五十七話 策
「それじゃあティアさん、ベ、ベイルくん、おやすみなさいっ」
「おやすみなさい、聖女様」
「おやすみ……」
テーブルに並ぶ食事がなくなり、暫くお茶を飲み交わしながら談笑していた三人だったが、もうすっかり遅い時間となり、ルナは立ち上がると二人に向けて頭を下げた。
先ほどの名前呼びの一件が尾を引いているのか、少しぎこちない。
去って行くルナの背中を見送ったベイルは、いまだ椅子に座ったままのティアに向き直り、半眼で睨んだ。
「どうして急にあんなことを言ったんだ」
「あんなことって?」
「はぐらかすな。突然聖女様のことを名前で呼ばそうとして」
「……ベイルが先に言ってきたんだから、因果応報」
「そういうことじゃなくてだなぁ……」
額を押さえてベイルは疲れたようにはぁと息を吐き出す。
そんなベイルをティアはジッと見つめる。
「ねえ、ベイル」
「なんだ」
「ベイルは、ルナのことをどう想ってるの?」
「――んぐっ、けほっ、げほっ! お、おま、急に何を……!」
丁度水を口に含んでいたベイルは盛大にむせ返る。
涙目になりながらティアを見ると、少しもふざけた様子はなくただ真っ直ぐとこちらを見つめていた。
「大切なこと」
「……っ」
名前呼びの時とは違って重みのある声音。
青い瞳は、静かにベイルを捉えている。
ベイルはガシガシと頭を掻き乱すと、ぽそりと口を開いた。
「……俺にとって聖女様は、恩人だ。聖女様のお陰で、俺は俺を見つけることができた。彼女の笑顔に救われたんだ」
「それだけ?」
「それだけって言われてもな……」
ジッと自分を見つめてくる青い瞳がすべてを見透かしているような気がして、ベイルは居心地の悪さを覚えた。
暫く無言が続く。
やがてベイルが観念したように肩をすくめた。
「前に言わなかったか。俺は聖女様とずっと一緒にいたいと思っているって」
「うん」
「つまりは、……たぶん、そういうことなんだろうな」
「なにそれ。答えになってない」
「勘弁してくれよ……。お前は俺に何を言わせたいんだ」
「別に。ただ、私はベイルのためを思って言ってる」
「俺のため?」
眉を顰めてティアを見据える。
対してティアはここでようやくベイルから視線を切ると、天井を見上げた。
「私はそういう感情を抱いたことがないからよくわからないけど、そういうことは早い内にちゃんとしておいた方がいいと思う」
「…………」
「ベイルも、今の時間が永遠に続くとは思っていないはず。なら、言えることは、伝えられることはちゃんと伝えておかないといつか後悔する」
「……似たようなことを、最近よく言われるよ」
目を瞑ったベイルの瞼の裏には、チャドやギリアンの姿が映し出される。
ギリアン――、そういえばあの勇者は今何をしているのだろうか。
愛する者を守れなかった後悔を独白していた彼は。
……あるいは、いつか自分もあの勇者のようになる日が来るかもしれない。
その日が来る可能性だってあるのだから、せめて何か言い残して後悔しないように伝えられることは伝えておくべきだと。
それは、その通りだ。
だけど――。
「大丈夫だ。俺が絶対にそんな時は来させない」
「……忠告はしたから」
「大体さ、変なことを言って嫌われたら元も子もないだろ? 俺は今の生活を壊したくはないんだ」
「え」
「ん?」
「……なんでもない」
ベイルの発言にティアは頬をひくつかせると、がっくりと肩を落とした。
不思議そうにそれを見つめるベイルの視線など意に介さず、ティアは俯いたまま「まあ、いいか」とポツリと零すと、勢いよく顔を上げた。
「ねえ、ベイル。そろそろ本題に入ろう」
「っ、……そうだな」
昨日の夜、ティアが神殿を裏切るという決断をしてから丸一日。
ベイルにはずっと聞こうとしていたことがあった。
ルナがいた手前中々それを口にすることはできずにいたが、今ならば大丈夫だ。
そしてそのことは、ティアも察していたらしい。
先ほどまでとは全く違った空気の中で、ティアが切り出した。
「私、神殿に戻ろうと思う」
「ッ、それは――!」
ティアの一言を聞いた瞬間に、ベイルはガタリと椅子を倒しながら立ち上がった。
全身に漲る殺気。
一瞬にして戦闘態勢をとったベイルに、しかしティアは臆することなく座ったまま言葉を継ぐ。
「聞いて。ベイルもこれからの私の扱いについては困っているはず。私が任務を放棄すれば、まず間違いなく追っ手はこのノーティス村にやってくる。かといって私を殺して消息が途絶えても同じこと」
「あ、ああ……」
ティアの言うことは正しい。
事実、この一週間ベイルも彼女の処遇について悩み続けていた。
彼女が敵となればその場で命を奪うつもりでいた。
しかしそうなればティアの消息が掴めなくなった神殿が、その任務の内容から共和国に更なる追っ手を送ってくることは自明の理。
逆に味方となった今でも、ティアが神殿を裏切り任務を放棄しても、結果は変わらない。
かといって、別の場所に移住するというのも難しい話だ。
各国の国境周辺には神殿の目が光っているだろうし、共和国内で逃げ惑っても見つかるのは時間の問題だ。
だから、ベイルは最早見つからないと言うことはあり得ないと腹をくくっていた。
もし追っ手が現れたのなら、そのすべてからルナを守ってみせると。
たとえ相手が何者であっても。
「だから、私は神殿に戻る。共和国ではベイルたちは見つからなかったって報告して、神殿の捜索の目をここから逸らす。……時間稼ぎにしかならないけど」
「それはありがたいが……、いや、ダメだ。それだと結局お前は特級神官として神殿に仕えないといけなくなる。これまでと同じだ」
「同じじゃない」
ティアは微笑した。
余り見ることのないティアの笑顔に驚くベイルをよそに、彼女は自身の胸の内を言葉にする。
「今まで私は何も考えずに、ただ神殿の命令に従い続けてきた。でも、もう違う。これからはベイルのために力を使う。それが私の望み。ベイルがルナを恩人というみたいに、私にとってベイルが恩人。だから……」
だから、違うと。
「ティアがそう思ってくれるのは嬉しい。だが……」
それでも。一人の少女だけに戦わせるわけにはいかないと。
……わかってはいる。
ルナのためには、これが最善の策だということぐらいは。
しかし、だからといって自分のことをここまで慕ってくれている少女にみすみす一人で敵地へ戻れと命じられるか。
「ダメだ。やっぱりその策はダメだ、ティア。どうにか他の方法を考えよう」
「……ベイル、本当に変わった。でも、ベイルはそれでいいのかもしれない」
何かを噛みしめるようにティアは目を瞑ると、僅かに口角を上げた。
そしてゆっくりと目を開けると、ベイルに向けて言った。
「……うん、わかった。私はベイルに従う。策、考えておいて」
「あ、ああ」
ティアはそう言い残すと、席を立った。
彼女のことだからもう少し食い下がっていると思っていたベイルは少し戸惑う。
しかしすぐに思考を切り替える。
「ま、納得してくれたならいいか」
ティアの言うとおり、自分は何か策を考えなければならない。
誰も不幸にならずに、それでいて神殿の追っ手を撒けるような、そんな策を。




