第一章 4 文房具屋、雑貨屋、弁当屋、靴磨き屋、そして展望デッキ
「……いったい、どこへ行くんですか?」
早歩きで空港内を歩く書店員の男に、風太は問いかける。
「文房具屋だ」
……文房具屋?
状況を把握しきれないまま、風太たちが向かったのは、群青空港内にある、文房具屋だった。
「なんで文房具屋なの?」
「さあな。俺にはわからん」
風太と書店員の男に何も言わないまま、空乃は文房具屋の中を散策していた。
空乃の考えていることを汲み取れないまま、風太もただ純粋な気持ちで文房具屋の中を見る。風太の目には、ごくありふれた文房具しか見られないように見えなかったが、散策していくうちに空港内限定のシャーペンや消しゴムなどがあることに気がつく。空港会社のロゴ、飛行機のイラスト、期間限定・地域限定の文字に弱い風太はたちまち、自分のバッグの中にある財布を気にし始めた。
一方の書店員の男は空港内のラインナップなど見飽きているのか、淡々と商品を見ていく。
「お前は、名前なんて言うんだ?」
文房具屋の中で、風太は書店員の男に素朴な疑問をぶつけられる。
会話しないと退屈なのだろうか。
風太は書店員の男の会話に付き合うことにした。
「僕の名前は、風太っていいます」
「ふーん、そうか」
書店員の男に名前を告げていなかったことに、風太は気づく。
名前を告げてもいないのに、行人に頼みごとをしたのは我ながら奇妙だな、と風太は思った。
「書店のお兄さんは、名前何て言うの?」
「……その呼び方はやめろ」
間を置き、書店員の男は言った。
「行人、っていう名前だ」
「へえーそうなんだ」
「もっとリアクションあるだろう」
「いや、特にこれと言って。名札ついていないと、名前ってわからないものだな、って思っただけです」
「うちの書店は、名札を付けない方針でいるからな」
「名札に付いている針、痛そうですもんね」
「そういうことじゃない」
風太と行人があれこれやりとりをしていると、空乃はある物を見つけた。
「これ……かも」
依然として自分の名を告げないまま、空乃は頼みごとに夢中だった。
「懐かしい……これ」
「なんだ? これは」
空乃が手にしたのは、飛行機の形をしたボールペンのようだった。懐かしい品の復刻キャンペーンのコーナーの中にあり、空乃は懐かしんでいる。
空乃さんもやっぱり、限定モノに弱いのか。
自分との共通点を発見することで、風太は空乃に対して、親近感が湧いた。
「買ったこと、あるのか?」
「うん。小さかった頃に」
自分のカゴの中に、飛行機の形をしたボールペンを入れ、空乃は次の目的のものを探す。
「あいつは、いつもあんな感じなのか」
完全に自分の世界に入っている空乃を見ながら、行人は言う。
「いや、まあなんというか……」
どう応えればいいのか、風太はわからなかった。困惑する一方、風太は空乃の魅力をまた一つ知れたことに、喜びを感じる。
「というか、お前とあいつはどういう関係なんだ?」
「どういう関係って……」
行人に問いかけられ、風太はまたもや困惑する。
……こんな時ってなんて言えばいいんだろう。
風太は周囲を見渡すも、見本になるような大人はいなかった。
行人はニヤリと笑みを浮かべた。
なんですか、と風太は行人のニヤリ顔をやめさせようとする。
「もしかして、お前らそういう関係なのか」
「えっ、それは……」
風太の心臓が脈を打つ。秒を刻んだ分だけ、胸の高まりが大きくなりそうで、息苦しくなっていく。
「否定しないってことは、そういうことなのか」
風太は頬を赤くする。
「どうなんだ」
「なんでもないですよ」
そしていつの間にやら、空乃のカゴの中はいろいろなもので溢れていた。
「おい、そんなに買うつもりか」
「だ、だってお父さんのお願いだから……」
空乃はカゴの中をじっと見つめ、小声で応える。
……空乃さんって、お父さん思いなんだな。
空乃の懸命な姿を見て、風太は思わず感心してしまった。誰かの誰かのための行動がこんなにも素敵だと思えるのは、初めてなのかもしれない。
「まあ、別に俺はどうでもいいけど」
ぶっきらぼうに行人はそう付け加える。
「というか、本屋の仕事は大丈夫だったんですか」
「もう今日は終わったから、別に」
そう行人に言われ、風太は安心する。
メモ帳に、ノートに、消しゴムに、セロハンテープ、それからそれから……。
さりげなく、風太は空乃のカゴの中を拝見する。
「というか、あいつの父ちゃん、一体あれ何に使うんだ?」
「仕事、とか?」
「娘に頼んでまで、買うものなのか。どんな仕事しているのか知らないけど」
「さ、さあ……」
