第一章 3 彼女が向かった先には
翌日がやってきた。梅雨の時期であるのにも関わらず、外は晴天だった。逆に夏の時期にしわ寄せがくるのではないか、と風太はどこか不安になる。
「えー……なんで今日、部活いきなり休みになっちゃうのー」
愚痴をこぼしながら、教室の席に座り、スクールバッグを美奈子は振り回す。
「しょうがないだろー。急に職員会議が入ったんだからさ」
空杉海高校の生徒と他校の生徒との間にトラブルが起きたらしく、教師陣は職員会議を余儀なくされた。
「トラブル起こしたやつだけが悪いのに、なんでこっちまで部活休まないといけないのか、意味不明」
ここまで美奈子にふてくされると、風太も友郎も対処のしようがなかった。
「美奈子おー、カラオケ行かない?」
「いいよおー」
クラスメイトの女子に誘われ、美奈子はその場を去っていく。
「問題は解決したな」
「だね」
風太と友郎は顔を見合わせる。
「じゃあ、俺も今日は用事があるから、じゃあな」
友郎もまた風太のもとへ去っていく。
やることがなくなったな、と思いながら風太は教室を見渡す。同級生たちの目はどこか輝いていて、自分だけすさんだ目をしているように風太は思えた。
そんなクラスメイトたちの中に一人、教室を出る空乃を、風太は目にした。
……一体これから何をするんだろう。
風太は空乃の動向が気になり始めた。
スクールバッグを持ち、風太は教室を出た空乃を……こっそり追いかけることにした。廊下がうるさかろうと、空乃は動揺しない。そればかりか、その風景にとけこむように、空乃は静を保ったままだった。
昇降口で静かに上履きからローファーに履き替え、空乃は外へ出ていく。
……普通に帰るだけなのかな。
疑問を心の中で露わにし、風太も外履きを履き、外へ出る。集団で帰る生徒たちの横を通り過ぎ、風太は目と足で空乃を追いかける。
……見失うな、絶対に。
自分に風太はそう言い聞かせる。今のところ、空乃は気づいていないようだった。
……ああ、僕やばいことしているのかな。
風太は自己嫌悪に襲われる。
……もしも、空乃さんにバレてしまったら、どうなるのだろうか。
自己嫌悪とともに、スリルが風太を襲う。
これって、スリルを求める強盗犯と似たようなことになってしまうのだろうか。
ますます風太は自分自身を追い詰めていく。
「あれ、風太。一人で帰るの?」
女友達を引き連れた美奈子が風太に話しかける。美奈子にいきなり話しかけられ、風太は心臓が止まりそうになった。
「うん。ちょっと急用があって。じゃあね」
美奈子に追及されないように、風太はあっさりとそう告げた。美奈子は一瞬、眉間に皺を寄せていたものの、すぐに女友達と違う話をし始めた。
……あれ? どこへ行った?
校門を出て、風太は空乃を見失いそうになる。
……あ、いた。
だが、すぐに空乃を発見し、風太は安堵した。周囲を見渡し、自転車に乗っているお巡りさんを風太は発見する。
うわ、なんかまずいかもしれない。
自分が今、グレーゾーンに立っていることに風太は気づかされる。もしも、問い詰められたら、僕は僕じゃなくなってしまう。
「そこの君」
自転車のブレーキ音とともに、お巡りさんの声が風太に伝わる。
「……はい」
間違いなく、呼ばれているのは自分だと風太は思い、ゆっくりとお巡りさんのほうを向いた。
「確か、前ドブに入った一万円札を拾ってくれた、子だよね?」
「え?」
「いや、なんか猫背だった気がするからさ。前に会った時」
風太は拍子抜けした。
「ああ、はい、そうです」
ふと風太はドブに入った一万円札を拾った日のことを思い出す。高校に入学してそう経ってない日のことだった。風太は緊張しながら、高校の近くにある一万円札を交番へ届けた。
交番へ風太が一万円札を届けた時、お巡りさんは物珍しそうな顔をした。このご時世、素直に落とし物を――ましてや一万円札を届けてくれる高校生がどれくらいいるのだろう。お巡りさんに、風太はそう言われた。
「あの時は、ありがとう。おかげで、持ち主が見つかったよー」
持ち主が本当に持ち主である確率はどのくらいだろう。
