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十八話目 足りないのは幸福感

「畑下はあんたのことなんて本気じゃないんだから。誰もあんたのことなんて本気になるわけないでしょ」


 廊下ですれ違う瞬間の言葉が、私にとげを刺す。その言葉が、私が中学時代に聞いていた言葉だったから、余計に。

 図書館で参考資料として恋愛小説を読んだ後、生徒用昇降口に向かっていたら、菊地先輩にばったり会った。

 特に攻撃されても平気だし、と思って気にもしないでスタスタ歩いて行ったら、すれ違いざまに、その言葉を吐かれた。


 そんなことない、って否定したかったけど、まだフワフワした関係にある私たちの中に、完全に否定できる確固とした約束はなくて、否定はできなかった。

 でも、中学の時とは違う、という気持ちだけは間違いなくある。

 あの時は、まだ恋に恋しているような状態で、何となくいいな、と思っていた男子から告白されて付き合うことにして、それが………私を馬鹿にするための出来事だったと知ったのは、それから間もなくだった。

 でも、副部長はそんなことしない、ってそんな信頼感だけは間違いなくあって、菊地先輩に大っぴらに反論できないことだけが悔しい。


 ホームルームが終わって、帰ろうとカバンに教科書を詰めていると、視線を感じて顔を上げる。

そこには菊地先輩が立っていて、何かまた言われるんだろうかと身構えたけど、菊地先輩はスイ、と視線を逸らして行ってしまった。

 何も言われなかったことにほっとしつつ、今から決戦なのに、何か嫌な感じだな、と思わずにはいられなかった。


 部室に近づくにつれ、部室から話し声がするのに気付く。

 何を話しているか迄は分からないけど、穏やかじゃない雰囲気と、副部長が会話をしてる相手が女子だと言うことに気付いて、気持ちが焦る。

 たぶん、菊地先輩だと思ったからだ。


「好きじゃないんでしょ」


 ドアノブを握ろうとして、菊地先輩の責めるような声がする。


「好きじゃなかったらどうだって言うんだよ」


 ぼそりとでも吐き捨てるような副部長の声に、ドキリとする。

 ……これは、菊地先輩が私と副部長の仲を疑ってるってこと?


「好きじゃないなら、やめなさいよ」


 どうして副部長が菊地先輩にこんなことを言われてるのかが分からなくて、ドアノブを握れずにいる。

 ……悪い予感がして。


「別にいいだろ」


 否定しない副部長に、ひやり、とする。


「本気じゃないんでしょ」

「何でそんなこと答えなきゃいけないわけ?」

「私が畑下のことが好きだから」

「意味が分からん」


 ボソボソしゃべる副部長が菊地先輩を全く相手にしてないってことだけは分かる。それが分かるから、余計祈るような気持ちで副部長の本音が、私の予想するような内容じゃないことを願う。


「それ聞いたら帰るから」

「本気じゃないよ。それでいいんでしょ。帰って」


 菊地先輩の言葉に吐き捨てるように副部長が答える。

 私はその答えに凍りつく。

 ドアノブにかけようと挙げたままだった手かだらんと落ちて我に返ると、そっと部室から離れる。

 逃げるように走り出して、靴を履き替えて、トボトボと自転車置き場に向かう。


 本当にもう、私には恋愛が分からないらしい。完全に私の思い込みだ。

 副部長は私の恋愛小説のために実地をしてくれてただけなのに、それを好かれてるんだと勘違いして、一人で盛り上がって、自分の願望を書いたりして。

 副部長のやることに勝手に意味付けして、自分のいいように勘違いして。

 今日のテーマなんて、自惚れもいいところだ。図書館に行って恋愛小説なんて読み漁っちゃって。こんなのもいいな、あんなのもいいな、とか本当に痛いくらいに妄想して。

 私が現実で告白される訳でもないのに。……副部長はただ、私の作品にリアリティーを出したいだけだ。

 そうだ。最初の頃、確かにそう副部長は言っていたのに。


 いつからだろう。副部長が私に好意があると勘違いしちゃったの。

 女子で触れられるのが私だけだからって、私だけが特別で私を好きだとも限らないのに。

 自転車に乗り込もうとして、目の前が滲んでいるのに気付く。

 勘違いして傷付くとか、本当にバカだな。

 勉強がいくらできたって、人の気持ちがきちんと読みきれないなんて人間として欠けてる。……そう中学の頃に言われたの、まだ変わってないんだな。成長が無さすぎて、自分でも呆れてしまう。

 いや本当にバカだもう。

 指で涙をぬぐうと、私は自転車に乗った。


 *


「……お母さん、か」


 三度目の着信は、お母さんからだった。

 一度目と二度目は副部長から。

 きっと部活の日なのに来ない私を心配したんだろう。私が自転車に乗ってしばらくした頃に電話をくれていた。次の電話は一時間後。きっと連絡のつかない私を心配はしてくれているんだろう。

