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聖女様を甘やかしたい! ただし勇者、お前はダメだ  作者: 戸津 秋太
一章 共和国の勇者

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二十九話 終結

 ――思えば、彼に抱いていた感情は嫌悪でも軽蔑でもなかったのだろう。


 第一印象は最悪。

 悪い意味で噂通りの女好きで、夜中にルナの部屋に忍び込もうとさえしていた。

 それが腹立たしかったし、いけ好かなかった。


 だけど、たぶん、それ以上に憧れてもいたのだ。

 ギリアンの言葉の端々から滲み出る勇者然とした決意と覚悟が、かつてそれを夢想していた幼い自分と重なって。


 ……それは、同族嫌悪のようで、どこか違っていた。


『味方を傷つける奥義など、この僕が修得するわけがないだろう』


 奥義を使おうとした彼が口にした言葉に胸が痛んだのは、自分がギリアンと違っていたから。


 もう随分と遠い昔、神官としてあらゆる犠牲を厭わずに任務を遂行していたころの記憶が脳裏を掠める。

 より多くの人を救うことだけを求めて、それが正しいと信じながら、けれど仲間を見捨てることもできなくて。

 そんな勇者(ギリアン)の在り方が、昔自分が憧れて(つい)ぞなれなかったものだから。


 ……そう、抱いたのは嫌悪でも軽蔑でもなくて、それはきっと嫉妬だった。


 黒く染まった魔剣がすぐ傍を掠める。

 無尽蔵に生み出されるそれを、しかしどこか自分の冷静な部分がしっかりと捉え、的確に躱す。


 無駄も隙もないその動きは体に染みついていて、無意識に最適の動きを続ける。

 攻撃を躱せば躱すほど、戦えば戦うほどに神官時代の()が戻ってくる。


 力が湧き上がる。

 視界に映る景色全てがひどくゆっくりとして視える。


 ギリアンの魔剣を回避し続けていると、突然彼が後ろに下がった。


 いつの間にかベイルの周りを取り囲んでいた魔獣の群れ。

 その体躯が影となり、槍となって四方八方から襲い掛かる。

 しかしそれは、ベイルの周囲を覆うように漂う白い光に触れると同時に溶けて消えた。


 為す術がなくたじろぐ魔獣の群れ。

 その中から、一人剣を握りしめたガランが跳び出した。


「ウァァアアガッァアアアアッッッ!!!!」


 全身から絞り出すような咆哮と共に、影を纏ったガランの剣が真っ直ぐベイルへ振るわれる。

 半身を下げてそれを回避すると同時に、ギリアンから放たれた幾本もの魔剣を回避すべくその場を跳躍する。


「――!」


 その落下地点には魔獣の群れが待機している。

 牙を剥き出しにして待ち構える魔獣たちに向けて、ベイルは手をかざした。


「邪魔だ!」


 ベイルがそう叫ぶや否や、魔獣たちの真下から白い聖槍が現れ、黒い体躯を貫く。

 辛うじて回避した魔獣たちも、地に降り立ったベイルが振るった斬撃によって血しぶきを撒き散らした。


 その場に(くずお)れる魔獣を見届けながら、ベイルは剣を横薙ぎに振るう。

 刀身に纏わりついた血糊が吹き飛び、辺りの草花を赤く染める。


 取り囲んでいた魔獣を一掃したベイルは、改めてボスの方を鋭く睨みつけた。


(……あれを倒せば全てが片付くが、ギリアンたちが敵にいる以上それは厳しいか)


