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二話目 足りないのは臨場感

 しんと静まり返った文芸部の部室に、パサリ、とテーブルの上に紙が置かれた音が響く。

 副部長の反応を待って緊張しすぎた私の喉はカラカラで、唾も飲み込めそうになかった。


「北原さ、なんでこれ選んだわけ」


 前髪がもっさりと眼鏡にかかっている副部長を見るにつけて、前髪を切ってしまいたくなる衝動にかられるけど、今はその奥の目が見えないことに逆に感謝した。明らかに呆れたその声に、副部長の目はきっと冷ややかだと思うからだ。

 ……四月から二ヶ月文芸部に在籍してても副部長の目を見たことがないため、完全に想像しているだけだけど。

 まさか題材選びから追求されるとは思わなかった私は、考えていた言い訳が口にできなくて、ハクハクと口だけが動く。


「俺は、キュンとする場面を書いてこいって言っただろ。砂糖吐くぐらい甘くしろって」


 確かに先週、私にとって中学の時から書き溜めていた力作であったはずの小説を読み終えた副部長は、これが恋愛小説って言っていいのか、とバッサリと私の作品を切った後、私の作品にはキュンキュンする感じが足りないのだと言った。……かなりマイルドに意訳してるけど、副部長のその言葉の切れ味の鋭さと言ったら、私の心から血が噴き出た。

 一応、反撃してみたけれど、全敗で、最終的に短くていいからキュンとする話を書いてこいと宿題を出された。

 そして結果はこれだ。題材からしてダメらしい。


「壁ドン……この間読んだ少女漫画にもありましたよ」


 何とか私が頭を絞って出した答えはこれだった。

 そもそもその漫画を見て壁ドンを題材にしようと思ったのだ。安直だと言うなかれ。私はその漫画にインスパイアを掻き立てられたのだ! ……あまりにもネタが思いつかずに少女漫画を本屋に探しに行ったのは秘密だ。


「それでこれのどこがキュンとするんだ」


 言わないでください副部長。


「……壁ドン?」


 首をかしげる私に、副部長がふ、と笑った。バカにしたみたいに!


「キュンとさせるのに臨場感が足りないんだよ」

「……臨場感」


 臨場感とは何ぞや。全て妄想により出来上がっている私の小説に……臨場感とな?


「そう、臨場感。今自分が壁ドンされてる気分になる臨場感」


 ……私の妄想では不十分と。


「そうですか」

「されたことないの」

「……すいません。生憎体験したことがないので」


 あると思うか、こんな地味な文芸部に入るようなこの地味な女子高生に!


「ま、そうかもね」


 何だかムカムカしてきたぞ! 何だそのわかってたけどな、って反応!


「自分はしたことあるんですか」


 勿論反撃だ! 地味な文芸部に入るような地味な副部長にそんな体験があるわけがない! でも私の反撃など、副部長にはクスリと鼻で笑われた。


「したいと思ったことなかったし」

「出来なかったの間違いじゃなくてですか」


 つい反論してしまった。でも、副部長は機嫌を損ねる様子はなくクスクスと笑うだけだ。


「そもそも、あれは女子の妄想でしょ? 男子があれをしたいと……思う?」


 果たして男子が壁ドンをしたいのか、そんなことは考えたこともない。


「そんなの………イケメンだから許される特権ですよ。あれをイケメンじゃない男子がしたら……それはもう悲惨でしょうね」


 返事にもなってないのは重々承知だが、完全に副部長に対する嫌味だ。


「北原言うね」


 でも、副部長は気分を害した様子はない。


「……というか、副部長先週からキャラ変わりましたよね? 先々週まで、ぼそぼそしゃべってたじゃないですか! 何で急にはきはきしゃべり出したんですか」


 そう、先々週まで、副部長はその見た目にふさわしいぼそぼそしたしゃべり方だったはずだ。先週は私の力作をバッサリと切り捨てられたショックでそんなことにも気付いてなかったけど、よくよく考えれば先週からしゃべり方が変わっている!


「え? 北原に猫かぶる必要を感じなくなったから」


 ……あのぼそぼそとしたしゃべり方が猫かぶりだったと……。つまり? 副部長はこっちが素と言うことなわけ?


