エピローグ
スマホを見て、待ち合わせの時間が後十五分あることを確認する。今日は祐太郎先輩とデートだ。
私はクーラーにひんやりと冷やされた腕をさする。ひらひらした袖に違和感しかない。
暑いからと、待ち合わせは駅ビルの中になった。そう考える人は他にもたくさんいるみたいで、世間一般的にもお盆休み中ってこともあってか、駅ビルのエントランスは人であふれている。
地元で慣れてるはずの場所なのに、着なれない服に、ソワソワと落ち着かない。
ふんわりとしたワンピースは、昨日綾たちと会った時に見繕われたもの。なぜか唐突に「伝説のカップルにキュンキュンを!」と突然言い出した綾に唖然とした私に罪はないと思う。綾は唐突過ぎる。そして、みんなノリがいい。……リアル着せ替え人形の気分だった。
変えたのは服だけじゃない。髪型もちょっと変えた。化粧もしてみた。実は大学生になったけど、化粧はまだきちんとしたことがなくて、せいぜい色付きリップくらいのものだった。化粧の仕方も、昨日みっちりレクチャーされた。だから、完成した自分を見て、何だか他人を見るみたいだった。
これで、祐太郎先輩をキュンキュンさせることが本当にできるだろうか。
「え? 北原?」
記憶の底が動かされる。動いたのは、嫌な記憶だ。
顔をあげると、予想通り中学の同級生が立っていた。面白いターゲットを見つけたとでも言うように、同級生はニヤニヤしながら私に近づいてきた。
「うわー。北原が着飾ってるとか引くわ。でも、あんたの彼氏も、ダサかったらしいね。前に先輩から聞いた」
どうやら高市先輩は、どこかで腹立ちまぎれに私たちのことを口にしたらしい。……どうでもいいけど。祐太郎先輩が好きだし、どんな格好してたってその気持ちには変わりがない。祐太郎先輩が祐太郎先輩らしくいられるのなら、それでいいと思っている。
「それがどうかした? 用事はそれだけ? 私には用事はないんだけど」
「うわー。北原の癖に生意気」
「ごめんね。あなたが誰かもう名前も忘れてしまったんだけど? ちょっと不安だから録音させてね?」
私はスマホを取り出して、録音を始める。
「は? 何なの北原の癖に、私の名前忘れたとか」
「北原の癖に、ってどういう意味か説明してもらってもいい?」
私は真面目な顔をして彼女の顔を見つめた。
「あんた、中学の時にいじめられてた癖に」
「いじめられてた癖に? それがどうしたの?」
「はぁ? 何言ってるわけ? いじめられてたってダサいでしょ。知ってる? 私が無視しようって言ったら、みんな同調してきたんだよ? あんた本当に人徳なかったんだね」
そうか、やっぱり。
彼女はクラスメイトでもあったけど、部活も同じだった。だから、仲は良かったし、いじめが始まる前まで、一番長く一緒にいた友達だった。だけど、一番最初に私を無視した相手でもあった。仲良かった相手のはずなのに、本気で名前を記憶の底に押しやってしまうほど、辛く悲しい記憶だから。
「そう。私は別に裁判所に訴えるのも、それで人にいじめられてたって知られるのも平気だけど。いま、無視始めたのは自分だって言ってくれたしね。十分訴える理由にはなるよね」
時効はあるはずだから、訴えられるかは微妙なところだ。だけど、つけられた傷には、時効なんて関係ないって、つきつけたかった。
「はぁ? 何言っちゃってるわけ?」
その憮然とした表情に、こんな人友達なんかなじゃいと思う。
「お遊びで、クラス全員に無視を誘導するって、どこまで遊びだって認められるか、裁判所で自分で確認してみて。私もまだ勉強し始めたばっかりで、よく分からないから。今、大学で弁護士目指して法律の勉強してるんだけどね」
「な、私たち友達だったじゃない」
焦った彼女は矛盾したことを言い出す。
「友達が人の彼氏をバカにしたり、私の癖にって言うんだね。私はそんな友達ならいらない。もっと友達って言える人たちを知ってるから。あなたより何十倍も素敵な友達が、もういるから」
悔しそうに唇をかんだ彼女は、ギロっと私を睨む。
「彼氏がダサかったくらいなんだから、友達もダサいんだろうね」
「ダサくて悪かったな」
私と先輩の間に入ってきたのは、間違いなく祐太郎先輩だった。その声もその背中もよく知っているものだ。
「え?! 誰?!」
戸惑ったような同級生の声に、私は首をかしげる。
ダサくて悪かった、って言ってるんだから、私の彼氏だって分かるだろうに。
「由以子の彼氏だけど? なんか問題があるわけ?」
「え?! いや、新しい彼氏?」
その同級生の困惑っぷりに、私の頭の中に疑問符だけが沸き上がる。新しい彼氏?
