二十一話目 足りないのは甘酸っぱい感
「北原さん、部活?」
帰り支度をしたクラスメイトが声を掛けてくる。
「うん」
「副部長によろしく!」
「何であんたが副部長によろしくなんて言ってんのよ! 意味が分かんないから」
私に声を掛けて来たクラスメイトを綾が呆れた顔で見る。
「えー。だって、我がクラスの有名カップルを応援しないとね」
「……えっと、ありがと」
「だって、あの告白、伝説だから」
どうやら文化祭の未成年の主張のイベントで、告白した生徒は初めてだったらしい。いそうなものなのに、あんな場所で公開処刑されたくない人間が大半で、告白は……今までになかったと、後になって聞いた。……文化祭の後、関わるようになったクラスメイトに。
菊地先輩の件があって遠巻きに私たちを見ていたクラスメイトが、普通に会話してくれるようになった。
そう言う意味では、あの祐太郎先輩の告白は、ものすごくいい影響を与えたと言えるだろう。
私と祐太郎先輩が、派手なカップルじゃなくて、そこら辺にいる地味地味カップルだった、っていうところも、皆の応援欲を掻き立てたらしい。
……変に嫉妬されなくていいけど、祐太郎先輩の顔を知ってる私としては、少々複雑だ。
私としては、祐太郎先輩が祐太郎先輩らしくいられるなら、どっちでもいいんだけど。
もし嫉妬されて意地悪されるようなことがあっても、私は今度こそ戦うつもりでいる。
だって、祐太郎先輩のことが好きだから。
「そう言えば菊地先輩は、その後は?」
他のクラスメイトが口にした言葉に、菊地先輩の後輩と思われるクラスメイトが、そそくさと教室を後にする。
「特には何も」
「あの先輩陰険そうだもんね。……何かあったら言いなよ。力になるから」
もう大丈夫じゃないかなって思ってはいる。でも、クラスメイトが掛けてくれる声が、嬉しくなる。
「うん。ありがとう。じゃ、部活行くね」
「副部長によろしくね」
「違うでしょ」
ケラケラ、アハハ、と笑う声を後にして、私は部室に向かう。
あの文化祭の後から、私の周りの雰囲気は変わった。
だから、私も壁を作るのを辞めるようにした。
私の力になってくれるって言ってくれている手を、振り払いたくはないから。
祐太郎先輩がそんなことを思ってあの告白をしたわけではないだろう。でも、私は祐太郎先輩に感謝している。
祐太郎先輩に好きになってもらえて、また私は私らしく生きられるようになったと思えるから。
部室に行くと、鍵は開いていても、祐太郎先輩はいなかった。
前に菊地先輩が面倒だから鍵を閉めるって言ってたのは、もう終わりにしたんだろうか。
もしかしたら、祐太郎先輩の周りも、変化があったのかもしれない。まだ聞いてはないけど、今日の帰りにでも聞いてみよう。
私はカバンを置くと、カバンから作品を取り出した。
私が作品を書くのは、文化祭の準備(昔の先輩たちの作品を編集しなおして印刷して綴じる)があって中断していたけど、文化祭の翌週から再開されることになった。
祐太郎先輩曰く、あれはギリギリ合格なだけだから、らしい。
次のテーマを考えてたら、ものすごく悶えて恥ずかしい気分になるしかなかった。
だって、両思いになって、それから? って考えると、もう恥ずかしいと思うことしかないような気がしたからだ。
それに、同じテーマは禁止されてるから、デートを書くのは無理で、どうにかやって抜け道がないか考えてはいるんだけど、結局思いつかなくて、今日のテーマになってしまった。
……だって、壁ドンも、顎クイも、手をつなぐのも、デートも、ハグされるのも、全部やってしまったから。下の名前も呼んじゃったし、ささやかな触れ合いも描いてしまったし、連絡先は交換してしまっている。
そうなると、残るテーマって………これくらいしか思いつかなかった。
期待しているのか、と言われれば、期待しているのかもしれないし、まだ早いような気もするし。
もう一度読み直して、恥ずかしくて俯く。
やっぱりやめようと立ち上がるのと、ドアが開くのは同時だった。
「由以子どうした」
立ち上がってる私を、祐太郎先輩が不思議そうに見る。
「えーっと、いや、帰ろうかな、って思って」
「作品書いてきてるのに帰るって何だよ」
祐太郎先輩が机の上の紙に向かう。しまった。片付けとけばよかった。
「……はぁ」
「何? 今日の作品は自信がないわけ?」
いつもの席に座る祐太郎先輩に、私は何とも言えずに俯く。
「何その反応。見せろよ」
私が上から抑えていた紙を、祐太郎先輩は簡単に抜き去る。
私は伺うように祐太郎先輩を見る。
今日も絶賛前髪で目は隠れていて、その視線の動きは分からない。
でも、突然祐太郎先輩の顔が赤くなって口を覆ったから、まああの部分は読んだんだろう。
しばらく固まっていた祐太郎先輩が、紙を置いた。
「……なるほどな。それで帰ろうとしてたのか」
「もう書けそうなテーマが他に思いつかなかったんです! 今日は実地はいらないですから」
「……甘酸っぱい感が足りない」
祐太郎先輩は私の主張に明言はせず、作品に足りない点をズバッと切り込んできた。
「……あれで甘酸っぱい感がないとしたら、致命的じゃないですか」
あんなに悶えて書いて来たのに、甘酸っぱい感が足りないとか……。
「……実地してないからだろうな」
祐太郎先輩が私から視線を外して、でも顔を赤くしている。
「す、するつもりなんですか」
「……嫌か」
尋ねられて私は恥ずかしくて俯く。
嫌なわけではない。でも、こんな風に話し合ってすることでもないと思うのだ!
