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あの空に飛んでほしかったんだ  作者: 飛翠
第三章 無口少女と無口少年
10/22

第三章 1 恋がしたい

 翌週の月曜日がやってきた。自室のベッドに蹲りながら、風太はスマートフォンから鳴り響くアラームを止める。好きな音楽をアラームにすれば、きっと目が覚めると風太は信じ込んでいた。

 だけれど、現実は違った。

 眉を顰め、無理やりアラームを止めることしかできなかったのだ。瞼は重いままで、アラームに設定していた、好きな音楽を嫌いになりそうで、風太はそんな自分が嫌いになりそうだ。

 嫌いになるだけなら、簡単にできる。

 だけど、人を好きになることはどれほどこの世界で難しいことなのか。

 風太は常々思わされるのである。

 朝の洗面所で歯を磨くたびに、口の周りに歯磨き粉がつくことにもうんざりとする。

 お腹が空いているのか空いていないのか判断がつかない朝の状況にも辟易とする。ハイブリッド車みたいに、胃袋も眠気など起こさなければいいのに、と思う。

「風太、何かあったの?」

 風太の母がリビングのテーブル席に座る僕に問いかけてくる。心配している体ではあるが、母の表情が明るく、風太は不気味に感じた。こちらが問いただしたい、と風太は心の中でぼやいた。

 いってきます、と一言告げ、風太は家を出る。

 電柱の電線に止まる雀の鳴き声が聞こえてくる。あんなに小さいのに、なんであんなに空に向かって頑張ることができるのだろう。

 風太は疑問に思いながら、学校へ向かった。

 なんでこんなに胸の中を靄で埋め尽くさなければならないのだろう。

 風太は自分の心に潜む影について、悩み始めた。寝不足だからという理由ではないはずだ。もっと根本的な原因があるはずなのだ。自分の気持ちにいつだって、正直でいたいのだ。

