男爵
「リア姉ちゃんは、文字を指さしながらゆっくり読むことで、皆に文字を教えてくれてるんだ。僕も時々本を読んであげるんだけど、まねしているよ」
ディラがあっと口を開いて、それから私に頭を下げる。
「そうだったのか……」
ディラが、私の手をぎゅっと握り返してきた。
「リアは素晴らしいね」
くりくりの髪の毛の隙間から見える目が、まっすぐ私を見ている。
あ、あれ……。
何だろう。うれしい。
持ち上げられて、背中がむずむずするのとは違う。
胸が、ことことする。
「それだけじゃないんだよ。ディラさん、これ見て」
カイが、ポケットからよれよれになったハンカチをディラに手渡す。
ディラの手が、ハンカチを受け取るために私の手から離れた。
……えーっと、今、私、もしかして、手を握り合っていたんだよね?
何でもない行為なのに、今更ながら、なんてことしてしまったんだろうと、焦る。
マールの手を思わず握ることも、子供たちと手をつないで遊ぶことも、何でもない行為なのに……。
「これは……」
ディラがハンカチを広げると、全体に文字の刺繍がしてあるのが現れる。
子供が文字を覚えるときの歌、アービーシーデーエーエウルー……の順にすべての文字が刺繍されたハンカチだ。
左下のところに、小さくサリーと書いてある。
「ああ、これはサリーが初めて刺繍をしたハンカチね。ふふ。初めてにしては上出来。初めからサリーには裁縫の才能があったのね」
「サリー?」
ディラが、名前を見つけて首をかしげる。
「ほら、お針子見習いとして皇太子妃候補のドレス作りの手伝いをしたという子よ。私が、縫物を教えたの。それでね、せっかくだから、文字を縫う練習をさせたのよ」
紙もインクも貴重品だ。文字を練習するために気軽に使えるものではない。だけれど、やはり書く練習をしなければなかなか覚えられない。
だから、刺繍をさせてみた。一文字を縫い上げるのに、何時間もかかる。一つの文字の形、バランスを見ながら何時間も見ていれば、気が付けば覚えている。糸は比較的安く手に入るし、布も手のひら程度の端切れであればお願いしておけばもらえるところもある。
「あれ?このハンカチの布……この青色は、どこかで、見たような……?」
ぎくり。