「俺は……したいよ」
ぼそり、と呟くように言われて、私は恥ずかしくて顔を覆う。
「由以子がまだ心の準備ができてないって言うなら、しない」
心の準備ができていない、か。
私がこのテーマを書いてきたのは、どこかで心の準備をしていたからだ。
だから、それはない。
ただ、ただ、恥ずかしいだけだ。
「そんなこと質問しないで下さい! 恥ずかしいんで! そんなこと話し合ってるカップルっているんですか」
「……いないかもな」
「じゃあ、聞かないでください」
カタリ、と祐太郎先輩が立ち上がる。
まだ手で顔を覆って俯く私の手を祐太郎先輩が取って、私はそれに引かれるように立ち上がる。
向かい合っても、私は顔を上げられない。
「……由以子、好きだ」
「……私も好きです」
「じゃあ、顔上げて」
祐太郎先輩の声に、私は首を横に振る。
ふ、と笑う祐太郎先輩の手が、私の顎をクイっと持ち上げる。
そっと近づいてきた祐太郎先輩に、私は目を閉じる。
「祐太郎! 失礼しました」
急に開いたドアが誰も入ってくることなくバタン! と閉まって、私たち二人は固まる。
近づいてくる様子のない祐太郎先輩に、私は目を開ける。
気まずそうな祐太郎先輩と目が合う。
「……学校ですることじゃないな」
確かに、と私も頷く。
「……あれ、真だな………からかわれるだろうな……」
あー、と祐太郎先輩が、私の顎から手を離す。
「甘酸っぱい感は、何となく分かりました」
気まずい気分を払拭したくて、私は口を開く。
なのに、祐太郎先輩の顔は真っ赤になった。
「由以子、次からキュンとする小説は書いてこなくていいから」
「……え、いいんですか?」
「じゃ、聞くけど、今回のテーマがこれだと、次のテーマは何になるんだよ」
「……何でしょうねぇ。むしろ祐太郎先輩に考えて欲しいくらいなんですけど」
「俺だって思いつかないし」
祐太郎先輩が自分の席に戻って椅子に座る。
「想像力の欠如ってやつじゃないですか。私のこと散々言うくせに」
私も自分の椅子に座って、祐太郎先輩を責める。
「……お前面白がってるだろ」
「だっていつも一方的にやり込められますからね」
ムッとする祐太郎先輩に、私はついニヤリとしてしまう。
「……そんなことないだろ。お前の書いてくる作品に、俺は翻弄されてるんだから」
「え、いつですか?」
「いつもだよ! ……今日のは特に」
目を逸らす祐太郎先輩に、私は笑みがこぼれるのを止められない。
「でも、次から文芸部の活動は何するんですか?」
「……何するかな」
「次は祐太郎先輩が書くキュンとする物語が読んでみたいです」
「は?」
私の提案に、祐太郎先輩が首をかしげる。
「だって、散々私にダメ出ししてるくらいなんですから、祐太郎先輩が書くとものすごい物語が読めそうな気がするんですけど」
「……批評する力と、書く力は違うだろ」
「そうですか? 書いてみないと分からないじゃないですか!」
嫌がっている祐太郎先輩に、私はニヤニヤと言い募る。
「……いいぞ。由以子、自分が言い出したこと後悔するなよ」
「へ?」
「実地付きだからな」
「……いやいやいや、私ので散々実地はしたじゃないですか」
「あれだけなんて生ぬるいだろ」
「生ぬるいって何ですか! 一体何書く気ですか」
一体何を書こうとしてるのか分からなくて、焦る。
「テーマの制限もなしな」
「ええー。それなら私だってまだ他の話書けますよ」
「なら、由以子が書くのか?」
「祐太郎先輩が一体どんな恥ずかしいことさせようとするのか分からないんで、それなら私が書きます」
「じゃ、テーマは制限なしで、来週もキュンとする話書いて来いよ」
「書いてきますよ」
そこまで言って、何だか罠にはめられたような気がしてくる。
「あれ、何でまた書くことになったんですっけ」
「由以子が書きたいって言ったからだろ」
……確かに、言った。
「じゃ、帰るか」
何だか腑に落ちない気分ではあるものの、私を困らせていたテーマの制限がなくなったから、まあいいとしよう。
「由以子、電気消して」
「はーい」
電気を消して薄暗くなった部室に、私は何だかクスリと笑いがこみあげてくる。
「何で笑ってるんだよ」
ドアまでやってきた祐太郎先輩に、私はニヤニヤした笑みを止められない。
「いや、壁ドンされた時は、本当にびっくりしたな、と思って」
「俺だってドキドキしてたんだよ」
知るはずもなかった祐太郎先輩のあの時の気持ちがわかって、私はますますニヤニヤしてしまう。
「じゃあ、やらなきゃいいのに」
「……そうでもしないと、由以子は俺のこと意識しないだろ」
そのためにドキドキしながらやってくれたんだと思うと、今なら許せる。
「あ」
祐太郎先輩が声をあげる。
「どうしたんですか」
「ちょっと電気つけて」
私が電気をつけて振り返ると、祐太郎先輩が真後ろにいて、唇に何かがかすった。
「え?」
「電気消して。帰ろ」
「え?」
呆然とする私から目を逸らしている祐太郎先輩の顔は赤い。
「あんな小説書いてくる由以子が悪い」
顔が熱くなるのが分かる。
甘酸っぱい感で、もうおなかいっぱいです。