最終章 2 先を越された
翌週、風太は普段通り、高校へ向かっていた。
「……おはよう」
学校へ向かう途中、風太は美奈子に話しかけられる。
「お、おはよう」
「な、なんか疲れた顔しているけど、大丈夫?」
美奈子に問い詰められ、無理やり風太は笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ、僕は」
二人は肩を並べ、ゆっくりと歩き始める。
「先週は……いろいろあったね」
美奈子に指摘され、風太は我に返る。
そういえば、美奈子と空港にいたのは、何気初めてだったな。
とりとめがなく、あまり振り返りたくないことを風太は思い出す。
それは、芽衣の失恋、だった。
いくら他人とはいえ、風太はいろいろと思わされることがあるのだった。
……僕ももし、空乃さんに告白したら、あっさりとフラれてしまうんだろうな。
あまり深く考えるな、と自分自身に警告すればするほど、風太は悩ましい気持ちにさせられてしまう。
「いろいろあったけど、私は楽しかったよ」
「え?」
複雑そうに笑みを浮かべる美奈子を見て、風太は首を傾げた。
「あの子がフラれて楽しいとか言うのはおかしいけど、私は風太たちと空港で過ごせてよかった。やっぱり、いろいろあるほうが毎日、楽しいし」
悔しいけど、僕も同じだった。空港にいて、そしてそこに空乃さんがいて、他人からすれば振り回され、傷つけられることばかりなのに、僕はそんな日々が愛おしい。もしも、そんな日々がなくなってしまうのかと思うと、僕は辛くて耐え切れないだろう。
風太は美奈子に同情した。
「風太さ、放課後空いている?」
不意に美奈子からそのようなことを聞かれ、風太は頷いてしまう。
「ちょっと話があるんだ。だから、今日は空港へ行かずに、部活へ来て」
「あ、当たり前だよ。僕、部活がある日には、空港へ行かないし」
何も事情を聞かされぬまま、風太は空杉海高校の校門を通った。
放課後、部活へ向かおうとした時、偶然にも風太は空乃と修夢が一緒に教室を出ていくのを見た。
……あの二人一緒に歩いているけど、まさか空港へ行くんじゃないだろうな。
そう思った瞬間、風太は気が気じゃなくなる。
……どうしよう。部活なんかサボって二人を追いかけようか迷う。あの二人をイイ感じにしたくはないし。かといって、部活はサボるわけにはいかないし、美奈子との約束もあるだろうし……。
あれこれ迷いながらも、風太は二人の事を追いかけていた。そして、二人の向かうルートがいつもと違うことに風太は気づかされる。
……なぜ、昇降口ではなく、屋上へ向かっているんだ。
空乃と修夢は校舎の階段を駆け上がり、屋上へ侵入していた。
……まさか良からぬことを考えているのではないだろうか。まさか二人がそんな……。
良からぬ想像にかき立てられながら、風太もまたひっそりと屋上へ駆けあがる。
「……話ってなんでしょうか」
物陰に隠れ、風太は二人のやりとりを監視する。
「実を言うと、俺、ずっと言いたかったことがあるんだ」
しばらく二人の間には沈黙が流れていた。屋上を覆う空は夕焼けに染まっており、まさしく二人の舞台を彩ろうとしている。
「……空が綺麗ですね」
なかなか言葉を発しない修夢に向かって、空乃はそのようなことをつぶやく。
……まったく、じれったいな。里中の野郎、何を考えているんだ。まさか、本気で空乃さんに告白するんじゃないよな。そんなことをしたら、どんな天罰が待っているのかわかっているのか。空から雷が……。
心の中であれこれ、風太は思いを書き殴った。
「空乃さんは綺麗……だと思う」
修夢が突拍子もないことを口にし、風太は身を乗り出しそうになる。空乃は口を閉ざしたまま、首を横に傾けた。
「なんていうか、僕は綺麗な空を見上げている空乃さんが好きなんです」
……こ、こいつ。
拳を強く風太握りしめる。
空乃は困惑し、空をただ見上げているようだった。
「……空乃さん」
修夢は空乃の名を呼ぶ。
空乃は空から修夢へ視線を移す。
「俺は空乃さんのことが好きです。今すぐに、とは言わないので、返事をください」
