三十五話 歓待
「…………」
「…………」
官邸にてあてがわれた部屋で、二人は待機していた。
いつもの和やかで穏やかな雰囲気はそこになく、二人とも言葉を発することなく備え付けの椅子に腰掛けている。
理由は言わずもがな、用意されていた部屋が一つだったということだ。
それを伝えられたとき、ベイルは即座に理由を問うた。
すると、そもそも官邸には一人用の部屋がないと返されてしまった。
確かに、官邸なんてところに一人で訪れる者は希有だろうから合理的と言えば合理的ではあるのかもしれない。
しかし、仮にも男女であるのだから部屋を分けてくれてもいいだろうに。
一応立場的には他国の重役でもなんでもない一国民であるベイルは、それ以上不満を漏らしはしなかった。
沈黙に耐えきれずになりベイルが声をかけようとしたその瞬間、部屋の扉がコンコンとノックされた。
「お待たせいたしました。お食事のご用意が整いましたのでご案内いたします」
部屋の外から響く侍従のよく透る声。
反射的に二人とも扉の方を勢いよく見やり、そしてそんな自分たちの行動が可笑しくて互いを見て笑い合った。
「行きましょうか、聖女様」
「はい!」
◆ ◆
「はぁ~……」
夕食を終えてそのまま浴場へと案内されたベイルは、部屋に戻って早々椅子に腰を下ろし、背に全身を委ねた。
さすがに浴場は男女で別々だった。
ルナはまだ入浴中らしい。
ベイルは突然立ち上がると、窓際に歩み寄りゆっくりと窓を開けた。
火照っていた全身が夜風で幾分か涼やかなものになる。
そのままボーッと夜空を見上げた。
国都が発する光の影響か、ノーティス村で見る夜空よりも星の数が少ない。
夜だというのに遠くから聞こえてくる人々の喧噪が、ひどく違和感を抱かせる。
ノーティス村での生活に慣れすぎたらしい。
それにしても、と。
星空を眺めながら、ベイルは夕食の場のことを思い返した。
ベイルたちが夕食の場として案内されたのは、だだっ広い部屋だった。
壁際には高価そうな絵画が何枚も飾られ、豪華絢爛な燭台などが置かれていた。
そして部屋の中央には十人以上は優に座ることができる長机。
汚れ一つない真っ白なテーブルクロスが敷かれたその長机でベイルたちは夕食をとった。
何人もの侍従や料理人に甲斐甲斐しく世話をされ、出された料理はどれも絶品のもの。
机が無駄に広かったせいでルナと少し離れた場所で食事をせざるを得なかったことを除けば、特に不満はなかった。
どころか、十分すぎる。
……そう、十分すぎるのだ。
勲章を与えるとはいえ、ベイルたちは辺境の村で暮らす一国民だ。
そんな者に、これほどの歓待をすることが不思議でならない。
「大方、贅沢な目に遭わせることでギリアンの失態を埋め合わせている気でいるんだろうが」
気に入らない。
勲章の件に関しても、この国のやり方はどうにも気に入らない。
とはいえ、平和な世ならいざ知らず今はまだ動乱の時代。
こういうやり方は長きにわたって国を繁栄させるためにはむしろ正しいのだろう。
それでもやはり、気に入らない。
(そういう意味では、あの国も同じだけどな)
教皇国と、そして帝国。
あの二国は公然と人を奴隷のように扱っているのだから、共和国よりも遙かにひどい。
何より、ルナを傷つけ続けた憎き敵だ。
「――ッ」
沸々と、胸の奥底にしまっていた憎悪に支配されかけた意識が、部屋の扉がコンコンとノックされた音に反応して引き戻される。
星空から視線を扉の方へと移すと同時に、ゆっくりと扉が開かれた。
「あ、ベイルくん。お待たせしました」
「……!」
現れたのは、用意されていたものなのかいつもより薄い寝間着に身を包み、しっとりと濡れた白髪と上気した頬がいやに扇情的なルナだった。
「ベイルくん……?」
「っ、どうでしたか、お風呂の方は」
「はい、とても気持ちよかったです!」
扉を閉めて室内に入ってくるルナ。
危うく見惚れてしまっていたベイルは密かに手の甲をつねり、平静を取り戻す。
ルナは扉側のベッドに腰を下ろすと、まだ僅かに水分を含んでいる髪を肩にかけていたタオルでゆっくりと拭う。
ベッドが一つではなく二つであって本当によかったと、ベイルは胸をなで下ろした。
「ベイルくん、勲章の授与って明日のお昼過ぎであっていましたっけ」
ベイルもルナに倣って窓側のベッドの端に座ると同時にルナが質問した。
「そうですね。その後に報奨金などの手続きを経て、ノーティス村に戻る手筈になっています」
帰りの馬車も国が用意してくれるらしい。
国都に滞在する時間よりも移動時間の方が長いのはなんとも微妙な気持ちになるが、余り長居をしては面倒ごとになるかもしれないのでそこは割り切る。
ベイルの返答にルナは何やら考え込む素振りを見せると、「じゃ、じゃあ」と躊躇いがちに口を開いた。
「明日のお昼までは、空いているってことですよねっ」
「は、はい。好きにして構わないと言われていますけど……、あっ」
ルナの様子から、ベイルは彼女が何を言わんとしているかを察した。
そしてそれを切り出すことを躊躇っていることも。
ベイルは小さく笑みを浮かべると、優しい声音で声をかけた。
「聖女様、明日の勲章授与までの間、国都を一緒に散策しませんか?」
「い、いいんですか?」
「もちろんです。といっても俺はこの街について何も知らないので楽しめるかまではわかりませんが……」
「大丈夫です! ベイルくんと一緒なら楽しめるに決まっていますっ」
「そ、そうですか」
ルナが何気なく口にした言葉に思わず熱くなった顔を手で覆い隠しながら、ベイルは平静を装った。
そして、一呼吸置いて改めて口にする。
「では、明日の午前中は一緒に国都を散策しましょう」
「はいっ!」




