最終章 3 急展開
美奈子に返事ができないまま、風太は翌日の放課後を迎えた。
……はあ、眠い。
今日の授業中、風太はあくびばかりしていた。昨日悩み事が急に増え、眠れなかったのだ。
尚且つ、美奈子の態度はいつもと違っていた。美奈子は風太に目線を合わそうともしない。それだけでなく、話そうともしない。
教室では、友郎が、頑張れよ、と事情を知っているかのように、風太の両肩を叩いた。
いつもと様子が違うのは、美奈子だけではなかった。
……空乃さん。
空乃の帰ろうとする姿を見つめながら、心の中で風太は空乃の名を呼ぶ。
僕はもうどうしたらいいんだろう。
もがき苦しむことに限界を感じた風太は、自分のやりたいことをすることにした。
よし、空乃さんを追いかけよう。
風太はそう決めた。
空乃はいつも通りのルートを辿っていた。それがまるで自分の人生の道である、と表象するかのように。
……やっぱり空港へ行くのか。
風太が追いかける空乃が向かった先は、やはり空港だった。
……おい、あいつもここに来たのか。
空港には、修夢の姿もあるのだった。
「あれ、風太。今日もここにいるのか」
柴田と一緒に歩く行人が風太に話しかける。
行人は風太が視線を注いだ先を見て、風太の心情を察した。
「はーん、なるほどな」
風太の腕を行人は掴んだ。
「今から、腹ごしらえしようぜ」
風太は行人や柴田とともに、空港内のレストランへ行くことになった。
「で、私たちに話したいことがあるんでしょう」
「ま、まあ」
テーブル席に座り、メニューを三人は手に取る。
「といっても、大したことではないんですけどね」
「そんなことはないだろう」
「そうよ。恋愛は大事よ」
行人や柴田は変に大人ぶっていた。
「じゃあ、先輩方に何かごちそうしてもらおうかな」
「おい、そういう時だけ先輩言うな」
風太は行人にツッコミを入れられる。
「でもまあ、真面目な話をすると、私たちは風太のおかげで、自分自身とちゃんと向き合うことが出来たの」
「え?」
本当に真面目な話を二人にぶつけられ、風太はメニューをめくる手を止める。
「そうだぞ。なんか恥ずかしいけど、お前に助けてもらって、なんやかんやで感謝している。もっと頑張らなきゃな、って思えるようになった」
……そ、そうだったのか。
改めてそう言われ、風太もまた照れくさくなってしまう。
「おい、なんか言えよ」
行人に風太は肩を小突かれる。
「いや、なんというか言葉が出なくて」
「あ?」
「二人に頼りにしてもらえて嬉しいんですよ」
泣くつもりは全くなかったのに、風太は涙が出そうになる。
「なんというか、僕がこうして誰かを助けようと思えたのは、空乃さんのおかげなんですよ。行人さんや柴田さんに出会えたのも、空乃さんのおかげで。空や飛行機、空港をもっと好きになれたのも、空乃さんのおかげなんです。だから……」
息を飲み、風太は言った。
「だから、僕は空乃さんが好きです。可愛いけど、それ以上にいろんなことがあったうえで、空乃さんのことが好きなんですよ」
……やばい、僕。なんかいろんな意味で凄いことを言ってしまった。
風太は両手で口を押えた。
行人と柴田は口を閉ざしたままだった。
「あ、ごめんなさい。今のはやっぱり忘れ……」
「お前、いいやつだな。その意気だ」
いきなり風太は行人に手を握りしめられた。
「よし、今日は特別だ。奢ってやる」
「私も、デザートとか奢ってあげるわ」
「え、え、え、え、いいんですか? 本当に」
ものすごい勢いで、行人や柴田に言われ、風太は気持ちよさそうに、メニューを眺め始める。
「今日はたくさん食べたいものを食べて、ちゃんとあいつに気持ちを伝えるんだ」
えええ……。今日、告白する前提になっている。
風太は言いたいことを言い切ってしまったこともあり、どうすることもできなかった。
「そ、そうですね。もうこうなったら、空乃さんと付き合って、空乃さんを飛行機に乗せてやります」
自分で自分の胸を苦しめるように、風太はハードルを上げていく。
「そうよ、その意気。当たって砕けるの」
……え、柴田さん。それは一体、どういう意味なんだろう。
スマートフォンを取り出し、空乃に連絡しようか、風太は迷っていた。
……あれ、飛行機のキーホルダーがない。
風太はスマートフォンに付けていたキーホルダーがないことに気づく。
「ん? どうかしたのか?」
行人は風太の異変に気づく。
