マルマンのスケッチブック
おかしな夢を見た。どこかのこぢんまりしたオフィスでMacBookをいじって何かをデザインしている。日帰り温泉の個室でうたた寝をした時にみた夢に似ている。
最近はIllustratorをあまりいじってないので作業効率が悪い。何とかSlackに残された指示に従って仕上げたところで、寒さを感じて目が覚めた。
地球は年々温暖化が進んでいるというけど、秋も深まり、やっぱり明け方は冷える。私はもともと寝起きのいいほうではない。寝相も悪い。毛布とかけ布団をかぶり直し、体を暖めてから起きることにした。
枕も直そうと、手を頭に回すと。頭がごつごつ、でこぼこする。
いつの間にか、私の髪が編み上げられている。
不思議な夢を見るのも、髪型が変わっているのも、今朝が初めてではない。
あの日以来、たびたび起きている、超常現象。
あの晩、舞は無事に自分の世界に帰れたかな? コペンはどうなったんだろう?
ぼーっと、とめどもなく、ごにょごにょ考えていると、パンダくらげがふとんの上で跳ね、私を起こしにかかる。あっというまに30分経ってしまった。もう十分体が暖まった、と自分に言い聞かせて、ベッドを降りる。そのままふらふらと洗面所に向かい、鏡を眺める。
そこに映っているのは、髪を編み上げアップにした女性。
顔を洗い、冷蔵庫を開け、レトルトのコーンスープをマグカップに写し、電子レンジで暖める。ロールパンを少しだけオーブントースターで焦がし、「切れてるバター」一切れと一緒に小皿に載せる。
カップと小皿を置こうとした場所に、先客があった。
マルマンのスケッチブック。大学の頃はよく使っていたが、勤め始めてこの部屋に引っ越してからは、一冊も置いていないはずだ。
黄色と黒の四角形がデザインされた表紙をめくる。そこには鉛筆書きで抽象画のスケッチが描かれていた。幾何学模様のバックとは対照的に、今にも流れ落ちそうな涙形の流体が、ページの真ん中より少し右下に描かれている。
部屋の中を見回す。
間違いない。問題もない。
ここは自分の部屋だ。
そして、さっき鏡に映っていた女性は、舞ではなく、私だ。
ロールパンとコーンスープを平らげ、スマホを取り出し、受信履歴を探す。
私は私の選択をする。
11月。街はクリスマスのイルミネーションを装い、華やぎ始めている。今夜は職場の仲間達が私の送別会を開いてくれた。残業を終えての21時からのスタートになったが、みんな仕事を切り上げて集まってくれた。辞める会社に未練はないけど、ともに働いてきた仲間と別れるのは、ちょっと淋しい。
ひと月ほど前。大学の先輩にメールし、その先輩が友人と共同で立ち上げたデザイン事務所で、まだ求人をしているか問い合わせた。会って話そうと返信が返ってきたので、採用面接のつもりで出かけたが、仕事内容や雇用条件の説明のあと、仕事部屋に案内され、そこで働くスタッフ達に紹介された。
そこは、夢に出てきた場所に似ているような気がした。
転職を決めたその晩、例の不思議な夢を見た。そして目が覚めると私の髪はまた編み込まれていた。
テーブルの上にスケッチブックが置かれている。
ページをめくると、涙がモチーフとなったスケッチが描かれていてた。
前のページのと違うのは、涙は微笑んだ瞳から落ちていること。
ノートの端っこに太い鉛筆で文字が書いてあること。
Good Choice!
誰もいない部屋で私はつぶやく。
「ありがとう。舞」
送別会場のイタリア料理店から外に出たところで、ありがたくも仲間からサプライズプレゼントをいただいた。さすがに夜遅いので、その場でお開き、解散となった。
飲み慣れない白ワインと、残業明けの飲み会の疲れが相まって、少し足取りが怪しい。小田急線新宿駅西口の改札口を通り、乗り場の番線へ。
慎重に階段を降りる。
ホームには23時22分発の電車が停まっている。
最後尾車両の行き先案内に目がとまる。
赤地に白文字で表示されてる、“臨時急行00号” の文字。
電車に乗り込むと、週末の夜だというのに、座席に座る人の姿はまばらだ。
私はドア横のシートに腰かけ、目を閉じる。
(了)