十五話目 足りないのは高揚感
「昨日どうして部活来なかった」
補講と言う名の授業が終わり、気持ちの重さで歩みがノロノロなった私が生徒用玄関で靴を履き替えて帰ろうと昇降口を出ようとしたら、待ち伏せしてたらしい副部長に捕まった。
ある意味予想はできた出来事で、驚きはなかったけど、どうしよう、という気持ちだけはある。
「書けなくて」
その事実だけを正直に答える。
制約の中で書けるストーリーはどんなものがあるのか、とか、単に書いた中身を副部長に再現して欲しいと自分が期待してるだけなのか、とか、再現しようとする副部長がどんな気持ちでいるのか、とか、考えれば考えるほどドツボにはまって、どうしていいか分からなくなったからだ。
「どうして」
周りに人がいなかったからか、副部長の口調は部室のそれと一緒だ。
「……考えすぎて」
「何を?」
「制約が多すぎて何が書けるか考えてたら書けなくなりました」
「……そうか」
案外あっさりとその理由に納得してくれた副部長にホッとする。
これ以上追求されないと分かったからだ。
でも来週書けるかと言われれば、それも答えられないけど。
「ちょっと待てよ」
行こうとすると副部長に腕を捕まれて唖然とする。
「え?」
「ちょっと電話するから」
スマホを取り出した副部長は一瞬手を離した後スマホを操作すると、スマホを耳にあてて、また私の腕をつかんだ。
「こんにちは。文芸部の畑下です。今よろしいですか」
淀みない話し方と部活名を名乗ったことで、副部長が学校の知り合いに電話をかけたのだと分かる。でもそれと私が引き留められてる理由は分からないけど。
「今から文芸部の資料を探しに行く話になったんですが、由比子さんは何時までに帰宅すれば大丈夫ですか」
……はい?
「では、八時までには責任を持って由比子さんをご自宅に送りますので」
……これって………私のお母さん?
「ええ。では後ほどまた」
電話を切った副部長の顔を呆然として見る。
いつの間にか私の腕から手を離した副部長がスマホをカバンに戻すと、私の手をつかむ。
「じゃあ、いくぞ」
「へ?」
私は副部長に繋がれた手に焦って、どうしていいか分からない。
「デートだろ」
「……はい?」
続いたあり得ない単語に、思考が停止する。
「小説のネタになるだろ。だって、ネタが思いつかなくて書けなかったんだろ? その手伝いをやってやるって言ってんの」
振り返った副部長はからかう様子ではなく、真面目に言っていて、デートをどんな気持ちでやるとか、副部長の気持ちまでは読み取れない。
「ネタって……」
「大丈夫だ。俺も初めてのことで緊張してるから」
それはどんな意味で? 前を向いた副部長の表情は分からない。聞きたいのに、聞く言葉を選べなくて、私の口からはあー、とかうー、とかしか声がでない。
「そんなに緊張するなよ。俺も初めてだって言ってるだろ」
私の手を握る手にちょっと力がこもる。
「……いえ……あの……」
どぎまぎする私を副部長が振り返る。
「由以子、今日も自転車だろ」
私はコクリと頷く。
「今から四時間だからな。異動時間考えれば正味三時間か。……県立図書館くらいか」
また前を向いた副部長が予定を告げる。
「資料を探しに?」
図書館の言葉に少しホッとして、問いかければ副部長が首をふった。
「小説のネタだよ。学生の図書館デートは鉄板だろ。隣に公園もあるし散歩してもいいし」
デートと言う副部長の手のひらの熱が異常に伝わってくる気がする。
「……いや、鉄板って……」
「とりあえず鉄板だろ。それをどう調理するかは、由以子の腕の見せ所だろ」
「いや……別に……実地しなくても」
自転車置き場までたどり着いて手を離されると、私はようやく冷静になった。
「由以子に足りないのは経験だろ。ほら、行くぞ。デートなんだから、祐太郎先輩って呼べよ」
そう言って自転車を取り出す副部長は、私がついていかないとは思ってはないらしい。
動こうとしない私を振り向いた副部長がニヤリと笑う。
「お母さんには俺が八時までに責任もって送っていくって言ってあるからな。俺無しで帰ったら色々追及されるだろうな」
ぐぅ、と声を飲み込むと、私は自分の自転車を取り出す。でも、我慢できずに口を開いた。
「横暴です! 副部長横暴ですよ」
「今更かよ。それに、祐太郎先輩って呼べって言ったろ」
「全部横暴です!」
ククク、と笑う副部長は、楽しそうに私を見た。
「ようやくいつもの調子になったな」
私は、ふん、と顔をそむけると、自転車に乗り込んだ。
*
県立図書館の隣の公園は、夕方になってきたことで日が陰って多少は涼しく感じるとのことで、公園を散歩することになった。
……副部長と手を繋いで。
振りほどきたいのか振りほどきたくないのか、副部長がどんなつもりなのか、そんなことを考えてたらつながれた手を振りほどくタイミングを失って、私はそのまま歩くことになった。
傍目には初々しいカップルに見えるに違いない。何しろ私も一言もしゃべらずぎこちないが、副部長も一言もしゃべらずぎこちない。
とにもかくにも歩数の分だけ気恥ずかしい気持ちだけがどんどん積み重なっていく。
私も顔を下げて歩いているけど、ちらりと横を見ると副部長も顔を下げたまま歩いている。
……一体いつまでこの罰ゲームのようなご褒美のようなデートのまねごとをするんだろうか。