 ボスの前に立ちはだかるギリアンとガラン。そしてまだ多く残っている魔獣たち。


 殺してもいいということであれば、力業で押し切ることも可能だ。

 しかしそれをしては意味がない。

 今求められているのは、眷属化したギリアンとガランを救った上でボスを含む魔獣の群れを殲滅すること。


 うなり声をあげてこちらを威圧するギリアンを見る。


「今、助けてやる」


 それが彼女の願いだから。

 決意の言葉と共に、ベイルは駆け出した。


 上体を低くし、立ちはだから魔獣を斬り捨てながらギリアンへ肉薄する。

 距離が縮まったその瞬間、ギリアンへ向けて手をかざした。


「――聖鎖よ、束縛せよ!」


 眩い光が地面を駆け抜けると、ギリアンの後方から光の鎖が現れる。

 ベイルへ全意識を向けていたギリアンは対応に遅れ、その鎖に四肢を拘束された。


「ウォァアアアアアアッッッッ!!!!」


 四肢から全身へ、鎖が纏わりつく。

 その拘束から逃れようと、咆哮と共に全身を激しく動かすが、逆に鎖はその拘束を強める。


 苦しみ喘ぐギリアンとの距離がほぼゼロになったその瞬間、彼に向けて伸ばしたベイルの右手へガランの剣が迫る。


「――ハァッ!」


 掛け声とともに、ベイルの右手に白い光が集約する。

 そして、ガランの剣を右手でそのまま掴み取った。


「ウルラァッ、ウガァアアアアアッッ!!」


 剣を振りほどこうともがくガラン。

 しかし、ベイルの右手はびくともしない。


 やむなくガランは両手で握っていた剣の柄から右手を離すと、拳を作ってベイルへ殴りかかる。

 轟ッと音を立てて迫る拳をベイルは左手に持つ剣で斬り落とそうとして、しかしすぐに自制する。


 ガランの剣を離すと上半身を逸らし、拳を躱す。

 同時に後方から襲い掛かってきた魔獣を体を捻りながらその勢いを乗せて回転斬りの要領で斬り伏せ、後退した。


「ッ、怪我をさせてもいけないってのは、中々……ッ」


 今後のことを考えて、なるべくなら怪我をさせない方がいいに決まっている。

 左手を斬り落とすなどもっての他だ。


 命あっての物種。

 そんな甘いことを考えて自滅してしまってはそれこそ笑い話にもならないが、そうならない自信だけはある。


 神技を十全に扱える今ならば、何より神官時代の勘を取り戻しつつあるこの状態であれば、どれほど難しい任務であってもこなしてみせる。


「――っと、そんなこともできるのか」


 途端に重くなった空気に反応して、ベイルは空を仰ぐ。

 そこには、空を覆いつくすほどの漆黒の魔剣の数々が顕現していた。


 これと似た光景を、ベイルはすでに見ている。


 予想通り魔剣は中央に集い、昏い光を放つ。

 直後、そこには一振りの巨大な魔剣があった。


 これは、ギリアンが魔獣の群れを掃討せんと発動しかけた奥義。

 その威力までは見ることができなかったが、これは勇者が誇る力だ。

 生半可な攻撃ではないだろう。


 ……あの奥義には、聖域は通用しない。


 そのことを、ベイルは一目でなんとなく感じ取った。


 神官の中ですでに体系化された守りの神技において最高クラスに分類される聖域(サンクチュアリ)