「で、俺の彼女に何か用? いじめてるようにしか見えなかったけど」
「いや、いじめてるわけじゃ……。久しぶりに会って、懐かしいねーって言ってたんです! あの! 今からどこかでお茶しませんか」
その同級生の声が高くなって媚びたものになった。
「さっき、由以子に言ってる内容聞いてたけど、何だっけ、侮辱罪ってやつで訴えてもいいレベルだと思うわけだけど、訴えてもいい?」
「え? いや、何も言ってないですから!」
そそくさと同級生がこの場から離れて行く。
「祐太郎先輩? ありがとうございました」
一体何が? そう思いながら、祐太郎先輩の服をつんつんと引っ張る。
振り向いた祐太郎先輩に、私は目を見開く。
「あー。やられた」
なのに、祐太郎先輩の方が顔を赤くして私を見ている。
でも、きっと私の顔も赤くなってるはずだ。
「祐太郎先輩……前髪は? メガネは」
そのどちらもが、祐太郎先輩の顔にはなかった。いや、前髪はある。でも、この間まであったみたいに、目を隠すような長さじゃない。スッキリと顔が出ている。
つまり、祐太郎先輩のご尊顔がありありと晒されていた。
何度も見たことはあって見慣れてはいたけれど、私の心臓が、いつも以上に動き出す。
ずるいよ、祐太郎先輩。私は頑張ってキュンキュンさせようと思ったのに。祐太郎先輩は素で私をキュンキュンさせられるなんて。
「由以子を見てて、俺もそろそろ変わらなきゃな、って思って」
その言葉に、私は首をかしげる。
「何もしてないですよ」
「してるよ。由以子は俺に多大な影響を与えてるんだよ」
祐太郎先輩が私の頭を撫でる。
「由以子頑張ったな」
「頑張りましたかね?」
「素敵な友達がいるってきっぱりと言い返したの聞いて、ものすごく惚れ直した」
するっと口に出された言葉に、素直に嬉しいとは思いつつも照れる。
「ありがとうございます」
「由以子は強いな」
その声が本気でそう思ってくれていると分かって、私は首を横に振る。
「正直、昔だったら、同じように言い返せてたかどうかは分かりません。でも、祐太郎先輩とか、友達のおかげで、言い返せたのかもしれません」
「俺……特に何もしてないよ」
祐太郎先輩が困ったように肩をすくめる。
「私が大切にしていて、私を大切に思ってくれている人がいるって知ってるから、反論だってできるんですよ。だから、ずっと隣にいてくださいね?」
ぎゅっと祐太郎先輩の手を握って、祐太郎先輩を見上げる。
祐太郎先輩が顔を片手で覆う。
「俺をキュンキュンさせてどうしたいわけ。小説ではキュンキュンさせられたことないけど、現実でさせられるとはね」
「一回は小説でキュンとさせたじゃないですか!」
ムッとする私に、祐太郎先輩が肩をすくめる。
「そうだっけ?」
絶対忘れてないと思うんだけど!
「またキュンとする小説書いてみせます!」
「ああ。楽しみにしてる」
祐太郎先輩が微笑む。
でも、きっとこれからは私の勝ちが続くはずだと思うんだけど。
だって、私が書く物語は、祐太郎先輩へのラブレターだから。
完
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
以前の作品に手を加えて変更した部分や追加した部分もあり、一度読んだことがあった方も、新鮮な感じで読めたんじゃないかな、と思っています。
楽しんでいただけたのであれば幸いです。