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マモレ課へようこそ。(ナマ言うと1週間で追い出すよ!)


 初めての仕事場には緊張したが、誰もが僕に興味がなさそうだ。

 建物に入って応接室に通され上司と対峙するまでの間、案内係の女性以外、すれ違う人でさえ僕を見もしない。そして誰もが多少形の違いはあれど、上下とも黒の制服を着ていた。


 パンフレットの写真にあった派手な五色の服はただの広報用か。ちょっと安心した。

 御多分にもれず、僕の服も黒い。与えられた制服はぴたりとした黒の詰襟で、女性もお好みでズボンが選べる。ちなみに、カラーとしては長官だけが白を着ることを許されているらしい。


 何だか少し袖口が長い。

 そんなことを気にしながら、僕は顔を上げる。


「頭脳明晰な熱血漢が入るって言うから期待してたのにねぇ…こんなヒョロっちい…」


 せせら笑いを投げられて、小さく身じろぎした。細身だという自覚はあったが、初めて会う上司からいきなりパワハラの材料にされるとは思わなかった。


「で、なに君だったかな?」


「ば…、盤乃沢 ミチカです」


「みっちゃん! それじゃあ、特防庁への配属おめでとう。私はこの特別防備管理庁、防衛任務遂行課の課長、朝霞だ。君はこの課の愛称を知っているかい」


 気後れする僕に全く構わない、相手の高いテンション。

 わからなくってもこれは質問だ、答えねば殴られる…ここではどうだかわからないが、施設ならば殴られた。だから黙って俯くわけにはいかず、何とか略称を捻り出す。


「…いえ…、防…遂課、とかですかね…」


「マモレ課だよ…誰だろうね、こんなひどい愛称つけたの。さて、君も特防庁マモレ課に来たからには、日々の平和について並々ならぬ熱意を持っていることと思う」


 あっさりと組織名称と無関係な愛称が告げられた。予測不可能じゃないか、本当にひどい。

 けれどもピンチはまだ終わらない。

 何だかとんでもない期待をかけられている。


「…あの…えぇ、と…?」


 なんて答えたらいいだろう。

 日々の平和なんて、正直考えたこともない。

 僕の答えなど始めから興味はないのか、相手は自分の口上に酔ってしまっているようだ。


「しかぁし、我々にはまだ敵と戦うに足る力がない。敵とは何か? もちろん悪だ。悪とは何か? 正しくないこと、不道徳なこと、そう、よろしくないことだ!」


 どうしよう。

 そんなつもりでここに就職したわけではなかった。細々とでも人の役に立つ仕事がしたかっただけなのに。

 しかし上司のお話は止まらない。


 誰か、この人を止めて…。

 必死に周囲に助けを求めて視線を送るけれど、朝霞課長がエキサイトする様は珍しくはないのか、周囲の職員はカタカタと思い思いに端末と向き合い、こちらを気に留める様子もない。

 その間にも課長のボルテージはガンガン上がっていく。


「我々は、もう何年も探し物をしている。各地に散った正義の戦士達だ。彼らを見つけることがまず君の任務になる」


 何をやらされるのかとドキドキしていた僕は、少しだけ表情を緩めた。


「あ、人探し…なんですね。何かこう、不良を更正させろとか、殺人犯と戦えとか無茶振りされるのかと思いました」


「うむ、基本的にそういう悪とは警察が戦っている。一部そういうこともあるかもしれないが、まず特防庁としては組織を整えることが先決なんだ」


 正義の世界も世知辛いのだ、と朝霞課長は溜息をついた。

 かける言葉が思いつかず、おとなしく姿勢を正す。

 幾らかの注意事項が続いた。仕事上知りえた情報は全て機密となる、故に決して他者に口外したりしないこと。任務の際には武器が貸与されるが、みだりに使用しないこと。ましてそれを使用して犯罪を犯すようなことがあれば、所属部署の都合上、一般人よりも重い罰に処される場合があること。


「まぁ、『悪を倒す』部署に身をおきながら私欲で犯罪に手を染めたりしたら…予想くらいできるだろうね。君も君の先輩達も、一般の出じゃあないのだし。さて、君の初めてのお仕事だけどね、まぁ、山登りだよ。準備やら詳細は峰君から聞くように。以上だ」


