ワインディングロードのその先へ
舞のドライブテクニックとコペンの性能は、箱根の山道でその本領を発揮した。急ブレーキでコーナーに入ったかと思うと、急加速しながらコーナーを抜け出す。それが延々と繰り返される。パンダくらげは、私のパーカーの胸元に潜り込んで、しがみついている。
「だ、大丈夫? 山道をこんなに飛ばして?」
「えー! 一応制限速度の範囲だよ。オプション装備でフロントスーパーLSDをつけてるから、コーナーの立ち上がりがすごいんだ。」
何がスーパーだかわからなかったが、とにかく安心材料にはならなかった。
黄色い車は、彫刻の森美術館の駐車場に停まり、舞はオープンカーの天板を元に戻した。入場券を買い、まずは屋外の彫刻を見て回る。秋空を背景に、どの作品も映える。
敷地の奥にたどりつくと、少し曲線がかった白い壁面に、でかでかと「PICASSO」と描かれている建物が現れた。ゾーンは大きく3つに別れ、テーマごとに絵画や陶芸、立体作品などが展示されている。
週末にも関わらず、人影はまばらだ。舞と私は別々に、思い思いに展示を見て回る。
ピカソは愛情をもって作品の対象を受け止める。だから、どの作品からも可愛さを感じる・・・舞の言ったことが、なんとなくわかったような気がした。
舞の部屋に飾ってあった絵を思い出す。どの絵にも「淋しさ」を感じた。
よく笑う子が描く、涙。
舞と私は、2階の展示ゾーンにある、一つ絵の前で合流した。
作品の名は、「二人の顔」。
その絵をしばらく無言で見つめる。
不意に舞は私の前に立ち、絵画への視線をさえぎる。
両手で私の頭をやさしく挟み、ゆっくりと顔を近づける。
二人とも、自然に目を閉じる。
ずっと昔、母のお腹の中で、二人がそうしていたように。
お互いのおでこが軽く触れた時、それは起きた。
舞の記憶と思いが、私の頭に入り込んでくる。
私の記憶と思いが、舞の頭に流れ込んでいく。
「そうだったんだ。」
そう言って、舞は私の頭から手を放した。
目を開けると、すぐ目の前に、私と同じ栗色の瞳があった。
「双子だもんね。わかっちゃうんだね。」
恐る恐る舞に聞く。
「何がわかったの?」
「『瞑の人生』では、ボクは生まれてこなかったんだね。」
舞は知ってしまった。もう、嘘はつけない。
「舞、聞いて。」
私は両手で舞の両肩を掴み、栗色の瞳を見つめ直した。
「今、舞がどんな人生を歩んできたか、わかったわ。私の記憶が全てじゃない。何よりもほら、舞は私の目の前にいるじゃない。あったかい体がここにある。これが事実よ。あなたは、『生きている』。」
舞が抱きついてくる。私も肩に置いていた両手を舞の背中に回す。
涙が溢れるが、両手がふさがっているので拭くことはできない。
舞が描いたような、大粒の涙。
天井のスピーカーから、間もなく閉館とのアナウンスが流れる。
私は抱いていた腕を下ろす。そして舞の手をとり、歩き始める。
透明なケースに容れられた立体作品を眺めながら、二人でゆっくり展示室を回り、階段を下りる。
パンダくらげは、おとなしく私たちの後をフワフワとついてくる。
外に出るといつの間にか陽は傾き、青空は深みを増している。木々の間に散在する彫刻作品の影が、芝の上を長く伸びている。
「これから、どうしよっか。」
自然と独り言がこぼれた。舞に聞いたわけではない。
今日の、これから。
明日からの、これから。
「ねえ、ご飯食べて温泉入らない? 日帰り温泉。」
舞は私の言葉をシンプルに受け取り、提案してきた。
「Good Choice! そうしよう。」
舞の口癖を真似て、その提案に乗っかった。
コペンに乗り込み、舞は再び天板を開け、オープンカーにする。寒いかと思ったけど、シート内蔵のヒーターが効いて、じんわり背中とお尻が暖かい。
しばらくスマホをいじっていた舞は、日帰り入浴と食事ができる施設に電話し、予約を入れた。
「週末だけど、予約とれたよ。ラッキーだね。」
「うん、ありがとう。」
舞は調子を取り戻したみたい。
黄色い車は、紅葉の始まった山道を進む。運転はさっきより幾分おとなしい。
シートにもたれて私は考える。
ずっと感じていたモヤモヤ感の正体、それは「食い違い」だ。舞が経験してきたこと、私が経験してきたことのズレ。微妙なズレ。だけど、私と舞が「一緒にいない」決定的なズレ。このズレはどこから来るのだろう。そしてこのズレを繋いでスキマを埋め、私たちを出会わせたものは何だったんだろう。それがまだわからない。
新しいモヤモヤ。
「何か、今二人でこうしているのが不思議だね。」
ハンドルを握る舞が、ぽそっとつぶやく。私と同じようなことを考えているんだろうな。