 でもそれは、部活の先輩としての義務感だろう。

 だって、電話は二回かかってきたけど、LINEには何も届かないから。

 私は、ふ、とまだ期待している自分を鼻で笑って、通話ボタンを押す。


「もしもし」

『由以子、今どこ?』


 ちょっと焦ったようなお母さんの声に、少しドキリとする。


「県立図書館、だよ」


 本当は県立図書館の横にある公園だけど、薄暗くなってきた今の時間にそんなところのベンチで佇んでるって言ったら、心配を掛けそうだったからやめた。


『そう、県立図書館にいるのね』


 ホッとしたお母さんの声に、私は首をかしげる。


「どうかした?」

『畑下君が、由以子が部活に来ないって心配してたわよ!』


 ちょっと怒った声に、なるほど副部長が心配してうちに電話をしていたのだと理解する。


「ああ、今日部活だっけ。忘れてた」


 本当に忘れてた、みたいなつもりで告げる。他に言い訳が思いつかなかったから。


『もう! 心配かけるんじゃありません! 畑下君に電話かけるのよ! いいわね?!』

「……はい」


 お母さんに強く言われて、私はしぶしぶYesの返事をする。 


『本当にもう、心配させないでよ! 気をつけて帰ってくるのよ!』

「はい。ご心配おかけしました」


 私が従順に頷けば、その通話はプツリと切れた。

 さて、と途方に暮れる。


「副部長に……電話……ね」


 躊躇する気持ちは、半分は私が盛大に勘違いしまくっていたことに対する気まずさからだ。

 そして残りは、まだ現実を突きつけられたくないという気持ちだ。

 電話をして話をすれば、今日は来なかったんだな、で終わってしまう話だ。

 副部長には私が持っているような気持ちがないから、それ以上もそれ以下もない。


 そう、それ以上もそれ以下もないってことを痛感せざる負えないのを、私は恐れている。

 自分が失恋するのを、恐れている。

 こんな気持ちになったのは初めてで、自分でも持て余す。

 さっさと振られてしまえばいいのに、という気持ちと、その決定的な瞬間をできるだけ後伸ばしにしたい気持ち。それがせめぎあっている。


 部活に行くその前までは、この恋が成就するだろうって気持ちだけがあって、まさかその気持ちがあっさりと否定されることがあるなんて、想像もしてなかった。

 期待が大きかった分、その喪失感が大きい。

 無理かも、って思ってたんなら、きっと私は耐えれたと思う。ああやっぱり無理だったな、って思えるから。


 でも、私は盛大な勘違いを積み重ねてしまった。だから、この恋が成就するだろうと期待していた。

 ……それには、副部長も責められる部分はあると思う。こんな恋愛に疎い私が、あんな態度とられ続けたら、そりゃ、勘違いしますって。

 私副部長に好かれてるかも、って思っちゃって仕方ないと思う。

 いくら始める前にリアリティを持たせるためにやるんだぞ、って言われてたって、あれは勘違いする女子続出だと思う。

 自分だって恋愛経験皆無なくせに、思わせぶりな態度あんなに取れるなんてズルいよ。


「副部長の馬鹿」


 ぼそりと呟くと、ポロリと涙がこぼれた。


「誰が馬鹿だよ。電話しろって言われただろ、馬鹿」


 横から聞こえた声に、私はピキリと固まる。


「本当に最悪だよ。こんなに必死に人探すとか、初めてなんだけど」


 どさり、と私の横に座ったのは、間違いなく副部長で、いつものっそり目にかかった前髪は乱れてて、あるはずの眼鏡は、どこにもなかった。


「何で今日来なかった?」

「今日が部活だって忘れてて。ごめんなさい」


 真っ直ぐ副部長に見られて、私は焦ってさっきついた嘘を繰り返す。


「お前、俺とあの女の会話聞いてただろ?」


 じっと見られて耐えられなくて、私は目を逸らす。


「何のことですか?」

「由以子の嘘つく時の癖は分かってるんですけど。嘘つくなよ」

「……聞いたからって、どうでもいいじゃないですか」


 聞いていたっていなくたって、私の失恋は決定なのだ。


「絶対勘違いしてるだろ。お前さ、本当に部室入って来いよ! 俺がどんだけ苦痛だったか分かるか?」

「……そんなこと言われても……」

「あいつがさ、いきなりやってきて、“文芸部本気でやってるわけじゃないんでしょ”って言い出して。わけ分かんないと思ったら、部活を好きだの好きじゃないの、本気だの本気じゃないのグダグダ言い始めてさ、文芸部本気でやってたら俺も何か書いてるはずだし、本気じゃないって言ったら、満足して帰ったんだけどさ……いくら待っても由以子は来ないし、もしかして俺が好きじゃないとか本気じゃないとか言ってるの、勝手に勘違いして逃げたんじゃないかと思ったら、案の定だし」


