第一章 2 空杉海高校にて
授業中、ボールペンをカチカチ鳴らし、教室の窓に映る空を見上げるのが僕の日課だ。
教室の窓に座り、風太はそう考える。
風太の通う空杉海高校からそう遠くはない距離に、空港がある。風太は心のどこか空で働く仕事に憧れがあった。
空港から旅立ち、飛行機で空を飛び眺める景色。
風太はあの掴めるはずもない雲を掴んでみたかった。そんなことを口にしたら、間違いなく変人呼ばわりされるし、距離を置かれることは百も承知だった。それでも夢を捨てきれなかった。
そして、もう一つ僕には日課がある。
風太は右斜め前の席に座る制服姿の女子――小港空乃を見つめていた。
凛とした佇まいに、風になびく長い髪。それでいてどこか、隙があり、独特の世界観を築き上げているように思える空乃に、風太は気づけば釘つけになっていた。
どうしてもっと早く魅力に気づいていなかったんだろう。
じっとシャーペンを握り、先生の話を聞く空乃を見ながら、風太は自分に説教をしたくなる。
僕はバカだ。
何かと自分が良いと思えるものを発見することが遅すぎる、と風太はこの頃思わされる。それはもちろん、異性だけでなく、気の合いそうな友達やアニメやドラマ、映画に値する。
友達にもお前は鈍感だ、と風太はよく指摘されている。
「……風太」
背中をシャーペンで風太は突かれる。風太の後ろの席には、当然ながら同級生である樹崎美奈子がいた。
「……なに?」
授業中ということもあり、風太は小声で美奈子に接する。
美奈子は、空乃とは対岸にいる存在だと風太は思っている。髪形も長い空乃とは真逆で、ショートであり、無口な空乃に比べると、美奈子は少しうるさい。
「パンツ見えているよ」
美奈子に指摘され、慌てて風太はワイシャツを制服のズボンの中に入れる。これもまた、ある種、僕の日課なのかもしれない、と風太は思わされる。
なんで、美奈子は男女ともに誰とも違和感なく話せるのだろう。下品とは思わないけど、男子にはパンツが見えているとか言うし、女子高なんかじゃないのに、女子と胸を揉みあっているし。
……いけない、いけない。
授業中なのに、変なことばかり考えてしまった、と風太は後悔する。こんな後悔ばかり積み重ねるのは、すべてこの退屈な授業のせいだ、と言いたくなる。
高校に入り、二ヶ月が経ち、六月を迎えたこともあり、高校生活に新鮮味がなくなったな、と風太は思わされる。
外が雨降っていないだけマシか、と風太はとりあえずポジティブに考えることにした。
「あ」
二人の声が重なり合う。
空乃の机から空乃の小さな消しゴムが、風太の足元に落ちる。
……チャ、チャンス。
どぎまぎしながら、風太は空乃に消しゴムを手渡す。
「……ありがとう」
チャンスかも、と思ってしまう自分は下衆なのだろうか。
長い髪のかかった空乃の背中を見つめ、自問自答を繰り返し、自己嫌悪に風太は苛まされる。
「あー、疲れたあー……」
夜空を見上げながら、高校の体育館の前に立ち、美奈子はふてくされたように呟く。
「おまえ、女子なのにすげえよな。力強すぎ」
「はあ? そっちがぼうっとしているから、わたしに一本取られるんでしょ」
静まりつつある校舎の体育館の前で、剣道部である美奈子と庄野友郎は痴話喧嘩を始めていた。その二人の横にいる風太もまた、剣道部だった。毎回、誰かに紹介する時は、剣道部だけど、弱いです、と風太は謙遜している。
「もう、喉乾いちゃったあー」
わざとらしく自動販売機と風太を交互に美奈子は見つめる。
……ま、またか。
体育館の前に自動販売機があるのは、楽でもあり罪深くもあるな、と風太は思わされる。なぜなら……。
「風太、お願い。ジュース奢って」
なぜなら、こうしてジュースを奢らせようとする人間を発生させてしまうからである、と風太は思う。
「おい、また風太にジュースを奢らせるのかよー」
「またじゃないしー。たまに、だしー」
友郎に指摘され、美奈子は口を尖らせる。
仕方ないな、と思いながら、風太は自動販売機に小銭を入れ、オレンジジュースのボタンを押す。
「わー、風太優しいー。ありがと」
嬉しそうに美奈子は風太からオレンジジュースのペットボトルを受け取る。
「本当だよ、まったく。優しいんだな、風太」
友郎は美奈子に呆れた顔をした。
こんな情景もまた、風太の毎日を彩る要素の一つだった。
「あ、見て。飛行機飛んでるよ」
「あー、本当だな」
はしゃぐ美奈子に対し、棒読みで友郎は返事をした。
その一方、風太は昼間だったら飛行機雲が見えるのにな、とどうでもいいことを考えているのだった。
「飛行機に乗って、バカンスしに行きたいー」
「勝手に行ってこい」
「どうして、友郎はそんなに冷たいの。風太みたいに、わたしに優しくしようとは思わないの?」
「思わねえ。風太は特別優しいんだから、ありがたいと思え」
「明日、覚悟してなさいっ」
今にも美奈子は竹刀を振り回しそうな形相をしていた。
きっと世界のどこかで起きている争いよりも、それは細やかなものだ、と風太は思った。