「な……な……ないんです」
「……ない? 何がないんだよ」
「ぼ、僕の飛行機のキーホルダーがないんです」
風太があまりにも慌てているということもあり、二人はことの重要さに気づく。
「キーホルダーって、確か風太がスマホにつけていた……?」
「そ、そうです。あれ、親からプレゼントで貰ったやつで、しかも一点限りの……限定ものなんですよ」
行人は手を合わせる。
「よし、食べ終わったら、探すぞ」
「うん、そうよ。たくさん食べて、キーホルダー探す。そして、空乃さんに、今日告白する。そうしましょう」
目まぐるしい一日だな、と風太は焦りながら感じるのだった。
「……あれ?」
店内で偶然にも、風太は空乃と修夢に遭遇してしまう。
「あ、え、えっと」
風太は空乃から目を逸らし、何を言えばいいのかわからなくなる。
「ねえ、二人とも、風太のキーホルダー、落ちているの見かけていない?」
柴田が空乃や修夢に問いかける。
「……見かけてないですよ」
空乃は首を横に振った。
胸の鼓動を必死に抑えようとしながら、風太は空乃と修夢に尋ねた。
「二人は……その……今日はその……何をしている……の?」
「えっと、私たちは……」
空乃の指先が震える。
……も、もしかして。やっぱり二人は付き合い始め、デートをしている、ということなのか。ち、ちくしょう。
風太の胸の中には緊張感と嫉妬心が渦巻いていた。
お客様センターへ、風太たちは向かうことにした。
「こんな感じの飛行機のキーホルダー、落とし物にありませんでしたか?」
確認してみますね、と業務員に言われ、センターの中にあるソファーへ風太たちは腰をかける。
「あの、調子だとないかもしれないね」
「そうだな。落としたばかりなら、まだ見つけられてないし、それか……」
風太たちは最悪なケースを予想した。
「すみません、お客様」
「は、はい」
「今の時点では、お客様のキーホルダーはこちらに、お預かりしておりませんでした」
「そ、そうですか」
「お力になれず、本当にすみませんでした」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
お客様センターを出て、柴田は風太に言った。
「ちょっと、同じ仕事の場の人に出来る限り協力してもらうわ。また、何かあったら、言って」
「わ、わかりました」
一度、風太は柴田と別れた。
「あのう、すみません」
見覚えのない青年が風太に話しかけてくる。
「ん? なんですか」
私服を着た青年に、風太は問いかける。
「僕、飛行機のキーホルダーを、持っている人を見ました」
片言で話す青年の言葉に、風太は驚きを隠せない。
「え? それって、ほんとう……本当ですか?」
風太に問い詰められ、青年は頷く。
「女の子がキーホルダーを持って、空港の中で歩いていました」
続けて青年は言う。
「ピンク色のワンピースを着ていました。偶然空港内の雑貨屋にいる時、見てしまった」
落ち着いた様子で、青年は事情を話す。
そんな姿を見て、風太は今の自分に足りないのは、冷静さであることに気づく。
……僕がしっかりしないでどうするんだ。
「もう少し詳しく話してくれないか」
風太の隣にいた行人が、青年に問いかける。
「小学生ぐらいの子で、両親らしき大人と一緒でした。確かハワイに行く、とか言ってましたよ」
「ハワイ、か。だとすると、国際線のある第二ターミナルのほうに行っているはずだな」
腕を組み、行人は推測する。
「確か、夜に出発する便だと言ってました。まだ間に合うはずです」
行人たちが走って、第二ターミナルへ向かう中、風太は青年と第一ターミナルへ残ることにした。
「悪いね、協力してもらうことになって」
「……大丈夫です」
風太は青年とともに、空港内を探索し始める。
「……君。名前はなんて言うんだ?」
歩きながら、風太は青年とコミュニケーションを取る。
「それが……わからないんです」
「え?」
思わず風太は立ち止まってしまう。
「えっと、それは一体どういう……」
「とにかく、自分が誰なのかわからないんですよ」
瞬きをし、風太は青年に問いかける。
「待って。それは冗談? それとも、本気で言っているのかな?」
「……本気です」
青年は風太に近づき、言った。
「キーホルダーを探す代わりに、頼みたいことがあるんです」
「……頼みたいこと?」
風太は息を飲む。