 それは発動者が拒んだ現象や物体の一切を排除する、絶対の護りだ。

 しかし、この聖域を発動するには様々な制約がある。

 その中の一つが、心の底からソレを拒まなければならないということだ。


 空に浮かぶ一振りの巨大な剣は、影を纏って禍々しい光を放っているとはいえ、元はギリアンの能力だ。

 ベイルは今、心のどこかでギリアンの存在を受け入れている。

 だからこそ、彼の能力であるあの大剣を心の底から拒むことは、恐らくはできない。


 神技という力の性質上、それは仕方のないことではある。


 無論、七天神官であるベイルはそのことを理解した上で、様々な場面で適切な神技を用い、あるいは生み出してきた。

 それは、今回も例外ではない。


「ギゲアァァッ!!」


 ――消えろ。


 そう聞こえるギリアンの咆哮と共に、空に悠然と浮かんでいた漆黒の大剣が地に落ちてくる。

 大気を切り裂き、星さえも貫かんと。


 だが、ベイルは逃げるでもなくその大剣を見上げると、小さく息を吐き、目を閉じる。


 ――イメージは、固まった。


 秒にも満たない時間瞑目した後、キッと鋭い視線を大剣に向ける。

 想像するのはあの大剣ではない。

 つい先ほど、ギリアンが発動した黄金の光を放つ大剣。


「空を覆う、数多の聖剣よ」


 ベイルの周囲に漂う光が増す。

 その光は彼の後方にあやふやながら、しかし一振りの剣の形を模り、それが数十、数百と現出していく。


「集えッ、集えッ、集え……ッ!」


 それは暗示。

 神技を扱う際に己に言い聞かせる、呪いの祝詞。


 ベイルの言葉に呼応して、千に迫る数の白い剣がそれぞれゆらりと三つの箇所に集う。

 激しい光を放ち、無数の剣が融合していく。


 新たな神技。


 その銘は――。


「――星剣よ、在れ」


 星さえも貫く、超大な力を伴った神々の剣。

 そこには、燦然と輝く都合三本の星剣(・・)があった。


 迫りくる魔剣を睨むと、ベイルのその視線に三本の星剣の剣先が追従する。


 右手を掲げる。

 星剣の光がより鋭く眩いものになる。


 黒い神父服を風に揺らし、死の宣告のように右手を素早く振り下ろした。

 直後、風を切る音と共にベイルの背後に待機していた三本の星剣が放たれる。

 その先にはギリアンの魔剣。


 すぐそこまで迫っていた魔剣とベイルの聖剣が衝突すると同時に、周囲に衝撃波が広がる。

 草木がザワザワと揺れ、土埃が上がる。


 空中で、光の応酬を繰り広げる四振りの大剣は、しかしすぐにその拮抗状態を崩した。


 ビキビキビキと、魔剣の刀身に亀裂が走る。

 その奥から黄金の輝きを覗かせて――魔剣は砕け散った。


 行き場をなくした三本の星剣は、光の尾を引きながら空へと駆け上がっていく。

 まだ昼の、明るい空へと昇っていく星剣。

 少しして、星剣はその勢いを失うと燐光となって大空に弾け飛んだ。


 キラキラと振り落ちてくる光の粒。

 己が誇る奥義を粉砕されて狼狽するのは、鎖に拘束されたままのギリアン。


 そんな彼の下へ、今度こそベイルが駆け寄る。

 その行く手を尚も阻むガランと魔獣の群れ。

 しかし、どこからともなく現れた鎖がその全てを拘束する。


「ウァッ、ァアッ!!」


 獣のように声を荒らげて、迫りくるベイル()から逃れようともがく。

 そんなギリアンに、ベイルは右手をゆっくりと伸ばした。


「ウァアアアアアアアッッ!!!!!」


 突如、これまでとは比にならないほどの苦悶の声を叫ぶギリアン。

 ベイルの右手には白い光が纏わりついている。

 それがギリアンの体に触れるや否や、彼の体に纏わりついていた影が溶けていく。


 ――聖域(サンクチュアリ)の制限版。


 その効果領域を極限まで引き下げることで、拒む現象や物体をより細かに指定できる。


 今ベイルが拒んでいるのは、ギリアンに宿る魔獣の意識。

 眷属と化し、魔獣の意識と融合してしまったギリアンにとって、それは言うなれば自我を強制的に引き裂かれるようなもの。

 およそ、人が一生のうちに味わう苦痛を超えている。


 喉をからして叫ぶギリアンに、しかしベイルは手を緩めることはない。

 辺り一帯に響き渡る絶叫を至近距離で浴びながら、それでもベイルはその顔に苦悶の色を一切見せることなく、面と向かってギリアンを見つめ返す。


 徐々に、ギリアンに纏わりついていた影がその鳴りを潜める。

 眼光の奥に宿る鋭い殺気は鎮まり、狂気と苦悶に歪んだ表情もまたヒトのそれへと戻っていく。


 そうして、ベイルはそっとギリアンから手を離した。

 直後、ギリアンは糸の切れた操り人形のようにその場に仰向けに崩れ落ちる。


「ッ、大丈夫か!?」


 何かしくじっただろうか。

 失敗の二文字が脳裏をよぎり、ベイルは慌ててその場に膝をついて背中に手を回し、上体を起こす。


「……ぁ」


 先ほどまでとは一転して力のない瞳が、しかし確かに自分を捉えたことにひとまずベイルは安堵した。


「……?」


 空気が抜ける音しか聞こえないギリアンの口が微かに動いたことに気付き、ベイルはそっと彼の顔へ耳を近づける。

 すると、ギリアンはゆっくりと右手を上げてベイルの腕を掴んだ。


「ガランを、頼む……」

「っ、……ああッ」


 力強く言い返すと、ギリアンはふっと微笑を浮かべて意識を失った。


 そっと地面に寝かせて、ベイルは敵の真っただ中でありながらギリアンの顔を見つめる。

 そうして、苛立たし気に大きく息を吐き出し、乱暴に立ち上がった。


 周囲には、鎖に拘束されたままの魔獣の群れ。