悪意のある質問を心の中でしながら、風太はお巡りさんと別れた。その間にまた、風太は空乃を見失いそうになる。
……危ない、危ない。
高校からわずか数十メートルしか歩いていないのにも関わらず、風太は危ない橋を渡った気分にさせられる。
横断歩道を渡ろうとした時、腰の曲がったおばあちゃんが重たい荷物を持っていた。
……あれ、大丈夫かな。
空乃を気にしながら、同じように腰の曲がったおばあちゃんを風太は気にした。
「あそこの信号まで持ちますよ」
「あら、悪いわねえ」
気になって仕方がなく、風太はおばあちゃんの荷物を反対側の信号まで持った。
それからまた、風太は空乃の動向を追うことにした。
……本当に、どこへ行ってしまうのだろう。
当然のことながら、風太は空乃の自宅も知らず、空乃の足向く先を知らない。だからこそ、風太の探求心がかき立てられる。
空乃を追いかけた先に見えるのは、空港だった。
「……空港」
予想していなかっただけに、風太は戸惑いが隠せなかった。一ヶ月に数回も空港へ訪れる機会が訪れるとは、風太は思いもしなかった。
群青空港と称される空港の前に立ち、思わず風太は息を飲む。
まさか空乃さんがここに来るとはな。
風太は不意を突かれた気分になる。
「あ、あれ?」
風太が物思いに耽る間に、空乃は風太の前から姿を消していた。
「……どこへ行ったんだ」
混乱しながら、風太は空港内にいるはずの空乃を探すことにした。空港内には、当然のことながら、たくさんの人々が行き交う。
……あわわ。これじゃ、本当に見失ってしまう。
周囲を見渡し、風太は近くにいるグランドスタッフの女性に声をかけることにした。
「あのう、すみません」
申し分程度に声をかけた風太の呼びかけに、グランドスタッフの女性はすぐに気づいた。
「何かお困りですか」
グランドスタッフの女性の名は、柴田峰子だった。
「えっと……その」
優柔不断そうに見える風太に、柴田は目を細める。
「制服姿の女子高生を見ませんでしたか」
「はい?」
質問の仕方が悪かったかな、と風太は思ってしまう。変質者と勘違いしてしまうのではないか、と風太は不安になる。
「君、高校生?」
「はい、そうです。クラスメイトの女子を探していて」
すると、柴田はいろんな意味を含んだ笑みを浮かべた。
「何か、その子の特徴はない? 良ければ、アナウンスをして、探させてもらうわ」
「えっ……あ、えっと」
そこまで本格的に探してもらおうとは思っていなく、風太は困惑してしまう。
「あ、いいです。もう少し自力で探してみます」
そう風太は告げ、柴田の側を離れる。そんな風太の背中をじっと見つめながら、柴田は首を傾げた。
とぼとぼと歩きながら、風太は辺りを見渡す。相変わらず、空乃の姿は見当たらず、忙しい者や待ちくたびれた者の顔を風太は見せつけられるだけだった。
……もしかして、もう帰っちゃったのかな。
自分でもおかしなことをしたことは自覚しつつも、風太は空乃を探し求めることがやめられなかった。
とぼとぼと空港内を歩いている中、風太の目に群青空港の書店の文字が飛び込んだ。
……空港内にも、書店ってあったんだ。
当たり前の事実に気づき、風太は喜びを感じる。
ふと風太は教室で、空乃が読書をしている場面を思い出す。澄んだ青のブックカバーをかけた文庫本を空乃は読んでいて、風太はその光景がとても心に焼きついていた。
導かれるように、風太は書店の中へ入っていく。それはまるで深い森のようで、風太は迷い込んだ気分になる。空乃を探すという目的を思わず忘れてしまうほどだった。
「……何かご用ですか?」
「わっ」
目の前にいきなり空乃が現れ、思わず風太は声を上げてしまう。一歩、また一歩歩み寄り、空乃は風太を疑り深い目で見つめていた。
「えっと……あの」
空乃に正面切って声をかけられるのは、風太は初めてであり、あたふたしてしまう。疑り深い目をしているのにも関わらず、空乃の目は澄んでいて、輝きを見せていた。
「確か、風太くん……でしたよね?」
初対面にして、いきなり下の名前で呼ばれ、風太は動揺してしまう。
