前世の少女は語る――彼女が部活をやめたのは。
夕日の放課後。私は教室に残っていた。威勢の良い声がする。生徒達の掛け声だ。窓から見ると、走り込みを行う生徒達。風を受けて、楽しそうに走っている。
『……』
本当は目をそらしたいのに。目を背けたいのに。
どうして私は、まだここにいるんだろう。目をそらせないんだろう。
結局、撤収するところまで見届けていた。皆、着替えに行って、もう帰るんだろうな。寄り道とかして、監督が厳しかったとか愚痴をこぼしたりして。それが、彼らの日常だから。
私の日常でもあった。
『帰ろう……』
こうして私が見ていること、かつての私の仲間たちは知らない。こんな暗い表情で見ている私のことなんて――。
『――小川、残ってたんだ』
教室の扉が開く音と、その声。
『!』
私は強く反応してしまった。だから、笑顔を作れなった。ひどい顔をしていたと思う。
『……小川』
彼――木崎君が狼狽するくらいに。こんなにも声が掠れるくらいには。
『木崎君、忘れ物?』
『……うん、まあ、そんなところ』
今更だけど、私は笑顔になった。対する木崎君の表情は曇ったままだった。
木崎君はとても人気者……だった。人に囲まれて笑っているような、明るい男子だった。
私と同じ陸上部――だった。彼も部活を辞めたから。それは……私にも関係していたから。
長距離のエースで、有望視もされていた木崎君。なのに、陸上から離れることになってしまった。私、彼の走りが好きだった。
『ずっと見てたんだ』
木崎君は私と距離を取ったまま、私の視線の先を見ていた。
『うん……』
『そっか……』
そこで会話が途切れた。しばらくして、木崎君が口を開いた。
『ごめん、小川……本当にごめんなさい。何もかも俺のせいなんだ』
木崎君はあの日からずっと、自分を責めたままだ。
『違うよ……違うんだよ、木崎君』
『違わない。俺があの時……!』
こうしてずっと、自分を責めたまま。
――あの日。私は木崎君と出掛けることになっていた。マネさんの手伝いも兼ねての買い出し。部活終わりの楽しいお出かけだった。用が済んだら解散かと思っていたけれど。
私達が気になっていた映画が公開されていた。部活漬けだった毎日、今日くらいはと私達は思っていた。何故かマネさんには断られ、私と木崎君二人で行くことになった。
部活メンバーで寄り道することはあっても、二人きりって今回が初めてで。私達は互いに妙に緊張をしていたけど、映画を見たらぶっ飛んだ。あまりにも楽しくて、興奮し過ぎていた。
ファーストフード店で語りつくして。それから夜の街も歩いて。新鮮で、あまりにも……浮かれていたんだ。遊び尽くしてからの帰り道だった。
――交通事故。相手の信号無視が原因だったけど、こっちもいくらでも注意が出来た。
私達に迫る車体。私は無意識に、木崎君を突き飛ばしていた。それからの記憶はなかった。次、目を覚ました時は、病院のベッドだったから。
『……何で誘ったんだよ! 俺があの時、まだ遊べるかって、誘わなければ! あの時、あの時……! 小川が庇わなければ……!』
『……木崎君』
木崎君はずっと後悔しているんだ。私を夜遊びに誘ったから、私に庇われたからって。木崎君の気持ちは私にもわかった。彼の立場だったら、私だって辛い。
『……何が庇わなければ、だよ。ごめん』
ここまでは言う気はなかった、と。そうして自分を責めていた。
『……本当だよ、木崎君。それはない、ないない』
『……え』
私は重苦しい雰囲気を払拭するように、わざと軽く言った。木崎君はというと、困っていた。
『……こっちも辛いんだよ、木崎君』
『そうだよな、本当に。俺、自分のことばっかりで』
『……それ。それが辛いの。そうやって責任を感じられるの』
『!』
私の言葉を受けて、木崎君は目を見開いた。私の本音は続く。
『木崎君を完全に恨んでないわけじゃない。現にこうして話すようになったのも、時間かかったわけで』
『それは……』
逆恨みもあったのかもしれない。事故直後や、リハビリ期間。私は木崎君と会えるようなメンタルじゃなかった。彼と話をするにも時間がかかってしまっていた。
ようやく話せるようにはなったよ。でも、木崎君も……私も。ずっと気にしてしまうから。
『責任を感じているっていうなら。お願い――私の代わりに陸上を続けてほしい』
『!』
私は何度かは言っていた。部を辞めないで。走るのをやめないで。でもどこか、遠慮がちだった。私は私で負い目があったから。
今は違う。強い気持ちで伝えていた。
『三年の引退まででいい。それ以上は縛りつけない。私は木崎君に走り続けてほしいんだ』
『……小川』
木崎君はまだ惑っている顔をしていた。彼の気持ちは追いついていなかったんだとも思う。それでも、私からの願いには。
『……わかった。部に復帰する。俺は――小川の為に走るよ』
木崎君は応えてくれた。
久々に木崎君と一緒に帰った。うちまで送り届けてくれた。
『ありがとう、木崎君。また明日』
『うん。また明日な』
家の前に着いて、私は彼の背中を見送ろうとした。なのに、木崎君は中々帰ろうとしない。
『……小川が、家に入るのを見届けたくて』
『そ、そう?』
そういうものなのかな。そっか、ここまで送ってくれたから最後まで、かな。木崎君、結構真面目だったりするし。それじゃ、と私は鍵を開けようとしたのだけれど。
『――姉を送っていただいて、ありがとうございました』
内側から開いた鍵、出てきたのは私の弟だった。
『う、うん? えっと、弟さ――』
『失礼します』
当惑する木崎君をよそに、弟は私を家に引き入れた。それから施錠をした。
『ちょ、ユウ君……?』
送ってくれたのは木崎君だったのに。あまりにも失礼だと思ったが、今は木崎君へのフォローをしよう。そう思って、私は鍵を開けようとしたのだけど。
『……姉さん、なんであんな男といるんですか?』
『……ユウ君?』
私の手を掴んで止めたのは弟だった。痛い。こんなにも力、強かったっけ。
『……すみません』
『……ううん』
私が顔を歪めたのを目にしたからか、弟は手を緩めた。解放されたこともあって、私は鍵を開けて出たはいいけど……木崎君の姿はなかった。帰ったんだ。
『……ユウ君まで』
弟もそう、いなくなっていた。私は溜息をついた。
『ユウ君とも話せたらなぁ』
ユウ君は義弟。親の再婚によって姉弟になった。小さい頃は仲が良かったと思うけど、今となっては敬語喋り固定、よそよそしい態度。また仲良く話せたらいいな。
その後の木崎君の活躍は目覚ましいものだった。休止期間の遅れも取り戻し、記録も打ち立てていった。
今日の放課後も私は窓から陸上部の様子を眺めていた。心は軽くなった気がする。
『はあ、良い走り』
心の整理もついてきたのかな。陸上部の皆の走りもそう。木崎君の走りだって。前ほど見ていて暗い気持ちにはならなくなった。
『あ……』
木崎君が顔を上げて、こっちの方を見た。ずっと、こっちを見ている。
『えっと……』
何かしよう。私は小さく手を振った。それを見た木崎君は、大きく手を振り返してくれた。集まってくるのは、陸上部の仲間達。
……あ。『結衣――!』って、そう呼んでくれた気がした。彼らも一緒に手を振ってくれていた。
『……うん、そうだね』
今度、顔を出してみようかな。明日、うん、明日。そうしよう。楽しみだな……。




