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二十二話目 足りないのは文才

 最近昼間は暖かくなってきて、コートもスプリングコートで事足りることが増えた。三月の日差しの中、待ち合わせの駅前に走って来た祐太郎先輩に私は手を振る。


「はい」


 辿り着いた祐太郎先輩から差し出されたのは、表に文章が書いてあると分かる裏返された紙だった。

 一年前ならまだ辛うじてあったこのやり取りも、祐太郎先輩が大学生に、私が受験生になってからは、ぱったり途絶えた。

 私が文芸部ではなくなった、と言うのが一番目の理由だけど、祐太郎先輩に会えるのが減ってしまったのが最大の理由かもしれない。

 森宮高校にはもう文芸部はなくなってしまった。私が二年生の時には、綾を初めとした幽霊部員のおかげで文芸部はギリギリ存続したけど、私の代を最後に文芸部はつぶれてしまった。実質一人の文芸部じゃ、胸を張れるような活動もなかったから。


 部室は私の執筆部屋兼、祐太郎先輩の勉強部屋でもあった。……やましいことはしてません!

 二年最後の文芸部引退の日、文芸部の部室の115号室の鍵を返す時、祐太郎先輩も来てくれて、本当に文芸部の活動はお終いなんだって切ない気持ちになった。

 祐太郎先輩との関係も、友達たちとの関係も何もかわらないはずなのに、色んな事があった文芸部の部室と本当にさよならするんだって思ったら、思い出の場所がなくなってしまう気がしたのかもしれない。


