七十九話 夜の海
「それー!」
バシンという痛烈な音と共に、柔らかい素材で作られたボールがティアの手によって地面に叩き付けられる。
その先、ギリアンの仲間の一人が屈強な体躯の割に俊敏な動きで、砂浜を抉ろうとしたボールを拾い上げた。
「アイン!」
「おうよ!」
アインと呼ばれたやや細身の男が、その呼びかけに応じて宙を舞う。
上空にフワフワと浮いたボールを、先ほどのティアのように目一杯地面に向けて叩き付けた。
「甘いっ」
どこか嬉しそうな声音と共に、ティアはそのボールを弾く。
背後から現れたギリアンの仲間が、その浮いたボールを今度こそ砂浜に叩き付けた。
「やった!」
悔しがる男二人を見ながら、ティアはグッと拳を握るとたった今サーブを決めた女性とハイタッチを交わす。
その光景を、少し離れたところに立てたパラソルの日陰のもとで、ベイルとルナは眺めていた。
「ティアさん、楽しそうですね」
「少しはしゃぎすぎのようにも見えますけどね。まあ、ティアらしいといえばらしいですか」
苦笑しながら、ルナの言葉に応じる。
今彼女たちがしているのはビーチバレーという競技らしく、ボールが砂浜に落ちないように打ち合うものだ。
ベイルたちも誘われたが、ルナは体が弱くあまり陽の光の下で体を動かすのもよくないということで見学することにし、ベイルもまたそれに付き添っている形だ。
「なんだ君たち、海に来たというのにそんなところに潜んで」
そのままぼんやりとティアの動向を眺めていると、赤と白を主体とした水着を履いたギリアンが、青色の液体が注がれたグラスを片手に呆れたような声音で近付いてきた。
「うるさい、聖女様は体が弱いんだ。いくら秋とはいえ、肌を大きく晒した状態で陽に当たるとすぐに体調を崩す」
「ふむ、それはまた難儀なものだ。それはそれとして、なら君はなぜここにいるんだ? 君だけでもあちらに混ざればいいじゃないか」
「……っ」
ギリアンは少し意地の悪い笑みと共に、ベイルにそう問うた。
答えに窮していると、いつのまにかビーチバレーを終えて海に入っていたティアが、濡れた青髪を整えながら「ベイルー」と右手を振ってきた。
秋の優しい陽光を反射する水面に浮かぶティアは、その表情も合わさってかいつもより輝いて見える。
ギリアンの愉快そうな眼差しとティアの誘いの狭間で逡巡するベイルに、ルナは優しく微笑んだ。
「ベイルくん、ティアさんのところに行って下さい。私はここで見ているだけで十分楽しいですから」
「聖女様……」
優しく微笑んでくるルナに、ベイルは小さく頭を下げてから海で遊ぶティアの下へ駆け寄った。
ティアは海に体を半分浸からせた状態で、大きく右手をベイルに向けて振っている。
水に足首が軽く浸かる程度の場所まで近付いたベイルは、若干呆れた様子で問いかけた。
「どうかしたか?」
「どうかしたじゃないっ、折角なんだから、ベイルももっと遊ばないと」
「そんなこと言ってもな……」
ベイルが困ったように溜め息を零すと、突然ティアが砂浜へ上がってきて、ベイルの腕を掴んだ。
「えいっ」
「あ、ちょっ、ティア!」
ティアに右腕を引っ張られたベイルは、無警戒だったのもあってそのまま海に倒れ込んだ。
バシャーンという激しい音共に、ベイルの全身が海に浸かる。
その見事な倒れっぷりに、さしものティアもやばいと思ったのか、一歩後ずさって、海に倒れ込んだままのベイルを不安げに見下ろした。
数瞬の間を置いて、ゆっくりと起き上がったベイルは髪の先からポタポタと海水を滴らせて、無言のまま立ち尽くす。
「ベ、ベイル……?」
恐る恐るといった様子でベイルに声を掛けるティア。
やがてベイルは次第に肩を震わせると、「ティア」と小さく呟いて体勢を低くした。
「お返しだ!」
海水をすくって、勢いよくティアへかける。
