第4話 人には相性というものがある
「こんなにすぐ呼んでもらえて、すごく嬉しいです。ありがとうございます」
「はは、なんか恥ずかしいけど、そう言ってもらえると嬉しいよ」
次のお客様がやっぱりこの痩せっぽちな男性だったことで、僕はすっかり嬉しくなってしまった。
都合のいい話だが、そりゃあもちろん自分をご指名してくれる相手は、自分にとって嫌ではない相手の方がありがたい。
ご新規だったお客様がこうして次も追加料金を支払って同じ女の子をご指名してくれることは、本指名、と呼ばれている。
相手がいいお客様であればあるほど、本指名をとれたときには喜びを感じられるものだ。
それは僕の収入にも直結するし、この仕事を続けていくうえではとても重要なことである。
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第4話 人には相性というものがある
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ベッドに並んで座り、彼の大きな手の甲をさすっていると、やっぱり不思議なくらい胸が暖かくなってくる。
普段別のお客様でどうしても感じてしまうようなつらい気持ちや、元男であるがゆえの男性への拒否反応みたいなものが、この人とであれば全く意識せずにいられた。
そんなふうに気を緩めてしまっていたせいだろうか。
彼の左手の薬指に残った明らかな指輪の跡に、つい現実を意識させてしまうような、愚かな言葉が口からこぼれでてしまった。
「あ、もしかしてお客様は、ご結婚なさってるんですか?」
その瞬間、彼の優しげな表情がほんの少しだけくもってしまった。
「……別れたんだ。最近ね」
そのお客様の寂しそうな瞳を見ていると、こちらまで胸が苦しくなってくる。
こうなるから、お客様のことをあれこれ聞くべきではないんだ。
女の子によっては、家族のことや仕事のことまであれこれ聞いてメモし、営業のランク付けに利用する子もいるが、僕はそれをいつも避けていた。
僕たちが知るべきなのは、お客様の性癖や感じやすい部分だけであって、その個人の事情なんかには踏み込むべきじゃないはずだ。
僕と過ごす時間くらいは、お客様には少しでも現実を忘れさせてあげたいと思っているのに。
だけど彼はまたすぐにふんわりとした笑顔に戻り、むしろ逆にこちらを気遣うみたいに、優しい声を続けてくる。
「離婚すると特に、週末が寂しくてさ。一人でうちにいるのもつらくなって。……それで情けないけど、またスバルちゃんに会いたくなっちゃったんだ」
彼と繋いだ手のひらがちょっとだけ強く握られて、僕もまたそれを強く握りかえした。
彼の抱えた寂しさが、TSして何もかもを失った自分自身の寂しさと重なっていく。
ホテルの部屋に静かに響く、有線放送か何かのしっとりとした音楽が、ふいに僕の涙腺まで熱くさせてしまうようだった。
お客様一人一人に感情移入するなんて、こういう仕事ではありえない話だ。
誰だって人は寂しさを抱えていて、だからこそこうして僕なんかにお金を払ってくれる。
彼は特別な存在なんかじゃない。
そうわかっているのに、僕はほとんど無意識にその体をを抱きしめてしまっていた。
彼のその痩せっぽちな体を暖めてあげることが、逆に自分を癒してもらっているように感じてしまうくらい、幸せなことに思えてしまう。
「……じゃあ、今だけは寂しくないように、いっぱい頑張らせてもらいますね?」
彼の前では自分を一匹のメスだと思い込むことも、ちっとも苦には感じない。
そう思えてしまう理由はわからないけれど、こうして吸い寄せられるように唇を捧げることができてしまうのだ。
予約が連続していない場合は、一人のお客様の相手をしたあと、一旦事務所の待機室へ戻ることになる。
とはいえ今日はどうやら指名のないフリーのお客様も多くなってきたらしく、いつもの待機室に戻ってきたとき、同僚はちょうど今同じように戻ってきたらしい先輩一人だけだった。
「あら、お帰りスバル。……どうしたの、なんか疲れてる? 前の客に酷いことでもされちゃった?」
「ち、違いますよ。……その、前のお客様が、なんかすごく上手だったみたいで」
この色気のある先輩は僕がこの店に来て以来、ずっとあれこれ面倒を見てくれる優しい人で、この人に対しては多少お恥ずかしい話でも、ためらいなく口にすることができる。
例えば今みたいに、お客様から信じられないくらい感じさせられてしまい足に力が入らなくなっているなんて、元男としては恥ずかしすぎる話でも。
「……ふふっ! スバルったらかわいいじゃん。普段はあんまりそういうこと言わないのに。顔、真っ赤だよ?」
先輩はそう明るく笑いながら、自分の座っていた安っぽいピンク色のソファーの横をポンポンと叩いた。
促されるままに僕はそのとなりに座り、他に誰もいないことを、改めて周りを見回して確認する。
「先輩もそういう感じの、何て言うかほら、上手なお客様のお相手、したことありますよね?」
この先輩はもうおそらく30歳近くになる、このお店の大ベテラン。