「はい……そうです」
ゆっくりと風太は頷く。
「私のこと、誰だかわかります?」
拍子抜けしながらも、風太は応える。
「空乃さん……ですよね?」
「はい……そうです」
遠いようで近い空乃との距離感に、風太はますます空乃を意識してしまう。
……ちょっと近いかも。
視線の置き場に、風太は迷う。
「私に何か用事があって、私の後をつけていたのですか?」
率直に疑問をぶつけられ、風太の混乱のゲージは頂点に達した。
「えっと、なんていうか……」
風太は足元がふらつき、書棚に身体をぶつけ、本を数冊落としてしまう。
……ああ、やらかしてしまった。
慌てて風太は床に落ちた本を拾い上げていく。落ちた本は自己啓発本のようなものばかりで、風太は何の興味も持てない。
「大丈夫ですか」
心配そうに空乃は声をかけ、床に落ちた本を拾う。流れるような空乃の髪からは、シャンプーの匂いが漂う。
「す、すみません。僕が本を落としたのに、拾ってもらってしまって」
「いいえ、大丈夫ですよ。それより……」
風太は息を飲む。
……ち、近いよ。顔が。
風太は視線を泳がせた。赤い金魚のように、頬を赤くさせていないか、風太は不安になる。
「敬語やめませんか?」
「えっ」
「同級生なので、タメ口でも私は良いと思うんです」
口をぽっかり風太は開けたままだった。
「……も、もちろんです。もちろん。その方向で行きましょう。ははは……」
自分が妙なテンションになっていることに気づきながらも、風太は体勢を元通りにすることができない。
そして再び、書棚に身体をぶつけてしまう。
「す、すみません。またぶつかってしまって」
「いえいえ」
「おい、そこの制服を着た二人っ」
風太と空乃は背後に腕組みをした若い書店員の男が立っていた。
書店員の男の名は、早見行人という名だった。
「ここは本屋だ。もう少し、静かにしてもらえないか」
「す、すみません」
行人に叱咤され、風太と空乃は頭を下げた。
「というか、二人は中学生か? 帰りにこんなところへ寄っていいと思っているのか」
「いえ、あの」
「私たちは高校生です」
さっと空乃はスクールバッグから生徒手帳を見せる。まるで警察官のような素振りだった。
「こうして注意してもらうのはありがたいですが、もう少し言葉遣いが丁寧だと、助かります」
「はあ?」
空乃の台詞に思わず、行人は大きく反応する。明らかに、行人は文句を言いたそうで、風太はまずいことになった、と感じる。
「生意気な口を叩くなら、もう少し静かに本屋にいることだな」
お客様は神様じゃないと言いたいのかな、と風太は思いながら、行人を見た。
行人は身長が高く、短髪であることから、書店は少し不似合いであるように、風太は思えた。
一方の空乃は、行人の大きな身体に慄くことなく、態度を改めるようだった。
「すみませんでした。これから、気をつけます」
不機嫌そうに、行人は二人の前から姿を消す。
行人の大きな背中を見ながら、他にもっと見合う仕事があるだろう、と今一度風太は言いたくなった。
「風太くん」
「ん? なんですか」
タメ口で話そうと思っていたのにもかかわらず、風太は敬語になってしまう。
「風太くんは、空港のことについて詳しい?」
「え、いや、あんまりかな」
「……でも、旅行へ行ったばかりなんですよね?」
どうして旅行へ行ったことを知っているんだ?
風太は驚きながら、空乃の顔を見た。
……うわあー、綺麗な顔をしているな。本当に。
改めて近くで空乃の顔を見つめ、風太はそう実感させられてしまう。それとともに、好きな人と話しているという喜びを風太は噛み締めている。
「風太くん?」
空乃が風太の顔を覗きこむ。
思わぬ上目遣いに、風太は我に返り、口を開く。
「あ、うん。そ、そうだよ」
「やっぱりそうだよね。たまたま教室で話しているところを聞いちゃって」
「あー、そうだったんだね」
……だよなあー。そうだよなー。僕みたいに、ストーカーまがいなことをするはずがない。
風太は空乃の人物像を正そうとする。
……ん? ストーカー?
