三十六話 幸せな国
「……っ」
窓から差し込んでくる陽光のまばゆさに、ベイルは目を覚ました。
上体を起こし、ボサボサの髪を更に掻き乱しながら大きくあくびを零す。
そして、隣のベッドで眠っているルナに視線を送った。
「……結局、あまり眠れなかったな」
ようやく意識を手放すとき、窓の外から見える空が僅かに明るくなっていたことを覚えている。
とはいえ、睡眠不足であることはそれほど大きな問題ではない。
むしろ慣れている。
ベイルはベッドを降りると窓際に歩み寄り、ルナを起こさないようにゆっくりと開ける。
早朝だというのに、すでに賑わいを見せ始めている国都を一望しながら、ベイルは今日の予定を整理した。
◆ ◆
「では、よろしくお願いします」
ルナが目覚めた後、昨日夕食をとった大広間で朝食をとり終えた二人は官邸の玄関ホールにて見送りに来た侍従たちに頭を下げた。
今から国都を回る旨を伝えておいてもらうのだ。
幸いにして前もって自由にしておいていいと言われているので、わざわざ上の許可を取るという手続きを踏まなくてもいいのですぐに出かけることができた。
外套のフードをいつもより深く被って歩を進めるルナは、国都の町並みを物珍しげにキョロキョロと見回している。
そんな彼女の仕草を見て、隣で共に歩くベイルは頬を緩めた。
自由を国是とする共和国の、その首都。
すでに辺りは人の波で溢れかえっている。
「ベイルくん、ベイルくん! あそこで何かやっているみたいですよっ」
突然ルナはベイルの服の袖を掴むと、前方の人だかりの方を指さした。
遠目から見てもそこが何やら盛り上がっているのが見て取れる。
「なんでしょう、行ってみますか?」
「はい!」
はぐれてしまわないように注意しながらその人垣に近付く。
人と人の合間に体を滑り込ませ、また空いたスペースに張り込み、ようやく何が起こっているのかがわかった。
「大道芸、ですか……」
見ると、そこでは奇妙な格好をした三人組が色々な芸を行っていた。
一人がそのパフォーマンスを成功させるたびに喝采がわき上がる。
「凄いですね、ベイルくん」
「そうですね」
ルナの言葉にベイルは小さく首肯する。
とはいえ、彼女ほどの感動を伴った賛辞の言葉ではなかった。
ルナが三人組に注目している間、ベイルは他のことに意識を向けていたのだ。
「…………」
三人組の方を向いているようで、ベイルの視線は周囲の人垣へ注がれている。
怪しい素振りを見せる者がいないか、三人組のパフォーマンスではなく自分たちを見ている存在はいないか。
幸いにして、今のところ不審な人物はいない。
「ベイルくん、あそこ空きました! もう少し近付いてみませんか?」
ルナが前方を指差す。
丁度、そこで芸を見ていた集団が欠け落ちて空間ができていた。
彼女が言うとおりそこに向かいながら、ベイルは内心で疑問を抱く。
(これじゃあ国都の観光というよりは、サーカスの一座を見ているだけのような気もするけど……)
果たしてこれでいいのだろうか。
しかし、傍らで三人組に視線を注ぐルナの楽しそうな表情を見てその疑問は霧散する。
結局の所、
(――まあ、聖女様が楽しそうならそれでいいか)
◆ ◆
その後、三人組のパフォーマンスを更に見てから二人はようやく国都を散策し始めた。
辺境のノーティス村とは違って、やはりこの街は人や物で溢れかえっている。
物珍しげに見て回っているうちにすっかり昼になり、疲労の色を見せ始めたルナの休憩も兼ねて二人は手近なレストランに入った。
「何を頼みます?」
「んー、悩みます……」
渡されたメニュー表を真剣な表情で見つめるルナ。
対面に座るベイルはそんな彼女を微笑と共に眺める。
「あ、これ! これとかどうですか! 国都名物らしいですっ」
「へぇ、どれどれ……って、これはご飯と言うよりもデザートじゃないですか?」
ずずいと身を乗り出してベイルにメニュー表を突きつけてくるルナの勢いに少し気圧されながら、彼女が指差すメニュー表の一点を見る。
そこには確かに『国都名物! 食べなきゃ損!』と書かれている。
そしてそのメニュー名は『三種のフルーツ乗せ、あまあまハニートースト』となっている。
一体全体どの辺りが国都名物なのかは謎なところではあるが、ともかくこれは昼食に食べるようなものではない気がする。
すると、ルナは更にそのメニュー名の一点を指差す。
「ここを見てください、ベイルくん。トーストって書かれています。つまりこれはきちんとした食事です!」
「……そ、そうですね。ではこれを頼みますか」
ルナの熱弁に押されてベイルは店員を呼んだ。
注文をした後、嬉しそうにしている彼女を見てベイルはまたしても「まあいいか」と思ってしまう。
「ベイルくん、本当に一つでよかったんですか?」
「ええ、そういえば聖女様はハニートーストを食べたことがないんでしたっけ」
注文をする際、ベイルが一つしか注文しなかったことを気にしたルナが質問してきた。
実物がどんなものかを知っているベイルは、即座に頷き返す。
頑張れば一人で食べきれなくもないが、勲章授与を後に控えたこの状況で無理をすることもないだろう。
「それよりも、国都はどうでしたか?」
「楽しかったです! 見たことがないものもあって、人もたくさんいて、色々な催しがあって。それに……」
一瞬の間を置いて、ルナは笑顔で言う。
「――皆さん、笑っていましたから」
「…………」
彼女の言葉に、ベイルは何も返さなかった。
ただ曖昧な笑顔を浮かべてみせる。
彼女の知る都は神殿による管理の行き届いた閉塞した世界。
表向きは幸せであると振る舞わなければならず、しかしその実態はなんの自由も与えられていない不幸な社会だった。
だが、自由が与えられたこの国ではそのような拘束はない。
現に、今日見て回った国都の人たちも皆幸せそうに生きていた。
彼女の感想は、至極正しい。
しかしベイルは知っている。
今日通ることを意図的に避けた路地裏の奥、そこでは今日食べるものにも困っている人がひっそりと隠れるように暮らしていることを。
自由すぎるがゆえに、幸せを享受できなかった人たちの存在を。
教皇国には光も闇もなかったが、この国には光がある代わりに闇もある。
とはいえ、そんな事実を少なくとも今彼女が知る必要はないだろう。
運ばれてきたハニートーストに一瞬唖然として、それから「ベイルくんが一つでいいと言った意味がわかりました」と照れた笑みと共に口にしたルナを見て、ベイルは思った。
「では、食べましょうか」
「ど、どうやって食べるんでしょう……?」
困ったようにしげしげと眺めるルナに手本を示すように、ベイルはナイフとフォークを手に取った。




