四十話 茶番
牧師服を脱ぎ去ったベイルは、自分たちの神技が防がれたことに動揺する神官たちへ憐憫の眼差しを向ける。
侮蔑でも、嘲笑でもなく、憐憫。
真実を知らない彼らも、あるいは被害者のような者だ。
彼らは神を信じ、神のために戦い、ゆえに今、神の敵であるベイルを屠ろうとした。
そんな彼ら神官たちにしてみれば、神敵であるベイルが資格を剥奪されたにも関わらず神技を仕えたというのは、彼らの立場からすれば神に裏切られたのと同義だ。
ベイルの脳裏に、鮮烈で痛烈な記憶が蘇る。
ルナと共に神殿を抜け出すことを決意する少し前のこと。
特級神官であるベイルですら普段は立ち入りが制限されている神殿の最奥――その中枢部。
ルナの監視の任につき、彼女と日々を過ごす中で神という存在に疑念を抱き始めてしまったベイルは、その存在を確かめるためにその日、無断でそこへと侵入した。
そして、自分が信じていた神など存在しないと言うことを、その日知ったのだ。
神技というものが、神が授けてくれる超常の力ではないと言うことを知っているベイルにとってしてみれば、石版を破壊するという儀式はなんの意味ももたらさない。
(――こんなのは、ただの茶番だ)
動揺を押し殺して、尚も神技によって生み出した剣を射出してくる神官たち。
しかし、そのことごとくがベイルの体を貫くその直前に、宙に溶けて消失する。
目の前の事象を受け入れたくない神官たちは、盲目的にひたすら神技を放つ。
だが、いくら繰り返そうとも結果は同じ。
疲弊し、ようやく攻撃の手を止めて肩を上下に激しく動かす下級神官たちに向けて、ベイルは冷ややかな視線を送りながら口を開いた。
「無駄だ。お前たちの神技では俺に傷一つつけることはできない」
神技という力の性質上、それは絶対不変の法則だ。
片や二級神官が一人と三級神官が四人。
対するは教皇国が誇る最高戦力たる七天神官のその一人。
力の差がハッキリと存在する以上、これ以上続けたところで意味はない。
そのことは、下級神官たちも十二分に理解している。
しかし、それを認めるわけにはやはりいかない。
「……あり得ない。あなたの力はすでに剥奪したはず。だというのに、なぜ……!」
それは、神に裏切られた信徒の絶望の慟哭だった。
己が信じる神の力が、裏切り者に負けるなど――と。
いやそもそも、なぜこの男がいまだに神技を使えているのか。
だが、ベイルはその疑問に答えない。
わざわざ答える意味もないし、何よりも彼らはルナを連れ戻しに来た、自分にとって絶対の敵だ。
本国に情報が伝わるよりも先に、この場で早々に消えてもらうしかない。
「ッ、撤退だ。第二目標を優先とする」
ベイルが一歩踏み出すと共に、二級神官が焦りと共に総員に命令を飛ばす。
第二目標というのが何を指すのか、もはや考えるまでもない。
「――――」
撤退。
その命令を実行しようとした神官たちは、しかしその瞬間にベイルの方へ視線が釘付けになった。
彼が纏う空気がひどく鋭く、指一本すら動かせないほどの重圧が全身にのし掛かる。
まるで、竜の逆鱗に触れたかのような――。
「逃がすわけがないだろ? 何のために、俺がお前たちをここにおびき出したと思っているんだ」
「うぁっ、ぁっ……」
草原を吹き抜ける夜の風に乗って、ベイルの声が耳に届く。
それは、まるで死を告げる死神の声のようで。
「彼女には指一本触れさせない。それが俺の、今の生きる意味だッ」
直後、辺り一帯の地面から突き出た聖槍が神官たちの全身を貫いた。
最早痛みを感じることすらない。
急速に全身の感覚が鈍くなり、瞼が重たくなる。
その刹那。二級神官はぼやける視界の中で、中央に悠然と佇む神敵に視線を向けた。
「――悪魔め」
血があふれ出た口元を僅かに上げて、二級神官はそう呟きを残した。
それが最期。
再び草原に静寂が戻ってくる。
鼻孔をくすぐる血の臭いに顔をしかめながら、ベイルは地面に倒れ伏して動かなくなった神官たちに視線を落とした。
それから、深いため息を零す。
人を殺したのは随分と久しぶりだ。
以前は抱くことすらなかった罪悪感が胸の奥底から湧き上がる。
だが、後悔はない。
