第三章 3 上手くできた話と将来の夢
「風太くん……話があるの」
次の日の放課後、高校の廊下で風太は空乃に突然話しかけられる。この日は、これから剣道部の練習があるということもあり、風太は嬉しい反面、困惑した。
「どうかした?」
「実を言うと、昨日のことで聞きたいことがあるの」
真に迫る空乃の表情を見て、風太は首を傾げた。
「修夢くんの家の鍵のことなんだけど」
「ああ、鍵のことか。あれならもう解決したと思うけど」
一歩、風太のほうへ前進し、空乃は核心へ近づこうとする。
「わたし疑問に思うんだけど、あれって本当に空港の入口で見つけたものなの?」
風太の表情がみるみるうちに、曇る。
「え、どうしてそう思う?」
「だって、ちょっと話が上手く行きすぎているから。柴田さんはグランドスタッフとはいえ、お客さんの対応で忙しかったと思うし……それに、空港の入口で落ちていたなら、私たちが先に見つけていたと思うの」
……空乃さんもそういうこと、ちゃんと考えるのか。
空乃のことを見くびるつもりはなかったものの、風太は不意を突かれた気がした。
「実を言うとね、昨日ファミレスで言っていたことは、嘘なんだ」
「やっぱりそうだったんだね」
二人の間に沈黙が流れる。
「どうして、あんな嘘を?」
「別にやましいことがあって、嘘をついたわけじゃないんだ。里中のために、鍵を見つけた、って嘘をついた」
「もしかして、あの時空港の鍵屋へ行ったのは、修夢くんの新しい家の鍵を作るため?」
「そうだよ……でも、いろいろと手間がかかるから、新しい鍵は作らなかったんだ」
「じゃあ、あの鍵はいったい……」
息をすうっと、風太は吐く。
「あれは里中の母親から、もらったものなんだ」
「修夢くんのお母さんから?」
風太は大きく頷く。
「昨日の放課後、急いで里中の家へ行ったんだ。そこで里中の母親と話をしてきた」
「……話?」
また風太は大きく頷いた。
「里中が鍵をなくしたことと、里中の将来の夢について話をしたんだ」
「……そ、そうだったんだ」
「どうやら、里中は両親に空港整備士になる夢を反対されていたらしいんだ」
「……反対?」
里中に同情するように、風太は上唇を噛み締めた。
「それで、夢を叶えられない、って修夢くんは言っていたんだね」
「……でも、叶えることは出来るかも」
「え?」
「明日、里中は両親を連れて空港へ行く。そこで里中は両親を説得することになった」
……そ、そうなんだ。
困惑しながら、空乃はつぶやくのだった。
「でも、反対されちゃうかもよ」
「かもしれない。でも僕は希望を棄てることはできないんだ」
「風太くんらしいね」
「え? そうかな?」
「風太くんらしいよ。誰かのために力を尽くそうとするなんて」
空乃に言われ、風太は恥ずかしくなり、今すぐ穴があるなら、穴に入りたかった。
翌日の放課後、風太は群青空港へ向かうことにした。もちろんのこと、空乃も風太とともに、空港へ行こうとしていた。
クラスメイトの笑い声が飛び交う、どこか喧騒的な教室で風太は里中と目が合う。二人は口を閉ざし、そして互いに頷き合う。
「……修夢くん。大丈夫かな」
一人で先に教室を出る修夢の背中を見て、空乃は心配そうにつぶやく。
「大丈夫だよ、きっと」
空乃の小さな背中をそっと押すように、風太は言うのだった。
約二時間後、風太と空乃は、両親と空港で対面する修夢を見守ることになるのだった。見守ると言っても、あくまで二人は親子のやりとりを遠目で見るだけである。
……お前なら、大丈夫だ。
心の中で、風太は修夢に向かって強く叫ぶ。
「ここまで連れてきて、どうしたの……修夢」
空港内を見渡しながら、修夢の母親は言う。
「そうだぞ。今日はたまたま、早く仕事が終わったから良いようなものだけど」
両親に不思議そうに思われる中、修夢はなかなか口を開こうとしない。
「……修夢くん、大丈夫かな。やっぱり私たち、一緒にいてあげたほうがいいかな」
「いや、大丈夫だよ。里中なら、絶対」
