四話 聖女様は何やら閃いたみたいです。
教会では、休息日以外は基本的に昼過ぎから子供たちを預かっている。
それゆえ、教会内の掃除や洗濯などは午前中のうちに終わらせておくのがベイルの中での一日のリズムになっていた。
今日もその例に漏れることなく、起きてすぐに今日一日の食事の下ごしらえをして、ルナと共に朝食をとった。
その後、ベイルはベッドのシーツや衣類などを洗い、今は庭に出て、物干し竿にそれらを並べかけているところだ。
ここ数日はよく晴れている。今日も見上げれば真っ青な空が広がり、綿雲が所々に浮遊している。
陽の光はポカポカと全身を照らし、気を抜けば眠ってしまいそうなほどに心地いい。
――やはり、春はいい。
一旦洗濯物を干す手を止めて、その場で軽く伸びをする。
欠伸を噛み殺しながら、ベイルは春を賛辞した。
とはいえ、恐らくは夏になれば同じように夏はいいと思い、秋になれば秋はいいと思い、冬になっても冬はいいと思うだろう。
結局のところベイルには取り立てて好きな季節もなければ、嫌いな季節もなかった。
だが、そんなベイルとは正反対に、ルナに同じことを聞けば彼女はハッキリとこう答えるだろう。
好きな季節は冬。嫌いな季節は夏。――と。
体が弱い彼女は、特に暑さに弱い。太陽の光が強まる夏を嫌い、逆に弱まる冬を好むのは当然のことなのかもしれない。
そんなことを考えながら、ベイルは躊躇いがちにちらりと後ろに目をやる。
そこには、教会と庭の段差に腰掛けて神妙な面持ちでこちらを見つめてくるルナの姿があった。
いつもであれば、ルナは朝食をとった後、ベイルが掃除洗濯を終えるまでは自室にいるか礼拝堂にいるかなのだが、今日に限っては朝から彼の後をついてくる。
料理をしている時も、今こうして洗濯をしている時も。
それはベイルを監視しているかのようで――
「…………」
ベイルは首の後ろを擦ると、ばつが悪そうに一つ咳払いをしてから再び洗濯物に手を伸ばした。
◆ ◆
「あの、聖女様。どうかされましたか?」
洗濯物を干し終え、箒を手に礼拝堂の掃除に取り掛かっていたベイルは、なおもこちらを見つめてくるルナの視線に耐えきれなくなり、遂にその真意を尋ねた。
長椅子に腰掛けていたルナは、ベイルの問いかけに肩をびくりと震わせる。
一瞬の間をおいて、躊躇いながら小さく口を開いた。
「……その、昨日村の皆さんとお話をする機会があったのですが、その時に奥様の一人がご主人の話をされて」
ルナはよく主婦同士の会話に呼ばれ、主人や子供の愚痴を聞いていたり、取り留めもない世間話をしていたりする。
その時の会話を思い出すように、ルナは続ける。
「その方がおっしゃられるには、『最近うちの旦那が全然家事を手伝ってくれないのよね。家に帰って来るなりゴロゴロしだして、このまま怠け者にならないか心配で心配で』……と」
「それがどうかしましたか?」
「今日ベイルくんを見ていて思ったのですが、もしかしたら私も世間でいう怠け者なのではないかと。……炊事や洗濯、掃除に至るまで、その全てをベイルくんに任せっきりですから」
「…………」
確かにルナの言う通りだ。
礼拝堂の長椅子に座っていたり、自室にこもっていたり、時々庭に出てボーッとしていたり。
ともかく、一日中これといった仕事をしていないルナは、あるいは世間にそういう目に映るやもしれない。
だが、この教会での生活のほとんどを負担することをベイルは嫌がっていないし、むしろ積極的に請け負っている。
神殿によって幼いころに自由を失った彼女には、せめてこの辺境の地では自由に生きて欲しいと思うから。
何より、
