五十六話 歓迎会
「ほら、早く」
夜の帳が降り、夕食の場で一家が団欒する時分。
教会に滞在している間あてがわれている部屋で眠っていたティアは、ベイルに引き連れられて食堂へと向かっていた。
いやに急かすベイルを不思議に思いながら、ティアは足早に後を追う。
食堂に辿り着いたティアは、テーブルの上を見て目を丸くした。
「これは……」
思わず、困惑の声を零す。
テーブルの上に中央には見るからに高そうなチキンがその存在を主張し、周りをこれもまた豪華な料理が取り囲んでいる。
無論、特級神官であったティアは神殿でこれよりも上等の食事をとっていたが、この一週間教会で過ごす中で口にした料理の中では段違いだ。
それこそ、何かのお祝い事だと錯覚するほどに。
ティアが立ち尽くしていると、先に食堂で待っていたルナが満面の笑みを浮かべた。
「お待ちしていました、ティアさん」
「待ってたって、どういう……?」
「お前の歓迎会をしようって、聖女様が提案されたんだ。今までは敵味方どちらでもなかったが、今日から晴れてティアは仲間になったからって」
「歓迎、会……」
「ほら、食べるぞ」
ベイルに促されて、ティアはテーブルに向かう。
ベイルとティアが椅子に座ったのを確認してから、ルナはこほんとわざとらしく咳をした。
それからおもむろに、それぞれの席の前に置かれている果汁の注がれたグラスを手に取った。
ベイルもそれに続き、二人の行動を見たティアも慌てて倣う。
全員がグラスを手にすると、ルナは軽くグラスを掲げた。
「それでは。ティアさん、ようこそ――、ええっと、んぅっと、ええと……」
「……もしかして聖女様、口上を何も考えずに音頭を取ろうと……?」
「そ、そんなわけがないじゃないですかっ」
「目を逸らしながら言われても説得力がないですよ……」
やはり、その場の勢いで考えなしにやろうとしたらしい。
ルナらしいと、ベイルは苦笑しながら自身もまたグラスを掲げて呟いた。
「ここはシンプルに、ようこそ、ノーティス村へでいいと思いますよ」
「むぅ、……で、では、それで。こほんっ。ティアさん。ようこそ、ノーティス村へ!」
「あ、ありがとう……」
当惑しながら、おずおずとルナとそしてベイルのグラスに自身のグラスの縁を当てる。
カチィンという小気味のいい音が響き渡った。
一口飲み、グラスをそっとテーブルに置きながら、ルナはティアの方を向いて頭を下げる。
「ティアさん、本当にありがとうございます」
「何が?」
「ベイルくんにつくと決めてくださったことです」
「……それでどうしてあなたが頭を下げているのかわからない」
「神殿を裏切るという決断がどれほどのことか、わかっています。ですから――」
「そんなことはあなたには関係ない」
神殿を裏切るということは、文字通り国を敵にするということだ。
並大抵の覚悟では選べない道だ。
それを選んでくれたティアへの感謝の言葉を、しかし一蹴した。
ティアはグラスの中で揺らぐ黄色い液体に目をやりながら呟いた。
「これは、私が決めたことだから」
「ティアさん……、そう、ですね」
ティアの覚悟を感じ取り、ルナは微笑みながら頷いた。
そうだ。これはティアが自分の幸せについて悩み、苦しみ、そうして選んだ道だ。
ならば他人がそれに感謝することに意味はない。
「まあ話はそれぐらいにして、料理が冷めてしまう前に食べませんか?」
「そうですねっ。今回はベイルくんが腕によりをかけて作ってくれたんですよ!」
「だからどうしてあなたが威張るの」
ベイルの功績を誇らしげに胸を張って語るルナに、ティアは思わず突っ込む。
ともあれ、三人はテーブルに並ぶ料理に手を伸ばした。
◆ ◆
歓迎会、といってもやっていることは普段とは変わらなかった。
いつものように、その日起きたことやおかしなことを話題に談笑するだけ。
でも、そんなことがベイルたちにとってはこの上なく幸せなことであった。
笑い合うベイルとルナを交互に見ながら、ティアは小さく笑んだ。
今朝。ティアはベイルに向かって特級神官をやめて普通の生活を送るといった。
その普通の生活というのが、恐らくは今二人がしている暮らしのことなのだろう。
けれど、やはりティアにとっては楽しいという感想以上のものは抱けない。
こういう生活も楽しいと思えるけれど、だからといって何か意味があるのかという疑問を抱いてしまう。
だから、自分はまだ普通の生活は送らない。
その前に、それ以上に、自分にはやりたいことがあるから。
「おい、ティア?」
「っ、な、何……?」
「それはこっちのセリフだ。どうしたんだ、急にボーッとして」
「別に……」
こちらの顔を覗き込んでくるベイルから顔を逸らす。
そんな彼女に溜め息を零しながら、ベイルは話を切り出した。
「前々から気になっていたことなんだが、聖女様のことをあの女呼ばわりするのはもうやめないか。敵か味方が判然としないときならまだしも、さ」
「…………」
「そ、そうですよ!」
無言のティアに反して、ベイルの言葉を聞いていたルナはパッと表情を明るくして身を乗り出してきた。
勢いそのままに、ルナはティアを向いて言う。
「ティアさん、私のことは名前で呼んでくださいっ」
「…………」
「ど、どうしてそんなに嫌そうな顔をするんですかぁ!」
露骨に面倒くさそうに表情を歪めたティアに、ルナは堪らず唇を尖らせる。
「ほら、ティア。聖女様もこう仰られてることだから」
「……わかった。ル、ルナ」
「は、はいっ。ティアさん!」
小さな声で呟かれた名前を聞き取ったルナは、一転満面の笑みを浮かべる。
その様子を見てベイルはうんうんと満足そうに眺めていた。
「…………」
釈然としない様子のティアはそんなベイルをジト目で睨んでから、何かを思いついたように顔を上げた。
「ねえ、ベイル」
「ん、どうした」
「私が、……ルナのことを名前で呼ぶのはいいとして、それならベイルも名前で呼んでいないのはおかしいと思う」
「ちょっと、ティアさん!?」
半ば叫ぶようにしながら、ルナはガタッと席を立つ。
しかしすぐにベイルの方へ、何かを期待するような眼差しを向ける。
「俺が、聖女様を名前で……? いや、別にこのままでいいと思うが」
「聖女様っていう呼び方と、あの女って呼び方に違いはないと思う」
「いやあるだろ、流石に」
「いえ! ティアさんの言うとおりです!」
「せ、聖女様……?」
思わぬ増援に戸惑うベイル。
対してティアは満足げにむんすと胸を張る。
「な、なんだかもの凄く肩身が狭い……」
「さあ、ベイル! 早く名前で呼んで!」
「名前って、……いいんですか、聖女様」
「も、ももも、勿論です! 勿論ですよ、ベイルくん! もう、どんとこいです!!」
「とても大丈夫そうには見えないんですが……」
顔を真っ赤にして震えた声を発するルナの様子を見たベイルは少し躊躇ってから、真っ直ぐに彼女を見据えた。
「……ル、ルナ?」
「~~~~~~~っ!!!!」
「ちょっ、聖女様!?」
突然顔を押さえて蹲ったルナに、ベイルは慌てて立ち上がる。
近くに駆け寄ったベイルに向けて、ルナは顔を押さえたままか細い声で呟いた。
「その……、やっぱりベイルくんはダメ、です」