「空港へたどり着くまでは、記憶があったはずなんです。だけど、それから記憶がなくなったんだと思います。記憶がなかったら、ここまで来れなかったと思うんで。だから、僕が誰なのか一緒に探ってほしいんです」
じっと青年を見つめ、風太はあれこれ考え始める。
「じゃあ、とりあえず鞄の中を見せて」
……パスポートか携帯があれば、何かわかるはず。
そう考えた風太は青年の鞄の中を拝見した。
「……ないね」
どうやら、青年の鞄には少年の身元がわかるものがなかった。
……これではどうすることもできない。
そう感じた風太は、空港内にいる従業員に相談しようか悩み始める。
「あのさ、ここにいる従業員の人に、このことを話してもいい?」
「だめ」
風太が問いかけた瞬間、大きく青年は首を横に振った。
「……ど、どうして?」
「ダメなものはダメだから。何か従業員の人に話しかけちゃダメなことだけ、僕覚えているんだ」
……困ったなあ。
青年以上に、風太は困惑してしまう。ただでさえ、自分に悩みが降りかかっているのに、さらに誰かの存在に乗るのは、風太にとってキャパオーバーだった。
「とりあえず歩きながら、話そう。話せば、何か思い出すかもしれないし」
「そうだね」
風太は青年に言い聞かせ、再びキーホルダーを持つ少女を探すことにした。
「ねえ、君」
「ん? なに?」
「君は空港が好き?」
青年は俯き、答えに悩み始める。
「……好きだよ」
「飛行機に乗りたい?」
「……乗りたいよ。一回も乗ったことがないから」
……一回も乗ったことがない。
風太はその言葉に引っかかる。
一回も乗ったことがない、ということがないということは、飛行機で空港まで来たわけではないということになる。そして、鞄の中にパスポートもない。
風太は稚拙ながらに、推理を始めた。
「一ついいですか?」
「なんだ?」
改まるように、青年は風太に問いかける。
「僕、あの少女と前にも会ったことがある気がするんです」
「僕のキーホルダーを盗んだ人ですか?」
「……いえ、あなたの友達に、です」
……友達。
ふと風太は空乃の姿を頭の中に浮かべる。
「空乃さんのこと?」
「たぶん、そうです。名前はよく知りませんが……」
しばらく二人の間に、沈黙が流れる。
「その空乃さんっていう人、どういう人……なんですか?」
「……ど、どういう人って……」
風太はどう応えればいいのかわからなくなる。
「逆に聞いてもいいですか?」
「なんですか」
「本当に、記憶がないんですか?」
青年は少し口を閉ざす。
「さっき言った通り、僕は……」
「僕はそんな風には思えないんですよね」
「根拠はありますか」
「ないですけど、勘です。あと一つ言えるのは、空乃さんがとても素晴らしい人間だということです」
根拠のない自信を風太は青年に告げた。
「……素晴らしい人間」
「飛行機事故に遭い、飛行機に乗ることを恐れていたけど、それでも空を飛ぶこと……を諦めようとしない、そんな空乃さんが好きなんです」
「……白状してもいいですか」
「どうぞ」
一息つき、風太は青年に耳を傾けた。
「僕、実を言うと、その空乃さんと一緒の飛行機に乗っていたんです」
「え?」
「事故に遭った、あの飛行機に……乗っていたんですよ」
「そ、そんな……」
「それともう一つ白状します。僕は記憶なんか失っていません。湊、という名前で、君たちと同じ高校生だ。もしかしたら、空乃さんも覚えているかも」
しばらく風太はかける言葉が見つからなかった。
「そうだったのか」
じゃあ、と続けて風太は湊に問いかけた。
「初めから、空乃さんに近づくつもりで、こんな嘘を?」
「そうだけど……でも、キーホルダーのことについては、嘘じゃない。本当に僕は見たんだ」
「そっか。ならいいけど……」
「もしかしたら、今でも空乃さんは罪の意識を感じているのかもしれない」
「……罪の意識?」
ひとまず、二人は空港内のベンチに座る。
「どういうことなのか、ちゃんと話してほしい」
「事故が起きる直前の機内で、僕と空乃さんは初めて出会ったんだ」
空港内を行き交う人々が忙しい中、湊はそれに惑わされず、淡々と過去を振り返っていく。
「機内が突然大きく揺れ動いた時、僕は身の危険を感じたんだ」
湊は、風太にミント味のガムを渡す。
風太は軽く礼を言い、ガムを口の中に入れる。
「空乃さんは、自分の席から離れた場所にいて、何か困ったような表情で座りこんでいたんだ」