一通り買うものが揃ったのか、空乃は会計を済ませる。
「今度は一体、どこへ向かう気なんだ」
ため息をつきながら、行人はつぶやく。
「一生懸命なんですから、ちゃんと応援しましょうよ」
「応援とか。風太、面白いなあ」
「別にジョークなんか飛ばしてませんよ。飛行機は飛んでますけど」
「ああな。本当に一生懸命なのは、どっちなんだろうな」
……こ、この人は僕の一途な恋を邪魔する気か。
行人に悪態をつかれ、風太は口を噤んでしまう。
どこへ行っても、他人の背中を押す強さを間違える人はいる。
風太は周囲を見渡し、空港内に並ぶ店の複数の看板に目を奪われる。店の出口から商品を整理している店員が視界に入る。
ふーん、なるほど。
僕だって、誰かの背中をそっと押す人間になれるはずだ。
風太は仕方なく話を変えることにした。
「空港ってなんでもあるんですね」
「まあな。じゃなきゃ、空港も人が集まらない」
「行人さんは空港にいて、不自由に感じることはないんですか」
「特にないな」
「手荷物とか少なそうなイメージです」
「ええ、そういう話の方向になるのか」
「すみません、会話が上手くなくて」
「別に俺も会話が上手いタイプじゃないし。単に、書店のアルバイトとして、ここにいるだけだから。本気で旅行する時が来たら、この空港の利便性を思い知らされるんだろうな。群青空港の第一、第二ターミナルにはこれがあるのにこれがないとかさ」
「旅行で本気でするものなんですか」
「お前は俺をおちょくっているのか」
風太と行人がとりとめのない会話を進める中、空乃は空港内のとある看板に視線を注いでいた。一点をただ見つめたかと思えば、空乃は店の中へと入っていく。
空乃が入っていく店は、雑貨屋だった。
風太と行人は空乃に続くように、雑貨屋の中へ入っていく。
「で、次は父ちゃんにどんなものを頼まれたんだ」
ぶらぶら歩きながら、行人はつぶやく。
空乃は雑貨屋のぬいぐるみが置いてあるコーナーの中に入る。
「おやおや、ずいぶんとまあファンシーな感じで」
「行人さん、意地の悪いことを言うのはやめてくださいよ」
行人の暴言を必死に風太は止める。そんな二人のことはお構いなしに、空乃は熊の人形を手にした。
それは、小さい子が抱えられるぐらいの大きさの人形だった。
「おいおい、文房具の次は人形を買うのか」
からかう行人に口を利かないまま、空乃はレジへ向かい、会計を始める。
「まったく、あいつは名前を告げないうえに、人に何の口も利かないか」
「まあまあ、落ち着いてください」
「……あいつ、名前なんて言うんだ?」
「空乃さんですよ。覚えてください」
「へえーだから、空港に、か」
「え? なんですか?」
「いや、なんでもない」
行人は風太の追求を軽くかわした。
そして次に風太たちが向かうのは、弁当屋だった。
「なんだ、あいつ。腹が減ったのか」
空港内の弁当屋の前に立ち、弁当の食品サンプルが並べられているところを、空乃は物色していた。
「そういえば、お腹空きましたね」
時刻は、午後七時を回っていた。風太の頭の中にある上空には弁当に入ったエビフライやハンバーグ等が浮かんでいた。
「確かに、そうだな。俺も昼休憩以来、何も食べてない」
腕を組み、行人は風太の言葉に頷く。
「な……なんだよ」
「なんでもないですよ」
じっと風太に顔を見つめられ、行人は後ずさりする。
「もしかして、奢ってもらおうとか考えてないだろうな」
「ま、まさか。そんなこと考えているわけないじゃないですか」
慌てて風太は行人の指摘を否定する。
「……ったく。俺は今金欠だから、働いているんだっつーの」
はいはい、と風太は適当に返事をした。
「というか、行人さんって、何者ですか」
「それどういう意味なんだよ?」
「学生なのか社会人なのか気になって」
「学生だよ、ばか」
弁当屋の前で選び悩んでいる空乃のほうへ、二人は視線を移す。
「あいつ、めっちゃ悩んでいるけど……もしかして」
「もしかして……なんですか?」
「俺たちのために、弁当を買ってきてくれているんじゃないか?」
空乃は弁当屋のおばさんに、弁当を頼み、会計を済ました。
「それ、なんだ?」
「お父さんのために買ってきた、とんかつ弁当」
空乃は、弁当の入ったビニール袋を持ち上げる。
行人は思わずずっこけそうになった。
だよなあ、と風太はぼそっとつぶやいた。
「そろそろ、暗くなってきたけど、まだ付き合ったほうがいいのか。店もどんどん閉まっていくぞ。コンビニみたいに、二十四時間営業じゃないんだ。残念ながら」
「お願いします」
ため息をつきながら行人が尋ねると、空乃は即座に頭を下げた。
