(1)
キンコーン、キンコーン。
ヴィンセント公国の都フィラハの港を遠景に見下ろす丘の上に、公国立魔法学院があった。その魔法学院の始業時間を知らせる鐘が鳴る。
「座学の授業なんて、まだまだ初級の話ばかりで退屈なのよね。サボっちゃっても問題ないわ」
新入生のティスカ・ミストレインは中庭のベンチに寝転んでくつろいでいた。彼女は親類に大魔導士がいる家系で、小さい頃からその魔力の才能を見出され基礎を叩きこまれていた。12歳で魔法学院に入学したが、初等部の授業は彼女には退屈だった。座学ともなればなおさらだ。
「この教科書の内容は全部把握してるわ。もうまったくもって時間の無駄」
栗色の長いツインテールの髪を地面に垂らし、ベンチに寝そべったティスカは教科書を手でパラパラとめくった。教科書をめくり終え、背表紙を前に両手に持った時にティスカは手首を誰かにつかまれる感覚を覚えた。
「きゃっ!」
ティスカは驚いて声をあげるが、あたりには誰もいない。それを確認したティスカは「ノート!」と声をかけた。すると左手で制服の一部である黒いマントのフードを取ったエルフの少年が姿を見せる。彼の右手はティスカの手首をつかんだままだった。
「ほら、教室に行くよティスカ」
「やだ」
”ノート”と呼ばれた少年は、学院でただ一人のエルフだった。というのも、エルフやドワーフといった亜人種は一年前にまとめて別の世界から移住してきた所謂『転移者』である。エルフは総じて魔法の素養があると知られたため、転移してきたエルフの中で唯一の少年だったノートは魔法学院に推薦で入学していた。
「授業サボると返って面倒になるから、ね?」
「だって、授業って退屈なんだもん」
「かくれんぼは僕の勝ち! だから、ね?」
「……もー、仕方がないわねえ」
二人は急いで教室に向かった。
ノートはエルフらしからぬ黒髪の長い前髪が右目をほとんど覆っていた。ティスカはこのエルフの少年の笑顔に少し弱い。その笑顔の前には生来のワガママも少し影をひそめてしまう。
プライドの高いティスカがノートに一定の敬意を払うのには理由がある。先ほどノートがティスカの前に現れた際に使っていた透明化魔法だ。透明化魔法はこの世界の魔法体系には無かった。格下しかいないと思っていた同級生の中、自分が出来ないことができるノートに、ティスカは一目置いていた。
二人はなんとか始業前に教室に付くことが出来た。だが、やはりティスカには座学の授業は退屈だ。あくび交じりになんとなくノートの方を見る。ノートは真面目に授業を受けていた。
(あいつ、あんなすごい事が出来るのに魔法の知識はイマイチなのよね。なんなんだろうエルフって)
ティスカがノートの事を意識するようになったきっかけは、彼が廊下で同級生の男子たちに絡まれている時だった。ティスカも同級の子らに比べれば背が低い方なのだが、ノートも同じくらいの背丈だった。加えて、エルフ特有の長い耳が絡まれる原因になっていた。
ティスカはそんな意味のないことで相手より優位に立とうとする者が嫌いだ。あまりにひどい言いがかりを付けているなら助け舟を出そうかと、少し離れたところから観察していた。
ノートは右手を制服のジャケットのポケットに入れてなにかブツブツと口を動かしている。
(え? もしかして何か詠唱してる?)
ティスカがそう考えていると、ノートはポケットから丸めた紙くずを前方に投げる。するとパン!と大きな音を出して紙くずは炸裂した。ノートに絡んでいた男子が音に驚いて振り向く。その隙にノートはいなくなっていた。
ティスカはその時、ノートがマントのフードを被ったと同時に姿を消す様子をしっかりと見ていた。
(消えた!? いや、消えたように見えた……だけよね? ということは)
ノートは紙くずを投げた逆の方向に逃げたはず、とティスカは読んだ。急いで後を追ってみる。
すると階段下の空きスペースから出てくるノートを見つけた。ティスカはノートに向けてにやりと笑みを向け「見ぃつけた!」と声をかけた。
「かくれんぼはわたしの勝ちよ! あんた、わたしに顔を貸しなさい!」
ティスカとノートは中庭へ出るとベンチに腰掛けた。
「……へえ、じゃああれってエルフ特有の魔法なんだ?」
「うん。人間が使えるようにするにはまだ研究が必要らしい」
「でも何であんな風に逃げたの?あんたの実力ならやっつける事も簡単でしょうに」
「いや、それだと後々面倒なことになりかねないでしょ? 時間の無駄っていうか」
「……時間の無駄ね。そうね! その通りだわ! 馬鹿の相手なんてしてやる必要はないのよ!」
「僕には人間の魔法を学んでエルフ社会に持ち帰る役目があるから」
それを聞いてティスカは立ち上がり、ノートに向かって人差し指をビシッと向けてこう言う。
「気に入ったわ! わたしをあんたの友達にしなさい! 拒否権はないわよ!」
「ありがとう。この学院に来て初めて友達が出来た。僕はノート・ストレイト。よろしくね」
ノートは右手を差し出す。
ティスカは指差していた手を開き、握手した。
「ティスカ・ミストレインよ!」
そんな二人を校舎のから見つめている者が居た。
「ほうほう、あの二人が友となったか。運命とは面白きかな」