 祐太郎先輩は見つけたやりたいことのために、県外の大学に進学した。高速バスで二時間ほどの距離は、近いようで遠い。

 それで私たちの間でこんな紙のやり取りが途絶えていたわけだけど、はっきり言って、祐太郎先輩から作品を差し出されたことはない。

 正月以来二ヶ月半ぶりに会ってすぐ差し出されたこの紙に、私は当然困惑した。


「これ、何ですか」


「前に由以子が、俺の作品が読みたいって言ったろ」


 確かに付き合い始めた頃に言ったことがあった気がする。でも……。


「テーマは自由で実地つきって言うから却下したじゃないですか」


 一体何をさせられるのかが怖くて、テーマが自由なら私が書きます! って宣言したはずだ。


「でも、俺の作品が読みたいって言ったろ」


 私を見る祐太郎先輩の目は、前髪に隠されてよく分からない。でも、口許が緩んでいるんだから、絶対目も笑ってるはずだ。

 一体何を企んでるんだろうと、身構えずにはいられない。


「……嫌です」

「読めよ。早く読んでくれないと、この後の予定が狂うだろ」

「この後の予定?」

「デートの時間が短くなるぞ」


 そう言われてしまえば、二ヶ月半ぶりのデートを満喫したくて、読まざるを得ない。

 私は渋々渡された紙を受け取って、裏返した。




「……た、足りないのは文才です!」


 私が叩きつけるように祐太郎先輩に言ったのに、当の祐太郎先輩はこれっぽっちもダメージが無さそうにニヤニヤしている。私のうろたえっぷりを楽しんでるみたいだ。


「そうか。だろうな」


 その答えから、文才など必要ないと思っていることがありありと分かる。


「由以子顔赤いぞ」

「だ、誰のせいだと思ってるんですか」

「赤くなるような内容じゃなかったと思うんだけど?」


 祐太郎先輩の言葉に、私はグッと唸る。確かに、そんなこと書いてなかったけど……どう考えたって、その先を予想してしまうのは仕方がないと思う。


「そんな反応してくれて嬉しいけど」


 ふふん、と告げる祐太郎先輩に、私はやられた、と思ってムッとする。


「これ、小説って形にする必要あります?」

「え? 由以子が前に俺が書いたやつ読みたいって言ってたから書いてみようと一念発起して頑張ってみたんだけど」

「それ頑張るところじゃありません」

「……由以子はまだ……嫌?」


 急に真面目な声で言われて、私は目をそらして首を小さく横に振った。


「なら、旅行行こ」


 私はどこか不安そうな祐太郎先輩に、コクリと頷いた。

 祐太郎先輩が書いてきたのは、私と祐太郎先輩が主人公の……旅行記みたいなもの。ほとんど淡々と旅程が書いてある感じで……小説とは言えないと思う。

 付き合いはじめて約二年と半年。

 キスはしたことがある。

 でも、その先はまだない。


 *


 今日のデートは楽しかった。

 受験生から解放されたって気分もあるし、祐太郎先輩に会うのが2ヶ月半ぶりってこともある。

 特に変哲のないデートなのに、ものすごく楽しく感じた。

 勿論、三月末に約束した祐太郎先輩との旅行も、その楽しさに拍車をかけたのは間違いない。

 私だって、付き合って二年半、キスの先に進まないことに、ちょっとした不安はあったのだ。……勿論、その先にも不安はあるんだけど……。

 でもそんなこと、口にすることは勿論、文章に書けるわけもない。

 それに去年は祐太郎先輩が受験生で、今年は私が受験生で、そんな煩悩なんて振り払わなきゃいけないわけで。

 だから、今日のデートがいつもと同じ八時で終わりだとしても、私には満足だった。


 はずだった。

 なのにどうしてこうなったんだろう?


「そうね。今まで祐太郎くんが由以子のこと大事にしてくれてるのも分かってるし、こうやって筋を通そうとしてくれるくらい真面目なのも知ってる。だから、許すわ」


 なぜ、祐太郎先輩は、一緒に夕ごはんを食べていて、お母さんに旅行の許しを得てるんだろう。

 私は恥ずかしすぎて、お母さんを見れない。この年で彼氏と旅行するなんて意味は、ゴニョゴニョも含むわけで……。


「ありがとうございます」


 どこか緊張した様子の祐太郎先輩は、そう言って頭を下げた。


「本当に祐太郎くんって真面目ねぇ。イケメンの上に真面目って両立するものなのね」


 ありうるだろうと思う感想をのべたお母さんに、恥ずかしそうに首を横に振った祐太郎先輩の額は出され、眼鏡は外されている。

 祐太郎先輩は、付き合い始めたその日、うちに挨拶に来た。そしてそのヨレヨレになったせいで露になったご尊顔をうちのお母さんに見せたまま、女性が苦手なこと、でも私のことを好きになったこと、そして大事にします、と言って、お母さんに交際の許しを得た。

 それ以来、祐太郎先輩はうちの門をくぐった時だけ、ご尊顔を出している。

 その顔にうちのお母さんが一瞬見惚れていたのを見逃さなかったんだろうな、と思ってはいる。

 ただでさえ信頼のあった祐太郎先輩が、お母さんを完全に味方に率いれた瞬間を、私は見た。


「お父さんには、綾ちゃんたちと旅行だって言っとくわ」


 まさしく私がお母さんに使おうと思っていた嘘の理由がお父さんには使われるらしい。

 因みに、祐太郎先輩はうちのお父さんとも既に対面済みだ。緊張した祐太郎先輩と緊張したお父さんの組み合わせは、カレカノの報告としては、なかなか緊張感溢れるものだったように思う。


「いえ。お父さんにも嘘はつきたくないんです」


 予想外にそう言い張る祐太郎先輩に、お母さんが苦笑する。


「さすがに、お父さんがショック受けてかわいそうだから」


 ……まあ、そうかもしれない。私が親でも複雑かもしれない。


「……でも」

「祐太郎君が真面目なのは分かってるから。ね」


 宥められるようにそう言われて、祐太郎先輩は頷いた。


 のに、祐太郎先輩は、何でうちのお父さんとリビングで御対面してるんだろ?

