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旅立ち前夜



 マモレ課には支部がない。

 てっきり北海道支部があって、そこで補給なんかを受けるのかと思っていたけれど、残念ながら海を渡ってしまえば全くの単独行動というわけだ。

 しかも輸送プランは大雑把だ。


 ヘリでA16付近上空へ僕を運び、投下するのだという。

 選択肢はこれ一つだ。

 僕が18歳未満で車両の運転免許を持っていないため、これしかないのだという。


 一応、施設で仕込まれているので運転自体は出来ますと申し出てはみたものの、やはり正義の部署なので無免許運転は許可されなかった。

 効率だけを優先しないのも、きちんと世の大多数と同様に生きている感じがする。

 後ろ暗くないのは良いことだ。


 もしも免許のある人だったら…というと、なぜか扱いがもっとひどい。

 青森まで運転手付きのトレーラーで車と共に移動。既に体力が消耗しきっていそうなのに、ここでトレーラーとお別れしてフェリー。上陸後は、苛酷に自分で全行程の運転。


 東京から青森まで車移動をしようだなんて…正直、意味がわからない…。

 任務後に連絡すればヘリが迎えに来るほうが余程、楽だった。


 本来なら車のほうがもっと機材を持って行けるからそちらを推したいが、支部がないから大型の輸送機では着陸できる場所がない。まして行ける人数には限りが…というか今は一名だ。

 それ故にそんな無茶なルートを考案したらしい。


 ヘリも着陸場所はないので、徒歩探索なら投下される。

 回収はホバリングするヘリから垂らされるロープか梯子か…ちょっとしたレスキューだ。


 そもそも、投下だって別件の用事のついでに落っことしていくという風情で、僕一人のためにヘリを出すわけでは決してない。

 成程、正義の世界も世知辛い。


 徒歩探索の装備はというと、基本の機材が合計30kg。

 背負って徒歩移動が基本のサバイバルとなると確かに、分厚いとはいえ一冊のファイルで手がプルプルしていたような峰さん以下研究員達では難しい。

 とはいえ、一度拠点を置いてしまえばその周辺の探索を終えるまでは機材を動かさなくてもいいから、サバイバルなんて言っても毎日が苛酷というわけではない…はず。


 着々と任務に必要な荷物が揃う中で、なぜか日々峰さんが不安定な様子になっていくのだけが心配だ。

 概ね揃った荷物を試しに背負ってみた僕に、峰さんは絶句した。


「…ミチカ君…それ本当に大丈夫なの?」


 不安そうなその声に、思わず笑う。

 僕らは施設で最低でも、意識のない大人の身体一つくらいは担いで逃げられるよう訓練される。

 ぐにゃぐにゃと滑り落ちるそれに比べれば、固定された荷物など楽なものだ。


「そうですね。背負う分には問題ありません。機材が割と小型で助かりました」


「そんな…後ろから見たら機材が歩いてるようにしか見えないよ? それを背負ってヘリから飛ぶって自殺行為だよね。もしパラシュートが開かなかったりしたら機材の重さで余計に落下速度が…そんなのあまりに可哀相だよ、誰かに替わってもらおう?」


「え。僕は大きいほうじゃないので見た目は致し方ないですが、あの…多分僕はこのためにマモレ課に来たはずですよね?」


 本末転倒な発言に、僕も動揺する。

 峰さんはすっかり僕を後輩として認めてくれた。だが、反面…なぜかちょっと心配症になってしまったのだろうか。

 仕方なく、僕はあまり積極的に口にしたくはない言葉でもって彼に説明をする。


「峰さん。お忘れかもしれませんが、僕は施設では割と運動系の成績は良かったのです。ですから、このくらいの荷物は大丈夫なんです。緑済地はもう磁場が狂う心配がないので方向を見失いませんし、水と食料さえ不足しなければ危機は何もないと思います。ヘリ投下にも問題ありません。百歩譲ってパラシュートが事故で開かなかったとしても、下は植物で当たりが柔らかいはず。死にませんし、死ぬような大怪我もしないでしょう。であれば、僕は一人であっても事態に対処できます。大丈夫です」


