八話目 足りないのはハラハラ感
毎回毎回からかわれ続け早一ヶ月……と半分。じめじめした空気とどんよりとした空は、私の気持ちそのものだ。
いやいやでもでも、と私は今日の戦いに思いを馳せる。
前回副部長に小説を見てもらった帰り、副部長からテーマは変更すること、とまた縛りを入れられた。
……私が延々と連絡先交換キュンの話を書き続けるのは阻止されてしまった。既に連絡先交換が完全に終了したことで心が平静でいられそうなテーマだったのに!
でも今日は……いや今日も、どうして今の今まで思いつかなかったんだと自分を責めたテーマだ。
そう、現実にありそうなシチュエーションばかりを書いたのがいけなかったんだと気付いた。
少女漫画みたいに、現実にあり得そうにもないシチュエーションを描けばいいんだと思いついた時、私はガッツポーズとちょっとした雄たけびを上げてしまった。……何事かと部屋のドアをお母さんに叩かれたのは、まあ些末なことだ。
と言うことで、私は意気揚々と部室に向かおうとしてたんだけど……。
なぜ、一年の教室が並ぶ廊下に、青いネクタイをした女子が立っているんでしょうか? しかも私を睨んでいるようにしか見えない。あ、多分この人、副部長に言い寄ってた人だ……。
文句があるなら私を彼女だって嘘ついた副部長を突撃してほしい!
「ちょっといい?」
知らないふりして通り過ぎようとした私の腕が、二年女子の手につかまれる。イヤイヤ良くないよ。
私は怯える心を叱咤して、二年女子の顔を見た。
「……嫌です」
森宮高校に行くと決めた時、強くなるって決めたから。
予想外の答えだったのか、名前も知らぬ二年女子は、は? と口をぽかんと開けた。
そもそも、それでしずしずと着いて行くのは、少女漫画の世界だけだ。何で私が明らかに自分に害になりそうなことに、自ら着いて行かなきゃいけないんでしょうか。というか、どう考えても自分の害になりそうな状況下へ自ら足を踏み入れるのなんて、あれシチュエーションを成立させるためだけだからね!
「あのさ、先輩がいいかって聞いてるんだから、ハイ以外ないでしょ」
どうやらこの二年女子は体育会系と思われる。体育会系にはそんな上下関係が当たり前だし。
「私はあなたがどなたかも知りませんし、無関係なのに先輩後輩の関係性を主張されても困ります」
自分でもはっきりと言い返せたことに驚く。副部長とのやり取りがいい修行になっていたのかもしれない。
私の言葉に苦虫を噛み潰したような顔を一瞬した二年女子は、すぐに頭が回転したのかその表情に平静を取り戻した。
「私、二年の菊地って言うの。これで知り合いね? じゃ、行こ」
……名乗ればいいってもんじゃないでしょう。
「先輩の言うことを聞かなきゃいけない法律ってあるんですか? それとも何ですか校則にそう書いてあるんですか」
絶対ないと思いながら、わたしはしれっとそう言いのけた。
まさかの反撃に、菊地先輩は口をハクハクとわななかせる。
……さて、この後どうなるんだろうなぁ。
少女漫画の世界だと、本来なら、呼び出しされて、人気のないところに連れて行かれて、そしてヒロインのピンチにヒーローあらわる! っていう筋書きがセオリーなわけだけど、現実でそんな都合がいい話があるわけがない。だから少女漫画の世界にキュンキュンするわけだし。
……だけど自分でもこの後どんな展開になるのか分からない。なぜなら、この菊地先輩がどうやらしつこい人だと知っているからだ。
「何よ! 自分が好かれてるからって余裕ぶって」
あの……菊地先輩、できたらその声は小さくしていただけないでしょうか。頼むだけ無駄だし火に油だってわかってるから口には出せないけど、一年生の視線を集めてます!
それに、そんな事実はありません!
そう考えて、ふと止まる。
……副部長のついた嘘って、否定してもいいんじゃないかな。だって事実じゃないわけだし、私には何もメリットがない話だし。寧ろほら、こんな風に実害が出てるし。
「いえ、私と副部長は付き合ってません」
最初からこれ言っとけばよかったんじゃん! ホッとした私とは対照的に、なぜか菊地先輩は怒りの表情を私に向ける。
……なぜ。
「あんたそう言うつもりで畑下と付き合ってるの」
……いや、だから付き合ってないって言ったし!