 ……はあー、恋がしたいなあ。

 学校へ向かう途中、風太はそのようなことを考え始めた。

 浮かんでくるのはもちろん、空乃の顔だった。

 ただ空に向かって何も言葉を発しない空乃になぜあんなにも魅力を感じるのだろう。

 風太は自問自答を繰り返す。

 学校のテストのように、答えが用意されているわけでもない。問題がわかりやすいわけでもない。単純、という言葉などで済まされる問題ではないのだ。

 まだ二十年も三十年も生きていないのに、人生ってなんで複雑なんだろう。あの飛行機みたいに、ただ空を飛んでいくみたいな、単純なことじゃダメなのだろうか。

 風太は群青色の空に浮かび上がる飛行機雲を見て、疑問を投げかけた。

「では、この問題を誰かに解いてもらおうか」

 普段通り教室で授業は行われていた。数学は風太の思考の糸を絡ませる。

「じゃあ、小港と里中にやってもらおうか」

 数学の教師は、空乃と里中修夢に問題を解かせようとしていた。

 空乃は戸惑いつつも、席から立ち上がる。その一方修夢もまた席から立ち上がり、黒板へと近づいていく。

「二人とも、黒板の文字を丁寧に書きすぎだ。もっと、早めに書いてくれ」

 白いチョークを空乃は黒板に滑らせた。


 放課後、剣道部の練習が終わり、風太は美奈子や友郎と帰りを共にすることにした。

「はあー、疲れた。なんか練習するの久しぶりな気がする」

「確かにな。土曜の練習もなしになったし」

 練習の数が減れば減るほど、空乃さんに会える回数が増える。

 風太は美奈子と友郎の話を聞きながら、勝手に思いこむ。

「再来週からテスト期間に入るし、もう最悪」

「余計に部活の練習減るよな」

 この三人は市大会や県大会での優勝など全く考えていない。だが、部活で過ごす時間を大切にしていることだけは確かだった。

 ちょうどその頃、空乃と里中修夢が帰り道を共に歩いていた。

「……うそ。あの二人」

 美奈子は、空乃と修夢を指さす。

 昔から美奈子は噂話や野次馬をするのが好きらしい。

 風太は地雷を踏みたくはなかったものの、地団駄を踏みたくなる。

「あの二人、付き合っているのかな」

「さあ、どうだか。でもお似合いじゃねえか」

「確かに。授業中も息ぴったりだったし」

 思わず風太は地団駄を踏みたくなった。



 また……またやってしまった。

 僕は三度目の過ちを犯したのだ。

 翌日の放課後、真相を追及するべく、風太は空乃の後を追うことにしたのだ。

 真相とはもちろん……。

 風太は制服姿の男女を思い浮かべる。

 真相の渦中にいるのは、空乃と修夢だった。

 二人は単なる友人なのか、それとも……。

 必死に、制服姿の男女が手を繋ぐ姿や抱きしめ合おうとする姿を振り切る。

 その先のことを風太は考える気になれなかった。

 けれど、真実から目を背けることをしたいとも思わなかった。

 空乃はこないだと同様、一人でスクールバッグを持ち、教室を出て、廊下を歩き、昇降口へ向かった。

 風太は人目を気にしながら、空乃の動向を追った。

 ……今のところ、奴の姿はない。

 空乃と一緒に修夢が下校を共にするのではないか、と風太は予想していた。

 だが、依然として修夢の姿はない。

 スカした顔で肩を並べようとする修夢の姿を視界に入れることがなかったこともあり、風太は安堵した。

 というか、あいつは普段学校が終わった後、何をしているのだろう。

 風太は修夢がクラスメイトであるのにも関わらず、修夢のことをよく知らなかった。

 嫌いでもなければ、好きでもない。

 話したことがないわけではないものの、よく口をきくわけではないため、風太は今の状況に至る。今のこの状況のせいで、関係がより複雑になってしまっているのだ。




 そして、空港で二度困難を乗り越えたのにも関わらず、空乃のことを風太はよくわかっていなかった。

 空乃を知れば知るほど、風太の空乃に対する謎と想いは深まるばかりだった。

 ……空乃さんが里中と付き合うはずがない。空港で一緒に過ごした僕のほうがよっぽど可能性はあるんだ。

 風太はそう信じてやまなかった。

 だが空乃の向かう先には、群青空港があり、修夢の姿もあるのだった。

 ……う、うそだろ。

 風太はその光景が信じられなかった。

 だが、後に引くわけにはいかず、風太は遠目から二人の姿を追うことにした。

 ……いったい、何を話すんだ。あの二人。

 というか、やっぱりあの二人は付き合っているのだろうか。

 風太は不安に押し潰されそうになる。

「あれ、お前何やっているんだ」

 物陰に隠れる風太の前に、群青空港の書店で働く行人が現れるのだった。

「しーっ」

 大きい声で話す行人に向かって、風太は人差し指に口に当てる。

「なんだ、なんだ。気になるじゃんか」

 見るからに怪しい風太の態度が気になり、行人は辺りを見渡す。当然のことながら、行人の視界に、空乃と空乃と話す修夢の姿があるのだった。