 樹木に当たれば骨折くらいはするだろうが、今は不安要素の話は必要ない。

 ただ先輩が冷静になってくれるのを祈るばかりだ。


「…そうか…そうかなぁ…。うん、ミチカ君、確かに僕より力持ちだよねぇ…でも…」


 なぜそんなにも心配を…と戸惑いながら、僕はふと窓ガラスに映った自分の姿に目を留めた。




 これは…客観的に見るならば、機材が歩いている…。




 荷物が大きすぎて、背後からは膝から下くらいしか見えないのが問題なのか。

 背負った感触はどうということもないのだけれど…。

 しかし、峰さんの気持ちは何となくわかった。


「背負い方を少し変えましょうか。これは手に持って、こっちを肩掛けにすれば…どうです、少しは人っぽいんじゃないですかね」


「あぁ、…うん。それならちょっとミチカ君の形状が確認できるかも。でも、そうすると持ちにくくはないの?」


「大差ありません。落とさないよう、念のためここをカラビナで留めてありますし」


「…頼もしい…。君のほうが年下なのに…この頼もしさは何なんだ…」


 苦笑ながらもようやく峰さんが笑ってくれたので、僕もほっとした。

 緑済地とはいえ、立ち入り禁止区域の中はほとんど道路に期待ができない。植物まみれになっているはずだから、徒歩が一番効率的だと僕は思う。

 車両を持ち込むと、単独では立ち往生したときに手の打ちようがなくなる。二輪に至っては横転の可能性があるために逆に危険だった。


「予定では二週間だが緑済地内は未知の領域だ。結構歩くことになるし、時間もかかるよ。もしも不測の事態で食料やコンパスを失ったら、すぐに救援を呼んでね。規定としては、定時連絡がない場合にも強制回収になる」


「はい。…ところで…質問があるんです」


「なぁに?」


「このお話があったときからずっと、定時・緊急とも連絡が峰さん指定なんですけど…定時連絡は4時間おきですよ。峰さん、時間外どころじゃない拘束時間なんですが。誰かと交代制のほうが良くはないですか? 睡眠やプライベートは大丈夫なんですか?」


「交代だなんて。こんな楽しいこと、誰かに譲る気にはなれないよ。それに僕、庁舎内に住んでるんだよね。ここ、居住区あるんだよ。マモレ課は事務職が多いからわかりにくいだろうけど、重症の研究者ってのは仕事漬けでねぇ…面倒くさがって帰りたがらないんだよ。僕もそうだから気にしないで。普段から時間や曜日に関係なく大体ここにいるから」


 そういえば出社するところも退社するところも見たことはない。

 昼だけは僕に気を使って一緒に食堂に行くけれど、それ以外は僕の面倒を見ていないときも…朝から晩まで席に座っているような気がする。


 …峰さんの仕事は、実はとても苛酷なのではないのだろうか。

 あまり僕に手間をかけさせてはいけないのかもしれない。


 峰さんは面白そうに僕の顔を見た。


「僕は仕事とプライベートが別れてないんだ。仕事が趣味なの。職場自体は全然ブラックじゃないから安心して。僕はもう、外界のくだらない情報とか、うんざりなんだよね」


 職場に引きこもりたい、と矛盾したような言葉を彼は呟く。

 その言葉の中に少しだけ、溜息のような本音が響いた気がして。


 僕が気に留めたことに、彼も気づいたようだった。

 顔色。目の動き。声のトーン。峰さんは本当に人の変化に細かく気がつく。

 もしかしたら…峰さんは諜報員上がりなのかもしれない。今は研究職だけれど。


 人当たりの良い笑顔と鋭い観察力は、諜報員に必要な要素だ。

 ありとあらゆる分野に精通し、時には標的と接触して他愛無い会話からいつの間にか内部まで抉り込む。相手の表情次第で話題を続けたり変えたりしながら、それと悟られないように欲しい情報を引き出す。…峰さんなら、きっと容易いことだ。


「バレたか。聡いね、君。…ね、いい人じゃなかったでしょ、僕。君みたいに純粋な子から見たら、嫌悪の対象にしかならないよ」


「…それは偽悪的です」


 諜報とは仕事だ。

 だから、それと峰さん自身がいい人かどうかというのは無関係だ。


 だって、こなしてきた任務を主軸にするならば、僕だって僕自身を許せない。

 僕は永遠にいい人になんかなれない。

 けれどもその気持ちに重きを置けば、施設から見たように僕は無能で商品価値がないということになるのだろう。

 あんなに頑張って生き延びたのに、あんなに誰かを傷付けたのに。


 僕はどちらも認めない。

 僕という人間を作るのは、仕事の評価やそれに対する感想だけではないはずだ。


「僕は純粋じゃない。そんな風に言われるのでしたら、峰さんから見た僕は憂鬱になるくらい無能だということになります。まだ緑済地にも行ってないのにそんな評価は困りますよ、役に立ちたいと思っているんですから」