「あの、副部長はドSだったりしますか」

「さあ、どうだろう? 言われたことはないけど」


 ……そうか。幸運な人々はこれを味わったことがないらしい。


「先週の酷評は、実にドSだったと思われます。あんな切れ味、私は求めてませんから!」

「そう言われてもね、つまらないものはつまらないんだから、仕方ないよね」


 ……一読者にそう言われてしまえば、反論などできるはずもなく。


「……今日のダメですか?」

「勿論、やり直し。題材は変えること」


 はぁ、とため息をついて、私はテーブルの上に置かれた紙を手繰り寄せた。

 これも、力作だと思ったんだけどなぁ。

 紙を二つに折ると、カバンに入れる。


「さて、帰るか。北原、電気消してくれる?」


 まだ外は明るいとは言え、北側の奥の部屋を部室として宛がわれた我らが文芸部は電気をつけなければ薄暗い。

 私は副部長に言われるまま電気を消す。途端に部屋の中は薄暗くなる。


「部室で過ごす時間が長い部活なんですから、もっと日当たりのいい部室がいいですよね」


 私が振り向くと、間近に副部長がいてビクリとなる。


「な、何ですか?」

「壁ドン」


 私の疑問に、副部長はそう答えて、私を壁に押し付けるように両手を壁についた。

 え?!


「いやいや、副部長。べ、別に実地なんか必要ありませんし、それにこれはイケメンだから許される所業ですよ?」


 うろたえつつ、私はどうどう、と副部長を落ち着けるつもりで嫌味を言った。この状態でも嫌味を口にできた自分を自分で褒めたくなる。


「ああ、そう言えばそう言ってたな」


 副部長が片手を壁から離して、眼鏡を外す。……いやいや、眼鏡を外したからかっこよくなるんなら、文芸部の副部長はもう有名人でしょうよ。イケメン観察が趣味の綾の口から、聞いたことないよ?

 私は副部長が離した手の方から逃げようと、体をずりずりと横に滑らす。すると、消したはずの電気がまたついた。


「これなら、いいわけ?」


 外した眼鏡を持ったまま前髪をかき分けた副部長の顔は………私の動きが止まるくらいにイケメンだった。目はパッチリ二重の、そう言えば鼻筋は通っているし……いや、顔のパーツの配置が絶妙なんだと思う。それをなかったことにしているのが、もっさりとした髪型だ。顔の半分くらいを覆い隠す前髪が全てを台無しにしている。


「で、これならいいわけ?」


 眼鏡を持ったまま、副部長はまたその手を壁につけた。

 手を離したせいで前髪に隠れて見えなくなったご尊顔に、私は我に返る。


「いやいやいや、副部長、これセクハラですから」

「イケメンならいいって言ってただろ」


 副部長、それは自分で自分がイケメンだと言ってますね? まあ確かにイケメンだったけど!


「いやいやいや、イケメンとか関係ないですから」

「北原が砂糖吐くくらい甘い話を書けないから手伝ってやってるんだろ」

「だからセクハラですって!」


 私の力説に、副部長は大きなため息をつくと、ようやく手を離してくれた。


「北原の作品にも、これでリアリティが生まれると思うんだけどな」

「な……にがリアリティですか! そもそも次の題材は変えて来いって言ったの自分じゃないですか」

「ま、経験しといて損はないだろ。北原に足りそうにないのは、実地だろうしな」

「今のじゃ何もわかりませんよ! べ、別に副部長のこと好きなわけでもないですし」

「そうか? 顔赤いぞ」


 どうやら私の顔は赤いらしい。


「急にあんなことされたら誰だって赤くなります」


 ならない人の方がおかしいくらいだ!


「そのドキドキを、作品作りに役立てるんだな。じゃ、カギ職員室に返せよ」


 私の顔を赤くした犯人である副部長は、ぽい、と鍵を渡しに投げてよこすと、カバンを持ってあっさりと帰って行く。


「何であんなことしたんですか?!」


 ドアを開けた副部長に投げかければ、副部長は振り向いてクスリと笑った。


「面白そうだったから」


 パタン、と閉まったドアに、私は床にペタンと座り込む。


「極悪人め。何だ面白そうだったからって! 乙女の純情を返せ」


 手で顔を覆いながら、その手に伝わる顔の熱に、自分の顔が赤くなっているのがよく分かる。


「あれ、北原何で床に座ってるわけ?」


 なぜか戻ってきた副部長がドアから顔を覗かせる。


「何ですか?」


 ギロっと副部長を睨むと、副部長はまたクスリと笑った。


「気まずいからって来週休むなよ。クラスまで迎えに行くぞ」


 私の思考を読んだかのような忠告に、私はムッとする。


「休むわけありません。別にあんなセクハラ受けても、私は受けて立ちますよ!」

「なら良かった。じゃあな」


 パタンと閉まったドアに、私は腹いせに手に持っていた鍵を投げつけた。

 乙女の純情を返せ!

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