「はーん、なるほどな」

「一体、なんですか」

 わかった顔をする行人に、風太は反抗する。

「別に、僕は変なことなんか企んでませんからね」

「はいはい、ごまかそうとしても、全部お見通しだって」

「はい?」

 手に取るように、風太は動揺する。

「フラれたんだろ、あいつに」

「違います」

 行人の推理を風太は否定する。

「じゃあ、なんであの女の隣には、お前がいないんだ?」

「そんなの……知りませんよ」

 拗ねた顔をする風太に、行人は笑みをこぼした。

「わかるぞ、俺には」

「はい?」

「嫉妬で枕に顔を埋めたくなる、お前の気持ちが」

「別にわからなくていいですよ。嫉妬で枕に顔を埋めることはありませんから」

「あれ? 嫉妬していることは否定しないんだな」

 風太は行人の指摘を無視しようか迷う。

「そして、お前は俺に頼みごとをしたいんじゃないのか」

「あれ? 僕の頼みを聞いてくれるんですか? ずいぶんと優しいんですね」

 自分で皮肉を言っているのか言ってないのか、風太はわからなくなる。

「あなたたち、何をやっているの」

 勤務中である柴田が、物陰で話す二人に尋ねる。どうやら、二人の事を柴田は怪しんでいるようだった。

「いや、ちょっと散歩中」

 行人の誤魔化しをかわし、柴田は辺りを見渡す。そして、すぐに柴田は空乃と修夢の存在に気づくのだった。

「ふーん、なるほどね」

 目を光らせ、笑みを浮かべる柴田に、風太は慄く。

「まあ、頑張りなさい。私は応援するから。じゃっ」

 何かを察したかのように、柴田は仕事へ戻っていく。

 周囲を見渡し、風太は空港は相変わらず忙しいことに気づかされる。

「やっぱり女の勘って、凄いんだな」

「いやいや、僕らがわかりやすいだけですよ」

「……お前が言うな」

 そして二人は本題に入る。

「で、お前の頼み事はなんだ?」

「僕は……空乃さんとあそこにいる男の里中修夢がどういう関係なのか、知りたいだけです」

「ほうほう、なるほどな」

 行人は空乃と修夢のほうをじっと見つめる。

「やっぱりお前、あいつのことが……」

「別に僕はっ……ただ、あの二人が付き合っているのか気になっているだけですっ」

「はいはい、わかったよ。とりあえず、こういうのは話すのが一番だな」

「はい?」

 風太は嫌な予感がした。

 行人は自信満々に笑みを浮かべた。

「本人に直接聞くしかないんだよ」

「ちょ……ちょっと待ってください」

 風太が抵抗するも、もはや遅かった。行人は風太の腕を引っ張り、空乃と修夢のいるほうへ引き寄せていく。

「よう、お二人さん」

 行人の呼びかけに、空乃と修夢はすぐに気づいた。

「ど……どうも」

 気まずそうに風太は、空乃に接する。空乃の横にいた修夢は不思議そうに風太と行人を見つめていた。

「ちょっと、お前たちに話があって声をかけたんだ」

 ……ええっ、いきなり。

 風太は驚きながら、行人の顔を見る。驚く風太の事など、行人は気に止めもしない。

「話……ですか?」

 空乃も行人にそのようなことを言われ、困惑している。それ以上に、行人と初対面であるはずの修夢も混乱しているようだった。

「ああ、ごめん。先に俺が誰なのか言うべきだったな。俺はこの空港の書店で働く早見行人だ」

「……はあ」

「俺は、ここにいる風太と空乃ってやつと、知り合いなんだ」

 いくら説明されても、修夢は知らない場所へ置き去りにされているようなものだった。

「話って、なんですか?」

 置き去りにされるわけにもいかず、修夢は単刀直入に行人に尋ねる。



 立ち話もなんだということもあり、四人は展望デッキの階にあるファミレスで話すことにした。風太は我ながら、この頃、奇妙な場面に立ち会うことが増えたな、と思わされてしまう。

 テーブル席に座り、四人はメニューを見開く。そして何も口を開かない三人に、違和感を覚えた行人は喋りを始める。

「なあ、何か喋らないのか」

「喋るって……一体何をですか?」

 空乃はメニューを見開きながら、首を傾げる。風太は自分を誤魔化すように、メニューに顔を隠す。

「じゃあ、もういい。俺が話を始める」

 風太が予想していたよりも早く、話は本題に入る。

「お前たち二人は付き合っているのか」

 行人に尋ねられ、空乃と修夢は驚いているようだった。

「え……」

「ど、どうなんです?」

 行人につられるように、風太も空乃たちに追及する。

「わたしたちは……」

 風太は唾を飲みこむ。

「僕たちは……付き合っていないです」

 修夢の口からそう告げられ、風太はほっとする。

「良かったな、風太」

「いや、僕は別に」

 行人に肩をぽんと叩かれ、風太は目を逸らす。付き合っている疑いをかけられているのにも関わらず、空乃と修夢は何も言葉を発しない。メニューを眺め、何を注文しようか悩んでいる。

