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あの空に飛んでほしかったんだ  作者: 飛翠
第四章 恋する
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第四章 3 恋人

 翌日、空港内のレストランに入り浸りながら、柴田についての話を進めることにした。平日の夕方であるものの、空港内は変わらず人々が行き交い、忙しい。

 聞く話によると、柴田の恋人の名は、川野だった。柴田と同じ職場で見習いのパイロットをやっている。

 風太は情報を飲み込みながら、食事のテーブルに置かれるオレンジジュースを飲む。

「いやしかし、同じ職場にいる奴と恋愛とか。手近なところで済ませるなんて、さすがだな」

「ちょっと、行人さん」

 行人は息を吐くように、嫌味を言った。

「だって、そうだろ。社会人なんて、高校生に比べたら出会いなんて、いろいろあるだろ」

「そうですかね。働いている場所がコロコロ変わるわけじゃないんですし、高校生と大差ないんじゃないですか」

「今はマッチングアプリとか婚活とか合コンとか色々あるだろう。それに比べたら、高校生なんて色々制限があるし、出会いも限られてくるだろう」

「そうは言っても、バイトをすれば少なからず出会いはあるんじゃないですか。店員同士とかお客さん同士とか」

「風太。お前はそんなに俺の言っていることを全否定したいのか」

「そうじゃないですよ」

 というか、と風太は続けて行人に向かって言った。

「どうして社会人と高校生を比べるんですか。今は社会人である柴田さんの恋愛話をしているんですよ」

「そりゃ、だってな」

 行人は風太や空乃、修夢のほうをちらほらと見る。

「僕の事については、今はいいんですよ」

「別に俺は何も言ってないぞ」

 やられた、と風太は思った。

 行人は風太から目を逸らし、レストランの窓から空港内の様子を眺めているようだった。

「柴田さんのこと、どうすればいいんですかね」

「どうするもこうするも、まずは奴に接触してみるしかない」

「奴、とは?」

 行人は鼻を鳴らした。

「決まっているだろう。柴田の恋人である川野と話をするんだよ」

 柴田さんの恋人と?

 パイロットの人と?

 思わず風太は驚いてしまった。見習いとはいえ、パイロットと話をするなんて、そうそうないことである。あまりにも、現実味がないのだ。

「は、は、話ってパ、パ、パイロットの人とですか」

「そうだよ。川野ってやつは見習いのパイロットなんだぞ」

 平然と応える行人に、風太は呆れてしまいそうになる。パイロットをなんだと思っているのだ、と。

「それはわかっていますけど、見習いのパイロットと話をするなんて、そんな大きなこと……」

「もしかして、パイロットを天空の存在か何かだと思っているのか」

 思っています、と風太は正直に答えた。自分たちが歩いている場所なんかよりも、何倍も広い空を何百人も空に飛ばすなんて、凄いことだ。それがたった一回というわけでもなく、何百回何千回もあるのだから、ある意味雲を越えて宇宙にいるような存在だ。

「だって、パイロットって憧れますし、天にいるような感じがします」

「残念だったな。俺たちと同じように大地を踏みしめ、歩いているぞ」

 行人は窓に映るパイロットたちを指さす。

 風太は思わず行人の指を手で覆いたくなった。

「指さしたら、気づかれますよ」

「気づかねえよ。近いようで、遠い」

「何意味ありげなことを言っているんですか」

 風太の一言により、その場が沈黙に包まれる。こんな時くらい、赤ちゃんの鳴き声の一つか二つくらい聞こえてくればいいのに、と風太は思ってしまった。

 自分が悪い、と感じ、風太は話を切り出した。

「説得、なんてできるんですかね。子どもなんかの僕たちに」

 行人は眉を顰めた。今にも咳ばらいをして、詰め寄ってきそうだ、と風太は慄きそうになる。

「何を言っているんだ?」

「だって、必死に難しい試験に合格した人が、僕らみたいなひよっこなんかの話なんか……」

 行人は咳払いではなく、ため息をついた。

「おいおい、難しい試験をクリアした奴が、人間じゃない、みたいなことを言いたいのか。それだったら、違うと言っておくぞ。みんなやっていることは違っていても、一人の人間なんだぞ。一人の人間だからこそ、他人からしてみれば、なんというか……ちっぽけかもしれない恋愛とかに、躓くんだろ」