無防備だったティアの顔面に思いっきり水が直撃した。
ポタポタと、今度はティアが毛先から水を滴り落とす。
彼女もまた一瞬フリーズすると、すぐさま好戦的な笑みと共に「いいよ、ベイルっ。そういうことなら私も遠慮しないから」と身を屈めて水をすくった。
激しい水の掛け合いの最中、ベイルはチラッと砂浜に座るルナに視線を向ける。
ベイルたちのやり取りを見て楽しそうに笑うルナだが、その表情がいくらか寂しそうに見えた。
◆
「聖女様、起きてますか?」
夜。村の誰もが寝静まった時分に、ベイルは静かにルナの部屋のドアをノックした。
返事は、意外にもすぐに返ってきた。
「ベイル、くん……?」
少しだけ寝ぼけたような声。
けれども、意識だけはハッキリとしているようだった。
「入っても大丈夫ですか?」
「は、はい……、って、ぁ、す、少し待って下さい!」
ドタバタという音が室内から聞こえてきて、一瞬の沈黙の後、ゆっくりと扉が開かれた。
「ど、どうしましたか?」
扉の隙間からひょこりと顔を出したルナに、ベイルは微笑みかける。
「聖女様、よかったら今から海に行きませんか?」
「え?」
「夜なら、陽の光を気にする必要もありませんし。少し冷えるかもしれませんけど、水着のまま海に入れると思います。……疲れているようなら、別に無理しなくても大丈夫ですが」
「い、行きます!」
ずいと扉の隙間から勢いよく顔を出したルナは、嬉しそうな表情で強く言った。
そんな彼女にベイルは頬を緩めながら、「では、一階で待っています」と言い残して扉から離れた。
◆
「ベ、ベイルくん……?」
人気のいない海岸沿い。
その海の家からおずおずと顔を出したルナは、昼間に身につけた水着を着ていた。
ギリアンの計らいで、この時間に海の家を使う許可は貰っている。
フリルをあしらった白ビキニに、青色のパレオ。
夜だからか、昼間見たとき以上に白い肌が映えて、魅惑的に見える。
もじもじと恥じらいを見せるルナにベイルはドギマギしながらも「行きましょう」と平静を装って声をかける。
ルナは「は、はい」と小さく応えると、俯きがちにベイルの後ろをついて行く。
サクサクと、二人の足が砂浜を踏む音だけが耳朶を揺らす。
少しして、ルナは息を呑んだ。
「綺麗です……」
秋の夜空を、まるで鏡のように海面が反射している。
まるで地上までもが空に飲み込まれてしまったかのような光景は、美しいを通り越していっそ神秘的ですらあった。
振り返ったベイルは、しかしそんな風景よりも何よりも、ルナに目を奪われる。
夜の闇の中で、彼女の周囲だけが光を放っているようにさえ思えた。
「ベイルくん、入っても大丈夫ですか?」
「っ、え、ええ。もちろん」
ルナの問いかけに慌てて頷きながら、ベイルは駆け足で彼女の前に出るとそっと海水に手を触れる。
昼間よりも幾分か冷たいけれど、入れないほどではない。
まずはゆっくりとベイルが海に入り、下半身が浸かる辺りで立ち止まり、ルナの方へ手を差し出した。
「聖女様、気持ちいいですよ」
「は、はいっ」
上擦った声で応じたルナは、そっとベイルの手をとってゆっくりと水の中に体を沈めていく。
少し冷たそうに両肩を震わせてから、ほぅと息をついた。
「なんだか、不思議な感じです」
完全に水に浸かったルナは、また空を見上げて溶けるような声音で呟く。
ベイルも、それに内心で頷いた。
辺りを埋め尽くす膨大な海水は夜空の星々を反射し、輝く。
その中に体を沈めていると、なんだか自分たちも星の一つになったような錯覚を覚える。
「ベイルくん、ベイルくんっ」
突然、ルナが楽しそうな声を上げた。
見ると、彼女は仰向きの状態ですいーと海の中をゆっくりと泳いでいた。
ルナを中心に、波紋が広がる。
星の海の中を静かに、優雅に泳ぐルナ。
ベイルは、ただただ見惚れていた。