 はぁ、と副部長が大きなため息をつく。


「お前、あいつにはめられただけだよ。俺も気付くの遅れたし、あいつがめんどくさいから、はいはいって軽くあしらったのがいけなかったんだけどさ」

「……はめられた?」

「悪いな巻き込んで。でも、あんなわけ分かんない会話だけで、勝手に勘違いするとかないと思うんだけど、その前にあの女に何か言われたか?」


 言われたことに心当たりがありすぎて、私は呆然と頷いた。


「それでか。納得だな………あの女、よほど後悔したいんだな」

「……勘違い……」


 告げられた事実に思考が追い付かなくて、何とかそれだけ口に出す。


「そ、勘違い。だからほら、今日の分出せよ」


 副部長が差し出す手が何を求めてるのか理解して、私はじわじわと恥ずかしさが高まる。


「でももう外暗いから、図書館行くか」


 立ち上がった副部長が、私に手を差し出してくる。私はそっと副部長の手を握る。

 なのに副部長は私の手をぎゅっと握りしめて、強引に立ち上がらせる。


「ちょっと副部長! 扱いが雑です」

「俺の態度よりあんな女の一言に惑わされる由以子が悪い」

「いや、だって………そもそも、付き合ってもないですし」

「連絡つかないし、学校にもいないし、家にも帰ってないし、俺がどれだけ焦ったか分かるかよ」


 私の言葉をスルーした副部長の横顔に、私はやっと違和感を持つ。いや、気付いてはいたけど、それどころじゃなかったと言うか。


「副部長、眼鏡は?」

「誰かさんのせいで走り回ってたら落として踏んだ」

「……すみません。それ見えてるんですか?」

「伊達だからな」

「……これから眼鏡なしでいくんですか?」

「いや。代わりのはまだ持ってる」

「そうですか」

「ない方がいいか?」

「いえ。どちらでも副部長ですから」


 私の答えに、副部長がクスリと笑う。


「何ですか」

「いや。今は言わない」


 その返事がものすごくこそばゆくて、私はうつむく。


 *


「なるほどな」


 読み終った副部長は、首はかしげなかったし、内容に不満はないように見える。でも、何か言いたそうだ。


「まだ何か足りないんですか?」

「あえて言うなら……幸福感かな」

「幸福感ですか」


 色んな恋愛小説読んでこれでもかって詰め込んだつもりなんだけど。


「そ。……あえて言うなら、だけどな」

「えーっとそれは、キュンとしたってこと、ですか」

「まあ、ギリギリ合格ラインってとこだな」


 ギリギリでも合格ラインってことに素直に嬉しくなる。


「私にも恋愛って何か、理解できてるってことですよね?」


 私の質問に、副部長が肩をすくめる。


「まあ、キュンとする場面は、さんざん実地したからな」


 色んな場面が頭に浮かんで、恥ずかしい気持ちになるのと同時に、あの副部長の行動には意味があったのだと思うと、嬉しさも生む。


「さて、帰るか」


 副部長の言葉に頷いて立ち上がると、当たり前のように手を繋がれて自転車置き場に向かう。

 駐輪場の手前にある広場にある噴水が、勢いよく水を噴き出す。一瞬それに目を奪われた次の瞬間、体の向きを変えられる。

 向かい合った副部長の顔が、目が、緊張を伝えてくる。


「好きだ」


 心がどきんと跳ねる。たとえそれが、私が描いた物語に書いたセリフと同じだったとしても、やっぱり、心は揺さぶられる。


「俺が顔を隠してても隠してなくても俺だって言ってくれる由以子のことが好きだ」


 副部長自身の言葉だと分かる内容に、私はコクリと頷く。


「この間の告白、嬉しかった」


 あの恥ずかしくて仕方なかった告白のことを言われて、私は顔を覆う。


「だから、俺と付き合って?」


 私は顔を覆ったまま、コクコクと頷く。


「……副部長じゃなくて、祐太郎って呼んで」


 いきなり告げられたハードルの高さに、私は顔を覆ったまま首を小刻みに揺らす。


「呼べよ。この間呼んだだろ」

「あの時は緊急事態だったから」

「あの時とっさに呼べたんだから、呼べるだろ」


 私がまた首を横に振ると、顔を覆った手をべりっとはがされて、私は困ったまま副部長を見上げた。


「由以子から祐太郎って呼ばれたいんだよ。あの時ぬか喜びさせといて、今更なんだよ」


 副部長の耳は、赤い。

 あの時呼んだことを喜んでくれていたんだと知って、恥ずかしいと思う気持ちを押し込める。


「祐太郎先輩」


 口元に喜びを滲ませた副部長……祐太郎先輩が、私の手を引いて歩き出す。


「帰ろ」


 祐太郎先輩の耳は赤い。

 私の心に、ジワリと幸福感が広がる。

 ああ、この幸福感は、きっと私の文才じゃ、小説には書ききれない。

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