ソ連の捕虜になったジジイ(ヤバい奴)の話を、もっと聞いておくべきだった件
私は祖父から、戦争の話を聞くのが好きだった。
基地の司令部が爆撃された話。
ソ連の部隊と銃撃戦を繰り広げた話。
敗北し、捕虜となり、極寒の地で強制労働をおこなった話……。
ここで読者の皆様に、一つ問いましょう。
祖父は、どのような表情でこの話をしていると思いますか?
おそらく悲壮な表情を想像されたのではないでしょうか?
いかに戦争が悲惨なものであるか。
そして、二度とこのような事を繰り返してはならない。
そう訴えかけるような眼差しで、私に語り掛けているに違いないと。
残念! 大外れ! 正解は『大笑い』です。
「インコちゃん、戦争は面白かったぞおおおおお! だはははははは!」
マジでヤバいジジイである。
だが、読者の皆様はこう思うだろう。
「本当は悲しいのだけれど、照れ隠しや自分を強く見せたいが為に、わざと笑っているんじゃないの?」――と。
実際、私も最初はそう思っていた。
だが、本人のあの笑いっぷりを見ればすぐに分かる。
「こいつマジで笑ってやがる……このクレイジージジイめ……」
そして、こんなヤバい奴だからこそ、あの過酷な地から生還できたのだろうなと納得するのだ。
祖父の戦争体験記は悲惨な話だ。何人も死ぬ。
通常ならトラウマものの話なのだろうが、大笑いしながら話しているせいで、いい感じにマイルドになっていた。
生と死のリアルな体験をコメディー調に話すという斬新な手法は、とにかく私を惹きつけた。
今の私であれば、もっと詳細に話を聞く事ができたのだろうが、当時の私は小学校低学年。
祖父にあれこれ質問できるほど知識が無かったので、黙って話を聞く事しかできない。
その為、私が知り得ている話は、非常に断片的だ。
祖父が死ぬ前に、もっと話を聞いておくべきだったと、未だに後悔している。
これからそのエピソードをいくつか記そうと思うのだが、その前にまず私の祖父が、どれほどヤバい奴かを先に説明しておこうと思う。
あなたは、ちゃぶ台返しを見た事があるだろうか?
そう、頑固オヤジの代名詞とも言えるアレである。
おそらくほとんどの人は、巨人の星でしか見た事が無いだろう。
だが、私はある。
愛すべき我がクソジジイは、マジでちゃぶ台返しをする。
理由はもちろん「飯が不味い!」だ。
実際は不味くない。むしろ美味い。ただの八つ当たりである。
家族で旅行に行けば、必ずどこかの知らないババアとケンカをしていた。
とにかく短気で頑固なのだ。
また流行りものが好きなので、スケボーが世に出た時には、すぐに購入した。
だが乗り方が分からない祖父は、スケボーの上に腹ばいになって、手で漕いで路上を走っていたらしい。
そして、真正面からトラックが迫って来る。
これは死んだと思ったら、トラックの下を通り抜けて助かったそうだ。
「小さくて(祖父は身長140cm台)助かった!」
と大笑いしながら話していた。
ちなみにこの話は、シベリアから帰って来た後の話だ。
死の地から生還しても、己の命をこれっぽっちも大切にしない。真の漢である。
では、余談はこれくらいにして、早速戦争体験記にエピソードに入るとしよう。
私が初めて聞いたエピソード、「爆撃は面白い」だ。
【爆撃は面白い】
あれは小学校2年生くらいの頃だったか?
学校の体育館で「火垂るの墓」を見た私は、B29爆撃機の恐ろしさを知った。
そして夏休みで祖父の家に遊びに行った時に、その事を話したのだ。
「いやいや、インコちゃん。爆撃は面白いぞおおおおおお!」
「えー!? そうなんだ!」
その頃の私はとてもピュアだったので、笑顔で祖父がそう言うのだから、きっとそうに違いないとすぐに信じてしまった。
後にクラス発表でそう述べてしまった私は、先生から叱られる事になる。
まあ、そんな話はいいとして、祖父は一体何が面白かったのだろうか?
