十四話目 足りないのは表現力
人を好きになるって、どういう感じなんだろう。
平積みされていた恋愛小説を手に取って、私は顔を上げた。
「ね、好きになった瞬間って、どんな感じ?」
私の問いかけに、私服姿の乾君がぎょっとする。
「何その質問!」
「……小説の参考にしようと思って」
その説明は正しくもあり嘘も含む。だけどしれっとしてそう言い放ってみた私に、乾君が焦る。
「知らないし」
「えー。だって好きな人いるでしょ」
ついさっきまで冷房でここは快適だと言っていた乾君が汗をかいてやおら暑そうにTシャツの襟元をパタパタしだした。
「い、いないし」
その声は上擦っていて、明らかに嘘だと分かる。
「いいよ隠さなくても。綾のこと好きなの、私以外も気付いてるから」
「え?!」
目を見開いた乾君に、気付かれてないと思っている方がおかしいんだけど、と思う。むしろ恋心をオープンにしたのかと思ったくらいだったのに。
「女子しかいないカラオケに、男子一人で参加とか……どう考えてもおかしいでしょ」
「いやだって、他の男子に声かけたけど皆都合が悪いみたいで……。俺は一回行くって言った手前、断ると悪いかと思って……」
乾君……目がキョドってるよ。明らかに嘘だし。
副部長もこれくらい分かりやすいといいのに。……ご尊顔は隠してくれていいけど。
「まだ集合時間まで三十分もあるのにそんな前から集合場所に来といて楽しみにしてなかったって苦しい言い訳じゃない」
くっ、と悔しがる乾君は、本当に分かりやすい。
「そう言う北原さんだって三十分も前から来てるだろ」
おー。八つ当たりされた。ま、正解ってことだよね。
「だって楽しみだから」
何せ中一ぶりの友達とのカラオケだ! 夜もワクワクして眠れなかったし、朝も早くから目が覚めた。集合時間は午前十一時なのに小学生みたいだって笑えた。十一時に集合して、ちょっと早めにご飯食べてカラオケに行こう、という話になっている。
で、我々二人は十時半から待ち合わせ場所の本屋に集ったわけだ。何しろ店のドアの前で遭遇して、今はこうやってウロウロして本を物色している。
「……俺だって……」
ようやく乾君は認めたね。
「で、好きになった瞬間って、どんな感じ?」
最初に戻る。私は持っていた恋愛小説を元の場所に戻した。
「……知るかよ。気がついたら好きだったんだよ」
乾君は顔を赤くして素直に口を割ったが、参考になりそうにない。
「じゃ、好きだって気付いたきっかけは」
これなら分かるだろうと、私は切り口を変えてみた。
「……北村さんに笑いかけられてドキッとしたから」
「……笑いかけられて………か。もっとドラマチックなのない?」
「あるか。事実言ってダメ出しするとか何だよ」
「……小説のネタだからね」
「……それでも十分ネタになるだろ……」
不満げな乾君に、私は首をふった。
「聞いててキュンとしない」
「……北原さんって、残念な頭の持ち主だったんだな」
憐れんだような乾君に、私は頷く。
「まあ、私には恋愛は理解できないと言われたことがあるから、たぶん恋愛に関しては非常に残念な感じかもね。でも成績では乾君より上だから」
「……北原さんって結構言うよね」
うなだれる乾君に、私はそう言われればそうだったかもな、と思う。
「たぶん中一まではこんな感じだったと思うけど、ご存じの通り中学時代はこんな風に話す相手がいなくて自分でも忘れてたかも」
ケロッと言った私の言葉に乾君は私の希望通り深刻にはならず軽く首をかしげた。
「……それでよく何も言わずに大人しく苛められてたな」
「一番信頼してた人に裏切られたし、何だか人と関わるのが嫌になって。だったら一人でいる方がましだなって思っちゃったんだよね。まあ、寄ってきてくれる人もいなかったけど」
「……いや、中学生にしてそれとか達観しすぎだろ」
「そう?」
「……よく成績維持できたな」
確かにあんな状態なら学校行けなくなって、授業についていけなくなる子もいるだろうな。
「森宮高校受けたいって言って熱心に先生に質問しまくってれば、成績も上がるしかないよね。学校で話す相手他にいないし」