きっと、私も副部長も、延々と歩き続けそうだ。まあ、まだこの公園の半分くらいしか歩いていないから、一周歩いてから副部長に尋ねてみよう……熱中症になりそうじゃないですか、って。
クスクスクスクス。
歩いている横のベンチから忍ぶように笑う他の人たちの声が聞こえてきて、私たちはその歩みを速めた。
その笑い方が、ものすごく悪意のある笑い方で、その声が私たちに向かっていると分かったからだ。
「やだ、誰かと思ったら、北原ちゃんじゃない」
その声に、私の足が止まる。
忘れたくても忘れられない声だったからだ。
「由以子行くぞ」
声に含まれた悪意に気付いたんだろう、副部長が私の手を強く引いて先に進もうとする。
「やだ聞いた、孝彦。由以子、って呼ばれてるんだって」
その声から出された名前に、私の記憶が揺さぶられる。
そうか、まだ二人は付き合ってるんだ。
ぎゅっと副部長が私の手を強く握ってくれて、先に行くのを促してくれてるのが分かる。私のことを気遣ってくれているのが分かる。
「祐太郎先輩、不快にさせてごめんなさい」
副部長は私をじっと見た後、大きく首を振ってくれた。
私が手を離そうとすると、副部長は逆にぎゅっと手に力を入れて来た。私はそれが嬉しくて口元が緩む。
「祐太郎先輩、だってー。北原ちゃんに彼氏なんてできるんだね」
振り向くと、ベンチに座る中学の時のバドミントン部の先輩だった高市先輩と、男子のバドミントン部で私が彼氏だと一瞬だけ勘違いしていた根津君が同じ濃い緑の制服を着て座っていた。
この制服は並木商業高校のものだ。そう言えば、県立図書館の近くに学校があったかもしれない。
明らかに私を馬鹿にした様子の高市先輩は、以前に比べて髪の色素が抜けていて化粧をしていてちょっと派手な感じになっていた。
「……物好きもいるよね」
そう言う根津君は、中学生の頃よりあか抜けて、高市先輩の隣にいるのがしっくりくる。
その嫌味な言い方も、高市先輩とお揃いで、何だか哀しかった。
「北原ちゃんと付き合うの、やめた方が良いんじゃないかな、彼氏さん」
高市先輩が首をかしげる。昔は、この動作がかわいいとか思ったりしてたのに、本音を知ると、全てがわざとらしく見えた。
「それ、そっくりそのまま、その彼氏さんに言いたい。よくそんな性格悪い女と付き合えるね」
ずばりと言った副部長に、私は目を見開く。
「はぁ?」
高市先輩が副部長を睨む。
「その表情、彼氏に見せたら幻滅するんじゃないかな?」
しれっとした副部長の言葉に、私はつい笑ってしまった。
「何? 何で北原ちゃんの癖に笑うわけ」
副部長には言い返せないと思ったんだろう。高市先輩は私を睨んだ。それに私が笑いを漏らしたことが高市先輩はお気に召さなかったらしい。
「私が笑うと、何かいけませんか」
はっきりと言い返した私に、高市先輩も根津君も目を見開く。私の精一杯の反抗だった。手には思いっきり力が入っていて、副部長の手をぎゅっと握っていなければ言えなかったと思う。
「人間には笑う感情があるって知らないんだ? 勉強しなおしたら?」
おちょくるような副部長にドキリとする。
「な……に!」
怒った様子の高市先輩と根津君に、副部長は肩をすくめた。
「俺と由以子に全国模試で勝てるなら、どうぞ?」
商業高校に通う高市先輩と根津君は、多分、全国模試とかは受けてはいないんじゃないかと思う。
グッと詰まった根津君とは対照的に、高市先輩は首を振って大きくため息をついた。
「何だかつまんなくなった」
ふい、と顔を背けた高市先輩にホッとする。
「由以子、行こう」
副部長に手を引かれて、私たちは高市先輩たちから離れる。
「由以子、あんな奴の言うこと、気にする必要ないから。だからって、勉強ができることで人を見下すのは違うんだけどな……でも、いいお灸据えられたんじゃないか」
「お灸据えられましたかね?」
「まあ、あいつらがどう思ったとかも気にする必要はないんだよ。本当に下らないやつらだぞ。気にした方が負けだって」
私の頭をくしゃくしゃと撫でる副部長に、私は涙がにじむ。
「何もしなくて良かったのに、副部長は出しゃばりすぎですよ」
私は思いもしてない悪態をついて、涙をごまかす。
「だって、彼氏だからな」
「ふりしてるだけじゃないですか」
「今はな」
そのやり取りが優しくて、私の目からは涙がこぼれた。
*
「ちょい待ち、由以子。これ何だよ」
バシッ、と副部長からテーブルに叩きつけられたのは私の作品だ。
「え? デートをネタに書いた作品ですけど」
翌週、私は作品を持って部室に向かった。
そして今、絶賛ダメ出しが開始されたらしい。
「全然キュンとしない」
「えーっと、そうですか」
「白々しい! 高揚感が全くないだろ! デートの前とかデートの最中とか! 何でこんなに主人公が淡々としてるんだよ」
「えー……そう言われても……」
この間のことを書こうと思ったら、何だかものすごく恥ずかしい気分になって、淡々と描くしかなくなったのだ! ……あんなこと先にやった副部長が悪い!
「この間のが参考にならないんだったら、今度の日曜デートな」
「えー……」
「由以子の作品がキュンとしないと意味ないだろ」
「……いいですよ」
説得されたふりをして、私はその約束を楽しみにしている。
副部長は?
 