修夢の告白を聞いた瞬間、風太は虚無感に襲われるように、階段を駆け下りた。
「じゃあな、風太」
友郎が剣道部の更衣室で、風太に別れを告げる。
「え、ちょっと」
「ん? なんだ」
普段と違う光景に違和感を覚えた風太は、友郎を引き止める。
「一緒に帰らないのかよ」
「あー、今日ちょっと急がないといけない用事があってさ、ごめん。また違う日、一緒に帰ろうぜ」
「そ、そうか」
……やはり友郎の様子がいつもと違う。
風太は着替えながら、そう感じるのだった。
ゆっくりと部活の更衣室を出て、風太は体育館の前にある自動販売機で、ジュースを買う。
……そういえば、美奈子どこにいったんだろう。
美奈子の姿が見当たらず、風太はスマートフォンで美奈子と連絡を取ることにした。だが、美奈子はメールにも電話にも応答しない。
……何かあったのかな。
風太は少し不安になる。
「わあっ」
「わっわっ……」
美奈子に後ろから驚かされ、風太は思わず声を上げてしまう。
「びっくりしたあ」
「びっくりしたでしょ」
「見当たらないし、連絡もこないから心配したよ」
「ごめん、ごめん、ちょっと剣道部の竹刀が一本足りなくて探していて、遅くなった」
「へえー、大丈夫なの」
「もう、大丈夫。心配はいらないよ」
美奈子はどこまでも無邪気だった。
「話……ってなに?」
風太は率直に美奈子に尋ねる。
「ちょっと待って。とりあえず歩かない?」
いいけど、と小さく風太はつぶやく。つぶやくとともに、美奈子の様子がおかしいことに、風太は気づかされる。
……今日の二人はやっぱり様子が変だ。何か、あったのかな。もしかして、僕が何かしたのかな。
風太は二人の様子を疑い、不安を募らせる。
……もしかして、空乃さんが里中に告白されたことと何か関係あるのだろうか。もしかして、ある種、失恋してしまった僕のために、気を遣っているのだろうか。
様々な憶測を風太は立てていく。
「えいっ」
「痛いっ」
考え事をしている風太のおでこを美奈子はデコピンする。
「いててっ……」
「あれ? そんなに痛かった? ごめん」
……どうやら、僕に気遣いをする、という概念が美奈子にはないらしい。
風太は改めてそう感じさせられるのだった。
「ねえ、風太」
改まるように、美奈子は風太に聞いた。
「風太には、本当に好きな人がいないの?」
「……いないよ」
「じゃあ、空乃さんのことは好きじゃないの?」
「……僕は」
……僕は、空乃さんのことが好きだ。空乃さんが好きだ。好きだ。好きだ。
心の中で、何度も風太は好きの言葉を繰り返した。
……だけど。
好きだと思えば思うほど、風太の胸の奥から、ネガティブな気持ちがこみ上げていく。
……空乃さんは違う男に告白されてしまった。空乃さんは里中に告白されてしまい、僕が空乃さんの隣にいる資格を失ってしまった。だからもう、どうすることもできない。
今の自分に言えることを、風太は美奈子に言った。
「僕は空乃さんのことは好きじゃないよ」
そっか、と美奈子は風太以上に小さく寂しそうにつぶやいた。
「じゃあ、言ってもいいのかな」
「ん? なに」
立ち止まり、美奈子は風太に告げた。
「私ね、風太が好き」
そう言われた瞬間、風太の中にある時間が止まる。
「ええええっ」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない」
ものすごく驚く風太に、美奈子は小さくつぶやく。
「だ……だって」
「だって、なによ」
美奈子は唇を尖らせる。
「今まで、そんな風に思われているなんて考えたこともなかったから」
「なによ、それ。風太が鈍すぎるんじゃない」
腕を組み、美奈子はそっぽを向く。
「……で、答えはどうなの」
「答えって……言われても」
風太は夜空を見上げ、困惑してしまう。夜空に星はどこにもなく。どことなく薄暗い。
「もう、わかった」
困惑する風太を見て、美奈子は手を合わせる。
「今すぐに返事をしなくていいよ」
でも、と続けて美奈子は言う。
「必ず返事はちょうだい。絶対に。遅くてもいいから」
わかったよ、と小さく風太は呟いた。