七十三話 ネスト村
ノーティス村を出立してから、すでに半月が経過していた。
季節はすっかり秋へ移ろい、野宿をしていると夜風で身を震わせて目を覚ますことも増えてきた。
以前の逃避行の時とは違って今回はギリアンたちと共に行動しているため人目を憚る必要はそれほどないが、それでも道中に街がないこともままある。
この日も、ベイルたちは森の中で夜が明けるのを待っていた。
「――――」
優しく体を揺さぶられて、ベイルは重たい瞼をゆっくりと上げた。
視界一杯に広がる青。
ティアが、こちらをなぜだか少し不満そうに見下ろしていた。
「……ああ、もう時間か」
「先に向こうに行ってる。早く来て」
「あ、ああ」
淡々と言い残して、ティアは木々の合間の影へと溶けていく。
この旅の間、ティアが一人でトレーニングをしていたのを見てから、ベイルも彼女と共に鍛錬を行うようになった。
神殿時代、まだ二級神官であった頃の彼女に頼まれて稽古をつけていた時のことが思い起こされる。
懐旧の情が湧いていたベイルだったが、ティアが待っていることを思い出して慌てて上体を起こす。
地面にそのまま横になっていたせいか、若干体が痛い。
軽く伸びをしたベイルの耳に、「んぅ……」と甘い声が聞こえ、反射的にすぐ隣に視線を向ける。
「っ、聖女様……!?」
すぐ隣で、あどけない寝顔を浮かべてルナはすやすやと眠っている。
時折、寒いのか僅かに身動ぎをして、しかしすぐにすーすーと規則正しい寝息を発する。
問題は、暖を求めてかベイルの服をきゅっと掴んでいることだ。
腰辺りを掴まれていてはこれ以上体を動かすことができない。
ベイルは慌てて周囲に視線を巡らせる。
一応魔獣やその他の脅威に備えて不寝番をしているギリアンたちの仲間は、しかしこちらには気付いていない様子だ。
そのことにほっと胸を撫で下ろすも、状況は何も変わらない。
ルナが触れているのは手だけだが、服をきゅっと掴んですやすやと眠っている姿を見ると胸が高鳴ってしまう。
「っ、~~~~っ」
これ以上見るのはまずいと、ベイルは視線を逸らした。
見上げると、真っ暗な空が見える。
数瞬考えた後、結局ベイルは静かに上着を脱ぎ、それをルナの体にかけるようにしてその場をなんとか脱した。
◆ ◆
夜が明けると、ベイルたち一行は再び歩を進め始めた。
森を抜け、その先の山へ入っていく。
ギリアンによれば、この山を越えた先に彼の故郷があるらしく、目的地がすぐ目の前に迫ったことで皆の足取りは軽い。
隊列を組むようにして移動している勇者一行だが、先頭に立つギリアンに対して、ベイルたちは集団の中心付近にいる。
ベイルは隣を歩くルナに視線を落とし、すぐにふいと顔を逸らしながら口を開いた。
「あの、聖女様」
「は、はいっ」
びくりと肩を震わせて、上擦った声で反応するルナ。
目覚めたルナは自分にかけられたベイルの上着と、それを掴んでいた手を見て何があったかを察してしまったらしく、朝からずっとこの調子が続いている。
ここまで意識されてしまうと、ベイルとしても気まずいものがある。
現に、今声を掛けたのも別段用があったわけでもなく、ただ空気を変えようと思っただけだ。
ベイルの口から次の言葉が発せられないのを不思議に思ったルナが視線を上げて見つめてくる。
だが、すぐに恥ずかしそうにフードを目深に被りなおした。
その仕草にまたもどぎまぎしてしまって、ベイルも視線を彷徨わせた。
「……なんだよ」
「別に」
するとこちらを半眼で睨んでいたティアを目が合って、ベイルはなんだか恥ずかしくなって無愛想に問いかけた。
それからまた、お互い無言のまま山道を登っていく。
どうにも第六天神官【マコン】フレディ・ノーラン襲来の一件以後、ルナとこういった空気になることが増えた気がする。
二人の関係が何か変わってしまったわけではない。
ただ、ふとした時のルナの反応が以前よりも過剰になったというべきか。
そんな反応を見せられると、ベイルも否が応でも意識してしまう。
……いや、理由がそれだけでないということはわかっている。
あの一件以来。自分の怠慢によってルナを失いそうになったあの時から、自分の中で彼女に対する感情がより一層強まったのを自覚していた。
その変化が、もしかしたらルナに少なからず伝わってしまっているのかもしれない。
「……ん?」
不意に鼻孔に嗅ぎ慣れない奇妙な香りが飛び込んできて、ベイルは眉を寄せた。
隣を見ると、ルナも同様のことを感じたらしい。
不思議そうにくんくんと鼻を動かした後、こちらを向いて首を傾げてきた。
その仕草にベイルは思わず頬を緩めていると、前を歩いていたギリアンがこちらへと下がってきた。
カチャカチャと全身に纏う鈍色の鎧を鳴らしながら、ギリアンは金色の髪を掻き上げて言った。
「疲れただろう。この山道を越えると、僕の故郷が一望できるはずだ」
「あの、ギリアンさん。この匂いは……?」
声を掛けてきたギリアンに、ルナは疑問を投げかける。
すると、ギリアンは訝しむように眉根を寄せると、やがて得心がいったように「ああ」と頷いた。
「そうか、君たちはあまり馴染みがないのか。なに、直にわかる」
その返答に、ルナたちはこぞって首を傾げた。
それからまた少しの間、黙々と山道を登る。
そして――、
「わぁっ!」
峠に差し掛かってすぐに、ルナが無邪気な声を上げた。
その声に従って、ベイルもまた遠くを見る。
「……海、ですか」
峠から眼下を一望すると、賑わいを見せる村の様子が見える。
そしてその向こう側。すでに天空の真上にまで上り詰めた陽の光を反射して燦然と輝く青い世界。
湖よりも遙かに広い水の楽園。青い海原が広がっていた。
大自然の雄大さに見惚れるベイルたちの反応が余程気に入ったのか、ギリアンは愉快そうに口角を上げて、眼下に広がる村を示しながら言った。
「ようこそ、我が故郷――ネスト村へ」




