第二章 3 お食事
午後六時。
空乃の姉の乗る飛行機が、群青空港に到着する時間となるのだった。
三人がロビーで待機していると、派手な格好をした茶色で長髪の女性が到着ゲートからやってくる。
「お姉……ちゃん」
「空乃」
空乃の姉らしき人物が空乃のほうを見て、大きく手を振る。
空乃と空乃の姉――姫乃の距離は近づいていく。
「空乃、久しぶりっ」
空乃の姉は勢いよく空乃のことを抱きしめる。困惑しながら、空乃は姫乃のハグを受け止めた。
「元気だった?」
「……元気」
明るく接する姫乃と静かに応える空乃。まさしく動と静を表していた。
「ちょっと、大人っぽくなったじゃない」
「そう……かな」
姫乃はまじまじと空乃の顔を見ていた。
唯一の共通点は顔のパーツが整っていることぐらいだった。
「よく空港まで来れたじゃない。あんなに怖い体験をしたのに」
姫乃の口から言葉が飛びこんだ瞬間、空乃の目つきが変わった。
……なんてことを。
風太は思わず姫乃を恨みたくなった。
空乃の目は怯え、どうすればいいのかわからない様子だった。
「あそこに……あそこにいる風太くんと柴田さんが協力をしてくれたの」
「あら、どうも」
遠目から、風太と柴田は会釈をした。
すると、空乃の姉はずかずかと二人に近づいていく。空乃姉の履くヒールの高さは十センチ近くあり、踏まれたら痛いに違いない、と風太は確信した。
「良ければ、お礼をさせて」
堂々と言われ、風太と柴田は断るわけにはいかなかった。
四人は群青空港内のファミレスへ行くことになる。店内のテーブル席に座り、四人はメニューを手に取る。
「はあー、疲れたあー」
くたびれた顔でくたびれた声を姫乃は出す。
……派手だな、本当に。
心の中では思うものの、口が裂けても風太は言うことが出来ない。世の中には言っていいことと悪いことがある。
「あ、ごめんなさい。気が抜けちゃって。改めて、自己紹介する。私は空乃の姉で、姫乃っていうの。漢字はわざわざ説明しなくてもわかるよね? とりあえずよろしく」
……意外と挨拶はしてくれるのか。
風太は拍子抜けした。
てっきり、挨拶なんか面倒臭いタイプなのかと……。
風太と柴田は顔を見合わせた。柴田が目で合図を送り、風太の口角が無理やり引き上げられる。
「ぼ、ぼ、僕は風太です。なんというかその、よろしくお願いします」
「うん、さっき空乃から聞いた」
「私は、ここのグランドスタッフをやっている……」
「うん、それも空乃から聞いた」
姫乃の辞書に初対面という言葉はないようだった。
「あー、すみません」
席を通り過ぎる店員を姫乃は引き止める。
「面倒なんで、この店のおすすめ、適当に頼むわ」
「かしこまりました」
あっさりと四人の注文は終わってしまう。
「で、洋服はちゃんと買ってくれたんだよね? 私に似合うやつ」
そう姫乃に言われ、空乃は慌てて買い物袋を姫乃に渡す。かなり空乃は動揺しているようで、風太は不憫だった。
「えー、どれもいまいち」
買い物袋から店で買った服を姫乃は乱暴に取り出していく。
風太は姫乃にいろいろと言ってやりたかったものの、何も口に出すことができない。
「ポテトサラダです」
「ありがと」
店員が皿に盛られたサラダをテーブルの上に置く。
「いただきます」
テーブル席に、買った服を姫乃は乱暴に置く。
「あのう、すみません」
あまりにも見ていられなかった風太は姫乃に向かって言おうとする。
「ちょっと、待って。私のほうから先に言う」
柴田が挙手することで、発言権は柴田のほうに回った。
「姫乃さん」
「なに?」
ポテトサラダを頬張りながら、姫乃は疑問を露わにする。
「妹さんが頑張って姫乃さんに似合う服を選んでいるのに、そんな態度はないんじゃない?」
長い睫毛を、姫乃は柴田に向ける。
「頑張れば、何でも物事は許されていいの? 私はそうは思わないけど」
テーブルを囲む四人の空気はすっかりと様変わりしてしまう。まるで昨日のことのようで、風太はデジャヴを感じる。
「私が悪いの。お姉ちゃん、ごめんね」
空乃は涙を目に浮かべながら、頭を下げる。
「何言ってんの。あなたは何も悪くないじゃない」
必死に柴田は代弁する。だが、空乃も姫乃も断固としてそれを受け入れない。
「そうよ。空乃が悪いの。だって、私の事を昔から嫌っているものね」
「えっ」
空乃の顔はより一層強張っていく。
「昔から、自分と正反対の私の事を嫌っていた。だから、私が昔から飛行機で私がどこかへ行ったり、ここへ帰ってきた時も、出迎えてくれなかった」