「北原さん、ポジティブだな」
「うーん。いじめって言っても無視だけだしね」
「結構地味に辛いけどな。でも、SNSとかで悪口かかれたりとかなかったの? あれは結構辛いよ」
その言い方から、乾君もそんなことがちらりとあったのかもしれないな、と思う。追求なんてしないけど。大なり小なり、友達関係の中での軋轢など誰でも持っているだろう。
「ケータイもスマホも親に持たせてもらえてなかったから、むしろそういうの目にしないで済んでた」
「……それは親に感謝だな」
「そうだね」
私は頷く。
「……って、今も持ってないの」
「いんや。部活の副部長のおかげでスマホ持てるようになった」
「……何で副部長のおかげ?」
乾君が困惑した顔で首をかしげる。そりゃ、そうか。
「……私もよく分からないけど、副部長がお母さんを説得した」
「……それまでケータイも持たせてくれようとしなかった人を説得するって、お前んとこの副部長ってすごいな」
感嘆したような声に、私もつられて頷く。
「すごいんだよねぇ。……素直に褒めたくはないんだけど」
「……何で?」
「いっつもからかわれるから」
「どんな風に?」
「……言いたくない」
その内容を思い出して目を逸らした私に、乾君がハハと笑う。
「何だよ、自分の参考にしたかっただけかよ。顔赤いし」
……指摘されなくても自分の顔が熱いのは分かる。
「あれ? ゆい坊? 乾君も早いね」
そう言って近寄ってきたのはちいだった。
「まあな」
「あれ? ゆい坊の顔赤い?」
不思議そうなちいに、何て言おうか考えてたら、視界に入ったものに気付いて、私は恥ずかしさを押し殺して平然とした顔をしてみせた。
「乾君がどれだけ綾のこと好きか教えてもらった」
「はぁ?! 俺そんなこと言ってないだろ」
乾君が焦る。
「あー、なるほど」
ちいは納得と言った感じで頷いてくれた。
「違うって! 俺の話じゃないし」
「そりゃ、どれだけ好きかって話されたら、聞いてる方が照れるよね」
うんうん、とちいが勝手に話をまとめてくれる。
「違うし」
「何の話してるの」
会話に割り込んできたのは、正しくその話題の中心人物で、不思議そうに首をかしげている。
ぐ、と言葉に詰まった乾君をちいがニヤニヤと見ている。
「なんでもないよ……好きな本の話をしてただけ」
誤魔化した乾君に、私たちも同意の頷きをしてあげる。
さっき視界に綾と春佳さんが見えたから、私は話題をそっちに持って行ったのだ。作戦勝ちだね!
まあ、何かの機会に乾君に逆襲されることはあるかもしれないけど、自分でもまだはっきりしない気持ちをばらされるのと、はっきりした気持ちをばらされるのでは心持ちが違うから。
本当にこれが“好き”って気持ちなんだと理解出来たら、綾たちに隠すことなく私はきっと話を聞いてもらいたいと思うだろう。
だから今は、まだ。
*
窓から大量のセミの声が入ってくる。もう夏も終わりかけだ。セミたちは生き急いでるんだろうか。
テーブルに肘をついて何の変哲もない窓の外を見ていたら、ちくりとした痛みが走る。
「何ですか副部長。地味に痛いんですけど」
副部長が私をつついたのは、紙のかどっこで、ものすごくいたいわけじゃないけど、二の腕にツンツンされると地味に痛い。
「呼んでも気付かない北原が悪い」
……そうかな? と思いつつも、大きなダメージでもないので流すことにした。
「で、今日のはどうですか?」
今日は副部長のことをじっと見て待ってることができなくて、頬杖をついて窓の外に意識をやっていて、私の作品を読んでいる間の副部長の反応は全く分からなかった。二週間ぶりの副部長との二人きりの空間は……居心地がいいような悪いような、そんな感じがした。
「……キュンとはしない」
はぁ、と私はため息をついた。
「どこが足りないんですか」
窓の方に顔を向けた副部長が、また私の方に顔を向けた。
「表現力?」
「……今日は○○感じゃないんですか」
私は納得がいかずに問い直す。
「いや、表現力だろ」
「それ、ものすごく根本的なところじゃないですか」
表現力って! 小説に一番ないと困るところだと思うんだけど!