「えっ」


 唐突に打ち切られた話に驚いて顔を上げるが、上司はさっさと席を立ち、どこかへ向かおうとしている。施設の面談よりも忙しない。

 せめて誰が『峰さん』なのか教えて欲しい…と青ざめる僕の前で、かたりと立ち上がった男性が一人。

 すうっとその切れ長の目が細められた。


「僕が峰です。よろしく、盤乃沢君」


「よ、よろしくお願いします!」


 今度こそ挨拶から仕事まで、一般人らしくしなければ…と意気込んで駆け寄…ろうとしたが、ずいっと黒いものが視界を遮った。

 僕の目に映ったのは、無表情に差し出された分厚いファイル。背表紙幅が15cmはありそうで、異様な圧迫感を放っている。

 目の高さで差し出されるそれに、思考が追い付かない。


 持っている相手の手が次第にプルプルしてきたので、重いのだろうな。

 あぁっと、いけない。

 渡されるものならばお礼を言って受け取らねば。それが正しい一般人というものだろう。


 ファイルへの怯えでやけに小さくなってしまったが、「ありがとうございます」とお礼を何とか声に乗せ、慌ててその重量物を受け取る。厚さも重さも、ちょっとした百科事典のようだ。

 品定めするように僕を見ていた相手の目が、にっこりと笑った。


「これは君の分の資料だから、帰るときはそこの君の机の中に片付けてね。机の上に置きっぱなしは絶対ダメ。必ず守って」


「はい、わかりました」


 示された机は峰さんの斜め後ろ。

 新人席は急ごしらえだったのだろうか。ちょっぴり他と離されて、ぽつんとしている。

 ファイルは分厚いけれど、多分あの一番下の引き出しになら収まるのだろう。


 新人研修は自席だろうか、別室だろうか。

 これ、持ち歩くのかな。

 渡す前に峰さんの手はプルプルしていたが、僕にはそこまでの重さじゃない。それでも無様に落とさないようファイルを抱え直し、次の指示を待った。


「…ふふ、合格だ。この資料を見てまず疑問や文句を言うような新入りは、一週間でいびり倒して追い出すことに決めている。やる気のない人間なんて邪魔だからね。仲間入りおめでとう」


「…ぇっ、あっ、どうも…」


「厚さに怯えるのはわかるけど、それを読んでほしいのは本当なんだ。極秘だから持って帰っちゃダメだよ。僕達が探しているのは…ちょっと、普通ではないものでね」


 手招きされて、後を追った。

 机からさして離れていない場所に、『資料室』とラベルのつけられた扉。壁に取りつけられたセキュリティロックに素早くコードを打ち込んで、彼は言葉を続ける。


「研修はこっちの部屋でやるけれど、パスワードはまだ教えられないから。ここへは僕と一緒のときにしか入れないよ。一応、僕が君の教育を任されているから、ほとんど僕以外の社員と関わることはないと思ってね。挨拶も要らない。試用期間が終わるまではね」


「…そう…なんですか」


 ひどい罪悪感を覚えた。

 つい目で追ったら、パスワードが見えてしまったなんて…無意識に覚えてしまったなんて…。


 あの施設の出でなければ、覚えたりしなかったのだろうか。僕が諜報活動員だったら資料の機密性はもはや風前の灯。いきなりミスしてしまった。


「ごめんね。君は多分大丈夫だとは思うけど、ほら、これまで散々新人を追い出しちゃったから。皆、居着かない人を覚えるのは面倒だっていうことになって…僕のせいなんだよ」


 僕の様子をどう取ったのか、慰めるように笑って峰さんはそんなことを言う。

 優しい。

 うぅ、いきなり無様すぎるけれど…僕もちゃんと言わなければ。


「いえ、ご期待に添えるよう頑張りたいです。ですが…あの、僕は今、早くもミスをしてしまって。一つお願いがあるんです」


「…ミス…? なぁに?」


「…実は今しがたパスワードが…見えてしまったので、お早めに変えていただけたらと」


 苦笑したのを隠すように、峰さんは右手を口許に添えた。


「…えぇと。今ので? 覚えたの?」


「すみません、うっかりしました。次からは見ないように気をつけますので、あの…本当にお手数をおかけしてすみません…」


「そう。…うん、わかった。大丈夫だよ。ついでに聞くけど、ここ、カバー付けたほうがいいかな? 見ようと思ったら、君はこの部屋のどの辺りならパスワード見えそう?」


「カバーは是非。必要だと思います。見るつもりなら、僕なら…あぁ。駄目だ。入口からでも手の動きで読めます。人が被らなければ、多分室内のどこでも見えます」


「わぁ。凄いね、どんな目ん玉してるの。わかったよ。カバーも頼んどくし、パスもすぐ変える。ありがとうね。じゃあ、まずは中に入ってくれるかな」


「はい」


 怒られなかったことに驚いた。ましてセキュリティが甘いなどと新人に指摘されれば、怒りは倍増しても仕方がないと思ったのに。施設の教員なら、まずは僕らを地べたに這いつくばらせてから同期の手で断罪させたことだろう。より屈辱を感じるようにと。