「ゆ、行人さん……」

 ……珍しく、良いことを言っている。

 風太は行人に対し、拍手喝采を上げたくなった。

「躓いた結果、柴田を悩ましている。そうだろう?」

「そうかもしれないですね」

 二週間後、空港の入口で風太たちは見習いパイロット――川野を待ち伏せしていた。

「あ、いた」

 川野は疲れた顔で、群青空港の入口へ歩み寄ろうとしていた。

「あのう、すみません」

 風太が声をかけると、川野は首を傾げた。

「ちょっと話があるんですが、今大丈夫ですか」

「はあ」

 川野は困惑しているようだった。

 困惑するのも、無理はない。初対面でこんな時間に話しかけられたら、誰しもそうなる、と風太は思った。

「実を言うと、グランドスタッフの柴田さんのことについて、話したいことがしたいのですが……」

「え?」

 川野は拍子抜けした顔をした。

「柴田さんが、あなたが別の女の人と浮気をしているところを見て、ガッカリしているんです」

「う、浮気?」

 それを聞いて、川野はとても驚いているようだった。

「浮気しましたよね?」

 風太が深く追求した。

「し、してない。するわけがないっ……」

 大きい声を川野は張り上げる。

 周囲の人たちは少し驚いているようだった。

「柴田さんが、あなたと他の女の人が一緒に帰っているところを見たんですよ」

「一緒に帰ったことは認める。ただ、浮気なんかしてない、本当だ」

 強く言い切る見習いパイロットに、行人は告げた。

「それだったら、柴田さんとちゃんと向き合って話したら、どうですか?」

 川野は口を噤んだ。

「ちゃんと話をする時間を作らないから、誤解が生まれる。そう思いませんか?」

「そ、そうだな」

 やけに、川野は正直だった。

 が、川野は表情を変え、風太たちに向かって口を開いた。

「というか、君たちは一体何者なんだ?」

「何者って……」

「柴田とどういう知り合いなんだ?」

「どうって……」

 思えば僕らは柴田さんとどういった関係なのだろう。

 風太は疑問に思った。川野が問われることよりも、よっぽどこちらの方が疑わしい関係のように、風太の頭の中から思えてくるのだ。

「ただの知り合いです」

「ただの知り合い?」

 立場が逆転する、とはこの事のなのか。

 当事者になってみて、風太は言葉の意味を実感した。

「ただの知り合いがどうして僕らの恋愛事情になんかツッコむんだよ。君たち、そもそも何年生だ」

「……高校一年生、です」

 自信のない風太の声が吹き付ける風によって、かき消されていく。

「こんな時間までふらついて、ご両親も心配するだよ。僕らの事なんか気にするよりも、家に帰ったほうがいいよ」

 川野がこの場を立ち去ろうとする。

「待ってください」

 空乃が川野の大きな背中に向かって告げる。

「ただの知り合いなんかじゃないです。年の離れた立派な友達です」

 川野は唖然としていた。

 ……いいぞ、空乃さん。良いことを言った。年の離れた、はちょっと余計な一言だけど、それを差し引いたら、やっぱり良いことを言っている。

 風太は賛同の声を上げたくなった。

「私、困っている人を見ても、放っておくなんてことしたくないんです。自分が悪い人になるから、とかそういうことじゃなくて、ただ困っているところを見たら、手を差し伸べたいんです」

「正義のヒロインみたいになるのは悪い事ではないけど、遅い時間に外にふらついていたら、自分が困った人間になる。そうじゃないのか」

 どちらの発言に対してもグーの音が出ない。

 風太は二人のやり取りを見守り続ける。

「私はいいんです。私はただその、友達である柴田さんを助けてあげたいんです。普段あんなにハキハキと喋ったり、お客さんのために走る柴田が、あんな風にへこんだりしているところを、見たくないんです」

