支配している感覚に近い。でも、香織は行動原理や思考に関しては変化がないわ。それに記憶もバッチリ引き継がれるわ。まぁ、本人はいつ切り替わっているのかさえ分からないらしいけれど」


「そうなの?」

「そ、だから口調が変わったり、気が少し大きくなるだけだと思えば大丈夫よ。」


 彼女がいつからそうなったのか美咲の記憶には残っていない、もしかしたら先天性のものだったかもしれないと美咲は勝手に納得している。


「ついでに、何か外的要因で刺激を受けた時に表裏がひっくり返ることが多いから。例えるならそうね、メンコみたいなものよ。だから、下っ端だからと言ってあんまり香織に仕事をおしつけないほうがいいわよ?」


「き、気をつけます…。」

千世にメンコというものはわからないが、とりあえず香織をあまり刺激しすぎないようにしようとひそかに誓った。


「千世、羽月なんかと話してないでこっち来い。」

直也が再度千世をソファに座らせ話を聞く用意を整える。


「そうだな、改めてまずは名前から聞いた方がいいな。」

直也が切り出した。


「私は、3年の高林志保だ…です。」

 志保はチラチラと香織の様子を伺いながら自己紹介をしてくる。その様子はビクビクとしていて先程の傲慢な態度は見る影もない。


「なるほど?それで何があったんだ?先輩。」

直也は立て続けに質問していく。


「あ…ああ。ウチの弟がな…。」

「弟?」

「弟が学校を隠れて休んでんだ。しかも、何回も!」


……。…………。


「は?」

「だってよ?アイツは私にはもったいないほど良い弟なんだよ。だから、こんなテスト前に理由も無しにそんな事する訳が無い!」


………………。


 志保の目は完全に見開かれ充血し、傍目に見ても明らかにおかしくなっていることが分かる。


「ちょ、ちょっと待ちなさい。それはただの思春期よ!そうやって反抗的になる時期が人間には必ずあるわ!」

思わず美咲が飛び出して言った。

このブラコンヤンキーをどうにかしなければ!


「うちの弟が反抗期になんてなるわけねぇだろぉ!」

 千世が急激な狂気の発露に明らかにぷるぷると脅えている。どうにも、千世は急激な人の感情の起伏に弱い節がある。


「待て。羽月、とりあえず話を最後まで聞こうぜ。」

そんな美咲に反し直也はかなり冷静を保てていた。


「分かったわよ。」

美咲は言いたいことをグッと堪え2人の会話に聞き耳を立てる。


「だがな、先輩。今のとこそれは羽月の言う通り、家庭の事情と言うやつだ。弟との話し合いじゃどうにかならないのか?」

「ああ、弟に聞いてもはぐらかされるだけなんだ。それに……。」


「それに?」

「どうやら、弟のクラス、1年2組で休みがかなり多いらしいんだ。」


「それは、病気が流行ってるとかじゃなくて?」

千世が疑問に口を開いた。

どうやら先のように口撃を受けることは無いようで、千世はそっと胸を撫で下ろした。


「あぁ、聞くところによると、クラスで毎日5、6人の生徒が変わる変わる休んでるみたいなんだ。」


「なるほど、集団での結束的な休み。か、正直臭うな。」

 直也は顎に手を当て手帳にメモを取り始めた。その様子があまりにもさまになっており、熟練の探偵のような雰囲気を醸し出している。


「学校を休んだ時、弟は家にいるのか?」

「いや、いつも一緒に家を出るから弟は学校に行ったもんだと思ってたんだ。1度尾けてみたんだが、途中で気づかれて巻かれちまった。」


 1年2組の担任が誰だか知らないが、円華のように欠席が続いたくらいで電話をかける教員は桜ヶ丘高校では少ない。

 今回、発覚が遅れたのはその事が関係しているのだろう。


「つまり、学校を休んで何処か別の場所に向かったということか。」


 「もしかしたら、何か良くないことに巻き込まれちまってンじゃねえかと思ってな。だから、ここに来たんだ。」


 「確かにな、一体それは生徒達の自主的な判断なのか、はたまた誰かの指示によるものか、それで話が全く変わってきちまうからな。」


 直也と志保は他のメンバーを置いてどんどんと話を進めていく。

 この生徒会でのブレインは直也ということなのだろう。隣で千世は納得してしまう。


直也は聞くべきことを全て質問し終え。そっと、手帳を閉じた。


「了解、じゃあ先輩。アンタは帰ってもいいぞ。」


「おう。それと、さっきはすまなかった。つい気がたっちまってた。」

 どうやら、志保は元々考え無しに当たり散らすような人間ではなく、少し弟を心配しすぎておかしくなっていただけのようだ。


「じゃあな。」

そう言って志保が部屋から出ていく。


「はい、サイナラ。」

直也は軽く会釈をして志保を見送る。




 志保が居なくなったことで生徒会室に平穏が戻って来る。

 時刻は既にかなりいい時間となっており、いつも日の当たらない生徒会室前廊下は、日が落ちてきた事もあり暗闇と化している。


「とりあえず、調査は明日からだな。1の2の生徒達は口を割らなかったらしいし学校外から攻めていく。」


直也は生徒会室にいる面々に声をかける。

あの志保に口を割らなかったのなら生徒会が出向いても結果は変わらないだろう。


ならば、確定的な証拠を持って相手に突きつける。それが今残った選択肢だ。


「明日?放課後ってこと?」

千世が聞くと、直也はニッコリと貼り付けたように笑う。


「明日は、俺達も学校休むからな?」

直也が千世の肩に手を置いてきた。


内心、千世は呆れてしまう。

「生徒会に常識を求めたのが間違いだったよ。」






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