落ち着かない空乃を風太は安心させようとする。空乃のそわそわした様子を可愛いな、と風太は思いつつも、修夢がどうなってしまうのかと思うと緊張感でいっぱいだった。
……だけど、僕は僕なりに手を尽くした。だから、絶対大丈夫。
何度も何度も、風太は念じた。
「修夢。言いたいことがあるなら、ちゃんと話せ。話さなければ、伝わらないことがあるんだぞ」
「……どうして」
「ん?」
立ちつくす修夢の身体は小刻みに震えていた。
「どうして、父さんと母さんは、僕に有名な大学に通ってほしいんだ? どうして、大きな会社に勤めてほしいんだ?」
想像していなかった会話の展開に、風太の胸は高鳴っていく。
「どうして……って」
「僕には、よくわからないんだ。有名な大学に通うことや、大きな会社へ勤めることが本当に幸せなのか、って」
「そ、それは……」
滞る親子の会話を頑張れ、と風太は応援する。どちらの味方にも敵にも、今の風太にはなれない気がした。……二人の話を事前に聞いてしまったからかもしれない。
「……風太くん」
「ん? どうしたの?」
風太の名を告げる空乃の言葉に耳を傾ける。
「風太くんは、修夢くんのお母さんとどんなことを話したの?」
「学校で言った通りだよ。里中の夢の話をした」
「ううん、そうじゃない。……もっと深いところ」
「風太の夢に両親が反対していたこと?」
空乃は首を縦に振る。
「実を言うと、里中のお父さんの弟さんが、空港整備士をやっていたんだ」
「……え、そうなの?」
今度は風太が首を縦に振る。
「小さい頃から、空港整備士をやっているお父さんの弟――おじさんに、憧れを抱いていたらしい……里中は」
「だから、空港整備士を目指していたんだね」
「はっきりとした理由は本人にしかわからないけど、きっとそうだと思う」
続けて、風太は言った。
「……里中のおじさんは、今空港整備士を辞めているんだ」
「え、ど、どうして……」
空乃は驚いているようだった。
「仕事で何回もミスをして、責任を感じたみたい」
「……そんな。ミスは誰にでもあることなのに」
「確かに、僕も始め、里中の両親の口から聞かされた時はそう感じた。だけど……」
風太は少し苦しそうに話した。
「一つのミスが、多くの命を落とすことになる――それが空港整備士なんだって聞かされて、そうは思えなくなった」
風太だけでなく、空乃も、空港整備士の見学をした日のことを思い出す。落とし物一つしたことがきっかけで、空港内は大騒ぎになっていた。
「でもね、僕は……空港整備士に限ったことではないと思っているんだ」
「え?」
「一見、空港に携わる仕事だけがそう思えるだけで、本当はそうじゃない。どの仕事もみんな責任を感じさせることも、一つのミスで多くの命を奪うことだって、あるんじゃないか、って思うよ」
風太の指先が震える。
「今回、僕が里中の夢を叶えようとしていることだって……責任を感じさせられることが起きるかもしれない。もし、里中の両親を説得出来なかったら、里中の心が死んでしまうかもしれない。そんな里中を見たら、里中を好きな誰かの心だって、死んじゃうと思うんだよ」
「……風太くん」
空乃の声が酷く震える。
思わず風太は泣いてしまう。今、自分が泣いてしまってはダメだと思うのに、風太の嗚咽は止まらない。
それとともに、空港内に飛行機の音が鳴り響く。
たくさんの乗客を乗せ、空へ旅立つパイロットの気持ちはどんなものだろう。夢や希望だけでなく、そこにはプレッシャーとか絶望だってあるはずだ。
風太は自問自答を繰り返す。
「……え」
風太の両手を空乃が力強く握りしめる。
「大丈夫。私がいるから。私、風太くんの心も修夢くんの夢も死なせたくない。死なせたりしない」
……やばい。空乃さんまで、泣いているなんて。
風太は空乃を見て、さらに嗚咽が止まらなくなる。
「空港整備士? いいわね。修夢にぴったりだと思うわ」「本当?」「今度、見学へ一緒に行こう」「うん、行きたいよ」
風太と空乃が劇的なシーンを迎える中、里中親子三人の会話は順調に進んでいるのであった。