輝石
いつもどおりの金曜日。
日差しの暖かさが眠気を誘う。
昼飯を食べての満腹感が、眠気をさらに加速させる。
いつもは弁当屋で買って食べているが、今日に限っては定食屋だった。
寿退社した事務の女性が久しぶりにと寄って、みんなして食べに行ったのだ。
懐かしい話や、今はこうなってるなど、妙な盛り上がり。
昼休みだけという時間が限られてるだけあって、めまぐるしかった。
男勝りなところも変わっていないが、なんか女性として芯が太くなった気がする。
会社に居た頃はおどおどして、ちょっと頼りなさ気だったのがウソのようだ。
逆にちょっと、押しが強いという感じも受けるが、お腹の中に子供がいるらしく母としての自覚も出てきているのだろう。
母は強しという言葉が頭に浮かぶ。
しかし、懐かしさが上回り話は随分と弾んだ。
他の同僚は会社に戻り、俺は駅まで送ることになった。
午後からは営業周り。どうせ駅まで行く。それもあってだ。
いつかは俺も結婚するのかな。
今は仕事が面白い。だが、実際に結婚した誰かを間近に見ると考えてしまう。
「あら? あんなところに」
彼女が何かを見つけたらしく、道をそれる。
なんだろうとついていくと、道端に光る小石の様なもの。
ガラスにしては綺麗だが、宝石だとしても何故落ちてるのか。
なんだろうね。と手を伸ばす彼女。
嫌な感じだ。「まって」と留めさせ、自分が拾ってみる。
なによ。横取り? といたずらっぽく笑う彼女に苦笑いし、再び石を見る。
妙に気持ち悪い。
「なんかこれ、気味悪くないか?」
そう? と気にもしていないようだが、手にしていて凄く嫌な気分だ。
「ほら、盗まれたりしたものだったりすると、持ってるだけで疑われるしね。警察に届けとくよ」
なぜか彼女に触らせたくない。
というか、自分も触りたくなかった。
ポケットに入れる気にもならず、そのまま握りしめ。公園の角にある交番に向かう。
それなりに広い公園。
休みなのか親子連れも多い。
ほのぼのとした情景の中、交番に石を届ける。
特に違和感もなく、ガラスじゃないらしく握りしめた石が痛いなども無い。
警察官も、取り扱いに困ったようだ。
見たこともない様な色の石。
宝石なのか、ガラスなのか。それとも、他の何かか。
気になったので届けたとだけ告げ、あとは連絡先を置いて出る。落ちてた場所を説明するのに少し手間取り、時間をくった。
彼女は律儀に待っていた。
こういうところが結婚相手に好かれたんだろうな。
駅まで送ると、笑顔で去った。
何事も無い。
しかし、もし石を彼女が触っていたらと思うと、妙に怖かった。
触ったから、どうだというのだろう。
変な妄想のし過ぎか。逆に、幸運をもたらす石だったら彼女には申し訳ないことをしたのかも。
自分が拾ってしまったことで、幸運を彼女から奪ってしまったことになる。
これも、変な妄想だ。
公園まで戻り、ベンチに腰掛ける。
眠い。
とても眠い。
昼飯を腹いっぱい食べたから、だろうか。
それだけでは説明出来ないくらいに眠い。
さっきの石が宝石で、どこかで売り飛ばせば大金持ちだったかもな。
苦笑するような想像が頭に浮かぶ。
まあ、宝石なんかが都内の公園に落ちてた時点で盗品だろう。盗品売買で捕まるのは困る。
そろそろ営業周りを始めるかとベンチをたつと、視界の隅に光るものがあった。
またさっきのような石か?
近づいてみたが、何もない。
確か、何か光ったような気がしたんだが。
覗き込んでも何もない。
普通の土に生け垣が生えているだけだ。
そんなに気にもならず、営業先に向かう。
そろそろ行かないとな。
駅に向かう道すがら、公園端の交番をちら見する。
さっきの警官が机で書類を整理している。
特に何もない。
なぜか、何もないことが違和感だった。
なんでだろう。
さっき拾った石。確か、銀色っぽかった。
ガラスに思えたのも、鏡が割れて落ちたかと思ったからだ。
しかし、鏡が割れたにしては厚みがあり、石のような感じだった。
握った手の中でもも、確かに厚みを感じた。
しかし、既に警察に届けて手元にない石を、なぜそれほど気にするのか。
なんとなく気持ちが悪い。
意味もなく、拾った手を見る。
手には何もあともない。
ん? あれ?
あの石は右手で拾った。なのに自分は左手を見ている。
今右手はカバンを持っている。
カバンを持ち替え、右手を見る。
特に異常はない。
あれ?
風景全体に違和感。
なんだ?
なにかずれてる。
何かがずれている。
違和感の原因がわからない。
なんだ? なにがだ? 何が違う? 何処が違う?
周りを見回しても、普段通りの景色。
いや、違和感がありすぎる。
そうだ。違う。
信号の、青と赤が逆だ。
広告の文字が逆だ。
車の走る車線が逆だ。
背筋が寒くなる。
あの石を触ったからか?
まだ近い交番へと走りこむ。
警官が付けてるバッヂ。警棒を装備してる側、拳銃のホルスターの位置。すべてが逆。
「あ、あの。さっきの石……」
そこまで言うと警官はにこやかに答えた。
「先程落とし主さんが来られて、引き取られましたよ。お礼にとコレを」
封筒。
「これは……?」
「特にお礼を出来るわけではないのでということで、感謝の気持ちをここで書かれていきました」
封筒を開け、便箋に書かれた内容を読む。
内容は一文「もう、帰れない」。
警官が覗き込み「丁寧なお礼ですね」と言う。
見えてる文字が違うのか。
帰れないってなんだ。
「落とし主さんはどこへ!?」
こちらの語気に驚きながらも、今さっき出て行かれたと警官が言う。
見ていない。
すぐ近くにいたのだ。
だが、誰も交番を出入りなんてしていない。
交番から出ようと、扉に手をかけた。
出入り口の扉のガラス戸に映る警官。
――え?
警官が訝しむ。
キョロキョロと周りを見回し、不思議そうにする。
まだ扉を開いていない。
だが、扉に映るのは警官だけ。
自分が、映っていない。
振り返っても、警官とは目があわない。
警官はまた、誰もいなくなったかのように書類を整理し始めた。
扉を開けた。
いや、開いていない。
開けたのに開いてない。
そのまま外に出る。
扉は閉まったままだ。
なんだこれは。
どうなったんだ。
息苦しい。
思わず膝をつき、へたり込む。
周りを通り過ぎる人は、全く関心を示さない。
まるで誰もいないみたいに。
誰も一瞥しない。
まるでなにもないみたいに。
誰かに助けを求めようにも、手を伸ばしても誰も気づかない。
遂に地面に倒れこんだ。
意識が朦朧としだしている。
なんとかしないと。
なんとかなるのか?
どうにかしないと。
どうにかなるのか?
遂に、意識が途切れた。
倒れた場所に、一つの石が落ちていた。
妙な色の石だ。
宝石でもガラスでもない。
光の加減でいろいろな色に見える。
誰も興味を示さない石。
ただ、石が落ちていた。