二十三話 勇者の変化
「……やはり聖女様は教会に戻られた方が」
早朝。まだ辺りが薄暗い時分にベイルとルナの二人は教会を出て、ノーティス村の広場へと向かっていた。
その道中、ベイルは隣のルナにおずおずと話しかけた。
「いいえ、私も一緒に行きます。それはベイルくんもつい先ほど納得してくれたじゃないですか」
「それはそうですけど……」
少し怒ったような口調で言われてベイルはしゅんと押し黙る。
昨夜。ギリアンと庭で話したことをルナには話していない。
だが、今日彼の南部の山脈の調査に同行することは伝えた。
それがつい先ほどのこと。
少し早めの朝食を摂りながらベイルがそのことを口にすると、ルナが「私も一緒に行きますっ」と食い気味に言ってきたのだ。
当然ベイルはそれを断ろうとしたのだが、以前ベイルが単身薬草を採取する為に南部の山脈に赴き、魔獣と遭遇したことを引き合いに出されては断りきることができなかった。
ルナはベイルのことを過保護だというが、ベイルにとってすればルナの方がよほど過保護だ。
自分が魔獣程度では傷つかないことを知っているはずなのに。
とはいえ、自分のことが心配だと訴えるルナを置いてくることもできず、今こうして広場までの道を共に進んでいる。
「ギリアン様がダメだとおっしゃられたら、大人しく戻ってくださいよ」
「……わかりました」
ルナの返事に変な間があったことにベイルはため息を零す。
とはいえ、勇者一行も同行する場でルナに危険が及ぶことはないだろうと、それ以上は何も言わなかった。
◆◆
「ギリアン様」
広場に着くと、すでにそこには人だかりができていた。
鎧を纏った屈強な男たちや見目麗しい女性たちの中で一際輝く勇者の姿を捉えて、ベイルは朝の静謐を引き裂かない程度の落ち着いた語調で話しかける。
ベイルの声に気付いたギリアンは振り返り、同時に彼の後ろに佇むルナの姿におやと片眉を上げた。
「逃げなかったようで何より。ところで、今日招待したのは君だけだったはずだけどね」
確認、というよりは問いの意味合いの方が強いギリアンの言葉に、ベイルは半身を下げてルナを見つめながら返す。
「聖女様も同行されたいようで。無論、問題であればお戻りいただきますが」
「問題? いやいや、むしろ歓迎しよう。君の力が必要になるかもしれないからね。どれ、今日は君が真に僕の愛人に相応しいかを見定めるとしよう」
そう言いながら、ギリアンの視線はルナではなくベイルに向いている。
挑発のつもりか、と内心で憤りながらベイルは強く睨み返した。
「……あの」
「ん? なんだい、ルナ」
突然ルナが手をあげ、ギリアンに声をかける。
「ギリアン様は、どうして愛人をつくられるのですか? こんなにも美しい方々がおられるのに」
そう言って、ルナは広場一帯に視線を向ける。
無骨な剣を背に掲げる男たちの中に、何人もの美女が混じっている。
何人もの美女を愛人として侍らせている、女好きの正義感と名高いギリアンの愛人であることは明らかだ。
それほど魅力的な女性に囲まれながら、それでもなお愛人を増やそうとするギリアンの考えをルナは純粋に不思議に思う。
愛する人は、生涯のうちに一人で十分なはずだから。
ルナが一瞬だけちらりとベイルを見つめるのと同時に、ギリアンは微かな笑みを零す。
「僕は強い者と美しい者が好きなのだよ。そしてそれを侍らす自分が何よりも大好きだ。だが、そのためだけに彼女たちを侍らしているのではただの装置になってしまう。ただの装置と化した女性は美しくない。そうだろう?」
突然のナルシスト発言に少し引いているベイルたちにギリアンは同意を求める。
そしてその反応を待たずして、彼は続ける。
「だから僕は彼女たちを愛し、愛されているんだよ。女性が最も輝き、美しくなる瞬間は恋をしている時だ。だから僕は、連れていきたい女性は愛人にする。最も美しい瞬間に留めておくためにもね。彼女たちが僕を愛するのは当たり前だが、僕も彼女たちも愛してやらねばね。無論、君もだよ」
ウィンクと共にルナを勧誘するギリアン。
即座に、その間にベイルが割って入る。
「ギリアン様、ご冗談は慎んでいただきたい」
「別に冗談じゃないんだけどね。まあいいや、この話は今日の調査が終わってから改めて」
肩を竦めながら、ギリアンはひらひらと手を振って広場の人だかりの中に戻っていく。
先ほどの美女たちと談笑するギリアンを遠目から眺めながら、ルナはベイルを見上げた。
「ベイルくん、ギリアン様と何かあったんですか?」
「っ、突然どうされました?」
「いえ、なんだかお二人が親密になったような気がしたので。ギリアン様のベイルくんに対する接し方がどこか柔らかくなったような……」
「そう、ですか」
少し考えるように首を傾げてそう語るルナに、ベイルは内心舌を巻いた。
確かに彼女の言う通り、昨日通りであればベイルがルナとの間に割って入った時点で、ギリアンは怒りを露わにしていただろう。
しかし今は、それを予想していたように軽々と引き下がった。
とはいえ――
(……昨夜のことは、話せるわけがないよな)
互いの主義主張がぶつかり合い、一触即発の状態までいってしまったことを言えば心配されてしまう。
だから、ベイルは「気のせいですよ」と少し引き攣った笑みを浮かべてその場を濁した。
◆◆
「ギリアン様」
出発の直前。準備に慌ただしく広間の片隅でベイルは一人、ギリアンに話しかける。
彼の傍らにルナがいないことに、ギリアンはにやりと笑んだ。
「わざわざ一人で、一体何の用かな?」
少し離れたところでギリアン一行の面々に挨拶をして回っているルナに一瞬視線をやり、ベイルは口を開く。
「もしもの時のために、一応伝えておこうと思いまして。聖女様は体が弱く、険しい南部の山道は相当な負担になると思います」
「……わかった、配慮しよう。なんなら、手の空いている者におぶらせてもいい。彼女の怪我を癒す力は人一人分の労力を割いてあまりある」
「いえ、ギリアン様たちのお手を煩わせるわけには。彼女は俺が責任をもっておぶります」
「くく……っ」
真剣な表情で口にした言葉が少し子供じみた内容で、ギリアンは思わず吹き出した。
同時に、鋭い眼差しを向ける。
「念のために言っておくけど、僕は君を助けない。昨日の大口がただの大言壮語ではないことを証明してくれよ?」
「……善処します」
その返答に満足げに頷くと、ギリアンは広間に響き渡る大声で出発を命じた。




