【SF小噺】ダムで誰も彼を救わない
ハイキングで赴いた川上流のダムが、決壊しかけているのを見てしまった。心優しい男は思わず、決壊の穴に腕を突っ込む。すると水漏れは止まってしまった。
少しでも腕を動かせば、再び水が出て穴は開こうとしてしまう。さあ困ったぞ。
男がダムの決壊を止めてから三日目。携帯の充電はとうに切れている。あんな何度も助けてくれと電話したというのに、誰も助けに来ない。
男は糞尿にまみれ、何より飢えと渇きで辛かった。
一週間目。
背広の人が来て、食料とおまるを置いていった。こちらが話しかけても黙ったまま。すぐ立ち去ってしまう。
だがこれで誰かにこの窮地は伝わっていると分かった。男は少し希望が出てきた。
十日目。
無断欠勤で会社をクビになったと、当人は知らない。
一応は一週間ごとに人が来ては、食料を置いて、おまるを交換していった。
だが一ヶ月目。市役所の人がやってくる。大変申し訳ない。今すぐにでも対処したいのだが、予算が足りないのだ。ご協力感謝する。
それだけ言って、そそくさと立ち去ってしまった。
二ヶ月目。
結婚の約束までした恋人に、新しい男ができている。
半年。
さすがに腕を抜こうとした。すると市役所の職員に、そんなことをしたら洪水で大勢が死んでしまう、と泣きつかれた。
一年。
父親が病気で倒れた。
三年。
父が亡くなった。看病疲れで母親も追うように亡くなった。男は町を守る理由を失ったが、そのことは知らされない。
五年。
膨大な金を使って、町を守った英雄を称える式典が行われた。銅像が建てられた。
十年。
男を誰も覚えていない。気にもされない。職員が定期的にやってくるだけ。話もしない。
三十年。
男は病に冒された。もうじき死ぬだろう。男を顧みる者は誰もいない。結局、自分は腕を抜く勇気すら持てなかったのだ。
ダムからは町のまばゆい夜景が見えた。きっと昔、自分が関わった人たちが、あそこで平和に暮らしている。
ビル、住宅街、公園、家族、子供に老人。じき町は滅び、全てはなくなる。
腕を抜く瞬間、男は満面の笑みを浮かべていた。