「えぇ? どうしてそんな話になるのさ、僕はそんな風に思ったことないよ? …誰。誰が君にそんな評価をしたの。もし…」


「峰さんが僕にとっていい人でないと言い張るのなら、峰さんにとっての僕の評価もそのようになるという話です。施設目線で見るならば僕は劣等生だと、もうおわかりのはず」


 言わんとすることはわかるのだろう。

 無茶苦茶だよ、と峰さんが頭を掻いた。


「困った子だねぇ。特施が矯正できなかった真っ直ぐさだものねぇ。もぅ…わかったよ、僕もいい人でいいよ。そんなに信じて、あとで泣いても知らないから」


 そんな言葉に僕は笑った。ささやかな勝利だ。

 聡いだの純粋だの、実際は真逆なのに、峰さんのほうが余程僕に夢を見ている。

 多分、峰さんは諜報の仕事が嫌だったんじゃないかな。それで自分に対しても嫌気が差してしまったところがあるんだろう。

 それならば僕にも十分理解できる感情だ。…僕だって。泣いて謝ってそれで許してもらえるのなら、土下座も厭わないと思う相手はいる。


「…今は…楽しいですか?」


 無意識に、そんな言葉がこぼれていた。

 笑いも怒りもせずに、彼は少し目を細めた。踏み込みすぎただろうかと僕が慌てかけると、緩く首を振って見せる。


「気にしないで。うん。…僕はね、楽しいよ。ここにはごく普通の過去しかない人も、人には言えない過去を持つ人もいるよ。君にも、ここが楽しいと思ってもらいたいし…そうするつもり。僕はね」


 犬でも撫でるように、頭をわしゃわしゃ撫でられて、それから鼻を摘まれた。

 その間ずっと、僕の背中はぞわぞわとする。嫌悪では決してないのに。


 まるで何でもないようにそうやって、きっと彼は施設から出てきたばかりの僕を、人や環境に慣らそうとしてくれているのだろう。それこそ、拾ってきた犬を新しい家に慣らすみたいに。