こういう業界でのキャリアも当然僕より長いので、彼女であれば今の僕のこのおかしな状態に関しても、何かアドバイスをくれるのではないかと期待できる。
女の身体で気持ち良さをしっかりと最後まで味わえてしまったのは、かつて危険なお薬を使われてしまっていたとき以来、あのお客様がはじめてだ。
自分自身の一人遊びですら、そこまでの肉体的な快感を得ることはできていなかった。
他のお客様がオプションで道具を使ってくるときなんかは、身体に気持ちがついてこなくて、どうしてもいくらか反応してしまう自分のこの身体を気持ち悪く思ってしまうくらいなのに。
「……うーん。テク自慢みたいな客って、だいたいハズレじゃん? 手は激しく動かしゃいい、みたいな。……でも、なんか妙に身体の相性がいい、みたいな人に会ったことはあるかな」
長い髪をかきあげながら言う先輩のその言葉が、妙に自分の頭にすっきりと入り込んできた。
「相性、ですか?」
「うん。なんかこう、ちょっと触れただけでも普段と違うっていうかさ。変に反応しちゃうんだよね」
その感覚は、今の僕にとてもしっくりきた。
それなら多分僕にとってあの痩せっぽちのお客様は、身体の相性が抜群にいい相手なんだろう。
なにせ声も雰囲気も匂いも、もちろんあれこれ触れ合うことも、全部怖いくらい僕にぴったりすぎるから。
「それが相性ですか……」
だけど相性と言うのなら、相手が僕をどう思っているのかも大事なはずだ。
こちらも一応プロとして、向こうにもちゃんと気持ちよくなってもらえているとは思っているけれど、あのお客様にとって自分が特別な存在だなんてはずはない。
僕なんて彼にとっては、お金を払えばいくらでも選択肢がある、有象無象の女の一人でしかないはずなのだから。
そう考えるとちょっと寂しいような気分になって、僕は気分を紛らそうとソファーを立ち上がろうとした。
だけど足にはまだうまく力が入らなくて、ぐらっとよろめいて先輩にぶつかりかけてしまう。
「ちょっと、大丈夫? マジでフラフラじゃん。そんなにめちゃくちゃにされちゃったの? 困った客だねえ」
先輩がそんなふうに、さっきのお客様が悪いみたいに言ってきたから、たぶん僕はちょっとむっとした顔になってしまったんだと思う。
先輩は僕の表情を見て一瞬固まり、でも気を悪くしないでくれたようで、可笑しそうに笑いながら僕の頭をポンポンと撫でてくれた。
「たぶんそのお客さん、ほんとにスバルと相性良いんだね。……でも、あんまりその人に執着しちゃダメだよ? あたしたち、こんな商売なんだし。客にガチ恋なんて、ロクなことになんないよ」
たぶん先輩は、僕の表情で察してしまったんだろう。僕が自分の頭の中ですら努めて言葉にしないようにしている、彼に対して芽生えかけている想いを。
それは僕のような元男が、そしてこういうお仕事をしている人間が、お客様に対して決して抱いてはいけない感情だ。
ましてたった二回、身体を擬似的に重ねただけの相手に、自分の心がこんなにかき乱されてしまうなんて。
自分でも信じたくはなかったし、元男としても自分が自分でないような不安な気持ちになってくる。
「お、二人戻ってたか。えっと、ごめんとりあえずスバルちゃん、今からフリーで入れる?」
待機室にぴょっこりと顔を出してくれた店長さんの言葉が、自分への助け船のように感じた。
気持ちの切り替えができる自信はなかったけれど、じっとしていれば余計なことばかり考えてしまいそうだったから。
「はい、もちろんです」
そう答えて立ち上がろうとしたが、やっぱり腰が抜けているみたいに、足にも体にも力がうまく入らなくて。
ふらりとまたよろめいたはずみに、横からこちらを見つめていた先輩と目が合ってしまう。
「無理しちゃダメだよスバル。……ねえ店長、ちょっと早いけどスバルはもう今日は帰らせてあげな? ちょっと疲れてるみたいだから。そのフリーの客はあたしがもらうし」
先輩はそう言って、なんでもないことみたいに立ち上がる。
たぶん店長さんが僕にフリーのお客様を当てようとしたということは、先輩には次の予約なんかがある程度埋まっているということだろうに。
「す、すいません店長。……先輩、ありがとうございます」
この先輩に逆らう気にはならない。
ぶっきらぼうなところはあるけれど、いつも僕のことをよく気にかけてくれていて。
きっと今もそうして客観的に、僕のひどい状態を見抜いてくれたのだろうから。
店長さんもどうやら許してくれるようで、僕はとりあえず早退ということになりそうだ。
「かわいい後輩のためならこのくらいはね。……とりあえずあんた、今日はゆっくり休むといいよ。さーて久々にフリーの客か、どうやって落としてやろっかなー」
自分の大きなバックを持ち上げ、努めて明るく振る舞ってくれる先輩の優しさに報いるためにも、僕も早く自分の心を落ち着かせなければならないだろう。
僕は元は男で。
お客様に対して変な気持ちになるなんて、絶対にあり得ないことなんだから。
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