自分の脳内に飛び交う文字に風太は疑問符を打つ。
もしかして、やっぱりだけど、僕のしていることは相当危ないのではないだろうか。
ますます風太は自分の行動に罪の意識を持つようになる。
いや、大丈夫だ。たまたま、暇だったし、ちょっと気になったから、空乃さんの後を追っただけだ。そう。僕は何も悪くない。
そう風太は自分に言い聞かせることにした。
「あのう、風太くん?」
再び、風太は自分の世界に入りこみすぎたことに気づく。
「いや、なんでもない。それがどうかしたの?」
「良ければなんだけど……」
「ん?」
もじもじし始める空乃を見て、風太はどうしたのだろう、と首を傾げることになる。
「良かったら、空港内を案内してほしいの」
「……案内?」
空乃は風太の問いかけに頷く。
「実を言うと、お父さんを待っていて」
「お父さん?」
「そう。まだ時間があるし、風太くんがいいのなら、って」
「僕が?」
「うん。風太くんが良ければ、なんだけど」
風太が問いかけるたびに、空乃は少し大げさに頷く。そんな空乃の仕草を風太は愛おしく思えてしまう。
「いいよ、もちろん。むしろ大歓迎」
目を輝かせ、風太は了承した。
「ありがとう。風太くんって優しい人なんだね」
「いやいや、そんなことないよ」
謙虚さを装いつつも、風太は内心そう言われて嬉しかった。
書店を出て、風太はこれからどうするべきか悩んでいた。いざ空港内を案内するとなると、風太はいろいろと考えてしまう。ある種、これは一つのデートプランのようでもあるから、念入りに計画を練らないといけない気がした。
「風太くん、大丈夫ですか?」
書店の前で立ち止まる風太を、空乃は心配そうに見ていた。
「だ、大丈夫だよ。とりあえず、あそこのベンチに座ろうか」
乱れた心を整えようと、風太は座る手段を取ることにした。
ベンチに座り、風太はスマートフォンで時刻を確認する。時刻は午後六時だった。空港内はなお一層、忙しくなる。
窓の外はすっかりと暗くなっており、風太は自分の目が疲れているように思える。
「……風太くん」
「ん? どうかした?」
「……風太くんに言わなければならないことがあります」
妙にかしこまる空乃に風太はどきっとさせられる。
……言わなければ、ならないこと? もしかして、これって、告白じゃ……。
瞬きをし、風太は息を飲む。
「実を言うと、お父さんに頼みごとをされているの」
そう空乃に言われ、風太は拍子抜けした。
……だよな。やっぱり告白なんかじゃないよな。
期待度を上げてしまった自分を風太は罵りたくなった。
「その頼み事が七つあるの」
「七つも?」
別の期待度を風太は上げさせられることになる。
「それって一体何なの?」
「……話せば、長くなるんだけど」
空乃が口籠っていると、見たことのある人物が目の前を横切る。
「あっ」
目の前を横切った行人に、空乃は大きく反応する。
「ん?」
反応された行人もまた、風太と空乃に向かってレスポンスをする。行人は先ほどつけていた緑のエプロンを外し、私服でペットボトルのジュースを片手に、気の抜けた表情をしていた。
「あのう、すみません」
「なんですか?」
声をかける空乃に、行人は面倒くさそうに接する。
「ちょっと、頼みたいことがあるんです」
「はあ?」
まあ、そういう反応をしてしまうよなあ、と風太は行人を見て思ってしまう。
……もしかして、空乃さんはこう見えて意外と失礼なひ……。
風太のことなどお構いなしに、空乃は行人に向かって言う。
「私にはお父さんがいて……その」
だが、どこか不器用な空乃を見て、再び風太は空乃への想いを馳せてしまう。
「なんかよくわからないけど、はっきりしてくれないか」
腕組みをしながら、ぶっきらぼうに行人は言う。
も、もしかしてここにいる僕ら三人は、不器用な人間なんじゃ……。
風太がそんなことを思っていると、ようやく空乃はメモ帳をスクールバッグから出し、行人に手渡す。
「ふーん、なるほど」
意外と物分かりの良い行人を見て、風太は驚く。
「よし、ついてこい」
メモ帳の内容がわからないまま、風太は空乃とともに、行人についていくことにした。