四十五話 ティア・ノーラン
ティア・ノーランは十歳の時に、母を亡くした。
身寄りを失ったティアは、腹違いの兄であるフレディに引き取られることとなった。
フレディは神殿に仕える神官であり、当時、すでに特級神官の位置にあった。
彼に引き取られたティアも当然のように神殿に入ることとなり、神官見習いとして神技を扱えるように様々な修練を重ねた。
腹違いの兄は厳しかった。
神技を中々扱えるようにならないティアを、よく殴った。
そんな兄が怖くて、嫌いだった。
それでも、自分にとって兄以外、神殿以外に頼るもののないティアは必死になって鍛錬に励んだ。
そして、フレディに引き取られた二年後。彼女が十二になった年、ついに神技を扱えるようになった。
十三歳の時には異例の速さで二級神官にまでなった。
すべては、兄に見放されないため。
ところで、神官の階級は上から特級、一級、二級、三級、四級、五級、見習いとわけられるが、二級以上の階級の神官にはそれまでよりも過酷な任務が与えられることとなる。
その最たるものが、暗殺だ。
神殿に、ひいては創世神教に刃向かう異端者を抹殺する任務。
二級神官として、初めての任務の日。
反乱をもくろんでいる商人の抹殺を命じられたティアには、万が一のために一級以上の神官が同伴することとなった。
その同伴者が、ベイル・ベレスフォードだった。
――第一天神官。
特級神官に明確な階級差がないとはいえ、教皇に次ぐ実質ナンバーツー。
ティアが出会ったとき、ベイルはまだ十七歳だった。
特級神官の中でも若いとされている兄よりも四歳も年下の。
どんな難易度の高い任務であっても必ず完遂してみせる、冷酷な審判者。
そんな人物が自分なんかの監視と補佐につくと聞かされたとき、ティアは正直なところ恐ろしかった。
だけど、
「悪いが、お前の兄は他の任務中だ。たまたまフリーだった俺が今回お前の補佐を務めることになった」
兄と共に任務に行きたかっただろう、と。
少し申し訳なさそうに眉根を下げながら言われて、ティアは彼に対しての認識を改めた。
実の兄からは感じられなかった優しさを、ティアはその時間違いなく感じ取った。
その後の任務はひどい有様だった。
人を殺すことに躊躇してしまった結果、敵の反撃に遭い、しかし同伴していたベイルに助けられた。
へたり込んだまま見たその光景を、ティアはいつまでも忘れない。
敵を容赦なく斬り伏せる、その酷薄。
返り血を浴びたまま振り返った彼が口にした、その言葉。
――強くなれ。
果たして、それまでは兄に見放されないために、しかし今日このときから、憧れの人に追いつくために。
そうしてティアは、一年後には空位となっていた第七天神官の座に着いた。
ようやく追いついた。
そう、思っていたのに――。
◆ ◆
一瞬閉じたベイルの瞼の裏には、記憶の中にあるティアの姿が映し出された。
そして、目の前に佇む彼女に視線をやって改めて思う。
――強くなった。
ベイルがルナと共に神殿を逃げ出した一年と半年前よりも余程。
全身に纏う白いオーラの威圧も、振りまく殺気の鋭さも。
当然だ。
彼女はずっと、神殿の、それも特級神官として戦い続けてきたのだから。
「……ベイル、弱くなった」
そんなことを考えていたものだから、少女が発したその言葉に思わず苦笑してしまった。
「一体なんの用だ?」
「今更、そんなことを訊いて意味があるの?」
「……よくここがわかったな」
無駄話はいらないといった雰囲気のティアに、ベイルは冷たい声音で言う。
すると、ティアは苦虫をかみつぶしたように顔を歪めた。
「大変、だった。いろんなところに痕跡が残ってたから」
国都で下級神官たちを一掃してからこのノーティス村に帰還するまでの道中で、ベイルは神技を用いてあらゆる所へその痕跡を残していた。
共和国一帯に、さらには他国にまで。