ガムとともに、湊の話を噛み締めていく。
「当時の僕は何か悪い予感がして、すぐに空乃さんに話しかけたんだ」
言葉を重ねれば重ねるほど、湊の表情は深刻になっていく。
「ねえ、大丈夫、って。そしたら、空乃さんは、親と口喧嘩して、なかなか自分の席に戻れない、って言っていたんだ」
でも、と続けて湊は言う。
「すぐに僕は戻ったほうがいいよ、と空乃さんに言ったんだ。だって、機内はなんだか様子を疑うぐらい激しく揺れ動いていたから」
「それで、二人は無事だったの」
「そりゃまあ、今ここにいるんだし、自分の命は守ることができた。でも……」
歯切れの悪い言い方で、湊は風太に告げた。
「空乃さんは心に大きな傷を覆った」
口の中にきついミントの匂いが広がるのを、風太は感じる。風太の前を通り過ぎる少年は、ファーストフードのポテトを食べていた。
「目の前で僕が怪我をしてしまったんだ。客席の上のスペースに入れていたキャリーバックが機内が揺れ動いたせいで落ちて……それで、キャリーバックが僕の頭の上に落ちて……」
湊は自分の頭の傷を、風太に見せていた。湊の傷口は浅くなっているものの、過去に対する心の痛みは消え去っていないように風太は思えた。
「そんなことが……辛かったね」
「たぶん、僕以上に、そんな姿を見た空乃さんは辛かったと思う。空乃さんは、もし自分が早く席に戻っていれば、僕が傷を負わずに済んだ、と」
「……そうだったのか」
俺は、と風太は自分なりの答えを出すことにした。
「どっちも悪いし、どっちも悪くないと思う」
「ど、どういうことなんだ?」
「なんていうか、これは二人に限ったことじゃないと思うんだよ。みんな人それぞれ、悪いこともしているし、悪くないことだってしている。みんなそうだから、二人とも、自分のことを責める必要はないんじゃないんかな」
風太は紙にガムを捨てた。
「ごめん、もらったのは嬉しいけど、やっぱりダメなんだ。ミントは苦手だ」
立ち上がり、風太は湊に手を差し出した。
「良ければ、協力して」
三十分後、風太たちは第二ターミナルへ向かった。
「あ」
青年は遠くにいた少女を指さした。
ちょうど風太は空乃たちと合流し、飛行機のキーホルダーを持っているらしい少女に近づく。
「そこの君」
風太たちに話しかけられていることに、少女は気づく。
「……ごめんね。これは、ここにいるお兄ちゃんのキーホルダーなの。だから、返してほしいの」
「嫌だ。これは私のものだもん」
空乃が説得するものの、飛行機のキーホルダーを持つ少女は、風太に返そうとしない。内心、それを見た行人はイライラしているようだった。その隣にいる修夢は何か疑うような目で、少女の持つ飛行機のキーホルダーを見ていた。
「……違う」
「え?」
修夢のつぶやきに、風太は疑問符を打つ。
「これは、井坂のキーホルダーじゃない」
ええっ、と風太は驚いてしまう。どう見ても、風太は自分が持っていた飛行機のキーホルダーのように思えた。
「なぜなら、それにはサインがない。本物なら、キーホルダーの裏面にサインがあるはずだ」
空港の創業者のサインが、本来ならばキーホルダーの裏面にあるはずだった。が、少女の持つ飛行機のキーホルダーには、サインがなかった。
「じゃあ、つまり……」
「それは偽物って、ことだ」
「偽物じゃないもん。これ、お父さんから貰ったものだもん」
「じゃあ、いつ貰ったんだ?」
行人が少女の目線に合わせるようにしゃがみ、少女に問いかける。
「半年前の誕生日の日だよ」
少女は小さな斜めがけのピンク色の鞄から、一枚の写真を取り出す。写真には、飛行機のキーホルダーと一緒に写る少女がいた。少女だけでなく、少女の母親と父親、バースデーケーキも写真には写っていた。
「おい、美紗。飛行機に乗り遅れちゃうぞ」
少女――美紗の父親が遠目から、呼びかける。
風太たちのことを、少女は睨んだ。
「疑って、ごめんね。お父さんのところへ行って」
風太がそう言うと、少女は父親の方へ行ってしまった。
……偽物だったか。
飛行機のキーホルダーは偽物だったものの、互いにキーホルダーを手に入れる経緯や背景が同じだったため、風太はこの出来事を忘れられなくなりそうになった。
「……見つからないね、キーホルダー」
「……そうだね」
風太の気持ちは真っ暗だったものの、どこか諦めがついていた。
「とりあえず、今日のところは諦めるよ。また、明日空港へ行けばいいし」