チュロス
チュロスが好き。
チュロスが大好き。
チュロスと結婚したい。
チュロスの床にチュロスの壁の部屋に住みたい。
チュロスで作られた服を着てチュロスの香りのアロマで癒されてチュロスを抱きしめて眠りたい。
朝にチュロスを食べて、昼にチュロスを食べて、ティータイムにチュロスを食べて、夜にチュロスを食べて、寝る前にもチュロスを食べたい。
チュロスにおはようって言いたいしチュロスにおはようって言われたい。チュロスと一緒に遊園地に行きたい。チュロスと一緒に水族館に行きたい。
こんな気持ちは初めて。
きっとこれが恋なのだ。
チュロスのことを考えるだけで幸せになれる。
ネットでチュロスの写真をついつい保存しちゃう。
チュロスが愛しくて、尊くてたまらない。
生きる活力。まさにそう言える。
私はこの気持ちを誰かと分かち合いたくて、SNSを始めた。SNSは多様な人間とコミュニケーションが取れる素敵なツールだ。私は同じような人がいないか、ちらほら検索を繰り返し、やがて素晴らしいコミュニティーを見つけた。彼女たちは「#お菓子ガチ恋嫁と繋がりたい」「#お菓子の彼女さんと繋がりたい」と発信して、同士で繋がっているのだ。
私はさっそく、それを利用してこう発信した。
『19歳大学生です!チュロスが好きで、とにかく好きです!毎週食べてます!シュガー味が最推しですが、チョコレートシュガーもめちゃめちゃ推せます!チュロスいいですよね!チュロスや他のスイーツに恋するお友達ができたらうれしいです!』
そこでたくさんの同士とチュロスの絵を書いたり、通話をしたりして楽しいネットライフを過ごした。
チュロスのことを堂々と好きと言えるのが楽しかった。
友達にチュロスと私の絵を描いてもらえたり、チュロスと私の小説を書いてもらえたりした。チュロスのキーホルダーとぬいぐるみを持って友達と一緒に海外旅行をしたり、国内の遊園地に行ったり、婚姻届を書いたり指輪を買ったりした。
チュロスから貰ったという設定で手紙やプレゼントの交換会もした。
まるでほんとにチュロスの彼女やお嫁さんになった気がして楽しかった。
けれど、最近不思議な事が増えた。
私がチュロスを好きな気持ちを呟くと、見えないコメントがたくさん届く。コメントがつきました、と通知があるのに、相手が私を非表示設定してるから読めないという、初めから私に読ませる気のないコメントだ。
仲良しさんであるショートケーキ推しの彼女さんに相談すると「反応したら相手が余計盛り上がっちゃうから、無視しないとダメだよ」と言われた。
チュロスを好きという事が怖い。
チュロスの事は好きなのに。
そのうち、私に見えるように攻撃的な言葉は届いた。
私が「チュロスを食べに行きました」と言えば、「チュロスの彼女名乗るなら、毎日10本はチュロス食べてれるはずですよね?貴女は愛がないです。」「この前、チョコレートシュガー味のチュロスを食べた写真を投稿してましたが、今日はプレーン味のチュロスを食べるなんて、一途じゃないんですね。同担として気分が悪いです。」とコメントがくる。
私が「チュロス大好き」と言えば、「チュロスが好きなのは私!なんでそんなこと言うの!?私にはチュロスしかいないのに!貴女は別に他のお菓子でいいじゃん!私の方が先にチュロスを好きになってた!チュロスは貴女なんて嫌いだよ!」「チュロスが本命なのに全然チュロスに貢がないんですね。15月15日のチュロスの記念日、私は手作りチュロス作ってシャンパンタワーして祝いましたけど」とコメントがくる。
私がチュロスと私の夢小説を投稿すると、「なんでチュロスを食べる描写あるんですか!?好きなら食べれませんよね!?チュロス食べる描写は解釈違いです!」「主人公が気に食いません。私を主人公にした小説を書いてください」とコメントがくる。
私はSNSのアカウントを消した。
チュロスは今日も、変わらず美味しい。
でも私はチュロスを食べるとSNSを思い出してしまう。
チュロスは何もしていない。
チュロスの美味しさは何も変わらない。
チュロスは私を助けてはくれないのだ。
私はチュロスを好きなはずなのに、もうチュロスに向かって好きと言えなくなってしまった。
End.