 一般的な会社の人達はこんなに理性的なのか。嬉しい。素敵だ。感動した。

 僕には、彼はいい人に見えた。

 新人を次々追い出すなんて風には見えないから、きっと新人側にも何かしら問題があったんだ。


 …そして僕も既にミスをした。しっかりとマイナスがついたはずだ。頑張らないと。

 峰さんがパチリと壁のスイッチを押すと、蛍光灯が頭上で明滅した。その明かりも明度はあまり高くなくて、現れたスチールの棚と相まって室内は随分とレトロな印象だ。


「課長が先程君に伝えたでしょう。僕らは今、とある人達の捜索をメインに活動している。ただ、いかんせん相手も場所も普通ではなくて…出向く人員が不足していたんだ」


「…人員不足…ですか? こちらは結構大規模な職場に見えますが」


「だって、ほとんどが研究者と事務員だもの、肉体労働は不向きなんだよ。防衛任務遂行課なのに、遂行できる人材がまだいない。課内でも試してはみたんだけど、調査機材を運ぶところで大惨事。僕にも一度業務命令自体は出たけど…荷物、持てなかったね。機材も大破したし散々だったから、探索できる人材を雇うことになった。…とはいえ僕に追い出される程度だもの、軒並み役立たずばっかりで困ってたんだよ。まぁ、君が来てくれたことで、ようやく現地調査という領域に踏み込めるかな。特施出身だって噂を聞いてるけど、それなら体力に自信はあるよね?」


「あ…んまり過剰な期待は困りますが、それなりにあるほうだと思います」


 特施とは特別施設のこと。

 つまり孤児を暗殺者や諜報員に仕立て上げる、あの施設のことだ。

 成績は就職先にも開示されたのだろうか。されるか。能力が不足していれば、受け入れた側だって困るものな。少し憂鬱になる。


「山登りは?」


「大丈夫ですが…あまり標高の高い山に登った経験はないです。ザイルやピッケルも自前では持っていませんので…支給だと助かるんですが…自己負担ですか?」


 そこがどこかも教えられないままに、研修地へ送られるのはよくあることだ。

 何度か冬の雪山に上から投下され、自力で下山させられたものだ。


「あ、うぅん。昔のスキー場跡地とかだから、そんな本格登山じゃない。ただ…場所がね、緑済地なんだ。サバイバルになるよ」


 緑済地とは、緑化完了済地域。

 つまりは緑に飲まれた場所のうち、植物の成長に落ち着きが見られる地域だ。

 金と人手をかければ、再度の開拓が可能と見られてはいるが…未だ異常成長の原因がわからない以上、手をつけられず監視を続ける状態だと聞いている。

 僕は頷いて見せた。


「そうですか。サバイバル装備であれば、手持ちのもので足りるかもしれません」


「…緑地だよ。怖くはない?」


「身の危険という意味でしたら大丈夫です。異常成長の最中でなければ、磁石盤も狂いませんから問題ありません」


 峰さんは突然僕の頭をわしゃりと撫でた。

 ゾッとした。


 油断していたのか。何も反応できなかった。施設でなら、僕は今、死んだ。

 驚いて固まる僕に、峰さんは大きく頷いて見せる。

 あぁ、違う。一般の職場では、そんなこと急には起こらない。むしろ僕が挙動不審になれば、怪しまれるのかもしれない。


「…あ…の…?」


「頼もしい。ミチカ君、頼もしい」


 峰さんにはやはり悪意などない。

 これが普通のことならば、僕は慣れなくては。


「あ。ありがとうございます」


 ふと気付いた。

 呼び方が、盤乃沢君からミチカ君になってる。


 思わず僕が笑うと、峰さんもにっこりと笑ってくれた。

 きっと期待されたのだ。

 ならば、答えて見せなければ。クビにされることではなく、ここで役に立つことを考えなくちゃ駄目なんだ。

 心の中で気合いを入れ直した途端に、峰さんは急に真顔で僕を見た。


「君には今日明日で、その資料を全て頭に叩き込んでもらいたい。関連資料が奥にあるから、こっちに来て」


 …さらりと怖いことを言われた気がする。

 役に立てるだろうか。いきなり不安になった。


 案内された室内は、ずらりと並んだ標本や研究書の数々。役所然とした事務室から打って変わった資料室に呆然としながらも、先輩の後ろをついて歩く。


「まずは君に探してもらうものについて説明しよう。話は先の大戦まで溯る。軍が極秘に開発したとされる合成生物がそれだ。動物と人間を組み合わせた化け物…それらは長年噂にしか過ぎないと言われてきた。ちょうど、ほら、口裂け女みたいな都市伝説さ」


