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オスカー殿のトラウマ。

 当家の者が使用する管理小屋。森林区域を整備するのが使用用途です。丸太小屋のそこは、暖炉も薪も揃っていました。灯りはつかず……今になって停電でしょうか。

 オスカー殿の方で暖炉はつけてくださいました。お見事な手際でございました。


 私達を照らすのは、暖炉の炎だけ。


「オスカー殿? ジャケットは重たくありませんの?」


 私達は備えつけのタオルを拝借して、体を拭いていました。濡れてわずらわしくも重たくもるでしょうに、オスカー殿は脱ぐことはありません。私も脱いではおりませんわね、


「え!? ……絶対、脱がない。何も脱がないから!」


 私からの問いに慌てるのは、オスカー殿。動揺もしているようですが……あ。


「……とにかく、暖炉にあたりましょう」


 彼の考えに思い当たってしまいました。私は誤魔化すように暖炉の前に座り込むことにしました。ああ、冷えた体にききますわぁ……。オスカー殿もつかず離れずの距離で座りました。


「……追いかけてくるとか、思わなかった」


 オスカー殿は、笑いながらも困った表情をしていました。


「そうですわね……ですが、私、どうしてもお礼を言いたくなってしまいまして。明日まで待てなかったともいえましょうか。こう、衝動的にと申しましょうか」

「衝動的に?」

「ええ、勢いそのままで来てしまいましたわ。その、まだプレゼントも開けてなくてよ」

「……はは、そっか」


 オスカー殿は苦笑されていました。勢い任せ過ぎますものね。その、ずっと小刻みに笑っていますが。


「って、悪い悪い。俺もそうだよ。勢いできたようなもの。プレゼントは明日だって渡せたのに。おめでとうだってそうだけど」


 オスカー殿は暖炉の揺らめきを見つめたまま。


「……どうしても今日が良かった。逢えるとは思ってもなかったけどね」

「……そう、ですの」


 目を細めて笑うオスカー殿は、本当に嬉しそうでした。ですが。


「……本当にごめん。公爵家の招待、無碍にしてしまって」


 彼の笑顔は消え、膝を抱え込んで座っています。今の私ならわかります。あなたは真面目な方、そして責任感もある方。


「いえ、良いのです。父の方にもとりなしておきますから」


 ええ、そこは全力で。私は彼を安心させたかったのです。


「そっか、ありがとうございます」


 オスカー殿の緊張する声も、少し緩んだようです。それなら良かったですわ。


「……」

「……」


 暖炉の音がパチパチと。雨の勢いは和らいではきたのかしら。でも、まだお互いの服は渇かないから。まだ今日は終わってないから。


「……さっき、触ろうとしたでしょ」

「!」


 突然ではなくて? オスカー殿は先程の行為について、お話をしたいようです。改めて謝った方が良いのでしょうか。


「あ、違う違う。俺、嬉しかったんだ」

「……嬉しい、ですか?」

「うん」

「そうですの……?」


 オスカー殿は私の方を見て、そう仰ってます。嫌だと思っていたのに、私の今の感情はどう表したらよいのか。


「アリアンヌ様、悲しい顔していたから。誤解されたら嫌だなって。俺だって本当は――」


 私があなたに拒絶されたと、勘違いをしそうだから? だからでしょうか。あなたは――本当のことを話そうとしている。あー……と、話しづらそうにしていても。


「俺さ、触られるのが嫌ってより……怖いんだ。なんだよそれ、って感じだよな! 女子から触ってもらえるのにさ、なんだよそれっていうか!」


 オスカー殿は笑い声を上げています。私にも笑い飛ばしてほしいかのように。


「オスカー殿。私は聞きますから……あなたさえ、よろしければ」


 笑うことなどしませんから。私の顔はいたって真剣でした。


「……そっか」


 オスカー殿から触れたのは、私の手。私達の手は今、重なっています。でもそれは束の間のこと、すぐに離されました。


「手、失礼しました。こうしてね、自分から触れる分には、平気になったんだ」

「なったのですか……?」

「そ。わりと心の準備がいるけど。自分から仕掛ける分にはね。ダンスとかも死活問題だから、どうにか」


 私は前回の誕生日のことを思い出しました。言われなければ気づかないレベルでもありましたわね。

「相手からじゃなければ……女性相手じゃなければ」


 オスカー殿はさっきまで触れ合っていた手を見ていました。開いては閉じています。


「うちの家族、見たでしょ。それから、びびっている俺も……それは」


 オスカー殿が一呼吸をおいて、それから話されたこと。それは。


「……トラウマなんだ」

「……そう」


 振り絞るようなオスカー殿の声。私にこうして話すことでも、彼には勇気がいることなのでしょう。


「コロシアム、あるでしょ。あの人達、特に夜の部が好きでさ。俺も昔から付き合わされていた。あんまり得意じゃなかったけど……逆らえなかったし」


 コロシアム。確かにあの婦人方はお見かけしましたし、大層好んでもいるようでした。そんな昔からでしたのね。それも……強制的に。


「……なんてことを」


 私は怒りがふつふつと沸いてきました。そのような無体を働いていたとは。


「……姉達にとっては悪ふざけだったと思う――俺を突き飛ばしたんだ」


 コロシアムの舞台の中に、ですって。


「落ちた先には……魔物達がいた。俺に襲いかかってきて……」


 オスカー殿はそう言うと、頭を抱え込んだ。ああ、今も彼を苛んでいるのですね……。


「……オスカー殿」 


 今も震えるオスカー殿。触れられたら、少しでも慰みになりますのに。それが出来ない……。


 沈黙が訪れる。オスカー殿は今も恐怖にさらされているのでしょう。


「……観衆達は、それまで見世物だと思っていた。あの人達だって、突き落とした張本人達だって……笑っていたよ」

「……!」


 話せば話すほど、聞けば聞くほど――辛いお話。それでも私は耳を傾けます。オスカー殿が話してくださっているのですから。


「……ふう。でも、俺、こうして生きてるから。それも、父が助けに入ってくれた。あとから、関係者の人達も飛び込んできたけど。あの頃の父上は誰よりも格好良かったのにな……」


 ええ、男爵は再婚によって、次第に変わっていってしまったようですから。



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