「それは……違う」
「ううん、そうよ。私のおさがりの服も着ようとしなかったし、私の好きなものは、この子は嫌いだった」
「それは……単なる趣味の違いで……」
「だから、私も言うわ。空乃。あなたのことが大っ嫌い」
そう言い捨て、姫乃は店を立ち去ってしまった。
「ちょ、ちょっと」
言いたいことを言い切る姫乃に、風太は呆れてしまう。風太の隣にいた、柴田も同様だった。
捨てられた服とともに置き去りにされた、空乃は途方に暮れていた。もはや、涙も出てこないようだった。
ちょうどその頃に、頼まれたメニューがテーブルに運ばれる。
「もういいわ。あんな人のことは置いといて、たらふく食べましょ」
気持ちを切り替えるように、柴田は言う。
「あのう、すみません」
「はい、なんでしょうか」
空乃は近くにいた店員を呼ぶ。
「この料理、持ち帰りにすることできますか?」
急にそのようなことを尋ねた空乃に、風太は首を傾げた。
「空乃さん、どこへ行くの?」
「……展望デッキへ行くの。きっと、お姉ちゃんはあそこにいると思うから」
慌てて風太と柴田は展望デッキへ向かう空乃の後についていく。風太は空乃の大きな荷物を抱え、くたびれていた。
「お姉ちゃんっ」
展望デッキへたどり着くと、空乃は姫乃を発見する。
「……どうしてここに」
「だって、お姉ちゃん……喧嘩した時、外で空を見るのが好きでしょ」
悔しそうに、姫乃はそっぽを向いていた。
「別にそういうわけじゃない。それに頼んでない。ここに来い、なんて」
皮肉にも夜空は綺麗で、姉妹二人の距離を縮めるのには、ちょうど良かった。
「私が今回は悪かったわ」
「いや、お姉ちゃんは何も悪いことしてない」
「……したよ。自分が他のことで上手くいかなかったせいで、空乃にやつあたりしちゃった。お姉ちゃんとして失格だよね」
空乃と姫乃の間に夜風が流れる。
「……何かあったの?」
「今さっきと似たようなことがあったの。女の先輩と」
うつむいたまま、姫乃は打ち明ける。
「仲良くしてもらっている女の先輩がいてね、その女の人の服のセンスが悪くて、思わずダサいって言っちゃったの。それから、喧嘩のままでね」
姫乃は今にも泣きそうだった。だが、それに抗うように、姫乃は鼻をすすっていた。
「お姉ちゃん。ちょっと待っていて」
「え?」
空乃は買い物袋を抱える風太のもとへ近づく。
「これ、ちょっともらうね」
「う、うん」
空乃の意図がわからないまま、風太は空乃に買い物袋を手渡した。
「お姉ちゃん……これ」
買い物袋を空乃は姫乃に渡す。
「それさっき、私が好きじゃない、って言ったじゃない」
空乃は大きく首を横に振る。
「ううん。お姉ちゃんのためじゃなくて、お姉ちゃんのダサい先輩のため」
ゆっくりと姫乃は、空乃から買い物袋を受け取る。買い物袋から、姫乃は空乃が買った服を取り出した。
「……ダサい服も悪くないね」
笑みを浮かべながら、姫乃はそう告げた。
微笑ましいのか微笑ましくないのかわからない姉妹を、遠目から風太は眺めた。
「それと、さっきの店の料理、持ち帰りにしたから、今食べる?」
「あら、優しいのね。やっぱり、私の妹」
頬に伝わる自分の涙を、姫乃は指で拭き取る。
展望デッキに設置されているテーブル席に座り、四人は食事を設けることにした。
「あー、お腹空いた」
わざとらしく柴田はつぶやく。
ある意味、昨日の行人と同様、柴田はいきなり頼みごとに巻きこまれ、頼みを受け入れてくれたのだから、二人に感謝するべきだと風太は思った。
空乃はそのことをすっかりと忘れており、風太は気づいてくれないか、と思ってしまう。
「柴田さん、風太くん。今日は本当にありがとうございました」
空乃の潤んだ瞳に風太はすれ違う。
……空乃さんは、天使だった。
風太はそう感じた。
大きく空乃は頭を下げる。
「ううん。礼は不要よ。二人とも仲直りしてよかった」
「私も姉として礼を言うわ。今日はどうもありがとう。妹って大事だな、って思わされた」
礼を口にしながら、姫乃は料理を口に運んだ。性格そのものを表すかのように、豪快な食べっぷりだった。
それでいて、姫乃の一つ一つの所作は上品で、まるで空乃の動きを彷彿させるようだった。性格は違えど、やはり血の繋がった姉妹なのだと、風太は気づかされる。
……その矢先だった。
姫乃は自分のピンクのショルダーバッグから、ブランドモノのポケットティッシュを取り出した。
「何この料理。機内食よりまずいわね」
顔を歪ませる姫乃に、風太と柴田は苦笑いをした。




