十三話目 足りないのは緊張感
そうか、そもそも副部長に簡単にできそうなことを書いてしまっていたのが悪かったんだ、と結論付けたのは、うんうん唸っていた部活がある前々日の夜だった。
壁ドンも顎クイも、やるだけなら簡単にできる。……いや、私には無理だけど、副部長には簡単なことなんだろう。
だから、簡単に誰にでもできそうにないことなら、きっと副部長は実践しないだろうと結論づけたわけだ。
それに、キュンとするならここくらいまで書いた方がいいのかも、と思ったこともあった。
そもそも副部長に実践されても困らない内容、しかも前に書いたテーマ以外でファンタジー除外ってなると、本当に選択肢は乏しいし、そもそもキュンから遠ざかるような気がする。
だから、結構なチャレンジだけど、たぶんこれなら実践されることはないだろう、と私はそのテーマに決めた。
まあ、万人がキュンとするだろうと今までになくサクサクと話が進み、私は万全の態勢で部活の日を迎えたわけだ。
副部長の前に作品を出して、私は緊張した面持ちで沙汰を待つ。
これならいけると、自分では思ってるわけなんだけど。
部屋の中には扇風機が回るカタカタという音だけがしている。
読み終わったらしくテーブルの上に作品を置いた副部長は、一拍の間の後、うーん、と唸った。でも首はかしげていない。
「今日のはキュンとしましたよね」
首をかしげていないってことは、きっと副部長はキュンとしたはずだ。
「……ちょっとは」
おお! 副部長がこんなこと言うなんて、ものすごい進歩じゃない?!
「あほか北原。ちょっとだぞ。そんなに喜ぶな」
私が興奮したのを見た副部長が釘を刺してくる。
「だって、ちょっとだけでもキュンとしたって言ってくれること、今までなかったじゃないですか」
「……まあ、そうかもな。だって今までの作品、全然キュンとしなかったからな」
辛らつだな副部長。でも、テンションが上がってる私には大したダメージじゃない!
「書き続けてた甲斐がありましたね」
「だから、ちょっとだけしかキュンとしなかったって言ってるだろ」
「ちょっとでもキュンとしたんじゃないですか」
「……ちょっとでもキュンとした自分に腹が立ってきた」
私のテンションの高さが嫌になってきたのか、副部長が首を横に振る。
「そんなこと言わずに! で、今回のは何が足りないんですか」
テンションが高くなった私は、恐れも知らず副部長に問いかけた。
「……何て言うか……そうだな、緊張感、かな」
首をひねりながら、もう一度私の作品に目を通した副部長がそう呟いた。
「緊張感……?」
でもその言葉が全くしっくりこなくて、私は首をひねる。
「主人公と相手の方の両方に、だ」
そう言われても納得はできなくて、私は首をひねる。
「北原、この相手の男、遊んでるようなチャラ男なのか」
「え……いや、どう考えてもチャラ男表記してないですよね? 真面目優等生くんですよ」
主人公の相手役は、真面目優等生にした。その方がギャップでキュンとするかと思ったのだ。まあ、ずっと私の作品の相手役は真面目優等生くんなんだけど。
「だけどさ、何かこの流れが嫌にスムーズすぎて、手慣れてるように感じる。それに主人公の方も緊張感がなくはないけど足りないだろ」
「……そんなわけありません。副部長が行間を読めないせいです」
私の言い訳に、副部長がため息をついた。
「俺が読むために書いてるんだから、俺が読める行間にしろよ」
それはその通りで、私はぐう、と言葉を飲む。
「この男子の方は、それこそ初めて位なんだろ」
「初めて位、じゃなくて間違いなく初めてです」
そんなに気の多いヒーローなんて嫌だ。
「だったら、好きな相手にキスしようとする時に、もっと緊張するだろ」
そう言われてしまえば、確かにそうかもしれなくて、私はうーんと唸ることになる。
「まあ、北原がする側じゃないから、思わないかもしれないけどな」
予想外に私を擁護する発言をする副部長に驚く。
「……槍が降りそうですね」
「北原、お前フォローした先輩に向かって言うことはそれか」
「……すいません。でも、今までの副部長の言動を考えると、これくらいの嫌味を言っても当然かと」
「俺の言動ねぇ。……からかい甲斐のある北原が悪いんじゃないの」
「副部長、自分の悪事を棚に上げて、私に責任転嫁とかどういうことですか」
「悪事ねぇ。……何かやったっけ? 例えばどんな」
ニヤニヤと口元が笑っている副部長は、今も私をからかう気満々だ。
「自分の胸に手を当てて思い出してください」
副部長が忘れてるわけないし、と私は相手にしないことにする。
「でさ、この主人公の方も、確かにこの流れにどぎまぎしてはいるけどさ、もうちょっと緊張していいだろ。相手がチャラ男でも真面目でも、やっぱり主人公の緊張が弱いと、この主人公もこのシチュエーションを前に体験したことあるのか、とか邪推して、純粋にキュンとできない。初めてだからこそのキュンがあるだろ。この主人公、キスしたことあるのか」
「あるわけないじゃないですか! どっちも恋愛初心者の設定ですよ」
何で私が恋愛にこなれた二人組を描くの! そんな経験もないのに!
ふ、と笑いを漏らした副部長に、馬鹿にされた気分になる。えーえー、そうですよ。恋愛経験なんて皆無ですよ! それに付き合ってると思ってた相手に勘違いだとか何だとか、私に恋愛は無理だとか言われちゃいましたよ!
