(2)
魔法学院の校舎の一室からティスカとノートの握手を眺めていた人物は、見た目10歳くらいの少女だった。ティスカと同じような栗色の髪は毛先を内側に巻いている。身にまとった緑の法衣は高位の魔導士であることが感じられた。
コンコン!とその一室のドアがノックされた。
「学院長、マルボークから急使です」
「うむ、通してくれ」
使者からの文書に目を通した少女、いや学院長は少し神妙な表情になる。
「ふむ、まあ網は張っておくかの」
ティスカとノートが友達になってから、学院でのお昼休みはかくれんぼの時間になった。
ただ遊んでいるのではない。これはお互いの魔法を高めあうための訓練だった。
ノートの透明化魔法はまだ精度が甘い。じっとしていても透明化したノートがいる場所は映像が若干ゆらめいて見える。ティスカはあらかじめノートに探知魔法の印を施しておいたのち、透明化しているノートを探す。時間をかければ必ず見つけられるが、精度と感度と速度を高めるための訓練だった。
その日、ノートは中庭の植え込みの隅に隠れていた。ティスカは中庭に出ると、植え込みの向こうに炎の揺らめきが起きているような違和感をを感じる。
(見っけ!)
ティスカは真っすぐに駆け寄ると「見つけたわよ!」と、ドヤ顔で指を差す。
「参ったなぁ。今日は早すぎない?」
フードを取ったノートが姿を現した。
「隠れる場所が良くないんじゃない? 隅の方にいると周囲の物体のせいで”ゆらゆら”が返って目立つのよ」
「その”ゆらゆら”を消さないといけないんだけどね」
「そうだけど、実戦だと”より目立たないこと”を選択することも必要じゃない?」
「……うん、その通りだね。今度は隠れる場所も考えてみる」
二人が教室に戻る道すがら、女子生徒数人が1人の女子生徒に詰め寄っている場面に遭遇した。ティスカは詰められている方の女子生徒の顔を確認すると「ちょっと行ってくる」と言う。
「ああいう手合いの相手をするのは時間の無駄なんじゃ?」
とノートは聞くが
「あの子、ルームメイト……友達なの。ほっとけないでしょ?」
「それならご存分に」
ノートは笑顔で見送った。
ティスカは女子生徒の間に割り込み
「はいはい、わたしキャシーに用があるの。そこまでにしてくれない?」
と、詰め寄られていた女子生徒の手を引いてその場を去ろうとする。
「お待ちなさいよ! 私たち彼女に退学を勧めてたんだから!」
「それはどうして?」
「大して成績が上がらないクセに平民枠を食いつぶしてるからよ」
「大して成績が上がらないのはあなたたちも同じじゃない?」
「私たちは貴族枠だからいいの! 学費も寮費も彼女より何倍も払ってるんだから!」
「あなたたちが払ってるんじゃないでしょう? 田舎の下級貴族のお父様が、でしょう?」
「……くっ!」
「貴族枠は学費さえ払ってれば卒業出来るからいいよね。社交界入りに箔がついて。それだけの価値にしかならないけれど」
「何よ! この平民枠のサボり魔が! ちょっと成績がいいからって調子に乗って!」
「え? わたし貴族枠ですけど?」
「え?」
「知らなかったの? わたしのママ、ランバート侯爵の娘よ。結婚して形式上の貴族身分ではなくなったけどね」
「ちょっとミサ……ランバート侯爵の孫って、まずいよ……」
勢いの良かった貴族令嬢の取り巻きの一人が耳打ちする。
「知らないなら教えてあげましょうか? わたしのグランマは……」
「わかったわよ!! 今日はこれくらいにしてあげる!! みんな行くわよ!」
ミサとその取り巻きは立ち去った。
「ふぅーー」
ティスカはため息とも取れるような深呼吸をする。
「キャシー、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。ごめんねティスカちゃん」
「謝らないの。わたしの血筋の話を持ち出さずに言い負かせなかったのが不満なんだから」
騒動が収まったところでノートが寄ってくる。
「ティスカ、お疲れ様」
「ありがと。キャシー、紹介しておくわ。彼はノート、マルボークから来たエルフよ」
「よろしく」
「キャシーです。ティスカちゃんのルームメイトです。よろしくおねがいします」
キャシーは丁寧にお辞儀をした。
「わたし、今ので疲れたから5限サボるね。今日は圧勝だったんだから何も言わないでよ、ノート」
そう言うと、ティスカは来た道を戻って行ってしまった。
「あーあ、気まぐれなのは治りそうにないね」
「優しくていい子なんですけどね」
ティスカは校舎の屋上に来ていた。
「わたし、何やってんだろ……。グランマみたいな魔導士になりたいだけなのに」
「わしみたいに……、か?」
「……?」
板張りの床にしゃがみこんだティスカが振り向くと、そこに学院長がいた。
「グランマ……」
「わしみたいになるのは勧められんな」
「どうして?」
「公国では魔法学院長に評議会議長。王国では宮廷大魔導士にして宰相の顧問。騎士団領では軍事指南役じゃ。体がいくつあっても足らん」
「わたしにとってのグランマは、唯一無二の大魔導士。ただそれだけ」
「そうか。何度も何度も生まれ変わるものでもないが、かわいい孫を可愛がれるのは悪くないの」
学院長は、ティスカの隣に座り彼女の頭を撫でた。はた目には、妹が姉を甘やかしているように見える。今の二人には血縁上の繋がりは無い。
ティスカの祖母である大魔導士は10年前に死んでいた。そしてその瞬間、世界のどこかの新生児に記憶、能力をそのままに転生した。その身体が成長した姿が今の学院長だった。
「わたしの目指す魔導士の姿ってどこにあるんだろう?」
「それはこれからゆっくりと決めるんじゃよ。焦ることはない」