「空乃さん……」

 思わず風太は空乃の名前を口にしてしまった。

 二人は風太の事を気にとめることなく、話を続ける。

「川野さんはこのまま、自分らしさを失った柴田さんを見過ごすつもりなんですか」

「僕はその……」

「私たちが言えるのは、ここまでです」

 空乃さんはこの場から去る。

 風太は空乃の後を追いかけた。

「空乃さん、待って」

 空港の外を出て、風太は空乃を呼び止める。空乃は立ち止まろうとはしない。

「どうかしたの?」

「空乃さん、グッジョブだったよ」

「グッジョブ?」

 空乃は立ち止まった。

 しまった、と風太は自分の口を押える。選ぶ言葉を間違えたのだ。

「私はただ、二人の仲を取り戻しただけ。風太くんは?」

「僕だって、そうだよ」

 なら、良かった、と空乃は風太に微笑みかけた。


 空乃と別れ、風太は自宅のキッチンにいる母親に話しかける。

「ただいま」

「あら、おかえり。ずいぶんと遅かったわね」

 リビングの時計に目を向ける。二十二時を回っていた。

「怒っている?」

「怒ってはいないけど、心配はしていた」

 風太の母親は炊飯器に残っているご飯を茶碗に移していた。

「冷めちゃったよね、ご飯」

「温めるわ。食べるよね?」

 風太は頷いた。

「てっきり、友達とご飯を食べてきたのかと思って」

「友達の相談に乗っていてね、あまりご飯も食べられなかったんだ」

「まあ、生きていればいろいろあるのよ」

 電子レンジが稼働し始める。

「母さんが高校生の頃は何か悩みというか、問題があった?」

「なかったと言えば、嘘になるかもしれないね」

 冷蔵庫に入っている冷ややっこを、風太の母親は取り出す。風太の家族は、冷ややっこにかけるモノがそれぞれ違っていた。

 風太はただ醤油をかけるだけ。

 風太の母親はポン酢をかける。

 風太の父親は醤油の上に、鰹節をかけるのだ。

「じゃあ、社会人になってからは?」

「いろいろあったわよ。お母さん、会社で働いていて、職場の人と揉めたことがあるの。時間が解決するかと思って、その人とは何も話さないつもりでいたけど、結局ね、その人とちゃんと話をすることにしたの」

 そうなんだ、と風太は返事をした。母親の若い頃を上手く想像できずにいたのだ。

「そこで気づいたのは、人間話し合わないほうが余計厄介なことになる、ってこと。風太もね、学校で何か問題があったら、誰かにすぐ相談した方がいいわ。あとは、その問題があった人と勇気をもって話すこと。それが大事」

 そうだよね、と風太は応えた。

「それと、遅くなるんだったら、ちゃんと前もって報告しておくこと。ご飯を用意しないといけないんだから。わかった?」

 はい、と風太は返事をした。

 ちょうど冷え切ったご飯が暖まった。


 一週間後、風太たちの計らいにより、群青空港の展望デッキで、柴田と川野は久しぶりの対面をした。いつになく、風が強かった。

「どうなるんですかね」

「静かにしろ。俺たちの存在がバレるだろう」

「もうバレていますよ」

「は?」

「だって、僕らが二人を出会わせるように仕向けたんですから。二人はそのことを承知の上で、この展望デッキにいるんですよ」

 風を切るように、行人は唇を噛み締めた。

 空乃は風太のことなど気にとめることなく、二人をじっと見つめていた。修夢も空乃と同じ姿勢でいるようだった。

 行人は咳払いをした。

「お前、俺に対する口答えが上手くなったな」

「それって褒めているんですか?」

 行人は風太の頭を軽く小突いた。

 風太は痛そうに眉を顰めた。

 気を取り直し、風太たちは建物の影に隠れながら、二人の様子を見守る。

「……久しぶりだね」

「おう。忙しくて、なかなか会えなかったな」

 柴田の髪は風邪に強く煽られていた。川野もまた、瞬きを繰り返しながら、頭の中にある言葉のかけらを拾い集めようとしていた。

 二人のもどかしいやりとりを見つめ、風太はこの風景を自分と空乃に例えてみた。空乃と付き合ったこともなければ、喧嘩をしたこともない。仮に付き合ったとして、まともな喧嘩なんかできるのだろうか、と思う。そもそも、空乃が怒っている姿を見たことがない。かといって、自分の信念を捻じ曲げ、自分から折れるような姿を想像することも出来ない。未知数とはまさにこのことのように思う。