やさぐれた気分になりつつ、私はジトっと副部長を見た。
何せ今日は実行されないと思っているから、その分気分的には余裕だ。いくら副部長でもキスをしようとはしないだろう……常識的に。
「だろうな」
「分かってるなら聞かないでくださいよ」
「北原が書きそうなこと考えると、そんなものかな、と思うけど、ここにはきちんと書かれてないからな。俺が北原のこと知ってるから分かる裏情報だろ。初めてこれを読んだ人間がそう読み取るとは限らないわけ」
……確かにそうかもしれないけど。
言い返す言葉を思いつかずに、私はムッと黙り込む。
「俺が北原のこと知ってるって言うのには反論はしないんだな」
ムッと黙り込んだ私をおかしそうに副部長が揶揄する。
「……少なくとも数ヶ月間は関わった実績がありますからね。全く知らないわけでもないでしょうし、私がこんなに怒ってる相手副部長しかいないですよ。……そう言う意味では、この学校で一番感情的に関わってるのは副部長でしょうね」
綾とは最近またちょっと距離が近づいたけど、こんな風に感情的に怒ったりして関わってる人は、副部長しかいないのも事実だ。
「そんなに感情的になることあるか」
まるで何も知らないみたいに私にそう言ってのける副部長に、私はドン! とテーブルを叩く。
「自分の胸に手を当ててよく考えて見てください」
笑いを滲ませながら肩をすくめる副部長は、間違いなく確信犯だ!
「にしても、今日のは考えたな」
私の怒りをどこ吹く風で話題をあっさりと変えた副部長に少々不満はありつつも、今日の私の作戦を褒められたことにどこか得意げな気持ちになる。
「おほめにいただき光栄です」
「得意げなのがむかつくな」
ちょっと気分を害したらしい副部長の様子に、私は心の中でガッツポーズをした。今日はちょっとだけだけどキュンとさせられたし、作戦も成功だし、言うことなしだ! これで連敗は免れた!
「で、副部長。流石に来週は補講もないわけですし、部活も休みですよね」
私の問いかけに、副部長はちょっと考えた後頷いた。
「お盆休みに流石に部活はないかな。運動部もおしなべて休みみたいだしな。次は再来週だな」
私には二週間の猶予が与えられたわけだ! 次も作戦ばっちり練ってこようっと!
ま、今回の作戦が成功したんだから、後は楽かも。副部長をキュンとさせられればいいだけだし。
「さ、副部長帰りましよ」
もうダメ出しも終わったし、部活も終わりだろうと私は副部長に声を掛ける。
「そっか。一緒に俺と帰りたいのか」
「そんなこと言ってません」
私の発言をかなり曲解されたことに怒りつつ、私は窓を閉めて扇風機を止めて、帰る用意をする。確かにこの部室、クーラーがなくても過ごせはするけれど、やっぱり夏なのだ。早くクーラーの効いた部屋で過ごしたい。
「そうか? 帰りたそうだけどな」
既にカバンを持ってドアの前に立ち尽くす副部長は、ニヤリと笑った。
「帰りたいのは帰りたいですけど、部長と一緒にとか言ってません」
「由以子、一緒に帰ろ」
突然出てきた名前呼びに、ドキッとする。でも私はそれをごまかすように、カバンをつかんでムッとした表情をした。
「先に帰ります! そこ通せんぼしないでください」
「えー」
その声に、小学生じゃあるまいし、と私は副部長を見上げる。
すると、副部長は前髪を少しずらしてじっと私を見ていた。
ご尊顔を間近で見るとか、心臓に悪いんですけど!
「何ですか」
でもつとめて冷静なふりをして私は副部長に問いかける。
「間違いなく、緊張するだろ」
突然私の左肩に手を置いた副部長の顔が、近づいてくる。
鼻の先まで近づいてきた副部長の顔に、私は目を見開いて固まるだけだ。
「何で最後まで書いてないかな」
唇が触れそうな位置で副部長はそう言うと、ぶに、と私の右頬をつまんで顔を離した。
副部長が離れても私はまだぴきりと固まって動けない。
「ほら、緊張するだろ」
少し照れたような副部長に、私はようやく我に返ると摘ままれている右頬にある副部長の手を払いのけた。
「セ、セクハラです」
「顔、真っ赤」
楽しそうにクスクス笑う副部長に、私は反撃するようにカバンをバシッと当てる。
「暴力反対」
「何が暴力ですか! ふ、副部長のセクハラより何十倍もマシです」
「書いてあった通りにしただろ? キスする直前。寸止め。あれがラストとかズルいだろ」
「何がズルいんですか! ちょっともう帰ります」
私が副部長を押しのけようとすると、副部長はあっさりと避けた。
と思ったら、腕をつかまれた。
「一緒に帰ろうな」
「帰りません」
「俺が辞めたら文芸部存続の危機だな」
突然出された最後の切り札に、私は副部長の手を振り払えなくなる。
「ズルい! そう言うのをズルいって言います」
「じゃ、一緒に帰るでいいな」
副部長聞いてないし!
「そうか、手を繋ぎたいわけだな」
「そんなこと言ってません! 一緒に帰りますから」
私は手のひらを副部長から隠すと、諦めて同意した。
……だって、手を繋いだら私のドキドキが副部長に伝わりそうで嫌だから。