王都からエントシ
出発の準備を進める。
荷物をまとめてそりに乗せる。
あらかた片付け、あとはソリと犬をつなげるだけだ。ということで犬を連れて来る。尻尾を勢い良く振り、こんなに寒いのに元気いっぱいだ。
しかし、ふと犬はある一点を見て固まった。尻尾はピンと止まり、体は動かなくなる。
不思議に思って、犬の見ている方向を見た。
すると俺も動けなくなった。
「どうかしましたか?」
アレクは装備を整え、やってくる。だけどアレクも動けなくなる。いやバトルアックスに手が伸びただけまだましだろうか。
それは息が止まるほどに美しいヒョウだった。
自然と整えられた雪原を悠然と歩く雪ヒョウ。目は血に染まったような赤色。尾は2本生えている。牙は薄青色で頭にも同色の角が生えている。魔獣・・・か?
ヒョウはこちらを見ていない。なのに俺達は動けない。
初めて感じるプレッシャーに体が固まってしまう。何が起こるかわからない恐怖が体を埋め尽くす。
ヒョウはこちらを一瞥した。しかしそのまま向き直り歩き出す。2歩3歩と歩を進める。このまま歩いてこの場を去るかと思った。
目が乾き、瞬きをした。
気づく間もなくヒョウは消えていた。
驚いて辺りを見渡す。だが居ない。何処にもいなかった。それが分かると、腰が抜けてその場に倒れるように座る。
アレクも片膝をついている。寒いはずの雪原で玉のような汗をかいている。
「なんだあれは!あんな化け物、この世に存在していいのか!?」
俺は思わず声に出して叫んだ。
「わかりません!私も初めて見ました。全く勝てる未来が見えませんでした。あれは魔獣でしょうか?」
魔獣?魔獣という領域に収まるのだろうか?あまりの実力差に相手にもされなかった。
生物として究極の域にあるかもしれない。一目見ただけでそう思えた。
伝説の神獣と言われたって信じるぞ。伝説?勇者伝説。
「アレク、王立図書館で見た勇者伝説の中にあんな奴いなかったか?」
「はっ!確かに、そんな気がします。しかし、勇者によって討伐されたはずです。・・・全く目で追えないほどのスピード。確かに伝説を思わせますね。」
勇者伝説を調べている途中で、あんなのに会うなんて、運がいいのか悪いのか。
ソリを引く犬は完全に尻尾が下がり怖がっていた。俺達も体に力が入り、どっと疲れてしまった。
少し休憩をはさんでから再出発した。
王都から港に行くまで、もう一度エントシによる。
エントシに行くまで終始、無言だった。
話す内容が無いわけではない。
自然と途切れてしまうのだ。周りを見てしまう。またアイツが現れるかもしれないと思って集中できなかった。
結局、何の問題もなく、順調に進んだ。
エントシの門をくぐる。自然と長い息を吐いた。ずっと体に力が入ったままだった。あの雪ヒョウが頭から離れない。
どうやらアレクも同じようだ。
「アレク、今日は良い物を食べよう。気分転換しないとどうにかなりそうだ。」
「そうですね。私も流石に疲れてしまいました。しっかり食べて筋トレをします。」
「相変わらずだな。」
いつもよりお金を多く払って、ギルド直営の宿屋で普段よりいいものを食べる。
ちょっと種類が多いだけなのに極上の品に感じた。
勢いよく食べていると、他人の噂話が聞こえてくる。
「おい、聞いたか。ローリング家のお嬢様、悪魔の呪いが解けたらしいぞ。なんでも勇者の末裔がやってきて呪いを解いたらしい。んでもってお嬢様はその末裔にご執心らしい。」
「なんだ?そんな三文物語、子供だって思いつくぞ。もう少しひねるんだな。」
「ほんとなんだって。すっかり美人に育ったお嬢様がメイドを引き連れて、外を散歩していたらしい。かみさんが屋敷に商品を卸しに行ったときに見たんだと。」
「メイドってあれだろ、ローリング家の長男坊が顔のいいやつばかり侍らせてっていう。そのお嬢様っていうのもメイドが変装してるだけなんじゃねぇのか?」
「まだそんなことやっているのか、はぁ~どうなっちまうのかね、この街は、領主は目の前のことしか見えてないし、長男坊は女遊び、お嬢様は生きているかどうかわからない。頼みの綱の天才次男坊はまだまだ幼い。」
「全くだな、やれやれ貴族様にはこりごりだぜ。さて、帰るか。明日も朝から仕事だからな。」
アレクも噂話を聞いていたようだ。
「どうやらさっそく出回っているみたいですね。」
「そのようだ。魔石化も再発していない。元気になってくれてよかった。正直、やっている間は解決方法が全然わからなくて、苦しかったが、運よく解決方法見つけられたからな。本当に運がよかった。」
「タロウがあきらめずにどんなことでも挑戦するからですよ。はっきり言ってよくやるなといつも思います。今回も倒れるまで魔石の研究をするなんて常軌を逸しています。」
「まあ、そういう性分なんでな。」
「相変わらずですね。」
その後も食事は続いた。久しぶりに満足な食事ができた。
エントシにはあんまりいられない。消費した荷物を補給したら、すぐに出発しなければならない。
もう夜だ。流石にリナさんには会いに行けない。せめて今の状態ぐらいは聞いておきたいところだが・・・
俺は屋敷の外壁で警備の手薄なところに来た。以前、夜に侵入したときに使ったルートだ。
この位置は高い塔の上であれば見えるはずだ。彼女が今もそこにいるかどうかは分からないが魔石ランプを使って手を振ってみる。当然だが反応は無い。
止めよう。
あまりにも無謀だ。気になるがしょうがない。噂話では、出歩いているみたいだし大丈夫か。魔石化を止めたあの日、変声の魔石を返してしまったのが痛いな。
後のことまで考えて行動すればよかった。反省しながら、宿舎に帰る。
次の日は朝から荷物の補給を行っていた。
「タロウ、どうしたのですか?少し元気が無いようですが。まだ昨日の魔獣を引きずっているのですか?わからない事を気にしてもしょうがありませんよ。」
アレクはすっかり元気になっていた。
「そのことじゃないよ。でも、まあ、そうだな。今日からまた雪原をしばらく行くし気合を入れないとな。」
「そうですよ。他の護衛隊の人もいますから辛気臭い顔をしないでください。これから港に行って船の修理を手伝っていた護衛隊と合流して帰ります。覚えていますよね?」
「ああ、問題ない。補給を急ごう。」
補給を済ませた俺たちはまた犬ソリに乗って門に近づく。しかし門の出口には見覚えのあるメイド服の人が立っていた。
俺はアレクに一度止まってもらえるようにお願いした。




