声
眠るにも体力がいるってことを、年をとってから知った。
セットしている時間の30分前に目が覚める。眠れない。だったら、起きて何かすればいいのに、それはしない。ふとんの中でうだうだとするだけ。それが一番疲れない。そうこうしているうちにセットした時間が来て、目覚ましが鳴り、よれよれと起き上がる。ただただ無意味な30分から、私の一日は始まる。
一人暮らしだから、起きてから一言も発しない。こんな生活を送ることになるとは、12年前まで夢にも思わなかった。50才の“孤独な初老女”になろうとは。
言葉を発しないまま、弁当を作り、朝食をとり、洗濯物を干し、着替えて化粧。そして、出かける。が、その前にやる儀式がある。
戸棚の引き出しを開ける。と、そこには古いガラケーがある。ハンカチを敷いたその上にぽつんと置いている。入っているのはそれだけ。私はそれをそっと手に取り、電源ボタンを押す。画面に機種名が浮かび上がる。よかった。ちゃんと動いた。とホッとしながら、操作してそっと耳に当てる。
『あーごめん。まだ仕事終わってないねん。また連絡する』
ガラケー本体に残している留守録の声。昔の恋人だった人の声。12年前の声。
『また連絡する』と言ったのに、それはなかった。この留守電を残した後、心臓発作で突然亡くなってしまったから。38才。あまりにも早い死だった。
12年経ったけど、彼の声は年を取らない。この声だけが私に生きる力を与えてくれる。
以上が朝のルーティーン。そして家を出る。
冬の京都の底冷えはひどい。始発のバスは冷え切っている。身震いしながら、席に座り、文庫本を読む。
それにしても昔の人は、どうしてこの土地に都を建てたのだろう? 関西の中でも寒暖差が激しいこの地を選んだのはなぜだろう?
私は京都の有名土産菓子の工場で働いている。昔の人が京都に都をおいてくれたおかげで、現代の私は、仕事にありつけている。時はこうして繋がって流れている。
だけど、私の心は12年前で止まったままだった。それを私が選んだ。
バスに人が増えてきて、窓ガラスに水滴がついてきた頃、工場があるバス停に着く。
タイムカードを押し、作業着という白装束に身を包み、三角形のお菓子を小さなトレイに詰めていく。
割と大きな工場なので、働いている人も多い。若い子から私くらいの年齢までいろいろといる。多いから、一人でいても違和感がない。それが気に入っている。あいさつも、会釈して小声でもごもご言っていれば、体裁を保つことができた。昼食ももちろん一人。家でも話さないが、外でもほとんど話さない。そんな毎日でいいと思っていた。
私には、あの声があるから。
定時で仕事を終え、タイムカードを押し、またバスに乗る。文庫本を開く。
降りると、途中で小さなスーパーに寄って一人分の総菜を買う。いつも同じレジバイトの青年の、気持ちのこもっていない「ありがとうございましたー」に3センチだけの会釈をする。
家に帰ったら、さっき買った総菜と一膳分の冷凍ごはんを温め、テレビを見ながら食べる。そして洗濯物を畳んだり、片付けをして、お風呂に入る。
後は寝るだけという時に、あの引き出しを開ける。そしてガラケーを見る。見るだけ。
本当は電源を入れて声を聞きたいのだけれど、あんまり点けるとバッテリーを食うから我慢する。12年もののガラケーだから、大切に扱わなければいけない。だから、夜は見るだけ。そしてふとんに入る。これが夜のルーティーン。
毎日がこんな感じだ。休日も大して変わらない。テレビを見る時間が増えるくらいだ。
でも、その日はルーティーンが少し違った。仕事帰りのスーパーの後に、クリーニング屋に寄り、喪服を引き取り帰った。七回忌の時に一度クリーニングに出したが、6年経っているので洗い直したかった。あれ以来喪服を着ていない。サイズは大丈夫だろうか? 体重は変わっていないが、肉の付き方が変わっているので入らないかもしれない。
着てみると、やっぱりお腹周りが少しきつくなっていた。姿見で、正面、横、後ろ姿をチェックする。なんとか大丈夫そうだ。それにしても我ながら、喪服似合うなぁと思う。私にとってこれがデート着みたいなもんだから、嬉しいことなのかもしれない。
と、電話が鳴った。彼のお母さんだった。
「十三回忌ね、親族だけでこじんまりとやるから。あなたはもう・・・来ないで」
言葉を失っている私に、お母さんは続ける。
「ごめんなさいね。もうあの子のことは忘れて、あなたの人生を生きて」
電話を切ると、おもわずスマホをベッドに投げつけた。私は怒っていた。お母さんの言葉が至極真っ当だったことに怒っていた。『親族じゃない』自分に怒っていた。
引き出しを開け、ガラケーを取り上げ、電源を入れた。朝だけと決めているのに、電源を入れた。この怒りを静めてくれるのは、声だけだったから。でも・・・
あれ・・・?