「…は、ぁ…」


 合成生物なんて、都市伝説どころか初耳だ。

 ましてや先の大戦なんて言われても、世紀を跨ぐ大昔の話ではないか。日本軍という名の存在さえ消滅して久しいのに、そんな昔の都市伝説なんて、調べてどうするのだろう。


 そう思いはすれど、僕は口を噤んでいた。

 峰さんの顔を見れば、少なくとも冗談で口にしたのでないことはわかる。一笑に付するのはどんなことであれ簡単だけれど、迂闊なことをして僕の新たな居場所になるだろう職場を、簡単に失いたくはなかった。


 ここをクビになれば多分、施設に戻されて…別の就職先を探さねばならないのだろう。


 次も僕の我儘が通る保証なんてない。

 まして今は、誰も傷つけなくていい…仕事は人探しを求められている。先輩はいい人で、僕自身が頑張れば、ここにいられるかもしれない。認めてもらえるかもしれない。

 どんなことでも。やらなくては。


「我々は独自の調査によって、彼らは本当に存在していた、との結論に達した。それも噂などより更に奇異なるものとして…これを見てくれ」


 棚から一冊のアルバムを取り出して、峰さんはページを開いて見せる。示された写真には、十人の男女が写ってていた。


「写真の裏にはこう書かれている。『研究所設立記念。犬、猫、鳥、狼、熊、蛇と』…わかるかい? 彼らは既に、動物として示されている。これが研究所の設立当初ならば、彼らはここで合成なんてされていない。彼らは元より獣の特性と人間の見た目を両立できる生き物だったんだよ」


 既に実在した前提で話は進められている。

 成程、僕に求められた人探しとは、多分この写真の中の誰かなのだろうけれど…。


「…合成生物というのは、名目でしかないということですか。獣の特性と人間の見た目…狂犬病みたいな病とか? …の人達には見えないか…いい人そう…。うぅん…えぇと…。…すみません、やっぱりよくわかりません」


 落ち着こうと思っても、まず、何を言われているのかがよくわからない。

 グロテスクだけれど交配だというなら、まだわかる。でも合成なら、手術で繋ぎ合わせるとかそういうこと…?

 そうしたのかと思ってたら、実は元々そういう人達だった…というのは、生まれつき…しっぽがあるとかそういうこと?

 あぁ、何だかもう人間を探すのか動物を探すのかもわからなくなってきた。


「…君は正直だね。大丈夫、まずは話を聞いて。それから資料を読めば理解できる」


 峰さんは少し目を細めた。

 怒らせたかと息を飲むが、僕の怯えを見透かしたように、にっこりと笑って見せてくれる。


「この研究所は長年、存在そのものが疑問だった。馬も犬も接収されたんだ。学生まで駆り出す戦時の日本には、無駄にしていい動物も人もあるはずがない。…嫌な話になるけれど、例えば人体実験したいなら、他国の人間で行われただろう。けれどこの研究所は『生物を合成』して『日本兵』を作り出す場所だと言われてきたんだ。…その余剰な人員はどこからできた? なぜ動物と人間を合成しようなどと考えた? そして『実験体』は戦後どこへ消えたのか。過去を掘り返すうちに僕…いや、僕らは偶然、彼を目撃してしまった」


「えっ」


 峰さんが示したのは、まだ少年のような被験者だ。写真の中では隣に立つ青年を気にしているようだが、青年のほうは女性の研究者に身を寄せて笑顔を浮かべている。


「…良く似た…、ご親族の方…」

「ではないね。うちには物差しもなく目測で全ての数字を当てるという特異体質の人間がいてね。身長、四肢のバランス、顔のパーツの配置、全てがこの写真の彼と一致していると報告した。…うん、君が言いたい気持ちはわかるよ、目測なんて当てにならないって。けれど僕らはその特異体質がミリ単位でさえ狂わないことを知っている」