風太たちが弁当屋の次に向かったのは、靴磨き屋だった。
「おいおい、次は靴磨きをするのかよ」
「まあまあ、いいじゃないですか」
愚痴をこぼす行人を風太は必死になだめる。なだめるとともに、何かにひたむきな空乃を見て、この人しかいない、と風太は想い始めるのだった。
空乃は靴磨き屋の店員の女性に話しかけ、履いているローファーの靴磨きをお願いするのだった。
「あいつ、自分がお姫様だと勘違いしているんじゃないのか。俺たちのこと、振り回しやがって」
「まあまあ、可愛いのは事実なんですから」
「そうかあ? 色気も素っ気もないぞ」
「そういうこと言うの良くないですよ。セクハラとかになります」
「はいはい。なんでもハラスメント」
二人のやりとりなど関係なしに、空乃の靴磨きは始まる。
空乃は数ある靴磨きのプランの中から、普通のプランを選んだ。料金は千円前後だった。
席に座り、風太たちは空乃の様子を伺うことにした。
靴が磨かれているという些細なことなのにも関わらず、無表情だった空乃の顔が嘘のように和らいでいく。
「なんだ、あいつ笑っているぞ」
行人が空乃にツッコミを入れる中、風太はただただ空乃に釘つけになっているのだった。
「おい、何見惚れているんだよ」
「見惚れていません」
「嘘つけ」
「嘘じゃないですって」
空港内は何度もアナウンスが流れていた。
多くの人々が行き交っていることもあり、人の数だけトラブルが起きるのだろう、と風太は状況を察した。
「終わりました」
空乃が履いているローファーには、しっかりとした黒い光沢感があった。
さすがプロ、と風太は店員の女性に思わず褒め称えたくなった。
「綺麗になりましたね」
「ありがとうございます」
空乃は照れ臭そうに、風太に礼を言った。
風太たちは空乃に連れられ、靴磨き屋の次に屋外の展望デッキへと向かった。展望デッキの階へ向かうエスカレーターは日が沈む前に比べ、人の数が減り、どこか寂しさを漂わせていた。
屋外の展望デッキを夜空が覆っていた。
風太が想像しているよりも、吹き付ける風は弱かった。
「今日は風がないな」
風太がつぶやくよりも先に、行人が外の状況について口を開いた。
「風がないと、飛行機を飛ばすのに何か問題があるんですか」
「さあな。ただ、嵐の前触れみたいな気がするだけだ」
嵐の前触れ、か。
風太は飛行機の着陸が遅れた日のことを思い出した。空港にいると、変に風の強さに敏感になるような気がしてならない。
「空も暗くなりましたね」
「当たり前だよ。もう夜の八時だぞ」
「いいじゃないですか、まあ」
わざとらしく、行人はくしゃみをしていた。風太は夜空にとけこむ空乃の立ち姿にただ見とれていた。夜空に星はなくても、夜空を綺麗だと思えるのだと、風太は気づく。
「風太くん」
夜風や飛行機のエンジン音に、空乃の声が紛れる。
「なんですか? 空乃さん」
空乃の様子がおかしいことに、風太は気づく。買い物袋やバッグを近くのベンチに置き、神妙な表情をしているのだ。
これは、いったい……。
「……一緒に踊ってくれませんか?」
「いいですよ……って、踊る?」
思わず聞き返してしまう風太に向かって、空乃は頷く。
「え? 踊る?」
「はい。この場で私と踊ってほしいんです」
「ど、どうして……」
「それがお父さんの頼み事だから……」
切なげに語る空乃の横顔を、風太は見つめる。
「踊る、ってどういう風にですか?」
「ぶ、舞踏会みたいな感じで」
「……ぶ、舞踏会?」
「恥ずかしいですが、『シンデレラ』みたいな感じで」
空乃が手を差し出す。
「え? でも僕、踊りなんてできませんよ。ど下手ですよ? リズム感ゼロですよ」
「ほら、踊ってやれよ。お姫様のために」
揶揄する行人に言われ、風太は躊躇しながらも、空乃のために踊ってあげることにした。
「ほら、舞踏会みたいに、踊れ」
野次を飛ばす行人にムッとしながら、風太は空乃と手を取り合う。
……うわあー、小さな手だ。冷たい。握って暖めてあげたい。
照れくささと緊張、自己嫌悪といった言葉が風太の胸へ一気に飛び込んでいく。
だが、風太は踊るしかないのである。
「……風太くん」
風太は首を傾げた。
「もっと体の力抜いて」
「う、うん……」
「ちょっとずつ足を動かしていこう。まずは右から」
右と左を風太が間違え、二人は互いに転んでしまう。
「……ごめん」
「大丈夫」
倒れた反動で空乃の右足の靴が脱げていた。
「……どうぞ」
風太は空乃の靴を拾い上げた。
「ありがとう」
照れくさそうな空乃を、照れくさそうに風太は見た。
「今度はちゃんと踊るよ」
「……うん」
二人は再び手を取り合った。