電源が入らない・・・?
焦りながら、もう一度電源ボタンを長押しする。すると、画面にいつもの機種名が浮かび上がった。ホッとする。そして、すがるように彼の声を聞く。法事に出ることもできなくなった私には、本当にこの声しかなかった。
この件で携帯ショップに行くのは、初めてではなかった。このガラケーはいつか壊れてしまう。声を別の媒体に残せないかと、相談に行ったのは、数年前。その時「ムリですね~」と、店員に即答された。イヤホンジャックがないこの機種は、コードをつなげないので、ムリなのだと。
あれから時が経っている。最近の技術の進歩は目覚ましい。イヤホンジャックがなくても声を残せることができるようになっているのではないだろうか。
淡い期待を持って、もう一度、携帯ショップに来た。
「ムリですね~」
若い店員はあっさりと絶望を口にした。そして、私のガラケーを「すごいですね! こんな古いの初めて見ました!」「メルカリとかで売ったら、逆に高値つきそう」とはしゃいでいる。
どうやら嫌味ではなく、褒めているようだ。私はどんよりした気持ちで、店員の笑顔を見た。これが私と世間とのズレなんだ、と思った。なぜか鼓動が早くなった。生きてていいのか?私? と思った。大げさだけど、本当にそう思った。
私は、その帰り、家電屋に行き、ICレコーダーを買った。
家に着くと、ガラケーの音量を最大にして、ICレコーダーに彼の声を録音した。もうこの方法しかなかった。
ICレコーダーは、ガラケーの隣に置くことにした。
彼の命日の前日になった。私はお墓参りに行くと決めていた。法事は命日の明日やると聞いていたので、鉢合わせないように、前日にした。
お腹周りが少しきつい喪服を着て、バスに乗る。カバンの中には、ICレコーダーが入っている。これなら外に持って出てられる。何かあっても、また録音し直せばいいんだから。なんでもっと早くこうしとかなかったんだろう。まったく、私という人間はグズだと情けなくなる。
「来たよ」
と、墓石に声をかける。毎月、月命日に来ているので、今日は一日早い顔合わせになる。
墓石をピカピカに磨き、周りも掃除し、花も新しいものに変えた。これで明日、彼の親族は、私が来たことを知るだろう。嫌な気持ちにさせることはわかっている。させてやろうと思っている。もう意地だ。
きれいになった墓石の前に立つ。
もう12年も経ったなんて、信じられない。あなたがいなくなってからは、私はずっと砂の中におる。前にも後ろにも動けずに、光も当たらず、もがいても上に上がれず、でも微かに呼吸だけはできる。そんな状態なんよ。なあ。聞いてる?
「会いたい・・・触れたい・・・」
おもわず言葉が出てしまう。
私は、目を閉じ手をまっすぐ前に伸ばして彼を感じてみようとしたが、そこには冷たい空気があるだけだった。
またいつもの一日が始まる。目覚める。ムダな30分。起きる。食べる。支度する。家事をする。ガラケーで彼の声を聞き、充電をして、出かける。仕事を終え、バスに乗り、スーパーで青年に小さな会釈。十三回忌当日、私はいつものルーティーンをこなしていた。
でも、家までの道のりで、なぜか胸騒ぎがした。自然と早歩きになる。家に着くと、そのまま引き出しのガラケーを手に取った。
電源を入れる・・・電源が入らない。もう一度押す。が、入らない。もう一度・・・長押しもダメ。焦る・・・何度も・・・・・・画面は黒いまま。ついに壊れてしまった。
私は、ガラケーを中に置き、引き出しをゆっくり閉めると、そのままベッドにもぐりこんだ。
十三回忌当日に壊れた。ちょうどこの日に。グッドタイミングでしょ、と言わんばかりに。
これが意味するもの。そんなこと、私が一番わかっている。『次に進め』だ。
だけど言わせてほしい。
それができたら、とっくにやってる! できないんよ! できないのが私なんよ!