「聖女様は村の皆さんの悩みを聞いたり、怪我を癒したりされているんですから怠け者ではありませんよ。聖女様と違って俺はそういうことができませんから、これぐらいのことはさせてください」
ベイルは肩を竦めて箒を持ち上げる。
ルナは釈然としない様子で首を傾げてから、「そう、ですか……?」と疑問交じりながらも一応納得してみせた。
◆◆
「せ、聖女様。今少しいいですか?」
その日の昼下がり。
子供たちが庭を駆けまわり、あるいは庭に咲く花を摘んで色々なものを作っていたり、ヒースとベイルの鍛錬の掛け声が元気よく響き渡る中、赤髪の少女がルナに駆け寄ってきた。
その赤い瞳は不安に揺れている。
年のころは、丁度ヒースと同じぐらいか。
声に気付いたルナは、少女に視線を向ける。
「大丈夫ですよ。どうかされましたか? アルマさん」
アルマはパッと笑顔を咲かせる。
ふんわりとしたショートカットも合わさってか、その姿は愛くるしい。
とてとてと更にルナに近づくと、後ろ手を前に突き出した。
その手には、一つの小さな紙の袋がある。
「これを、私に……?」
顔を真っ赤に染めるアルマが小さくこくりと頷いたのを見て、ルナはその紙袋を丁重に受け取る。
と同時に、アルマが話し出した。
「それ、クッキーなんです。ヒースにあげる予定なんですけど、先に聖女様に食べてみて欲しくて」
「……? ああ、なるほど。要するに味見をしてほしいということですか?」
「は、はい! ……お願いできますか?」
こちらを見上げてくるアルマ。
少女の無垢な頼みを断れるはずがない。
ルナは笑顔を返しながら「もちろんですよ」と答え、袋を開けてクッキーを一欠片取り出した。
一見したところ、よくできている。
程よく焼けていて、焦げもなく、大きさも硬さもちょうどよさそうだ。
アルマが固唾をのんで見守る中、ルナはクッキーを口に含んだ。
サクッという小気味の良い音と共に、クッキーが口の中でほろりと崩れる。
ほのかな甘み。それと同時に芳ばしい香りがふわりと広がる。
味見役であることを加味した上でじっくりと味わってから、ルナは口を開いた。
「とても美味しいですよ。これならヒースくんも喜んでくれると思います」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます! よかったぁ……」
アルマはホッと胸を撫でおろすと、嬉しそうに微笑む。
きっと、ヒースにクッキーを上げた時の彼の反応を想像しているのだろう。
ルナは、アルマがヒースに好意を寄せていることは知っている。
今回のように何度も相談を受けているのだ。
といっても、ルナ自身他人にアドバイスをできるほど恋愛経験が豊富なわけではない。
むしろ、状況的にはアルマと似通っているか。
だから一方的にアドバイスをしているというよりは、彼女が相談してきた事柄をルナも吸収して実行している、いわゆる相互扶助関係というのが適当だ。
今回もまた、ルナはクッキーをもう一つ手に取りながら首を傾げてアルマに聞く。
「それにしても、どうしてクッキーを?」
「あ、その、……男の子は胃袋から掴むものだって、お母さんが」
羞恥に悶えながら、母から聞いたことをそのまま伝えるアルマ。
ルナは顎に手を当てると、頷いた。
「なるほど、胃袋から……」
ちらりと、視線をベイルに向ける。
今日も汗一つかくことなく、ヒースの必死の剣劇を躱している。
しばし見つめてから、ルナは「よしっ」と決意を固めたように頷くと、アルマに向き直って頭を下げる。
「アルマさん、ありがとうございますっ」
「ふぇ? どうして聖女様がお礼を言うの?」
「い、いえ、なんでもありません……!」
白い頬を朱に染めて、ルナはアルマから顔を逸らす。
逸らした先にはやはりベイルがいて、ルナは更に顔を真っ赤にした。