 私の左側に座る祐太郎先輩の緊張した面持ちのせいで、お父さんの緊張がどんどん高まって行くのが分かる。


「あの……由以子さんと」

「由以子と」


 お父さんがごくりと唾を飲む。

 お父さんの隣に座るお母さんは、あまりに真面目な祐太郎先輩に、諦めたみたいに微笑んでいる。


「一緒に」

「一緒に」

「行きたいんです」

「え?! プロポーズ?!」

「へ?」


 祐太郎先輩が戸惑う。勿論、私とお母さんも。


「由以子と一緒に生きたいって」


 ……祐太郎先輩、“旅行”が抜けてるし。


「それはいずれ改めてさせていただきます」


 あっけに取られて緊張が抜けた分、冷静になったんだろう祐太郎先輩の口調は、私がよく知るものだ。だけど!


「まだ早いよ」


 お父さんを泣かすのにも、十分な破壊力だった。


「では、由以子さんと旅行に行くのは」

「それくらいはいいけど」

「許可していただいて、ありがとうございます。今月末、由以子さんと旅行に行ってきます」

「へ? 旅行?」


 お父さんは、自分が許可したものに、ややうろたえている。


「ええ」


 ものすごく爽やかそうな表情で頷く祐太郎先輩に、お父さんが項垂れて、そして勢いよく顔を上げた。


「成人するまでは、清い交際で!」

「由以子さんのことが大切なので、僕が責任を持てるようになるまでは無責任なことはしません」


 きっぱりと言い切った祐太郎先輩に、じわじわと喜びが湧き出てくる。持っていたちょっとした不安は消えた。


「由以子、顔真っ赤よ」


 ふふふ、と空のコップを持って立ち上がったお母さんが私に耳打ちしてくる。


「いい子彼氏にしたじゃない。お母さんは、賛成よ」


 ……お母さん、一体何に賛成したんでしょうか。

 ちらりと私を見た祐太郎先輩が、すっと左の薬指をなぞる。

 ……文才はないくせに、どうしてこんなに私を喜ばせるのが上手いんだろ。




 玄関先で、祐太郎先輩を見送る。


「文才はないくせに」


 今日は散々お父さんとお母さんの前で恥ずかしい気持ちにさせられたし、いつも翻弄されてばかりだから、一つぐらい嫌味を言ったっていいと思う。


「でも、由以子との物語は、俺しか一緒に作れないからな」


 私を真っ直ぐ見つめて言う祐太郎先輩に、私は恥ずかしくて顔を覆う。完全に負けた!

 私の髪をクシャリと祐太郎先輩の指が乱す。私が顔を上げると、祐太郎先輩が優しく笑う。


「じゃ、また明後日。……後輩さん」

「はい、また明後日。……先輩」


 私が手を振ると、祐太郎先輩はさっと手を挙げて帰り道をたどって行く。

 祐太郎先輩はこっちで単発のバイトをすることにしてて、明日はそのバイトがある。

 私も引っ越しの準備だとか、友達たちとの約束もあるから、祐太郎先輩がこっちに戻ってきてるからって、毎日デートってわけでもない。

 だけど、今日突然三月末の旅行の予定が入ったから、少しだけスケジュールの調整が必要になる。でもきっと、友達たちは笑って許してくれるだろう。なんたって、伝説のカップルだから。

未だに言われ続けてるのは、あの翌年の文化祭から、あの“未成年の主張”で告白が流行ったからだ。一番初めに告白をした、しかも成立したカップルとして、私たちは本当に伝説になってしまったのだ。


 それから、私は四月から祐太郎先輩と同じ大学に通うことが決まっている。学部は違うけど、また先輩と後輩になる。だから、祐太郎先輩はわざわざ“後輩さん”って呼んだんだと思う。

 合格したことを伝えた時、祐太郎先輩は“まあ合格するだろうね。”ってあっさり言ってたけど、地元の大学に通う元幽霊部長にばったり会った時、祐太郎ものすごく喜んでたよ、って教えてもらったから、あの“後輩さん”って言葉は、祐太郎先輩なりの喜びの表現なんだと思う。


 そして、これからも、私たちの物語は続いていく。

 祐太郎先輩に文才はないけどね!

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