 ふと、扉がノックされた。

 もっぱら資料室を研修に使っていたから、時折こんなことがある。「はぁい」と声を上げて峰さんが扉を開けに行った。

 外からのロック解除で開くというのに、誰もが律儀に峰さんが開けるまで中に入ってこようとはしなかった。お陰で、僕らはすっかりこの部屋の主みたいになってしまっている。


「ミチカ君の作業服、届いたって」


 峰さんが受け取った服を手に戻ってきた。作業服も黒い。

 渡されたそれを広げてみると、胸には『盤乃沢』とネームが入っている。


 すごい。

 反社会的集団では決して有り得ない、己を明らかにする行為だ。


 顔をさらしてこれを着用することにより、対峙する相手は僕を『盤乃沢』だと認識し、腕についたマモレ課のロゴを見て所属を知るのだ。

 僕が詐欺なんかの悪事を働けば、すぐさまマモレ課にそれを申し立てることができる。


 正しい情報を公開することで、一市民の人権が守られる。

 とてもいい。

 健全な組織に所属できた、その証だ。僕は作業服をとても気に入った。


「それを着て行ってはもらいたいんだけど…今、ボタンを取り替えさせてほしいんだ」


「ボタンですか?」


 峰さんは自分のポケットから、作業服についているものと、一見同じボタンを取り出した。

 知っている。通常なら気が付かないだろう、それ。


 微かな機器の、においとおと。


 僕はそう認識するが、その周囲が微かに揺れているように感じると言う奴もいた。

 どんな小さな機械であっても、稼働していると気配が違うと僕らは学ぶ。

 学ぶだけで、実際には感知できない人間も少なくはないのだが。


「…いいかな。帰ってきたら戻すから」


「はい。問題ありません」


 つけますよ、と手を出しかけたが、首を振った峰さんは更にポケットから取り出したソーイングセットで僕の作業服のボタンを付け替え始める。

 予想はついた。峰さんの用意したボタンには盗聴機が仕込まれているのだ。


 定時連絡を入れるとはいえ初めての単独任務だからか。

 それとも。

 待ちに待った現地調査だ、起こることの全てを知りたいということなのか。


「…正義の課だからですか?」


「ん?」


 言葉の意味を取りかねて、峰さんは顔を上げた。

 糸を切る鋏を差し出しながら、僕は不思議な気持ちで問いかける。


「普通、盗聴機とは当人に内緒でつけるものだと思います。上の判断だったのか…過去の任務でもつけられていたことは幾度かありますが、了承を取られたのは初めてです」


 ボタンの処理を終えた作業服をこちらに渡し、峰さんは珍しく苦い顔をする。


「…えぇ? まさか…君、内緒で盗聴機つけられてても気づくの?」


「はい。微細であっても機械が動けば音や匂いがします。必要だと判断してつけられたのでしょうし、聞かれて困ることもありませんので気にはなりませんよ。もちろん、任務の中途でついた場合は敵対者の可能性がありますから解体しますが」


 作業服を羽織ってみた。

 やはり、少し袖が長い。


 こっそりと峰さんの袖口辺りを窺うが、特に長そうには見えない。

 僕は…腕が短いのだろうか…。

 どうしようもないことだけれど、少し悩む。

 そのまま目線を上げてみると、見えた相手の表情はまだ苦いままだった。


「何か…変なことを言ったでしょうか…」


 問いかけてみると、峰さんは三秒ほど目を閉じ口を一文字に結んで静止する。


「…うぅん。バレちゃうなら。先に言っておくよ…。他にもあるから壊さないでほしい。発信機も。つける気だったよ」


 仕方なさそうに目と口を開いた相手に、僕は何だか面白くなってしまった。

 上着だけでは、脱いでどこかに置いてしまえば終わりだ。

 以前も平均で4個はつけられていたし、複数必要になることは予測がついていた。


 発信機までつけてくれるのなら、遭難しても安心だな。

 作業を聞いているだけではなく、今実際に居る場所を確認したいというのなら、そういうことだ。

 なんて親切な職場なんだろう。

 入りたてのこんな末端の人間の生存にも心を砕いてくれるなんて。


「はい。最初からついていれば任務上必要なのだろうと考えますから、前もって知らされなくとも問題ありません」


「…あとね。これは、上からの業務指示じゃないんだ。僕が、全行程知りたい。それだけなんだよ。それでも壊さないでおいてくれる?」


 悪事でもバレたかのような顔で峰さんが言い募るので、僕はついに吹き出した。


「大、丈夫ですよ。峰さんの指示は、業務指示なんですから。聞かれ、てっ、困ることなんて、ありません」


 腹筋の痛みに、身体を捻った。

 こらえようにも、可笑しくて涙まで出てくる。取り繕えない。

 何とか声を殺して身を震わせる僕に、峰さんは拗ねたような声を出した。


「…ミチカ君。ミチカ君ったら。笑いすぎだよ。参ったなぁ。もう、他の盗聴機はどこにつけても教えてあげない。実はミチカ君、基本的にはぼんやりしてるでしょう。気を張ってないとミスする子だって知ってるからね。うっかり壊すかもよ。壊したら始末書書かせてやるんだ。上司だからね」


 うっかりはまだしも、仕事中にぼんやりしてしまったことなんてあっただろうか。

 確かに僕は、仕事だ任務だと何度でも思い直さないと思わぬミスをする。その自覚はある。


『 お前は マイペースな子だね 』


 ふと、優しい声が脳裏によぎった。

 いつか誰かに、そう言われたような気もする…。幼い頃からそういう性格だったのだろうか。

 誰に言われた言葉なのかも、思い出せないけれど。


 それにしたって、うっかりで盗聴機を壊してしまうようなことはないだろう。


「どこについてるかなんてわかりますもん。壊しません。でも始末書は困るから、大事を取って、つけられた盗聴機はヘリの中に全部置いていこうかな?」


「わぁ、ダメダメ! 僕泣くよ!」


 たまらず、僕はまた笑った。

 施設でいう上司とはこんな風に楽しく会話のできるものではない。


 施設には友人と呼べる人間もない。

 あの場所では、馴れ合いは厳禁だった。少しでも誰かに気を許せば、それは隙と見られる。


 指名される以外の任務は、自らの力で手に入れねばならない。

 手に入れた手段から評価は始まっている。

 こなした数だけでも駄目。受けた任務の内容や遂行の過程も全て数値化され成績に反映される。無関係だったはずの者さえも引きずり落としに参加し、一つの餌に獣のように群がるのが常の場所だった。


 こんな風に笑いながら任務につけるなんて。

 施設で暮らした日々の中では、想像もできないほど幸せなことだ。



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