「……けどな……」
そう言ってもう一度私の作品に視線を落とした副部長が、小さく頷く。
「やっぱり表現力だな」
「今までで一番悪いじゃないですか」
あれ二番目かな? 一番最初の評価の方が悪かったような? いやでもあの時でも表現力については酷評された気がしないし。
「……ストーリーは悪くない」
「それなら、ちょっとくらいキュンとしても」
「だから、表現力の問題だろ」
「……表現力……」
私がうなだれると、副部長がクク、と笑う。
「いやむしろ今まで表現力あると思ってたのか」
「……そこまで己惚れてませんけど」
流石にそこまではない。だけど、結構凹む。
「ここな。好きになった瞬間の表現」
トントン、と副部長がその該当箇所を指先で叩く。
「……そんなにその表現悪いですか」
「ここでキュンとするんだろ? ここでキュンとしないんだから、表現力の問題だと思うわけ」
……乾君の話だけじゃ、やっぱり参考にならなかったか。
「参考にした人が悪かったんですかね」
まあ確かに聞いた時も、あんまりキュンとはしないなと思ったんだから、書いてもキュンとさせられる気はしないけど。
「……参考にって、自分の話じゃないのかよ」
「……どうして私のプライベートを小説に赤裸々に書かなきゃいけないんですか」
「小説は自分の分身だろ」
「分身って……」
「その人となりが小説には出てくる。違うか」
「……そうかもしれないですけど……」
私が感じたことをそのまま書いたら副部長はキュンとする? ……それも違うと思うんだけど……。
「北原、今好きな奴いるか」
私はブンブンと首を振った。
でも副部長が口元を緩めてニヤニヤした。
「な、何ですか」
……一体何をからかわれるのか分からなくて、戸惑う。いや、否定したし、ばれるはずもないんだけど?
「いや、耳が赤くなったから、なるほどね、と思って」
私は慌てて耳に触れる。
「いや、そんなこと副部長に聞かれるとか思ってないですから……恥ずかしかったんです」
「で、いるんだろ」
「いや、いるって聞かれたのに首振ったじゃないですか」
「今北原は一瞬の間の後否定して、その時耳が赤くなった。それは照れる要因があるってことで、つまりは好きな奴がいるってことで、一瞬の間は考えたってことで、否定は嘘だ」
「嘘じゃないですよ」
私は今度こそ嘘がバレないように副部長をしっかり見て即座に言い返した。
「否定したのは、北原の好きな奴が俺に知られたら困る相手だから。違う?」
「ち、違います」
肯定できるわけがない!
「どこが好きなの」
どこが好き? ……いや、私自身まだよく分からないんだけど……。
「ほら、否定しない」
あ、と思ったけど、慌てたら負けだと思って冷静にふるまう。
「勝手に言ってる副部長に呆れてたんです」
「北原と俺が共通に知ってる相手で、北原が知られたくないと思う相手、ね」
全く私の言葉を無視して私の好きな相手を解き明かそうとする副部長に内心ハラハラする。
「だから、違いますって」
テーブルに頬杖をついた副部長が、前髪を掻き上げた。
「俺、一人しか思いつかないんだけど」
しっかりと見つめられて、私は耐えられなくて立ち上がろうとしてガタンと椅子を倒す。
「逃げんの、由以子」
無理無理無理無理!
心臓が持ちません!
私は無言でテーブルの上の作品を奪い取ると、カバンを握って慌てて部屋を後にする。
私を見上げていた副部長が口元を緩めてニヤニヤしているのを、どう考えたらいいのか、今の私には考えきれません!