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九話 ノーティス村には独自の常識があるらしいです。

「やぁ、聖女様、牧師様。巡回お疲れ様」

「お邪魔します、アドレーさん」


 白衣を身に纏った初老の男性に、ベイルは頭を下げる。


 今日は月に一度の巡回の日。

 朝食を摂り終え、教会の掃除をしてからベイルとルナの二人は村の家々を回っていた。

 今は丁度、村の中心部に位置する小さな診療所に顔を出したところだ。


 ベイルたちが診療所のドアを開けると、この村唯一の医者であるアドレー・ロットンが二人を出迎えた。

 髪の毛一本生えていないツルツルの頭部と、恰幅の良い体躯と、強面の面貌が合わさって、一部の子供たちの間では〝鬼のアドレー〟という異名で恐れられているらしい。

 だが、その外見に反して彼が子ども好きで温和な性格の持ち主であることをベイルたちは知っている。


 頭を下げながら診療所の中に入ってきた二人を、アドレーは六十という齢を感じさせる少し皺の目立つ丸顔をふにゃりと緩めた。


「聖女様もお疲れでしょう。お茶を用意してますから、ささっ、奥へ」


 そう言って、アドレーは全身を使って奥へ繋がる扉を示す。

 ルナの体が弱いことはこの村ではすでに周知のことであり、巡回の際、ほとんどの家がこうして彼女の体調を気遣ってくれる。

 お陰でルナは村中を回ることができているのだ。


「お気遣いありがとうございます」


 頭を下げ、アドレーに追従する。

 場所を待合室から診療室へ移し、二人はそれぞれ用意された丸椅子に腰かけた。


「今日はもう結構回られたので?」


 お茶の入ったグラスを差し出しながら、アドレーが訊く。


「ええ、丁度半分ほど回ったあたりです。夕方までには全ての家を回れるかと」

「それはそれは、お疲れ様です」


 ノーティス村は人口がおよそ四百人、百世帯余りののどかな村だ。

 もうすぐ太陽が真上に昇ろうという時分。

 午前中の間に五十世帯ほどの家を訪問できた。


 アドレーは自身もまたお茶で喉を潤わせると、少し懐かしむ様な遠い目を二人に向けた。


「もう一年ですか、お二人がこの村に来られてから」

「ええ、その節はお世話になりました」


 必死の逃避行を続けてこの村に辿り着いた二人を拾ったのが、アドレーだ。

 彼はこの村に流れ着いたばかりの二人に診療所の一室を与え、そして村長に当時前任者が無くなったばかりだった教会の牧師に推薦してくれたのだ。


 もちろん部外者である二人を迎え入れることに反発する者も多くいたが、巡回の甲斐もあってか今ではこの村に馴染めている。

 ともあれ、アドレーは二人にとっての恩人だ。


 ベイルとルナがまたしても頭を下げると、アドレーは頭をポリポリとかいて照れ笑いを浮かべる。


「よしてくだされ。今の生活があるのも、お二人の人徳があってこそ。悪人であれば今頃この村を追い出されていたでしょう。それに私は、傷ついた人を見捨てるために医者になったわけではありませんからな」


 本当に誠実な方だと、ベイルは尊敬の念を抱く。

 これまで多くの人間と接してきたが、彼ほどの人格者をベイルはあまり知らない。


「ところで、アドレーさんはお体の具合が悪かったりとかはありませんか?」


 本題に移る。


 巡回ですることは大きく分けて二つ。

 何か怪我をしている者がいないかを訊き、ルナの力で癒すこと。

 そしてもう一つが他愛もない世間話をすることだ。


 アドレーはわっはっはっと快活な笑い声を上げると、胸を強く叩く。


「私の体は丈夫でしてな。今日も変わらず万全の体調です」

「それはよかったです。アドレーさんには元気でいていただかないと」


 稀人として特別な力を持つルナが癒せるのはあくまでも外傷だけ。

 例えば病気などは、高熱をある程度抑えることができてもその原因までを解消することはできない。


 この村では切り傷の類はルナのところで、病気の類はアドレーのところで診てもらうことが今では常識になっている。

 お陰で外傷の手当のやり方を忘れてしまいました、と今のような高笑いと共に冗談交じりで言い放ったのがつい先月のことだったか。


 ベイルとアドレーが話し込んでいる間、ルナは体を休めながら視線を彷徨わせる。

 ふと、部屋の壁際に置かれている薬品棚に目がいき、声を漏らした。


「凄い薬の量ですね……」

「ああ、これは解毒薬ですよ。春ですからなぁ、色々な生き物が目を覚まします。中には毒を持ったものも。この季節、結構多いんですよ。草原で遊びまわっているうちに毒を持った生き物に足を噛まれたりする子どもが」