祖父曰く、
「爆弾がどこに落ちてくるか分からないスリルが面白いんだよー! あとね、普段偉そうな上官がビビってる姿が面白いのなんのって!」
だそうだ。
空襲警報が鳴ると、大喜びしたらしい。本当イカレているとしか言いようがない。
当時祖父は、通信基地にいたらしいのだが、いざ爆弾が基地に落ちてくるとキャーキャー言いながら走り回っていたらしい。まるでドッジボールで遊んでいるかのようだ。
その後も何回か爆撃があったらしいが、結局何名が犠牲になったのかは聞いていない。
おそらく全員無事という事は無かったはずだ。
読者の皆様はこう思うだろう。
「さすがに人が死んでいたら、そんなにおかしそうには話さないだろう」と。
このクソジジイには、そんな常識は通用しない。
その事は次のエピソードで明らかにしようと思う。
【処刑】
戦場はどこだったのか。戦闘の規模はどの程度だったのか。そもそも作戦の目的は?
残念ながら、今となっては分からない。
前にも述べたように、小学生の私には、そんな事は思い浮かばなかったのだ。
その為、分かっている事は一つのみ。
祖父のいた部隊は銃撃戦で敗北し、ソ連軍に投降した。
こちらは単発のライフル、相手は連発式(おそらくフルオート)のライフルだったので、勝負にならなかったそうだ。
祖父たちは横一列に並ばされ、その内何名かがその場で処刑された。
私が知る限り、祖父の体験記でもっとも重い話である。だが……。
「いやー、背が低かったから目立たなかったんだろうね!」
祖父は笑いながら、そう私に語り掛けていた。
先に断っておくが、祖父は大麻も覚せい剤もやっていない。
【手に職があると有利】
祖父はソ連軍の捕虜となった。
彼が生きて日本の地を再び踏めたのは、手先が器用だったおかげである。
祖父は時計屋業を営んでおり、細かい作業が得意だった。
その為、彼は備品の修理を任される。ソ連兵の靴を修理する事が多かったそうだ。
これはつまり、生かしてもらえやすくなったという事である。
「体の小さい俺は肉体労働で役に立たないから、時計屋やってなかったら、きっと射殺されてただろうね!」
祖父は笑いながら自慢げに話す。
詳しくは聞いていないが、おそらく他の捕虜に比べ、極寒での屋外作業の時間が短かったのだろう。
一人また一人と捕虜が死んでいく中で、小柄で特別丈夫でもない祖父が生き残れたのは、そういった理由がないと難しいはずなのだ。
ちなみに祖父は、仲間の靴も修理したそうだ。
よくあったのは靴底が剥がれてしまう事だそうである。
当然替えのパーツなんてものは支給されないので、木の板を靴底に貼り付けるしかなかったそうだ。
「歩くとカコンカコン鳴って、それが貧乏くさくて本当笑っちゃうんだわ!」
祖父は手を叩きながら笑っていた。
【クソジジイ、撃たれる】
捕虜たちが収監されていた施設に暖房があったのかは知らないが、まあとにかく寒かったそうだ。
祖父たちは何とか暖をとろうとし、施設内の床板を引っぺがして、それを燃やそうと考えた。
そしていざ実行に移すのだが、案の定見張りに見つかる。
ソ連兵は問答無用で銃撃してきたそうだ。
幸い弾は外れ、誰もケガする事はなかった
「あれは面白かったなー! 何かめちゃくちゃ叫んでたよ!」
結局暖はとれなかったのだろうが、それがどのような結果をもたらしたのかは知らない。
私が知ったのは、「マシンガンで撃たれると面白い」という事だけだ。
【クソジジイ、ロシア人を勧める】
祖父にとってソ連人は、仲間達を殺した憎き仇敵。
ソ連が崩壊し、ロシアに変わっても、その心は変わらない。
……なんて事は無い。
私は小学生の頃から、何度も同じ事を言われている。
「インコちゃん、結婚するならロシア人がいいぞー! 本当、妖精のように美しいんだから!」
どうやら我がクソジジイは、捕虜にされていた時に、ソ連の女にハートを持っていかれてしまったらしい。
ソ連もロシアもまったく恨んでいないようだ。だからこそ生き残れたのだろうか?
祖父が亡くなって、もう大分年月が経つ。
記憶が薄れる前に書き記しておこうと思い、急遽筆を執った。
もっとちゃんと話を聞いていれば、こんな断片的な話ではなく、一本のドラマとして描けたのではないかと思い、強い後悔の念に苛まれる。
この話を読んで、「石製インコのジジイ、マジ頭おかしいな。でもこんな風にして戦争を生き残った奴もいるんだな」と思っていただければ、これ幸いです。