 空乃の横顔を風太はじっと見つめる。もし仮に喧嘩をしたとしよう。きっと、空乃は話し合いの場を設けてくれるように思えてきた。

「最近、フライトどう?」

 柴田もまた乱れた髪を気にせず、言葉を探っているようだった。

 川野は青く澄んだ空を駆け抜けていく飛行機に視点を置いているようだった。

「目を見て話せよ」

「静かに」

 風太は行人の口を塞いだ。

「相変わらずだよ。ノーミスでやり過ごすことなんか、そうそうできないと思わされるよ」

「そっか」

 柴田は気まずそうにつぶやいていた。

 いじらしいな、と行人はボソッとつぶやいた。

「私も、ノーミスどころか、最近失敗ばかり。理不尽に客とかに怒られるし。感謝されることなんか、滅多にない」

「そうかー? 僕、こないだ見ちゃったんだよな」

「見た?」

 川野は自信満々に頷いた。

「君が客にお礼を言われている所をさ」

「え、そんな……やめてよ。なんか照れるじゃん」

 言葉のまま、柴田は照れくさそうに乱れた髪をかき分けていた。

「あと、僕の前に突然現れた、少しお節介な高校生見てたらさ、心が動いちゃったんだよ。なんか生きているっていいなあ、って」

「何それ。それは大袈裟」

「そうかな?」

「そうだよ。それに、お節介しちゃっているのは、私の方だし」

 かもな、と川野は笑いながら返事をした。

 空気を読むように、風が吹き止む。急に足首付近がむず痒くなり、風太は靴下を履きなおしたくなった。

 すぐにその場で、川野は頭を下げた。

「ごめん……俺が悪かったよ」

 川野は、柴田の身体をそっと抱きしめた。

 ……めでたし、めでたし。

 風太は二人のやりとりをじっと遠目で見守りながら、口パクでつぶやいた。

「あの絶妙な身長差がなんかこう、あれだよな。あとは二人でよろしくやっとけ、って感じだな」

 嫌味ったらしく、風太の隣にいる行人は言った。

 その一方、空乃と修夢は憧憬のまなざしで、柴田と川野を見ていた。

 ……ああ、先が思いやられる。

 風太の悩みの種が脳内に芽吹いた。

「なんかムカつくから、何か食べに行こうぜ」

「え? 今からですか」

「別に嫌なら帰ってもいいぞ」

「行きます。もし行人さんの」

「俺の奢りなら行くって言うのか」

「別にそういうわけじゃ……」

「安いのなら、いいぞ」

 風太と行人は不毛なやりとりをしながら、階段を下りて行った。



 翌日の夕方も群青空港で暇を持て余していると、空港で腹を立てる柴田に、風太は遭遇した。

「ああ、もうむかつく」

「どうかしたんですか」

「どうしたもこうしたも、あいつ、私の気を引くために、女と浮気するフリしたみたい」

「え、でも、フリであって、本当にしたわけじゃないんですよね?」

 風太は柴田に問いかける。

「そうだとしても、私は回りくどいことが嫌なの。彼にはいつだって素直でいてほしいの。陰険な男になんか、なってほしくないっ」

 柴田のどこかたくましい背中を眺めながら、休憩中の行人や空乃とともに、風太はやれやれ、と思うのだった。

「柴田さん」

 溌溂とした足取りで歩く柴田に向かって、紫の花柄ワンピース姿の女性が声をかける。

 どこかで見たことがあるような気がするけど、誰だろう。

 風太は疑問を抱きながら、二人の様子を少し遠くから見守る。

「佐野。あなた、どうしたのその恰好。仕事は……」

「今さっき、辞めてきました」

「はい?」

 佐野と呼ばれる女性は満面の笑みを柴田に向けた。

「私、先輩のたくましい背中を見て、気づいたんです」

「たくましいって……」

 佐野の何気ない発言に、嫌味の一つか二つを柴田は言いたくなった。

「先輩みたいに、好きな仕事を一生懸命やって好きな人と悔いなく向き合うことが、人生の中で一番大事、ってことに」

「え……」

 柴田は口をポカンと開けていた。反するように、柴田の服は一時期に比べ、皺なくきちんと整えられていた。

「今日の先輩、服の皺なくて、かっこいいですよ」

 居心地が悪そうに、柴田は視線を泳がせる。

「な、なに急に褒めているの。奢ったりとかしないから。私、金欠なの」

「わかっていますって」

 佐野は嫌味のない笑顔を向けていた。柴田は悪い気がしなかった。

「先輩には気づかれているかもしれないですが、私、服が好きなんです。だから厳しいけど、アパレル業界でこれから頑張っていこうと思っているんです」

「……何言っているの。航空業界だって、厳しいんだからね」

 柴田は佐野の肩をそっと叩いた。

「しんどく聞こえてしまったらアレだけど、頑張りな。頑張っていることに気づいてくれている人は必ずいるから、ね」

 二人はその場で別れを告げた。

 空港の外から飛行機が飛び立つ音が鳴り響いた。

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