二つの人生
今、私たちは、小田原城址公園内にある「きんじろうカフェ」のテラス席にいる。もうお昼近いが、朝にがっつり食べたので、ここでは休憩がてら甘い物でランチ替わりにすることに。
秋風がオープンなつくりの店内からテラスまで吹き抜け、舞の編み込みから漏れた髪を揺らす。
「このラテアート、学校の校庭に建っていた、薪を背負って勉強している人だよね。御利益ありそう。」
「御利益あるかどうかは、二宮さんに見ならって、まめに学問に励もうとするかどうか。心構え次第だと思います。」
「えへへ、おっしゃる通りでございます。」
私たちの会話に休符をつくるように、秋風がテラスを吹き抜ける。
さっきより冷たく感じる。
「ねえ、私たち、」「ねえ、ボクたち、」
↓
「姉妹だよね。」
そうじゃないかと思っていることが同時に口に出る。
お互いの目を見つめる。そして確信に変わる。
でも、それに反してモヤモヤ感も強まる。
舞は生まれてこられなかったことになっている。
実際、今まで私たちは、出会うことができなかった。
なぜ。
私は踏み込む。
「ねえ、舞。答えたくなかったらいいけど・・・もしできるなら、教えて欲しいの。」
舞の表情が心なしか、固くなる。
「あなたは、今までどこでどうやって暮らしてきたの?」
舞はしばらくカフェラテの泡を木のマドラーで、もてあそんだあと、口を開く。
「うん、わかった。うまく話せればいいんだけど。」
「ボクは、生まれてすぐに、瞑をいや、ボク達を産んでくれたお母さんの親戚の人に預けられたんだ。それがボクの育てのお母さん、沢渡みどり。みどりママは、旦那さんを病気で亡くし、ひとりぼっちだったんだ。旦那さんが、そこそこお金を遺してくれてたので、みどり母さんもそんなに不自由せず、ボクを育てられたんだ。」
舞の話を聞いて衝撃を受ける。確かに沢渡という名前の人が、遠い親戚にいた。
でも。そのご夫婦は不幸にも、交通事故に巻き込まれ亡くなっていたはずだ。
「い、今、『みどりママ』はどうしているの?」
「えっと、2年前だね。ボクが大学を出て、勤め先が決まったら、出身地の広島に帰ったんだ。もう舞は一人でやっていけるだろうって・・・あ、時々LINEしてるよ。」
そう言うと、舞はスマホをタップし、みどり母さんとのトークのやりとりを見せてくれた。
私は、心の中の整理がつかないまま、質問を重ねる。
「もうひとつ聞いていい? 舞は何でみどりママに引き取られたのか、聞いてる?」
「うん。ボクたちが生まれた時に、ボクと瞑のお父さんが働いていた会社が倒産してしまったんだって。お父さん、すごくショックを受けてたって聞いたよ。二人は育てられないからって、泣く泣くボクをみどり母さんの養子に出したんだって。」
舞は、私の顔を心配そうにのぞき込む。
「ひょっとして、そのこと、瞑は知らされてなかった?」
「い、いや、そうじゃないの。でも、舞は、私たちの父さんと母さんを恨んでないの?」
「小学校に上がる時に、それを知らされてびっくりしたし、多分その時は恨んだと思う。でも今は事情が事情だし、しょうがないよねって思ってる。」
舞は、空になったカップを握りしめた。
「あ、でもね。瞑のお母さんはね、みどりママによく手紙をくれたんだ。ボク宛てにもいろいろ書いてくれてたよ。元気してる? とかいつか会おうねとか。瞑のこともいろいろ教えてくれたよ。中学の時、全国の絵画コンクールで賞状もらったこととか、それがきっかけで美大を目指しているとか。手紙でそのことを知って、ボクも絵に興味を持ったんだ。で、ボクも頑張らなきゃって。おかげ様で美大に受かりマシタ。」