 苦笑しながらアドレーが応える。


 彼曰く、中には死に至る恐れのある猛毒を持った生き物もいるらしいが、数日以内に解毒薬で適切な処置をすれば問題ないのだそう。

 もちろん子どもたちには遊ぶときに気を付けるよう各家庭で指導しているらしいが、外を元気に遊びまわることを止めることはできない。


「だから、たくさん作ってあるんですね」

「ええ。あるに越したことはありませんからな」


 確かにその通りだと、お茶を啜りながらベイルは頷く。


 丁度その時、ゴーン、ゴーンという重たい鐘の音が遠くから聞こえてきた。

 それを聞いて、アドレーは「おや?」と片眉を吊り上げた。


「もうこんな時間ですか。すみませんな、引き留めてしまって」

「いえ、こちらこそお忙しいところありがとうございました。また何かあれば、教会にいらしてください」


 ベイルとルナは立ち上がると、アドレーに向けて会釈をする。

 アドレーの柔和な笑顔に見送られながら、二人は診療所を後にした。


◆◆


「それでねえ、言ってやったのさ。おととい、きやがれってねっ」


 場所を移し、とある民家。

 腰痛を訴えるおばあちゃんの治療をしているルナは、うつ伏せになりながら威勢のいい声で武勇伝を語るおばあちゃんに苦笑いを浮かべていた。


 ベイルは隣の部屋でおばあちゃんの娘さんとお茶を飲んでいる。

 ちなみに、おばあちゃんが今語っている武勇伝は若いころにナンパしてきた男を一蹴した話だ。


 腰を擦るルナの手は淡く光り輝いている。

 治癒の力が発動している証左だ。


 おばあちゃんは気持ちよさそうな声を漏らしながら、ふと目を細めた。


「そういや、聖女様は今幾つだったかしら」

「十七です」

「ほお、そうかいそうかい! うちの孫と一緒さね」

「そうなんですねっ」


 微笑みながら、ルナは彼女の腰を擦り続ける。

 すると、おばあちゃんはニヤリと笑みを浮かべた。


「どうだい、うちの孫なんて。よく働くよ? 見た目もそれほど悪かねえ」

「え? ……ぁ、いえ、その」


 一瞬彼女の言っていることの意味がわからず首を傾げたルナだったが、すぐにその意味に思い至り、顔を真っ赤に染めてあたふたとする。

 そんな彼女の反応をくっくっとおばあちゃんは面白がる。


「あんたももういい歳だ。そろそろ生涯を共にする相手を探し始めても悪くないと思うけどねえ」


 おばあちゃんの言葉にルナは不意に腰を擦る手を止めると、隣室で語らうベイルに視線を向ける。

 そうして、ギュッと口を引き結んでからおばあちゃんの耳元に顔を寄せる。


「……その、私はもう探す必要がないと言いますか、探せないと言いますか」


 か細い声で照れたようにそう囁くルナ。

 おばあちゃんはそれを聞いて目を大きく開けると、ちらりとベイルに視線を移してにやりと口角を上げる。


「冗談に決まってるさね。この村の若いのが誰もあんたに声をかけないのは、皆もうわかってるからさ」

「それはどういう……?」

「あー、楽になったよ! ありがとう、聖女様」


 首を傾げるルナをよそに、おばあちゃんは立ち上がりながら感謝の言葉を口にする。

 それを聞いて、隣室で彼女の娘と世間話をしていたベイルが顔を向ける。


「お疲れ様です、聖女様。おばあちゃんも。また辛くなったら教会にいらしてください」

「はいはい、わかってるよ。しっかしあんたも罪な男だねえ」

「へ?」


 おばあちゃんの言葉にベイルは困惑を、ルナは顔を真っ赤にさせる。


「あんたが幸せ者だってことだよ。なにせ聖女様に――」

「うわー! あうわー! お、おばあちゃん! いきなり何を言っているんですか!」

「ふぉっふぉっふぉ、今更照れなくてもいいじゃろうに」


 勢いよく立ち上がり、大声を上げながら手を体の前でパタパタとさせるルナに、おばあちゃんは笑い声を上げる。

 取り残されたのはベイルだ。


「? 聖女様、どうかされたんですか?」

「それ以上訊いたら例えベイルくんでも許しません!」

「どうしてですか!?」


 自分から顔を思いっきり背けて頬を膨らませるルナに、ベイルは心からの疑問を放った。

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