 続けられる話には、耳を傾けるより他できることもない。


「もちろん僕らは接触を試みたよ。「話を聞かせてほしいだけです!」なんて言いながら、逃げる彼を必死に追い回したんだ。そうしたら、彼、なんて言ったと思う?」


「…なんて…言ったんです…?」


 彼が子供のように目をキラキラさせるのに、戸惑った。

 偶然だとか、非現実的だなんて言葉で一蹴するのは容易いけれど。


 僕の仕事は否定することじゃない。

 理解し、的確に動き、結果を出す。そのためにはどんな情報も得ておかなければ。一度聞いた話を、二度してもらえるとは限らないんだ。


「まだ覚えてるのか、しつこいなぁ…と。そう言ったんだよ。僕らが接触したい理由が、まさに忘れ去られた過去にあることを、彼はわかっていた」


 もう一度写真に目を遣った。

 百年前と同じ容姿の少年。

 百年前の出来事を記憶したままの少年。


 不老不死、という言葉が頭に浮かんだ。確かにそれでは、普通の人間とは言えない。

 古ぼけたモノクロームの写真。

 白衣の研究者を除けは、そこにいる『被験者』は六人だ。即ち、『犬、猫、鳥、狼、熊、蛇』。


「…誰が、どれなんでしょうね。僕には全員、普通の人間にしか見えませんが。ただのコードネームってことはないんでしょうか」


 例えば実は名字なんじゃないかな。

 動物がつく名字なら珍しくもない。犬飼さん、猫塚さん、鳥井さん、熊田さん、蛇沼さん…ちょっと狼だけは変わりすぎててすぐに浮かばない。

 名字なら、六人も人がいて小林や鈴木や佐藤なんて感じの名字が一つも混じらないのは変かなぁ…。


「信じられないのはわかるけど、渡した資料をよく読み込んでほしい。そうしたら、きっと君にもわかる。恐らく僕らが出会ったのは、猫。『猫は姿だけでなく心もまだ子供のようで、ただ犬への対抗心から志願した』と資料にある。この写真の中で子供と言えるのはこの子だけだ。そして彼が気にしているこの男が、犬なんだろうね。そんな予測は立てられるけれど、結局は謎のままだよ」


 ぱたん、とアルバムが閉じられた。

 あくまで、彼らは真面目なのだ。


「僕らは解読した資料の中に、目的地を見つけた。君にはこの『対象者』を探しに北海道へ渡ってもらいたい。…君の出身地だね」


「…は、はい」


 どきりと心臓が跳ねた。

 北海道。

 緑に飲まれた地区。

 監視された立ち入り禁止となっているそこに、自由に出入りすることは不可能で…。


 僕は。いつか。故郷へ帰りたいと。


 あぁ、落ち着け。緑済地は山ほどあるんだ。

 A16へ行けるとは限らない。


「マモレ課は一般の方から見たら、本当に可笑しな部署だろう。しかしここには創られた意味と理由があるんだ。今は理解できないかもしれないし、僕らにも話せないことはある。君はまだ試用期間だ。まずは今日明日でその資料を頭に入れること。それから、君が探しに行くものについて、君なりに準備を整えること。やってほしいことは以上です」


 手近な椅子を手前に引いて、峰さんは片手で座れと示す。

 言われるがまま机に資料を置いて腰を下ろすと、彼は今しがた見ていた棚を指さした。


「この棚が関係書類だから、調べたいことがあったら自由に見て構わない。さぁ、始めて。僕は何か疑問があったときのために、ここで仕事をするから安心してね」


 思わず呻き声を飲み込んだ。

 こんなにも分厚い資料を今日明日で読めという指示は、…やはり本気らしい。

 近くにあった端末を立ち上げ、こちらに背を向けた先輩は心なしか楽しそうだ。


 …変なところに…来たんだろうな…。


 目を落としたファイルは、強敵だ。圧倒的存在感で僕の前に立ち塞がっている。

 けれどその存在感は、作り出されたものだ。

 今日来る新人のために、恐らくは峰さんがまとめたのだろう。五分やそこらで作れるようなものではない。通常業務の傍らで、何日も費やして準備をしたはずだ。


 うん。やっぱり、いい先輩、だと思う。

 それならば、いい後輩にならなくては。

 ひとつ頷いて、ファイルを開く。幸い僕は、文字を読むのが嫌いではない。


 …それに…少し楽しそうにも思えた。

 あの施設で他の人達が選んだ、他人を傷つけるだけの仕事より、ずっとずっといい。


 選択肢らしい選択肢を持たずに今まで来た。初めて自分で選んだ道なのだから、尻込みする前に進んでみなければ。


 改めてめくるページには、マモレ課が調査を重ねた結果がまとめられていた。

 戦争を知らない世代であり、体験者も側にいなかった僕にとってはただでさえ異世界の出来事のような話。更に加味されるのは、人外の兵士という異端の存在だ。

 連なる文字に引き込まれていくのに、そう時間はかからなかった。



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