「そうなんだ。」
舞が入った美大の名前を聞いたが、私の母校ではなかった。
「ぼくはちっちゃなプロダクトデザインの会社にしか入れなかったけど、瞑は大手の広告会社でデザイナーの仕事をしてるって聞いたよ。」
そこ、ちょっと違う・・・お構いなしに、舞は話を続ける。
「でね、一度、瞑に会いたいなあって思って、大学の卒業間際に、みどりママに内緒で瞑のお家を探しに行ったことがあるんだ。」
「え! 場所は知っていたの?」
「うん、みどりママにもらった手紙に住所が書いてあったから。で、GoogleMapに調べてもらったよ。横浜線の橋本駅の、だいたいこのあたりって。」
確かに私の実家の辺りだ。
「で、見つかったの?」
「ううん、聞いてきた住所のあたりに『城崎』っていう表札のお家が見つからなかったんだ。」
「瞑は就職が決まったら、お家を出るって手紙に書いてあったから、なかなか会えないかなあ、って思ってた。・・・でも今。こうやって会えた。」
そう言って舞は微笑んだ。乗り過ごした終電で初めて出会った時と同じ笑顔だ。
舞は、凹んだカフェラテのカップを手で直しながら、少し間をつくり、尋ねてくる。
「今度はボクから聞いていいかな?」
「え・・・うん。」
私は正直迷った。たぶん、聞かれることは決まっている。それへの答えは、決して舞を喜ばせるものではない。
「瞑はボクのこと、知っていた?」
「あ。・・・うん。父さんと母さんから、やっぱり小学校に上がるとき。私には、舞という名の双子の妹がいるって。」
「それから?」
「えーと、実は、両親はあまり舞のことをあまり話してくれなかったの。・・・多分、舞をよその家に預けてしまったことをすごく悔やんで悲しんでたからだと思う。」
私は舞に嘘をついた。
「私が事実だと思っていること」が言えなかった。あなたは生まれてこられなかったって。
「そっか・・・それじゃ、しょうがないよね。ねえ。」
舞は、パンダくらげの頭をちょんとつついて、自分を納得させるようにぽつりとつぶやいた。
その後、舞は話題を変えてくれた。
「ねえ、瞑の好きな画家は?」
「うーん、私は広告デザインに興味を持ったから、画家というよりは日本のグラフィックデザイナーで好きな人、尊敬する人がいるくらいかな。」
舞の好きそうな画家は、部屋に飾ってある絵を観たら、なんとなくわかる。
「舞はどうかな。・・・そうねえ、抽象画を書く人だよね。クレー、カンディンスキー、ミロ・・・やっぱりピカソかな?」
「当たり。でもピカソは抽象画以外もぜーんぶ好き。人間でも動物でも魚の料理でも、作品にする相手を愛情たっぷりで、しっかり受け止めてる。そしてガラガラポンして新しいカタチにしている。だからどの作品からも可愛さを感じるんだよね・・・あっ。」
すごい持論だが、舞は喋っている途中で何かを思いついたようだ。
「ねえ、車でちょっと走るけど、ピカソ館に行ってみない?」
ピカソ館。聞いたことある。確か箱根の「芸術の森美術館」の中にある、ピカソの作品を専門に展示してある美術館のはず。
「うん、いいよ。でも、帰り、どうしようかしら。」
舞の表情が少し曇る。そういえば、私はいつ自分の家に帰るかなんて考えてもいなかった。舞は少しためらいながら提案する。
「成り行きでいいんじゃない? あそこからなら、今日の上り電車も十分間に合うし、面倒くさくなったらまたボクんち・・・そうだ、箱根湯本の温泉に泊まればいいし。」
「そうね、気まぐれも、たまにはいいね。」
「ね、いいでしょ!」
顔一面に笑みが戻った。舞はよく笑うだけでなく、ころころと表情が変わる子だ。見ていてちょっと楽しい。