私はふとんの中で、シーツを握りしめた。手が小刻みに震えていた。私はまた怒っていた。
怒りという怒りが渦巻いて、気づいたら、震える手を握りこぶしにして、ふとんを殴っていた。何度も何度も。思い切り泣きたかったが、人は怒りながら泣くことはできないと、初めて知った。
それからの日々は、あまり記憶にない。
いつものルーティーンを思考ゼロ状態でこなして、なんとか生きていた。
ICレコーダーを聞けばいいのだが、元のデータが永遠に消えてしまった現実を突きつけられるようで、聞く気になれなかった。
街がクリスマスで盛り上がっている中を、完全に一人別世界で生きていたら、知らぬ間に25日も過ぎていた。
私が勤めている工場は、年末年始も稼働する。お土産が売れるこの時期はかき入れ時なのだ。ルーティーンが変わらないことに、私は安堵した。休みだと、余計な思考が動き出してしまうから、働いている方が楽だった。
でも運の悪いことに、大晦日が休みになってしまった。出勤したいと訴えたが、「ここで休まんと13連勤やから」と主任に変な顔された。
大晦日。私はこたつでテレビを見ていた。いや、テレビを聞き流していた。が、ふいに、やっぱり、と思った。
やっぱり、彼に会いに行こう。
そう決めた。
大晦日とはいえ、昼間の市バスはのんびりとした雰囲気だった。膝の上のカバンを開ける。ICレコーダーが入っている。今から、彼のお墓に向かう。大晦日を二人で過ごしたかった。
お墓の前に来る。花はもう枯れていた。急いで来たので、買ってくるのを忘れた。ごめんね。と彼に謝る。彼とつきあっている時もよくドジって、笑われたことを思い出す。
楽しかったな。あなたと一緒にいる時が人生で一番楽しかった。あなたの隣という居場所があった。それは泡となって消えた。だけど、あのガラケーの声があったから、なんとか生きてこれた。
カバンから、ICレコーダーを出し、声を聞く。レコーダーの彼の声は、雑音に紛れて遠くに流れる。微かに救急車のサイレンや車の騒音も混じっている。
「音質悪っ」
思わず出た自分の呟きに、ふっと笑ってしまう。何やってんだ、私、とまた可笑しくなる。お墓の前で50女が一人で泣いたり笑っている。この状況にも笑ってしまう。かなり気味悪いよ、マジで。笑いはしばらく治まらなかった。
お寺近くのバス停に着くと、帰りのバスがちょうど来たところだった。乗り口近くの席が、ちょうど一席空いていて、そこに座る。
と、運転手のアナウンスが聞こえた。
「それでは、出発します」
私はハッとした。その声が彼にそっくりだったのだ。運転席を見る。でもパネルがあって、姿は見えない。
私はその後のアナウンスを、耳をダンボにして聞いた。やっぱり彼の声にすごく似ていた。
私は、ドキドキしながら運転手の声を聞いた。降りるバス停を通り越して、終点まで来てしまった。
「ありがとうございました。足元お気をつけて」
その運転手は、降車する客の方に体を向け、一人一人に丁寧に声をかけていた。
私が最後だった。ドキドキしながら、定期券をピッとかざす。
「ありがとうございました」
と、運転手に声をかけられたが、ここ何年もあいさつをしてこなかった私は、いつもの会釈しかできなかった。
せめて、「ありがとう」くらい言えないのか、と自分を責めながら、降りようとしていた私の背中に、運転手の声が響いた。
「よいお年を」
地面に下ろしかけていた足をバスのステップに戻し、私は運転手の方に振り返った。
そして目を見て、
「よい、お年を」
と、言えた。
運転手はにっこり笑った。その顔は、彼とは全く違っていた。
降りると、バスは車庫の方へ走って行った。私は、逆向きのバス停へと歩く。バスを待つ間、私はいろいろと思考した。家に帰る前に、いつものスーパーに寄ろうかな。年越しそば、食べよう。レジにあの青年がいるだろうか。いたら、声をかけてみようかな。
「よいお年を」
って。
今日なら言える。嫌、今日しか言えない言葉だ。だけど言えないかもしれない。
「どっちでもいいかぁ」
と呟いて、空を見上げた。雪が降ってきた。最初の一粒を、手のひらで受け止めた。
おわり
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
年末なので、年末の物語を投稿しました。
今年は月2本の短編を投稿するという目標を達成できました。
これは、自分にとっても大きな自信となりました。
来年からは、月に1本を目標に、コツコツと書き続けたいと思っています。
また、読んでいただけると、嬉しいです。
それでは、よいお年を!!