 やっぱりこの二人は……。

 不意に風太は美奈子や友郎が指摘していたことを思い出す。空乃と修夢が似ていることはわかっているものの、風太はやはり認めたくはない。

「じゃあこの、チーズかけハンバーグのセットにします」

「私も……チーズかけハンバーグのセットにします」

 空乃と修夢が同じメニューを選択することで、風太の疑惑は確信へ変わろうとしていた。

 ……やっぱりだけど、認めたくないけど、この二人は……。

「じゃあ、僕もチーズかけハンバーグのセットにします」

「おや、面白いな。三人そろって同じものを頼むなんて」

 行人に皮肉を言われ、風太はため息をつく。

 四人は注文を済ませると、再び無言になってしまう。

 なんでこんな空気になってしまうんだろう。今回は、空乃からの頼みごとがないからだろうか。

 風太は悩ましい気持ちでいっぱいだった。

「あのさあ、お前たち何か話そうぜ」

 せっかく行人が場を盛り上げようとしているのにもかかわらず、場は一向に盛り上がらない。

「じゃあ、もういいや。お前たち二人は今日何しにここに来ているんだ」

 ……そうだ。本当の所は、それが気になっているんだ。

 心の中にあったモヤモヤが少しだけ風太は解消された気がした。

「実を言うと、修夢くんには夢があるんです」

 ……修夢くん。夢。

 空乃の口から出た二つのワードに、風太は引っかかる。なぜ、里中を下の名前で呼ぶ。なぜ、急に夢の話になるんだ。風太の胸の中は曇りかかる。

「夢? なんで急に夢なんだ」

 行人は風太の気持ちを代弁するようなことを言う。

「その夢っていうのが、空港整備士なんです」

「……空港整備士、か」

 いつになく、行人の言葉には重みがあった。

 その一方、修夢は気まずい顔をしていた。

「いいじゃないか。夢を持つのはいいことだ」

 行人がそう言うものの、修夢は受け入れようとしない。

「だけど……その夢も叶えられることはないんです」

「どういうことなんだ?」

 修夢はうつむいたままだった。

「それはきっと、僕以外にはわからないと思います」

「え、ちょっと」

 そう言い放つと、修夢は食事の席を出ていってしまう。

「あいつ、いったいどうしたんだ」

「さ、さあ」

 修夢を追いかけぬまま、風太と行人は途方に暮れていた。

「お待たせしました。ご注文のチーズかけハンバーグのセット四つでございます」

 仕方なしに、注文したチーズかけハンバーグのセットを三人は受け取る。

「一つ、多めに頼んでしまったな」

「いらない、って言います?」

「いや、いい。俺が頑張って食うよ」

「でも、量が多いんじゃ……」

「このぐらい、どうってことない」

 フォークとナイフを両手に、行人は平然とハンバーグを口に運び始めた。

「……行人さん」

「なんだ?」

 改まるように、空乃は行人に尋ねる。

「行人さんが、空港の書店で働くきっかけはなんですか?」

「ええっ、いきなりだな」

「働こうと思った理由が知りたいんです」

 冗談ではなく、真剣な空乃の表情に風太は思わず見惚れる。

 ……やっぱり僕は、何事も真剣な空乃さんが好きだ。

 目の前にあるチーズかけハンバーグのセットの存在を忘れ、風太はそう感じさせられる。

「なんつーか、家から空港までが近かったからかなー。大学からもわりと近いし」

「……本当にそれだけですか?」

 真に迫る空乃に、行人は慄く。

「なんつーか、空港で働くことが憧れだったんだよな」

「……憧れ?」

 空乃と風太が聞くと、行人は腕を組み、大きく頷いた。ハンバーグからは、湯気が湧いていた。

「かなり大雑把で悪いけど、本当にそうなんだよ。空港っていいじゃん。いろんなやつがいて、いろんなやつとの出会いがあって。で、もちろんその空港の書店にも、いろんな本があって、いろんな本と出会うことができて。あー……俺、何言っているんだろうな」

 風太は首を横に振ってしまう。

「僕は良いこと言っていると思いますよ」

「本当か?」

「本当ですよ」

 風太に賛同するように、空乃は首を縦に振った。

「僕も、小さい頃から空港で働くことが少し憧れだったんです。行人さんにちゃんとした形で働けてないけど……」

 空乃の顔を風太はじっと見つめる。

「こうして、空乃さんや行人さんに出会えて、それで誰かの役に立つことができたから、僕は空港に足を運んで良かったと思いました」

「そうですよね。だから私は……」

 空乃はグラスの水を口に運び、告げた。

「修夢くんにも、夢を諦めないで欲しいんです。空港整備士の夢を叶えてほしいんです」

「空乃さん……」

 クラスメイトのために頑張ろうとする空乃がどこか儚げで、風太は涙が出そうになった。

「二人にお願いがあります」

「どうせアレだろ。さっきの修夢ってやつを改心させればいいんだろう? 将来の夢を諦めるな、って」

 行人がぶっきらぼうに言うと、空乃は深く頷いた。

「お願いします。もちろん、私も頑張るので」

「空乃さんのためなら、僕頑張りますっ」

 風太は空乃の両手を強く握りしめる。

「とりあえず、熱いうちに食べようぜ。冷めちまう」

 呆れながら、行人はハンバーグを再び口に運んだ。

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