ベイルが地面に向けて手をかざすと、地表がボコボコと波打ち始め、神官たちの死体が地の中へ吸われていく。
埋葬、なんてご高尚なものではない。
ただ単に、本国からの追跡を翻弄するために痕跡を消したに過ぎない。
足下に脱ぎ捨てていた上着を拾うと、僅かに付着した砂を払い落とす。
バサリと勢いよく羽織ると、ベイルはそのまま町の方へと踵を返した。
◆ ◆
「……くん、ベイルくんッ」
耳元で囁かれる耳心地の良い声に、ベイルはゆっくりと目を開けた。
ぼやける視界が段々とハッキリしてきて、少し遅れて目の前に広がるのがルナの顔であることに気付く。
「聖女、様……?」
状況についていけないベイルは、小さくそう呟いた。
するとルナは少し拗ねた様子で前屈みになっていた上体を起こすと、柔らかく微笑みながら「おはようございます」とベイルに声をかけた。
その言葉にベイルはちらりと窓の外に視線を向けた。
すでに外は明るくなっており、僅かに痛む頭を押さえながらベイルは上体を起こした。
「おはようございます、聖女様。もう馬車が出る時間ですか?」
「いえ、出立まではまだあります。ただ宿の方が朝食をご用意してくださったので、一緒に食べようと思って」
「それで、呼びに来たら寝ていたと……。すみません、昨日は夜更かししてしまって。すぐに支度します」
慌ててベッドから這い出たベイルだったが、突然服の袖を摘ままれてたじろぐ。
「……? どうかしましたか?」
こちらをジッと見つめてくるルナに戸惑いながら、ベイルは問う。
思えば、先ほどからどうにも彼女の機嫌がよくない気がする。
ベイルの問いに反応しないままルナはジーッと彼の全身を凝視する。
それから無言で白い手をベイルの胸元へと伸ばした。
「え、えっと……?」
「シワができています。着替えないで寝ましたねっ」
少し責めるような物言いで、ルナは優しく服にできたシワを両手で伸ばす。
少し気恥ずかしいものの甘んじてそれを受け入れたベイルは、目の前で揺れるルナの白い髪を眺めていた。
「?」
するとその視線に気が付いたのか、ルナが不意に顔を上げてきた。
身長の差から必然的にルナが見上げる形になったのだが、すぐ近くから上目遣いで視線を向けられて、ベイルは思わず顔をそらした。
そして慌ててルナの問いに反応する。
「ね、眠れなかったのでひとまずベッドに横になっていたんですが、いつの間にか寝てしまっていたみたいで」
「それならしかたないです。私はてっきり、着替えるのが面倒になってそのまま寝たのかと」
「これが国都へ向かう行きの時なら困ったかもしれませんが、今はノーティス村に帰るだけですからね。
他に見る人もいませんし、多少は大丈夫でしょう」
服にシワがついた状態で官邸に入るのは流石に問題があったが、すでに勲章授与式は終わり、ノーティス村へ帰還する道中なのだ。
服が多少乱れていたところで咎める者はいない。
すると、ルナは「そういう問題じゃないですっ」と唇を尖らせると、シワを伸ばし終えたのかベイルの胸元を優しくポンポンと叩いて顔を上げた。
「はい、これで少しはマシになりましたよ。まったく、ベイルくんが身だしなみをきちんとしていないと私が困るんですから、気をつけてくださいっ」
「き、気をつけます……?」
なんだか釈然としないが、ひとまず謝っておくことにする。
ルナは少し頬を赤くしながらベイルから離れると、その場で踊るように半回転して背を向ける。
白い髪がなびき、ふわりと甘い香りが室内に広がる。
「先に食堂で待ってますね」
いつの間にか真っ赤になっていた顔を隠すように、急ぎ足で部屋を出た。
その背を見送りながら、ベイルはそっと右手を胸元にあてた。
神官との一件のせいで寝不足なはずだが、すでに眠気は吹き飛んでいる。
落ち着くために大きく息を吐き出してから、牧師服をつまんで匂いを嗅いだ。
血の臭いは一切せず、代わりに辺りに漂う花のような残香がベイルの鼻をくすぐる。
昨晩の一件のことを気付かれていないことに内心で安堵しながらその場で大きく伸びをすると、ルナの後を追うように急いで部屋を出た。
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