「菊地先輩、私の言ったこときちんと聞いてましたか? 私と副部長は付き合ってないって……」
なぜか菊地先輩は私ににじり寄ってくる。……ひえぇ。怒りの表情の女子から壁ドンとか全然キュンとしないし!
誰か助けてくれないかな、と周囲を見渡すと、チラチラとこちらを気にしている様子ではあっても視線を逸らす人が大半で、一部は気にした様子のまま私たちの横を通り抜けて行く。……そうだよね、困ってたって面倒そうな様子なら助けようとか思わないよね。それがこの世のことわりだよね。
「何よ! 愛されてるからって余裕ぶって」
キョロキョロしてたら、好かれてるから更にランクアップしちゃったんだけど、何でそうなったんだろう?
……菊地先輩って、思い込み激しいんだなぁ。
はぁ、と私がため息をついたのと、パシリ、と私の頬に刺激が走ったのは同時だった。
「先輩、それって内申に響きそうですね!」
菊地先輩はぎょっとしていたけど、私はホッとした。隣に、綾が立っていた。
「な、何よ!」
「ゆい坊、ほっぺ後で冷やすんだよー。で、私はヒーローになるには遅すぎた?」
綾が首をかしげる。私は首を横にふった。綾は十分ヒーローだった。
「ううん。ありがとう」
「ちょっと、話はまだ終わってないのよ!」
どうやら、菊地先輩はまだ話を続けたいらしい。私と綾は顔を見合わせて肩をすくめた。さっき綾に“内申に響くよー”って忠告されたのに、全然効いてないみたいだ。
「……北原」
聞こえてきた聞きなれた声に、菊地先輩がハッとして、その声の主とは反対側に走っていく。
ホッと私が息をつくと、声の主が近づいてきた。
「何だか面倒そうなことになってるな」
「諸悪の根源が何言ってるんですか」
しれっと現れたのは諸悪の根源、副部長だった。
「私部活に行かなきゃだから、行くねー。ゆい坊ほっぺ冷やすんだよー」
あっさりと手を振って行く綾を、私は見送る。肩が叩かれて、副部長を見た。
「ほら、目立ってるから部室行くぞ」
副部長は階段を下りていく。それには反論の余地はなく、私は渋々その後を追う。
下の踊り場の横にあった水飲み器で、副部長はハンカチを濡らす。
「冷やしとけ。赤くなってるぞ」
「ありがとうございます」
私は素直に受け取って、頬にハンカチを当てると、ひんやりとして気持ち良かった。
「どっかの少女漫画のヒーローみたいだったろ。キュンとしたか」
階段を下り切って部室に向かう道すがら、副部長が振り向く。
「残念ながらこれっぽっちも」
私は大げさなぐらい首を横に振る。
「まあ、あれはヒロインの方に既にヒーローに好意があるから成立する話だな」
「いいえ。そう言うことじゃありません。その前に現れた綾……友達の方が、断然ヒーローでしたよ」
「あの友達と一緒に居た時に声かけられたんじゃないのか?」
「いえ。菊地先輩に頬を叩かれた時に助けに入ってくれたんです」
「そうか。いい友達だな」
「そうですね。いい友達です」
心がじんわりと温かくなる。あの時の綾の態度が、本当に嬉しかった。
「そうか。ヒーローになり損ねたか」
ポツリと呟く副部長に、私はため息をついた。
「副部長じゃ、少女漫画のヒーローにはなれないと思います」
副部長がムッとする。
「ヒロインがその時に恋心に気付いてヒーローになれるかもしれないだろ」
「何が言ってるんですか。それって私が副部長に好意があるって話ですよね! ありえません」
意気込んで言う私に、副部長がクスリと笑う。
「まあ、今はそれでいいけど」
前を向いた副部長に、私は噛みつく。
「今はとか今じゃないとかありえないんですけど! どんだけからかいたいんですか」
「え? そりゃ、ずっとだな」
振り向いた副部長はニヤリと笑っている。
「いたいけな部員をからかうの辞めた方がいいですよ」
私は大げさにため息をついた。
「からかいたくなるような反応する方が悪いだろ」
おかしくない?