 その一部となっているガランを鋭く睨みつけると同時に、地を蹴った。


◆◆


「よし、こっちも無事だッ」


 ギリアンと同じようにしてガランを魔獣の能力から救出したベイルは、彼に息があることを確認してほっと胸を撫でおろした。

 そのままギリアンの横にそっと寝かせて、自分を取り囲む魔獣の群れへと意識を向ける。


 右手をかざす。

 魔獣を縛っていた光の鎖が溶けて消え、代わりに辺り一帯を光が覆う。


 煌々と輝く地面。


 怯む魔獣。


 ベイルが右腕を横に振ると、その瞬間に光る地面から幾本もの槍が突き出て魔獣の体躯を貫く。

 一瞬にして、この場を取り囲んでいた魔獣の一切が地に倒れ伏す。


 その中でただの一体。

 辛うじて、眷属を肉壁として光の槍を防いでいた魔獣がいた。


 ――ボス。


 ベイルたちがそう呼称することにした、生物を眷属として操る能力を持つ魔獣。

 今回の騒動の元凶を前に、ベイルは大きく息を吐き出し、ゆっくりと近づく。


 それに対してボスは最早目の前の敵には勝てないと悟ったのか、ガルルルッと威嚇するのみでその場を動かない。

 ……いや、


「逃がさねえよ」


 全身を影として地面に溶け込み、その場を離脱しようとしたボスの行動を前に、ベイルはパチンッと指を鳴らした。

 ベイルを中心にドーム状に光の粒子が広がり、ベイルとそしてボスを取り囲む。


 影となったボスはその光の壁にぶつかると同時に弾かれ、獣の体躯に戻ることを余儀なくされた。

 光の結界によって敵の退路を断ったベイルは、ゆったりとボスへと手をかざす。


 沸々と、何故か胸の内に怒りが湧き上がってくる。

 しかし同時に、頭はどこか冷静で。


 激情に身を委ねることのできないベイルは、自分をどこか客観的な目で見ることができた。

 だから、どうして自分が今怒っているのかもまた理解していた。


 その怒りの矛先は決してボスへ向けてのものではなくて、自分に対するものだ。

 自分が躊躇しなければ、あそこまでギリアンを苦しめることもなかったし、何より彼らの力を借りずともこの山に潜む魔獣の一切を殲滅することは容易だった。


 今回の元凶が誰かと問われれば、それはボスなどでは決してなくて――。


(……いや、それは今だから思えることだよな)


 僅かに口角を上げる。


 例えばあの時、ギリアンたちを見殺しにする選択を取っていたとしても、自分はたぶんそのことを後悔はしなかったはずだ。

 ルナにとってどちらを選択した方がよりよいかを考えただけで。


「――!」


 もう全てが片付いたかのように己の行動を振り返っていたベイルの意識が現実へ引き戻される。

 退路を防がれたことで最早強行突破しかないと判断したのか、ボスが全身を影としてベイルに襲い掛かって来る。

 そんなボスに、ベイルは不敵な笑みを浮かべた。


「――避けるなよ」


 呟くと同時に、空から稲妻が降り注ぐ。

 辺りをつんざくような轟音が包み込み、光の渦はボスを飲み込む。


 ボスの悲鳴はその轟音の前にかき消され、そして遂には完全に消失する。

 後に残ったクレーターのような地面の陥没を後目に、ベイルはギリアンたちの下へ向かった。


◆◆


 突如辺りに響き渡った轟音に、ギリアンたちの帰還を待っていたルナたちは空を見上げた。

 少し離れたところへと降り注ぐ稲妻に、ギリアンの仲間たちからは驚きの声が上がる。


 しかしルナだけは、少し複雑そうに顔を伏せた。


 ルナは、あれが天災ではないことを知っている。

 ……あれが、ベイルによって引き起こされたものであることを、知っている。


 ベイルが神技を使うような事態に陥ったということは、何かが起こったということだ。


(ッ、ベイルくん……っ)


 ギュッと服の袖を掴み、この場を動きたくなる衝動を必死に抑え込む。

 自分がここで勝手な行動をしては、一層彼に迷惑がかかってしまうから。


「お、おい、ガランの奴を見なかったか?」


 近くで、護衛の一人がそう叫ぶのが耳に入った。

 彼の言葉に他の者も「そういや……」「さっき用を足すって」「遅くねえか」と口々に声を上げ始める。


 ベイルのことが気がかりだったルナは、その話に特別の関心を抱くことはなかった。


 少しして、近くからガサガサと草を踏みしめる音が聞こえ、護衛たちが即座に武器を構える。

 が、そこから現れた人物を目にして全員が力を抜いた。


「ベイルくん!」


 少し土に汚れてはいるが、ベイルの体に目立った怪我ないことを認めてルナは嬉しそうに声を上げながら駆け寄る。

 と同時に、彼が背中に何かを背負っていることに気付いて、その顔を蒼白させた。


「聖女様、すぐに治療を」

「は、はい!」


 背に背負っていたギリアンとガランをゆっくりとベイルが地面に寝かせると、慌てた様子でルナが二人のすぐ傍に駆け寄る。

 ギリアンたちがボロボロの様子で意識を失っていることに気付いた護衛たちもまた、焦燥した様子を見せて駆け寄ってくる。


 一体何があったのか。

 その疑問を口にするよりも先に、ルナはギリアンの傷口に手を添えた。

神技の説明に関しては二章で行います。

……一話ごとの文字数をもう少し減らさないととは思っているんですが、筆が乗るとどうにも(汗)

次話もこれぐらいの分量になるかと思います。

途中◆◆といった記号を挿入しているので、読むのが疲れた際は適当なところで一度区切っていただければ。

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