だが、ティアはそれに惑わされることなくここを突き止めた。
ティアは少し俯きながら、その理由を告げた。
「いろんなところに痕跡が残っていたのは確かだけど、でも、お荷物を抱えたベイルがこの国を出るわけがない。だから、まずはこの国をしらみつぶしに探した」
思わず、ベイルは目を細めた。
ルナのことをお荷物と評されて、腹が立った。
けれど、彼女の言ったことは真実だ。
本来は共和国を出てどこか別の場所に拠点を移すべきだと考えながら、彼女のことを思ってそれを実行に移さなかった。
……真実だからこそ、腹が立つ。
「それで? 俺を殺して、聖女様を連れ戻す気か?」
「ベイル」
重ねるように、ティアが声を発する。
「私と一緒に、神殿に戻ってきて」
「それこそ、今更過ぎる。国都に現れた神官たちがどうなったのか、知らないのか?」
「もちろん知ってる」
「なら、俺がどう答えるかもわかってるだろ」
強い声音で言い放つと、ティアは黙り込む。
鋭い視線が交差する。
少しして、ティアはまるで世界の真理を告げるかのような重々しい表情を浮かべて口を開いた。
「ベイル、教皇国には……、神殿には勝てない。石版が破壊されたらそれが最後。あなたは力を失う」
「――――」
石版は、すでに国都の下級神官たちが破壊している。
その事実を、ティアは知らないらしい。
否、石版が破壊された者が下級神官といえど神技を扱える者に勝てるはずがないという常識がその可能性を消し去っているのだろう。
一人納得するベイルをよそに、ティアは続ける。
「あの女さえ差し出せば、それで全て元通り。あなたも、また強さを取り戻すことができる。私と一緒に、帰ろう?」
先ほどまで全身に鋭く突きつけられていた殺気が消え去る。
同時に、ティアはまるで兄と共に家に帰ろうとする妹のような無邪気な表情で手を差し出してきた。
その手を、ベイルは暫し見つめる。
振り返ってみると、恐らくティアは自分に対して好意を寄せてくれていたのかもしれない。
それは恋慕の類いではなく、恐らくは親愛の。
彼女の兄の性格をベイルはよく知っている。
だからこそ、あるいはそんなことを思われても不思議ではないなと思った。
一つ不思議なのは、自分に慕われる要素など一つとしてないということだ。
特級神官として、与えられた任務を盲目的にこなすだけのまるで機械のような男を、少女が慕う理由などない。
だが、どうあれ――。
「――!」
ティアが瞠目する。
ベイルが右手に握る白い剣。その剣先が、差し出されたティアの右手へと向けられた。
「ティア。俺はお前のことが嫌いってわけじゃない。だけど、彼女の幸せを奪うのなら、たとえお前でも容赦はしない。……国都の神官たち。あいつらのようになりたくなかったら、今すぐここを去れ。そして何もかも忘れろ。そうしたら、命だけは助けてやる」
「……ベイル、やっぱり弱くなった。わかってるの? 今ベイルが言ったことの矛盾が」
「矛盾?」
ティアの物言いに、ベイルは片眉を上げた。
一方、ティアもまた剣を生み出して構えた。
「バカ。バカだよ。意味がわからない。勝てるわけがないのに。弱くなっちゃうのに。どうして女一人のために今までの何もかもを投げ捨てられるの!」
それは、駄々をこねる子どものように。
対峙して初めて、ティアは激情を露わにした。
――が、しかし。
その威圧を前にしても、ベイルは微塵も気圧されることなく悠然と首を横に振った。
「それは違う。俺は何もかもを投げ捨てたんじゃない。俺はその何もかもを、彼女から貰ったんだ!」
言い切って、地を蹴る。
その人外の膂力に地面に亀裂が走り、彼のいた場所に風が吹き荒れる。
神速で接近するベイルを、しかしティアは目で追いながら言い返す。
「――この、わからずや!」
瞬間、草原一帯を暴風が駆け巡った。