「あんなことされたら誰だって」
壁ドンに顎クイ、それから……それらを思い出すと、赤面したくもないのに顔に熱が集まるのが分かる。
「ほら、そんな反応する方が悪い」
「絶対悪くないですし」
ムッとした私を見て、副部長は楽しそうに笑って部室のドアを開けて中に入る。
それに続くように部室に入って、先に席に着いた副部長が手を出すのを見て、私はぴキリと固まる。
でも、と何とか気を取り直す。
今日の小説、そんなつもりで書いたわけじゃないんだから、副部長の言ったことをいちいち真に受けなくたっていいんだって。
「北原」
気が付くと、目の前に副部長がいて、私はぎょっと目を見開く。
「な……んですか」
「ほっぺたまだ赤いぞ」
そう言って副部長は私の頬をするっと撫でる。いつの間にか冷やしていたハンカチを頬から外していたみたいだ。
「セクハラです!」
私はちょっとしか距離のなかった壁に突き当たるまで逃亡する。
「ひどく腫れてないか見てやったんだろ。心外だな」
本気でそう言っているように見える副部長に、私は悪いことをしたような気がして申し訳ないような気分になる。
「すいません。折角心配してくれたのに」
「いや、からかったついでだし。まだ冷やしとけよ」
ケロッと言い放つ副部長に、私は言葉を発せなくて、体で地団太を踏む。
「人の話聞いてないのが悪いんだろ」
またいつもの席に戻る副部長に事実を指摘されて、流石に文句も言えない。
「ほら、今日のは?」
気にする必要はないと思いつつ、私は渋々作品を出す。
いつものように副部長の沙汰を待つ。ただ、その副部長の表情が読み進めるうちに、ニヤニヤしたものになったのにとてつもなく居心地の悪い気分になる。
「北原、ヒロインの気持ちが知りたかったのか」
読み終わった副部長は、後ちょっとの刺激で笑い出しそうだ。
「狙ったわけないですし。それにそれ、場所は体育館裏ですよ。決してあんなに人目のある廊下じゃありません」
今日の話は……現実にはありえないだろうヒーローがヒロインを助けるために出てくる話だった。
……そう。さっきのシチュエーションが一歩間違ってしまうと、今日の話にかなり近い話になる。
でも、場所も違うし、副部長が出てきたタイミングも違うし、私はそもそも副部長のこと好きじゃないしね!
だけど、何か気まずくて、見せたくない気分になったのだ。どうせこんな反応だろうと思ったし……。
「で、今日は何が足りないんですか」
どうせダメ出しをされるだろうと、私は先手を打つ。シチュエーションが似ていたのは本当にたまたまで、私はヒロインの気持ちなんてこれっぽっちも味わいたくなかったわけだから、この話を引き延ばしたいわけもない。
「ハラハラ感だな」
「はぁ」
一応きちんと聞いてはいるが、どうにも同意しかねる。
「さっき、ハラハラしただろ」
「ハラハラはしませんでしたよ。面倒だな、とは思ってましたけど」
「……お前、変に肝が据わってるな」
ため息をついた副部長は、ありえないと言いたそうだけど、それは正直な答えだ。
「あんな人目のあるところで何かする勇気がある人間が、呼び出しなんてしませんからね」
ま、実際には軽くビンタされたけど!
「……だからそうなのかもしれないけど、このヒロイン、ハラハラしてる感じがなくて、ヒーロー出て来るのわかってただろ、って思うんだよ。だから、キュンとしにくい」
何だかそれには納得がいくような気がして、うむ、と相槌を打った。
「というか北原。お前、恋愛小説には不向きな気がしてるんだけど。書くの辞めたら?」
何てこと言い出すんだ!
「嫌です! 絶対副部長がキュンとする話書いて見せます」
意気込む私に、副部長がクスクスと笑う。
「じゃ、またテスト明け楽しみにしてるわ」
「……テスト明け、ですか」
渋々頷く私に、副部長がニヤリと笑う。
「キュンとしたのが書ける自信がないなら二週休みでいいぞ」
「書いてきます」
「じゃ、テスト明けな」
……何だか嵌められたような気がしなくもないんだけど……私、副部長に無理だろうって言われると条件反射で反抗したくなるようになったみたいだ……。
……まあ、テスト期間だからってずっと勉強してるわけでもないし、気晴らしに副部長を唸らせる名作を書いて見せる!
……からかわれないネタ、あるかな。